女性学者の実験
巨大な舞台に、いくつもの光の玉が現れる。
人々は恐れおののき、逃げ惑った。
そんな時。
一人の男が立ち上がり言い放った。
「落ち着くのだ!! これは女神様が魔王と戦っている戦闘光だ!!
今こそ!! 信仰心が試されるとき! 皆! 祈るのだ!! 女神様の勝利を!!」
真っ白な神官服を着た男の言葉に人々は頷き、全員がその場で跪いて祈りを捧げ始める。
それを確認した男は、同じく真っ白な神官服を身にまとった人々に時が来た事を伝えるのだった。
「今こそ!! 加護者の力を見せる時ぞ!!」
男が宣言し、液体の入ったグラスを掲げた瞬間、別の声が響く。
「お待ちください!! 大神官様!!」
大勢居る特別神官の中から、一人の凛々しい顔をした特別神官が飛び出してくる。
「今の我々はここ一番で力が出せません!! 腹が減っては戦は出来ないのです!!
私にお任せください!! 急ぎ食事の支度をいたします!!
この戦!! 決して負けてはならないのです!! どうか!! どうか!!」
凛々しい特別神官の願いを、大神官たる男は聞き届けた。
凛々しい特別神官は料理人を鼓舞し、自らも率先して料理を運んで出陣の準備を進める。
しかし、魔王は姑息だった。
神殿に忍び込ませた手先に命じ、出陣の妨害を始めたのだ。
料理に強力な呪いをかけ、加護者を女神様の元に行けない様に画策した。
しかし、聡明で凛々しい特別神官は魔王の企みに気がつく。
そして凛々しい特別神官は神殿を守る騎士達と力を合わせ、魔王の手先を次々に撃退したのだ。
凛々しい特別神官は己も剣を持ち、魔王の指示に従って料理に呪いをかける料理人や神官を次々に斬り捨てる。
魔王の手先は断末魔の声をあげ、女神様に対して毒を吐き死んでいった。
そして舞台はクライマックス。
大神官が「勝利を!!」と叫び、グラスを飲み干す。
他の特別神官達も「勝利を!!」と叫び、グラスを飲み干す。
そんな特別神官の中で特に大きな声を出し、凛々しい特別神官は誰よりも早く毒杯を飲み干した。
しかし、凛々しい特別神官は死ねなかった。
彼は誰よりも強大な加護で守られた、真の信仰者だったからだ。
その信仰心は大神官に匹敵していた。
他の神官達が倒れる中、凛々しい特別神官は立ち上がる。
そして、騎士に命じた。
「急ぎ、我が首を斬りおとすのだ」
命じられた騎士は涙ながらに剣を振り上げ、一撃で凛々しい特別神官の首を斬り落とす。
それから数時間後、夜空に輝く光の玉は消えるのだった・・・。
ナレーターは続ける。
「こうして、女神様は魔王に勝利しました。
しかし、魔王は消滅した訳ではありません。
今も、どこかで魔王は生き続け、この世界を支配しようと目論んでいるのです。
私達の心に邪悪を植え付け、いつの日か女神様を葬ろうとしているのです。
そんな魔王に対して、私達はどうすればいいのでしょうか?
私達が出来る唯一の対抗策、それは一人一人が揺るがない信仰心を持つ事なのです。
女神様に対する信仰心を決して忘れず、この平和な世界を守らなくてはなりません。
さあ!! 祈りましょう!!
この平和な世界に感謝して!! この世界を守護する女神様に感謝して!!」
ナレーターの声に続き、観客席に居た信者達はその場で祈りを捧げ始める。
これは女神教の演劇の一つである。
大昔に魔王と戦った女神様と加護者達の伝説を演劇にした物であった。
既に魔王と女神の決戦を直接見た者は居ない。
何世代も前の話だ。
それでも人々は、決してこの話を忘れようとはしないのだ。
この時の戦いに負けていたら、この世界は滅んだに違いない。
それを防いだ加護者と女神様に、人々は今でも感謝の気持ちを持っていたのだった。
そして世界中の人々は深い深い信仰心を胸に、日々の生活を送っている。
新人類は女神教を心の底から信じ、女神様が守護しているという事実を疑いもしなかった。
・・・たった一人の女性学者を除いて・・・。
月明かりすら無く、完全な闇が支配している真夜中。
そんな暗闇の中、とある国の城壁の外に一人の若い女性が立っている。
この女性は、この国の学者だ。
彼女は己の研究のために、自ら城壁の外に出てきたのだ。
そんな女性学者は現在、修羅場の真っ最中だ。
(大丈夫だ。大丈夫だ。
私は襲われない。
こいつは、私を襲わない)
巨大な城壁を背に、女性学者は覚悟を決めた顔をしている。
そんな彼女の前には、鼻息の荒い巨大な魔物が立っている。
その魔物は小屋程の大きさがあり、手には巨大な丸太を持っているのだ。
一方、女性学者は武器らしいものは何も持っていない。
着ている服も、見張りの兵士に見つからないように黒く染めた普段着を着ているだけだ。
そして、女性学者は加護者ではない。
普通に生まれ、普通に育った一般人だ。
外に出れば魔物に襲われる事は必然と言っていいだろう。
そんな彼女に、魔物は顔を近寄せる。
(落ち着け私。大丈夫だ。
こいつは、私を絶対に襲わない。
こいつは今、私を確かめているだけだ。
動くな、私)
魔物の荒く、生臭い鼻息が女性学者の顔にかかる。
荒い鼻息に彼女は顔をしかめるが、魔物はお構い無しに匂いを嗅ぎ続ける。
そして、魔物は己の大きな口を開けた。
その口には槍の穂先の様な牙がずらりと並んでいる。
涎がこぼれ、地面にボタボタと涎が垂れる。
女性学者は歯を食いしばり、魔物を睨みつけるように凝視する。
・・・魔物は暫く口を大きく開け続けた。
それは、ただの「あくび」だったのだ。
眠そうなあくびを終えると、魔物は女性学者に興味を失い、ノシノシと歩き去っていく。
立ち去る魔物の背を見ながら、彼女はその場から動かなかった。
(・・・やはりな。
魔物は私を襲わない。
私は、魔物に恐れる必要は無い。
こちらから刺激しなければ、私は魔物に攻撃されない。
・・・この実験結果を利用すれば、魔物に恐怖する人々を救えるかもしれない)
彼女は天を見上げ、己の知った事実に身震いした。