魔物への疑問
さて、何故、この女性学者はこんな危険な実験をしていたのだろうか?
それを説明するには、まだ彼女が神学校で女生徒をしていた時まで時間を遡るとしよう。
今から10年ほど前。
神学校の先生に連れられて、生徒達は城壁の上に見学に来ていた。
この城壁は人類の生活を守る重要な建築物であり、外の世界では魔物がうごめいている。
実際、生徒達の眼下には数匹の魔物が歩いており、一部の魔物が城壁をこん棒で殴りつけていた。
そのうち、巡回をしている兵士達が城壁に攻撃を繰り返す魔物達に攻撃魔法を撃ちこみ、魔物達は頭から血を流して死んだ。
その光景を見た生徒達は、歓声を上げるのだった。
そんな光景を生徒に見せながら、先生は如何に人類が危機的状態にあるのか、そして、如何に女神様が尊い存在なのかを生徒達に丁寧に説明していた。
そんな中、一人だけ首を傾げる少女が居た。
その少女こそ、後に危険な実験を行う女性学者の学生時代の姿だ。
興奮する生徒達の中で、少女は冷静に魔物の行動を観察していた。
観察するうちに、彼女は魔物達の直ぐ脇を野犬の群れが通り過ぎて行く事に気がついた。
その時、少女は魔物達が野犬に襲い掛かるかと思っていた。
しかし、魔物達は野犬に襲い掛かることなく、城壁の上に居る生徒や先生に威嚇を繰り返すのだ。
その光景に疑問を持った少女は、先生に質問した。
「なんで魔物は野犬を襲わないんですか?」
すると先生は微笑みながら答える。
「魔物は魔王がこの世界を征服するために送り込んできた化け物なの。
この世界の平和を守護しているのは女神様で、その女神様を信仰しているのが私達人類でしょう?
だから魔王は、女神様の力を弱らせるために、魔物を使って人類を殺そうとしているってわけ。
一方で、動物は女神様を信仰していないからでしょう?
だから魔物は動物を襲ったりしないのよ」
そんな少女の質問を聞いた他の生徒は、
「そんな事も分からないのかよ~。馬鹿だな~」
とケラケラ笑う。
すると先生は、
「どんな些細な事であれ、疑問に思う事は大切な事です」
と笑う生徒を諭した。
しかし、少女は納得してはいなかった。
彼女は静かに眼下の光景を眺めながら、熟考を続ける。
(もし、魔王が魔物を送り込んで人間を殲滅しようとしているなら、なんで加護者様達は無事なんだろうか?
私が魔王だったなら、最優先で加護者様を殺すに違いない。
実際、魔王決戦の時には神殿に魔王の手先が居たんだから・・・、これは何度も演劇で見たし間違い無い筈だ。
だったら魔王には加護者を殺害する事が出来るはず・・・。
もしも、加護の力が強すぎて魔物が直接攻撃出来ないのなら、移動中の加護者様を狙って魔物に崖崩れでも起こさせればいい・・・。
いや、そんな面倒な事しないで、洗脳した人間を操って加護者様を暗殺すればいい。
なんで魔王はそういった事をしないんだろう?
こんな城壁をこん棒で殴った所で意味なんてない。
まるで、魔物達はそれぞれが勝手に行動しているみたいだ)
そんな疑問を抱えながら、少女は成長していった。
そして成長した少女は学者となり、
「何故魔物が人類を襲うのか?」
という疑問に答えを出そうとする。
もちろん周りの人に、そんな事は話していない。
最悪の場合、教会から異端扱いされて何らかの処罰を受ける可能性があるからだ。
それを防ぐ為、彼女は教員として勤務している学校に小さな研究室を作り、たった一人で研究を続けた。
昼は学生に講義をし、夜は研究室に篭って研究を続けるという日々を、彼女は人知れず送るのだった。
何故、動物は魔物に襲われないのか?
魔物はどうやって人間と動物を見分けているのか?
人間と動物の違いは何なのか?
そういった点に注目し、彼女は研究を続ける。
そしてその答えは割と簡単に見つかるのだった。
人類にだけ存在し、他の動物に存在しない特殊な臓器・・・、所謂「第二心臓」と呼ばれる臓器がそれだ。
この臓器は不思議な性質がある。
心臓と同じく鼓動を続けているが、血液の循環をしているわけではないのだ。
他の胃や腸、肺や心臓といった臓器は研究が進み、どういった能力があるのかはそれなりに理解されている。
だが、この第二心臓だけは未だに何のために存在している臓器なのか不明なのだ。
これが唯一にして最大の人間と動物との違いである。
ならば、この臓器を切除し、魔物がどういった反応をするのか調べればいい。
しかし、そこには大きく二つの問題が立ちはだかる。
まず、この臓器を切除する方法だ。
医者に頼めば何とかなるだろうが、一体何と説明すればいいのだろうか?
「魔物が人間を襲う理由を探っています」なんて馬鹿正直に言ったら、即教会に連絡が行くだろう。
これは何か適当な言い訳を考えないといけない。
そしてもう一つの問題が、「どうやって効果を確かめるか」だ。
一番手っ取り早いのは、実際に魔物を使って効果を確かめる方法だ。
しかし、城壁の内側に魔物は居ない。
当たり前だ。
魔物は城壁の外、つまり国外に存在しているのだ。
(何とか手ごろな大きさの魔物を手に入れ、そして実験をしてみたい。
一体どうすれば・・・)
(どうやら彼女は壁にぶつかったらしい。
この難問をどうやって解決するのだろうか?)
私は揺り椅子に腰掛け、紅茶を飲みながら彼女の行動を観察している。
(今、世界で女神教の教えに対して疑問を持ち、そして検証しようとしているのは彼女だけだ。
ここで彼女が挫けたら、新人類は暫く魔物に震えて暮らさなくてはならないだろう。
彼女こそ新人類の希望だ。
さて・・・、どうする?)
もう深夜だというのに女性学者は床に就く気配も無く、ウンウンと悩んでいる。
目の前には様々なアイデアが書かれた紙が山積みとなっているが、「これだ!」という答えはまだ出ていない。
私は紅茶を飲み、椅子を少し揺らした。
(ふぅ・・・、彼女を観察しているとつくづく思う。
何かに立ち向かい、壁を超えようとするというのは、なんと尊い事なのだろうか・・・。
私の様に何もしないでも永遠に生きる事が出来る人間にとって、それがどれだけ輝いて見えるのだというのか・・・。
全知全能というのは逆に言えば「人生において何も喜びが無い」という事だ。
事実、現代魔法を研究している学者達が必死に開発している新しい魔法の答えは、私のノートに全て書いてある。
大分昔に、私は現代魔法についての研究を終わらせているのだ。
そんな私にとって、既に魔法は魅力が無い。
そう、無意味で無価値で無感動・・・、・・・最後には吐き捨てるだけの存在・・・。
同じように、私にとって人生とは「いつか吐き捨てるだけの存在」に過ぎない。
しかし、新人類は違う。
彼らはいつも生き生きとしている。
嬉しい時、悲しい時、苦しい時、絶望する時・・・。
その全てが羨ましい・・・)
そして私は揺り椅子を少しだけ傾け、目を瞑ると「この世」の観察を再開した。