地獄の撤退戦
その日も問題なく全ての任務は終了し、少年兵は各中隊から上がってきた報告書に目を通していた。
この時点で、彼は基地司令から与えられた任務の殆ど全てを完遂していたのだ。
今後、彼は別の駐屯地に異動し、そこで似たような任務に就く予定であった。
まさに順風満帆という状態であったが、そんな幸せな時間を切り裂くように、駐屯地にサイレンが響き渡る。
そのサイレンを聞いた彼は、信じれらないという顔をした。
そのサイレンが意味する事、それは前線の崩壊を知らせる物だったのだ。
先ほどまで静かだった駐屯地は、一気にざわめき始めた。
人間の兵士もホムンクルス兵も、急いで後方にある予備陣地へ撤退する準備を始める。
そんな駐屯地に、次々と情報が飛び込んでくる。
どうやら前線はいきなり奇襲を受けたようで、既に塹壕は吹き飛ばされ、ボロボロになった友軍が駐屯地目指して敗走しているらしい。
必死に逃げる友軍の最後尾では、敵と戦闘をしながら撤退をしている有様だった。
友軍の劣勢を伝える情報を耳にし、彼も急いでホムンクルス兵を集めて後方陣地へと撤退する準備を始めた。
そんな彼の元に、小隊長が飛んで来る。
「おう! こんな所に居たのか!!
基地司令からお前に命令が下された!!
今から口頭で伝えるから良く聞けよ!!」
小隊長はゼイゼイと肩で息をしながら基地司令の命令を少年兵に伝えたが、彼は命令の内容をよく聞き取れなかった。
・・・いや、実は聞き取れていたのだが、脳みそが理解する事を拒否していた。
基地司令から下された命令は、
「友軍の撤退完了まで、殿として時間を稼げ」
という物だったのだ。
命令内容を理解した時、彼は立ちくらみに近い感覚に襲われた。
しかし、ここで倒れるわけにはいかない。
ここで己が倒れたら、誰が彼女達を守るのか。
そんな強い意思が、彼の足元を支える。
「小隊長! 敵の! 規模は!?」
彼は一言一言、力を入れて声をひねり出す。
「正確な規模は分かっていないが、最低でも連隊規模の戦力はあるらしい・・・」
「れ、連隊規模・・・」
小隊長の言葉を聞いた彼は、卒倒寸前だった。
この時彼が所有していたホムンクルス兵の数は、どう頑張っても一個大隊しかない。
一方で敵の戦力は最低でも連隊クラス・・・、少なく見積もっても敵は4倍以上の戦力を保有しているという事になる。
「小隊長! 自分が保有しているホムンクルス兵は僅か一個大隊!
連隊規模の敵を抑えるなど・・・! 不可能です!!
更に言えば武器もありません!
彼女達は精々が土木作業用の魔導具を少し持っている程度です!!
攻撃魔法が使える杖は! 最初に支給された10本しかありません!!」
彼は必死に訴えた。
しかし、無駄だった。
「分かっている。今、基地に残っている杖をかき集めている最中だ。
戦力的に極めて不利だが・・・、この戦いは勝利する必要の無い戦いだ。
お前はホムンクルス兵を率い、敵を少しでも足止め出来れば、それでいい・・・。
頼む! 今この駐屯地で! まともに指揮系統を維持し! 規模の整った戦力を持っているのはお前だけなんだ!
もしお前がこの任務を放棄したら! ここは突破される!
そうなれば敵軍はそのまま我が軍を背後から攻撃し、他の前線に居る友軍は挟み撃ちに合う!
全ての前線が崩壊してしまえば! 銃後の人々を守る力がなくなってしまうんだ!
祖国の為! 銃後で暮らす人々の為!
頼む!! 可能な限り時間を稼いでくれ!!」
そして小隊長は、最下級の少年兵に頭を下げる。
そんな姿を見て、彼は悔しそうに顔を歪ませ、頷くしかなかったのだ。
「たった!! たったこれだけしか無いのか!?
たったこれだけで敵を食い止めろというのか?!」
少年兵は絶望に近い表情を浮かべ、目の前に並んでいる攻撃魔法が使える杖を見ていた。
そこには基地に残っていた全ての杖が並んでいるのだが、どう見積もっても1個中隊程度の数しか無いのだ。
「カタミミ!! 本当にこれだけなのか?!
ここ以外に杖は集められていないのか!?」
彼は隣に立つカタミミに詰め寄る。
だがカタミミは、
<隊長、ここにある杖が、この基地に残っている全ての杖です。
どうやら後方陣地への物資搬入が完了しておらず、友軍は当基地に残った全ての物資を輸送しながら撤退しているようです>
と表情を変える事無く答えたのだ。
「これでは! 4人に1本しか杖を与える事が出来ないじゃないか!!
ただでさえ戦力が不足しているのに!! 一体どうしろと言うんだ!!」
頭を抱えながら天に向かって怒鳴りつける彼に、カタミミは語りかける。
<隊長、我々の任務は時間を稼ぐ事です。
幸い、撤退経路の工事は終了しています。
道中に存在する防御施設を使いながら後退すれば、友軍の撤退完了までの時間を稼ぐ事が出来ます。
今は、与えられた条件の中で最善を尽くしましょう>
そしてカタミミは司令部から渡された作戦指示書を、彼に手渡した。
こんな状況に陥りながらも冷静なカタミミのお陰で、彼は少しずつ正気を取り戻す。
「・・・糞・・・、その通りだ・・・。
・・・カタミミ・・・、舎前に部隊を集めてくれ・・・。
俺が・・・、直接みんなに説明する・・・」
彼の言葉を聞いたカタミミは走り出す。
そんなカタミミの背中を見ながら、彼は渡された作戦指示書を広げた。
そして、怒りとも、絶望ともとれる表情を浮かべるのだった。
少年兵が舎前に到着した時、既に彼の大隊は整列を完了していた。
彼はいつも通り用意された演説台に登り、己の大隊を見回す。
整列しているホムンクルス兵達はいつもの様に直立不動の姿勢を取り、彼の命令を待っている。
そして、彼は命令を下した。
一言、一言、言葉を選び、短い時間の中で、彼は命令を下したのだ。
少年兵が命令を下してから、数十分が経た。
彼は撤退した友軍の後を追うように、必死に走っている。
そんな彼の周りには、大分数を減らしたホムンクルス兵達が同じように走っていた。
そして撤退の最中に防御施設が視界に入ると、小隊規模のホムンクルス兵達がその施設に駆け込んで杖眼から杖を出し戦闘準備を整える。
そんな小部隊を尻目に、彼らは後方陣地を目指して走り続けるのだ。
作戦指示書に書かれた作戦は、とても作戦とは言えないような物だった。
そこには、ただでさえ劣勢な戦力しかない彼の部隊を小隊規模にまで分割し、小隊単位で敵と交戦する事で時間を稼げ、と書かれていたのだ。
既に、走り続ける彼らの背後に存在する全ての防御施設には、小隊規模のホムンクルス兵達が潜伏している。
更には、森の中や自然に出来た穴の中にも、杖を持たないホムンクルス兵達が潜んでいる。
下された命令とは、こんな脆弱な装備しか持たない小隊規模の戦力で、連隊規模の戦力を誇る敵に奇襲を仕掛け、友軍後退の時間を稼ぐという物だったのだ。
「こんな! こんな作戦しか考える事が出来ない馬鹿どもが上層部に揃っているから!!
こんな事態になるんだ!!」
彼は大声で悪態をつきながら必死に走り続ける。
そんな彼の背中を、青い光りが照らし出した。
その瞬間、彼は走りながら振り返り、悔しそうに歯を噛みしめ、瞳から大粒の涙を流し、嗚咽を漏らす。
そして走りながら小隊長に、基地司令に、大本営に、軍に、祖国に毒を吐き続けたのだ。
どのような状況になろうとも、彼には走り続けるしか選択肢は無い。
たとえ、己が愛するホムンクルス兵達が強大な敵に虐殺されようとも。
たとえ、己が愛するホムンクルス兵達が強大な敵に必死に喰らい付き、青い光りを撒き散らしながら自爆を遂げたとしても。
彼に止まる事は許されず、ただただ後方陣地目指して走り続けるしかないのだ。
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