フジコヘミングさん。
日本だけでなく、アメリカやヨーロッパで活躍するピアニストでした。
そんなフジコヘミングさんは自宅が複数あったようなのです。
そこで今回は、
フジコヘミングさんの自宅(家)について
深掘りをします。
フジコヘミングのWikiプロフィール
フジコヘミングさんのWikiプロフィールはこちら。
- 名前 フジコ・ヘミング
- 本名 ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ
- 生年月日 1932年12月5日
- 年齢 92歳
- その他 スウェーデン(父親)・日本人(母親)のハーフ
- 父親:スウェーデン人画家のヨスタ・ゲオルギー・ヘミングさん・母親:日本人ピアニストの大月投網子さん
フジコヘミングは東京育ち
フジコヘミングさんですが、生まれはヴァイマル共和政下のドイツベルリンで生まれています。
しかし、フジコヘミングさんが5歳の時には日本に帰国して渋谷区の穏田(おんでん)という地域に住んでいました。
ちょうど渋谷と原宿との間に隠田神社があります。
日本に帰国直後はフジコヘミングさんは地図でいうと下記のあたりに住んでいたと思われます。
めちゃくちゃいいところですよね!
1932年に生まれたフジコヘミングさん。
東京に住んでいたときは今とは風景が全く違っていたと思われます。
1930年頃の渋谷駅周辺はこちら。
商業地というよりも住宅街のような印象ですね!
この時からフジコヘミングさんは母親がピアニストだった影響でピアノを弾き始めます。
その影響でフジコヘミングさんは8歳の時にはラジオでピアノを披露しています。
このとき、天才少女!と言われていました。
しかし、その後母国スウェーデンに強制送還されてしまい、海外生活となります。
フジコヘミングの自宅(家)の場所について
では、現在のフジコヘミングさんが住んでいた自宅はどこだったのでしょうか。
調査したところ、フジコヘミングさんの自宅は5つありました。
- フランス:パリマレ地区
- ドイツ:ベルリン
- アメリカ:サンタモニカ州
- 京都:祇園
- 東京都:下北沢
1:フランスパリマレ地区の自宅(家)
1つ目はフランスパリの自宅(家)です。
フランスパリの自宅はマレ地区にある1889年に建設された歴史的建造物のアパルトマンの一室だそう。
エリアはこの辺り。
フジコヘミングさんは子どもの頃からずっとフランスに憧れを抱いていたそう。
フランスと言えばフジコヘミングさんが愛していた曲「アラベスク」の作曲家クロード・ドビュッシーや「ラ・カンパネラ」の作曲家ニコロ・パガニーニとフランツ・リストの故郷でもあります。
フジコヘミングさんはファンションも大好き。
ベルリンに暮らしていた頃にフランスパリに訪れた時に、衝撃を受けたそう。
ベルリンで暮らしていたころの70年代、パリに遊びに行ったら、みんな颯爽とハイヒールをはいていたの。
それはもう素敵でね、カフェで通りを歩く人を見ているだけで楽しかった。
それ以来、フジコヘミングさんはフランスパリが大好きでコロナ禍以前は、1年の半分ほどをフランスパリの自宅で過ごしていたそうです。
フランスパリの自宅について、フジコヘミングさんは、
描いた絵がいっぱいあるの。
絵を見ないで生きるのはつまらないから、全部かける(飾る)ことにして。
この絵をあっちに移して、あの絵はここに飾って、ああでもない、こうでもないって。
今の形に落ち着くまでに10年くらいかかりましたよ。
と、フランスパリの自宅にはこだわりのアンティークの家具とフジコヘミングさんが描かれた絵画がたくさん飾られているんだそう。
長年かけて素敵な空間を作り上げたんですね!
そしてパリには2匹の猫と1匹の犬と暮らしていたそうです。
※https://www.jprime.jp/articles/-/12701?page=2
2:ドイツベルリンの自宅(家)
2つ目はドイツのベルリンの自宅(家)です。
フジコヘミングさんはドイツベルリンにも自宅があるそうですが、詳細に関しては分かりませんでした。
ただ、小さなアパートの一室だったようです。
幼少期、フジコヘミングさんは家族と一緒にドイツベルリンのアパートで住んでいました。
当時住んでいたのがこちら。
こちらも歴史を感じる素敵な外観のアパートですよね!
このアパートにはドイツに来るたびに訪れていたそうです。
3:アメリカサンタモニカ州の自宅(家)
3つ目はアメリカサンタモニカの自宅(家)です。
フジコヘミングさんはアメリカサンタモニカ州にも自宅があるそうです。
場所はサンタモニカ空港からほど近い海沿いということです。
自宅からは海が見えます。
スパニッシュコロニアルリヴァイバル様式の家ということで、海沿いの街にぴったりな白い壁の素敵な外観です。
アメリカサンタモニカの自宅もフジコヘミングさんはお気に入りだったそうです。
4 :京都祇園の自宅(家)
4つ目は京都祇園の自宅(家)です。
休日は京都の自宅で過ごすというフジコヘミングさん。
詳細の場所は公開されていませんが、京都の祇園にあるそうです。
京都の自宅は宮大工がリフォームした古民家だそう。
京都の自宅にももちろんピアノがあり、京都のを訪れた際はピアノを演奏していたそうです。
5:東京都世田谷区下北沢の自宅(家)
5つ目は東京都世田谷区下北沢の自宅(家)です。
フジコヘミングさんは主に東京都世田谷区下北沢の自宅に住んでいたそうです。
詳細の場所は分かりませんでしたが、家の窓からは小田急線が見えます。
5歳に日本に帰国したものの、小学校に上がる前に母国スウェーデンに強制送還されてしまい、その後は数十年間、ドイツへ留学していたフジコヘミングさん。
日本に帰国したのは母親が90歳で亡くなった2年後だったそうです。
そのため、こちらの家で母親と一緒に過ごしていたというわけではないようです。
下北沢の自宅は母親が残した洋館で、フジコヘミングさんは帰国後は東京を拠点に活動していました。
東京都世田谷区下北沢の自宅ではなんと25匹の猫と一緒に暮らしていたそうです。
フジコヘミングの自宅(家)まとめ
今回はフジコヘミングさんの自宅について調査しました。
フジコヘミングさんが好きなアンティークの家具と自身が描かれた絵画が飾られていた、こだわりの自宅ばかりでしたね!
素敵なピアノの曲を届けてくれたフジコヘミングさん。
2024年4月21日、膵臓がんのためこの世を去ったフジコヘミングさん。
療養を続けながら、復帰を目指し病室でもピアノを演奏していたそうです。
フジコヘミングさんのご冥福を心よりお祈りいたします。
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