東京弁護士会は27日、「第38回東京弁護士会人権賞」に、性犯罪規定を見直す刑法改正に取り組んだ、被害当事者や支援者らの一般社団法人「Spring」と、公共訴訟の原告らがクラウドファンディングを行うためのサイトを運営する認定NPO法人「CALL4(コールフォー)」を選んだと発表した。この件をきっかけにしてか、またいつものミソジニストが調子こいています。これについては『被害を訴えていた者が虚偽告訴で起訴されたからといってセカンドレイプの事実が消えるわけではない』ですでに結論が出ているのですが、1年前で記事を探すの面倒ですし、新しい情報などもあるのでアプデしておこうと思います。
Springは、性犯罪規定を被害実態に即した内容にするよう訴え、実態調査や国会議員らへの働きかけをし、メンバーが法制審議会(法相の諮問機関)の部会委員も務めた。こうした活動が「強制性交罪」を「不同意性交罪」などと改める今年6月の改正刑法成立に結びついた。
「Spring」に人権賞 性犯罪規定改正で東京弁護士会-東京新聞
「ファーストがなければセカンドもない」という妄言
草津町の件に関しては、ミソジニストは馬鹿なので同じことを繰り返すbotみたいな状態になっています。誰に振り付けられかわかりませんが、小学生の学芸会みたいな状態ですね。この発言が妄言であることは、「セカンドレイプ」という表現の些末な点ばかりに注目していることからも明らかです。彼らの物言いなら、「セカンドレイプ」を別の名称(例えば「スーパーファッキン女性差別」)にすれば問題解決ということになってしまいます。セカンドって使ってないわけですから。もちろん、彼ら自身もそういうことが言いたいわけではないのでしょうが、差別に脳をやられると論証能力が消滅するのでもはや自説を正しく主張することは不可能です。怖いね。
さて、「セカンドレイプ」という表現は確かに「ファースト」つまり始まりとなる性暴力の存在を念頭に置いた表現ではありますが、「セカンド」である点が重要なのではありません。「セカンドレイプ」は、性暴力被害者(や告発者)が、性暴力被害そのものとは別に、被害を訴える過程などにおいてその主張を疑われたり中傷されたりなどして別の被害を受けることです。草津町の件でも、この点が問題になっているのです。
「セカンドレイプ」という表現は、単に始まりとなる性暴力被害が虚偽であったなどという事例が稀であり、十中八九「セカンド(2度目)」あるいはそれ以降の被害であることが事実なので慣例的に使われていたにすぎません。「セカンド」という言葉尻に拘るのは、物事の本質を理解する知性はないがとにかくケチはつけたいという差別主義的欲望に駆られた哀れなゾンビの振る舞いでしかありません。
第一、回数の話を言い出すなら、この手の誹謗中傷は1回で収まるわけがないわけですが、3回目以降の誹謗中傷を「セカンドレイプというのはおかしい!サードレイプと言え!」と言い出すつもりでしょうか。あまりにも不毛であり、頭の悪い物言いでしかありません。
むしろ積極的にファーストを前提にすべきではない
むしろ、「セカンドレイプ」が本来問題視する本質に立ち返れば、「ファースト」の存在は積極的に度外視すべきであるとすらいえます。まず、仮に「ファースト」が虚偽であったとしても、告発者への対応の問題が消えてなくなるわけではないことを改めて指摘しておきましょう。この件は以前の記事で論じたので詳しくは割愛しますが、「結果的に真犯人だったから拷問してもセーフ」なわけがない、と言えばわかるはずです。わからない人は二度と社会について口を出さない方がいいでしょう。
なお、草津町の件については、当時からすでに被害の告発が虚偽であったことが明白だったと主張する人がいますが、これは後知恵でしかありません。当時の状況を客観的に見れば、どれだけ被告発者である町長の肩を持ったとしても、精々「水掛け論」としか評価できない状態でした。
本記事で新たに指摘したいのは、「セカンドレイプ」の概念において「ファースト」の存在を強固な前提とすることは、性暴力の「しばしば証明に失敗しがちである」という特徴から、被害を訴える概念なのに被害者に理不尽に不利になってしまうということです。
前提として、様々な理由から性暴力はその証明が難しいという性質があることを抑える必要があります。これは証拠が集めにくいといった要素も含みますが、それより注目すべきは、様々な理不尽な側面から、本来順当であれば証明できた被害すらその証明に失敗することが起こり得るということです。
最も顕著なのは、理不尽な疑いによる証明の失敗です。フラワーデモのきっかけとなった判決が顕著ですが、裁判(ないしは何らかの判断)においては、判断する側の性暴力への無理解や差別的発想から、明らかにおかしな判断によって被害が無罪とされる場合が散見されます。
また、周囲からの非難、誹謗中傷によって証明活動の継続が困難な状態に追い込まれることもしばしばあります。自衛官から性暴力を受けた女性しかり、TBSの山口敬之から被害を受けたジャーナリストしかり、いずれも酷い中傷に晒されています。2人は結果として証明活動を全うしました(している)が、途中で断念せざるを得なくなっていれば、それぞれの受けた被害は認定されることなく、なかったことにされていたかもしれません。
勘が良い方は既にお気づきでしょうが、理不尽な側面から被害の証明に失敗することはそれ自体が「セカンドレイプ」です。「セカンドレイプ」の「セカンド」性ばかりに目を向け、「ファーストがなければセカンドもない」という妄言を認めた場合、誹謗中傷によって「ファースト」の証明をくじき、それによって「セカンド」の存在もなかったことにしてしまうという、加害者と性差別主義者に都合の良すぎる展開になります。
「セカンドレイプ」概念は言うまでもなく、被害者が受ける理不尽な中傷を可視化し問題視するための概念です。にもかかわらず、セクシストの詭弁によってそれが不可能になってしまうなら、本末転倒というほかありません。
批判を謝るべきではない
この件に関して、Springは謝罪を表明しましたが、謝るべきではなかった言わざるを得ません。謝るようなことは何もしていないからです。
そもそも、草津町議会の対応に重大な問題があったこと、それがセカンドレイプと呼ぶべきものであったことは自明の事実です。そして、町議会のほとんどがそうした行為に加担したこと、リコール選挙においても有権者の多くが加担したこともまた事実です。
「セカンドレイプの街」という表現は極めて辛辣であり、好みが分かれるところではあるでしょう。それに難色を示す人を間違っているというつもりはありません。が、謝罪するような表現でもありません。依然として事実だからです。
また、このような不用意な謝罪は、今後の性暴力問題の批判にも悪影響を与えかねません。「セカンドレイプの街」を謝罪してしまうことは、(草津の件が本当に虚偽だったかに関わらず)「性暴力被害の証明に失敗した場合、セカンドレイプの批判も間違いであり謝罪しなければならない」という理不尽な理論を認めることとなり、ミソジニストを調子づかせることにもなるからです。もちろん、ここでの「性暴力被害の証明に失敗」は、本当に虚偽だった場合以外も含みますから、被害者はさらに不利な状況に追い込まれるでしょう。
とはいえ、本件に関する誹謗中傷は異様なほど執拗で、私も散々被害に遭っています。「ファーストがなければセカンドもない」とコピペすれば済むので、脳なしでも簡単に事実を知っているかのように振る舞えるからでしょう。団体がそうした主張を維持しても、中傷されるのは私ではないので、外野からああしろこうしろと口を出すことが適切だとも思いませんから、謝罪してしまったことを殊更批判するつもりもありません。女性であればなおさら中傷被害にあいやすいでしょうし。
ですから、その代わりと言っては何ですが、私はこの件について、ミソジニストが事実を認めて諦めるまで、ことあるごとに「セカンドレイプの町」だと指摘していきます。男社会のクソ溜めのために問題が起きているなら、せめて弾避けくらいになるのが同じ男の責任でしょう。
どうしても彼らが「セカンドレイプの町」が嫌なら、別の表現を使ってもいいとは思います。「上から下までファッキン性差別の町草津」とか。言ってることは同じですからね。
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https://note.com/7cot/n/nd3cdc5c33847
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