今日の神奈川新聞にこの前の討論が細かく掲載されていました。
いい記事だと思います。バランスも双方に配慮した感じですし。
しかし顔はどう見ても加藤憲一さんのほうが真面目そうだし誠実そうだし若い(笑)
守屋の方が実際は2歳若いのですが見えませんね。
さて、それは兎も角、
昨日、ブログを書いたら親しくしてる小田原の経済人からコメントが寄せられました。
これはオープンになっているので誰でも見れます。
加藤憲一さんが市長だった頃、それはもう経済が大変でという話から、
利己と利他の調和が一番大事だと書かれていました。
なので、私の考えは違うという話ではありましたが
そーいう考えがあることは私は認めます。しかし、私は、利己と利他の調和が一番大事とは考えてません。
私が生きる上でも、経営者としても、地域の実践家としても、最も大切にしてる事は何か?
問われれば
信頼
そう答えます。
ちょっと考えてみましょう。
私は法学部出身なので、こうした話が好きなのですが
近代や現代の国家体制は何を前提に構築されてるか?わかりますか?
社会契約説
です。
そう、ルソーでもロックでもモンテスキューでもいいのですが、
契約、つまり、約束事をして国家というものが出来るわけです。
商法という法律があります。その講義を大学3年で受けた時、ホントに難しい昔ながらの講義でついていくのがホントに大変でしたが
久保欣也先生のような先生に教わることなんてないぞ、位に私の指導教官である東北大学の教授をされた糠塚康江先生は私に話してましたが
よくわからなかった(笑)中身は…
ですが、今でもその久保欣也先生が話したことで覚えてる言葉があります。
契約は守られなければならない
という言葉です。
契約が守られるものだとすれば、国家を成り立たせている体制も社会契約なのだから
守られなければならない
為政者=権力者と国民との間で国家というものに対して契約をする。
それは守られなければならない
守らしめてるものは何か?
信頼です
信用や信頼が
つまり、あいつは契約を守るだろう、という相互の信頼が、契約も、国も成り立たせているものだとすれば
やはり、人と人の信頼
それが如何に大事か
物語ると私は思いますね。
どんな素晴らしい政策でも信用や、信頼がないところには意味がないのです。
小田原市民との約束を守らない、守ってもこなかった人に権力者たる資格はないし、市民の付託にこたえて政を行う資格はない
そう
現職市長の守屋輝彦
には
その資格はない
そう私は思います。