これ、ちょっと違う目線でコメントします
僕はNPOでゆるゆると働いていて、元当事者を求める当事者が多いことに気がついたのよ。
ピアサポートって「当事者性を共有しているから話が盛り上がる」のかと思ったら、やってみると全然違う。特に話が盛り上がるわけでなくても、ただぼーっとそこにいるだけでも、
なんならこちらが「ピア」だと知らなくても、なぜだか「ピア」に自然と近寄っていく当事者って多い
しかもそれが同じ障害の当事者じゃなくても
なんでかすごく考えた結果、
たぶんそれは「正常でない人として眼差されてきた経験の共有」なんだと思う
僕は長らく障害者として生きているので、眼差され慣れてるし、誰かを正常でないと眼差すことがおそらく人より少ない
それは裏を返すと、他の支援や治療が必ず「相手を正常でないと眼差す」ところから始まるということだと思うのよね
でもシステム論とか障害の社会モデルとかを学ぶと、問題はその人にあるのではなく、お互いが形成する関係性の中にあると捉えられる
その中で関係性のうちの片方が常に相手を異常と括ってたら、そりゃ不快だし尊厳も踏み躙られる
傘を差しかける、の比喩はわかりやすいと思ったな
傘は捨てなくてもいいのよ
でも傘を差しかけるとき、はみ出た部分は50-50にしたいのよね
もちろんそんな綺麗事ばかり言ってられるわけではなく、また「安全地帯から伸ばされている手だからこそ頼れる」みたいなところもあるんだけど
一方で現場にいると「同じ目線でものを見る」人の必要性を悲しいほど痛感する
それはたぶん日頃から悲しい眼差しを「健常者」から向けられてるからなのだろうなと思っている
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