01 静かな断罪劇
「……婚約破棄ですか」
「そうだ。アンジェリーナ・シュタイゼン、私と君の婚約を今この時をもって破棄する」
一方的とも言える言葉で突きつけられた言葉に、アンジェリーナは眉を顰めた。
場所は王立学園の中の、王族専用に用意されている執務室。
シュタイゼン公爵令嬢アンジェリーナを呼び出し、婚約破棄を突きつけたのは彼女の婚約者。
王太子、レオンハルト・ベルツーリだった。
すぐそばでは他にも数人の男たちが居る。
王子の護衛騎士であるフリード・マルコット侯爵令息。
宰相の息子であり、侯爵家三男のデニス・コールデン。
そして、アンジェリーナの兄であるカルロス・シュタイゼン公爵令息。
アンジェリーナの兄であるはずのカルロスは彼女の後ろに立っていながら、厳しい目をアンジェリーナに向けていた。
「アンジェリーナ。余計な事を言わず、素直に了承しろ。家名を汚すな」
カルロスは、妹に向かって冷たくそう告げる。
そして、執務室の中には男たちとアンジェリーナの他にも、あと一人いた。
黒い髪とルビーのような赤い瞳を持つ少女。
メルク・シュリーゲン。怯えたような目でアンジェリーナを見つめる女だ。
怯えているメルクの肩をレオンハルト王子が優しく抱き寄せて落ち着かせる。
「何故、婚約を破棄されるかは分かっているな、アンジェリーナ」
レオンハルトたちは、メルクが学園内で暴行、傷害などを受けていた証拠を揃えている。
アンジェリーナ自身が自ら手を下した証拠はないが……彼女の派閥の者や、支持者、信奉者たちが実行犯である証拠だ。
それらメルクへの迫害を、アンジェリーナは承知の上で止めなかったことが分かっている。
この場は、アンジェリーナの『断罪』の場だった。
ただし、卒業パーティーでの断罪ではなく、卒業パーティーの一週間前。
そして、場所は執務室。
本来ならば
レオンハルトもそのつもりで準備を進めていた。
だが、メルクがその予定を変更させたのだ。
彼女が『ざまぁ返し』をされないために。
……メルクは、転生者だ。
そして、彼女たちが暮らすベルツーリ王国は乙女ゲーム『花咲く頃に明ける夜』の舞台だった。
メルク・シュリーゲンは、前世にあったゲームの知識を活かして、王太子レオンハルトとハッピーエンドを迎えた。
転生者であり、ゲームの知識を持っているのはメルク一人だけ。
『悪役令嬢』であるアンジェリーナには、前世の記憶はない。
そのことはメルクが、何度も何度も確かめてきたから確かなことだった。
彼女の兄、カルロス・シュタイゼンともある程度、仲良くなり、家でのアンジェリーナのことも聞いている。
そうしてアンジェリーナに前世の知識がないことをメルクは確かめ、今日までレオンハルトを射止める努力をしてきた。
彼女は、ある程度、ゲームの『攻略対象』たちと仲良くはしてきた。
だが、決して逆ハーレムなどを形成することなく、レオンハルトだけと結ばれるようにした。
メルクにとって前世からの好きなキャラクターがレオンハルトだったのだ。
公の場で必要以上にアンジェリーナを追い詰めることなく、婚約破棄を突きつける。
王家は公爵家に貸しを作り、円満に二人の婚約を解消する約束を既に交わしていた。
国王が、アンジェリーナとの婚約破棄を承諾し、レオンハルトとメルクの新たな婚約を了承したのには理由がある。
それは、メルクが今の王家が興
『乙女ゲームのヒロインであるメルク』は、そうと知らずに育っただけで、王妃となるのに相応しい生まれだった。
アンジェリーナは、その事を知らず、特待生とはいえ平民出身に過ぎないはずのメルク・シュリーゲンの迫害を黙認した。
既に失われて久しいとはいえ、王族への迫害の首謀者とされたアンジェリーナの罪は重い。
そして転生者であるメルクは、自身がそういう出自であることを、ある時期から先んじて知っている。
いつ、どうやってレオンハルトにそれを伝えるべきかも。
どのようにすれば、正確な情報が彼に届けられるかも、すべて知っていた。
ゲームの期間を乗り越えて、メルクはレオンハルトと結ばれる。
過剰な断罪を避けることでアンジェリーナからの報復を避けようとした。
それが、この学園の執務室での静かな断罪劇の理由だった。
静かな断罪劇が終わる。
既に王家とシュタイゼン公爵家での話は済んでおり、アンジェリーナの反論は許されなかった。
厳しい視線を送る、かつては、それなりにアンジェリーナと仲の良かった男たち。
破滅を突きつけられたアンジェリーナは、彼らが警戒するように暴れはしなかった。
ただ、睨みつけてくる彼らに対して『失望』の視線を冷たく向けるだけで、言葉さえ呑み込んで沈黙を選ぶ彼女。
そして兄であるカルロスに連れられ、アンジェリーナは執務室から去っていった。
メルクは、ようやくすべてが終わったと思った。
幼い頃から前世の記憶を持っていたメルクにとってのハッピーエンド。
前世から大好きだったレオンハルトと結ばれて、そしてゲームは終わり。
彼らも悪女を断罪し、そして主君となるレオンハルトとメルクが結ばれることを笑顔で祝った。
彼らは満たされていた。幸せだった。
そう、すべてが整えられた……ハッピーエンド、だった。
──はずだった。
………………。
…………。
……。
「レオンハルト殿下。おはようございます」
「ん……?」
朝を迎える。幸せな朝だ。レオンハルトは、ようやく真実の愛を手に入れた。
だが、ベッドから起き上がった彼は違和感を覚える。
(……なんだ?)
視界に映る光景は確かに自分の部屋なのだが。
どこか『視点』が低い。それに調度品がいつの間にか変えられている。
それもどこか『見覚え』があるものに。
「なん、だ? これ、は……?」
レオンハルトは、鏡の前に立って驚愕した。
彼の背が『記憶』にある自身の姿よりも、かなり縮んでいたのだ。
その後も彼は、王宮で違和感を拾い上げていく。
周囲の人々の年齢が若返っていた。
そして起きる出来事も、どこか覚えのあることばかりだ。
「……私は今、何歳だ……?」
レオンハルトに仕えている侍女に問い掛ける。
そして返ってきた答えは……レオンハルトが自覚している年齢よりも5年も前だった。
「な、ぜ? 時間が。時間が……戻って、いる」
レオンハルトは時間を逆行し、5年前の時間に目を覚ましていたのだ。
それは乙女ゲーム『花咲く頃に明ける夜』が始まる前。
真実の愛の相手、メルク・シュリーゲンに出会う前。
そして。
「レオンハルト殿下。近々、殿下の婚約者
「……ッ!」
レオンハルトは、その事を聞き、駆け出していた。
今ならば間に合うと思ったのだ。
婚約破棄することが決まっているアンジェリーナと婚約を結ぶ必要はない。
もしも時間が巻き戻ったのなら。
今度は最初から、メルク・シュリーゲンと婚約を結べばいい。
メルクの血筋が貴いものであるとレオンハルトは既に知っている。
幼い頃からメルクの正体を明らかにし、婚約者として据えれば……。
彼女には今から王妃教育を受けて貰うことができるだろう。
そうすれば、自分たちの真実の愛は、より滞りなく結ばれるはず。
レオンハルトはそう考えて……アンジェリーナとの婚約を取りやめるように、国王に願い出た。
そうして彼の願いは叶う。
二度目の人生が始まった世界で。
レオンハルトとアンジェリーナは、婚約を結ばれることはなかった。