あと思春期ブロッカーの話のときに「ブロッカー投与は積極的な選択で慎重になるべきだけど、体から分泌されるホルモンにそのまま晒すことは自然で問題のないこと」みたいな前提があって、それはそもそもシス中心主義的だという話も、本当にそうだなと思いました。不可逆性云々というなら、体から分泌されるホルモンに思春期以降晒し続けることは不可逆的な選択になるし、現時点でそれ以外の選択肢がある以上は、それは積極的な選択に当たると私も思います。
その選択が良いか悪いかについてはいろいろな場合があるでしょうけど、そこにそもそも何のコミットメントもないと考えるのは偏りがありますよね。体から分泌されるホルモンに晒すことを第一選択とする立場のひとは、それが自身の積極的なコミットメントであり、ほかの選択肢を重視するひとが相応の責任を引き受けるのと同様に相応の責任を持つことを自覚すべきだと思います。
放っておいたらそうなるはずのままに任せるというのもそのひとの積極的な選択になるというのは、例えばトロッコ問題で「レールを切り替えない」という選択をよしとするひとがそれを積極的に選択したことになるというのを思い浮かべれば、まるでおかしな話ではないはず。どちらがいいかについて論じる余地はあるにせよ、放っておくという選択を「していない」わけではない。