カタギを巻き込んじゃいけないよ。
昨夜は牢獄みたいな場所で一夜を過ごしたが、極めて快適だった。利用者の評価は最悪で「ありえない」とか「二度と来ない」などのディスりが散見されたが、ボロクソに言われている場所ほど味がある。世界がどんどん綺麗に清潔に整えられていく中、ボロボロの場所が存在し続けてくれることは癒しだ。古くて汚くていいところなんて何一つなさそうな浴場に行ったら、裸のおっさんがぶっ倒れていた。私を見て、彼は慌てて風呂を出た。愉快だなと思って湯船に浸っていたら、八十を越えた老婆が全裸で入って来た。老婆の裸体を見るのは初体験だった。
老婆と風呂に入りながら「ミサイルが飛んでくる恐れがないだけで天国」と思った。屋根があって雨風を凌げたら文句を言ってはいけない。驚いたことに、老婆は風呂場でタバコを吸い始めた。そして「お兄ちゃんも吸う?」と勧めて来たので、据え膳食わぬは男の恥ということで一本貰った。そのタイミングで施設員が風呂掃除に来て「こら!おばあちゃん、また!」と怒った後に、仕方ないわねえと言ってタバコを吸った。狭い浴場で三人もタバコを吸うと、空間は異様な感じになる。通常の施設では絶対に許されないことが、ボロボロの場所ではなし崩し的におっけーになる。嫌悪感を示す人は多いだろうが、私は「愉快だな」と思ってしまう。風呂で吸うタバコは、最悪だったが楽しかった。
十代の頃は、学力や服や音楽の趣味など、自分と似通ったた人たちと生きることが多い。それはそれで快適だが、世界が偏る。世界にはヤバい人たちがたくさんいて、本当に様々な人々が本当に様々な生き方をしている。ギャルを嫌悪する人はギャルの俠気に触れる機会を逃すし、ホームレスを嫌悪する人はホームレスの人目を気にしない力やタフに生き抜く力に触れる機会を逃す。当然、どの世界にもロクでもない人間はいるが、それは医者も弁護士も同じだ。医者だからいいとか弁護士だからいいとか、ない。様々な人々を見ると「俺って結構普通だな」と思う。自分が相対化されて、悩みがなくなる。
最近、離婚をする友人が多い。離婚の報告を受けると「仕方ないよね」と思う。私に連絡をくれる人は、どちらかと言えばカタギではない人が多い。カタギではない人は、精一杯に自分をまともに見せかけて、カタギを騙し、関係性を築き、結婚をして、持続させるための努力をするのだが「やっぱり無理!」となって破婚をする。そして、別れた後にとても良い顔をする。妻や旦那とうまくいかなくて悩んでいる的な悩みに対しては、私は、一言「カタギを巻き込んじゃいけないよ」とだけ言うようにしている。相手が悪い訳でもないし、自分が悪い訳でもない。パートナーに対してベターだけどベストじゃないと感じる時、カタギは耐える。カタギじゃない人間には、最初から耐える機能がない。
誰もが、見たいものを見ていて、信じたいものを信じているのだとしたら、自由ではない人なんて一人もいない。人類全員好きなように生きているのだから、好きなことをして生きているのに暗い顔をしているのはダサいと言うか、センスが悪いと言うか、不潔と言うか、友達になりたいと思えない。人間が嫌いで癒しは花鳥風月だけですとか言う人は、ゴミ掃除のおばちゃんや電車の運転手さんや農家のみなさんに対する感謝が足りない馬鹿なのだと思う。好きなものが似ている同士が集まった時と、嫌いなものが似ている同士が集まった時と、醸し出される波動が全然違う。厄介なことに、共通の敵を持った方が人間は連帯する。そして、ヒトラーみたいなことになる。嘘臭い奴らは蹴散らして、好きなことをやろう。今日も明日も寝る場所はない。俺のゴールデンウィークは終わらない。
おおまかな予定
5月2日(木)東京都中央区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
バッチ来い人類!うおおおおお〜!
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