彼女が時計を奪わなければ

がにまた

有川千明からの手紙

 親愛なる山岡健斗(やまおかけんと)様へ、


 まず、七年ぶりの連絡となり、突然の手紙に戸惑われることでしょう。お許しいただければ幸いです。私はこの手紙を書いているこの瞬間、病気で闘病中になります。この手紙が山岡さんに届くころには私はこの世界にいないかもしれません。

 医師からは余命幾ばくもないと告げられ、私の心には未練と真実への欲求が募っています。

 実は、山岡さんに助けを求めたく、この手紙を書いています。

 七年前、せっかく内定をいただいた御社から逃げた身であるにも関わらず、人生の終焉が迫って、山岡さんに助けを求めるなんて、都合が良すぎることは自覚しております。ここから先の私の要望は山岡さんを不快にさせることになるかもしれません。たとえ、山岡さんがここで手紙を閉じたとしても、私は山岡さんに対する不快感は抱かないでしょう。

 多忙なことは承知のうえで、この手紙を綴っております。

 それでも、限りのある時間の一部を私に分けていただけないでしょうか。


 七年前、私と山岡さんは同じ内定者仲間でありましたね。

 一泊二日で行なわれた内定者研修は山岡さんの頭の中にも深く残っているでしょう。あの日、金子社長が自殺をしました。

 あれは幾つかの偶然が重なりあって起きた出来事だということを私は知っています。

 予期せぬ豪雨で二泊三日に変更とならなければ、少なくとも私たちの目の前で金子社長が死ぬことはなかったのかもしれません。

 長野県安曇野市の研修施設の外で金子社長が激しい雨に打たれ倒れている光景は今でも私の目に焼き付いております。

 様々な不審な点が存在しながらも、事件の線索が見当たらず、最終的には自殺と結論せざるを得ませんでした。

 あれは本当に自殺であったと思いますか。あの事件の真実は巧妙に隠されています。

 なぜ、金子社長が自殺をしなければいけなかったのか。動機はなんだったのか。金子社長は成功を収め、未来の展望に情熱的に語りかけてくれました。

 とても不穏な食事会のことを憶えていますか。金子社長にとって、まさに最後の晩餐になりました。

 腕に巻いた時計を得意げに披露する。この時計の価値はと問う。ショパールの希少性が高い時計だ。限定品なんだ。選ばれた人間しか買えない。今の君達が何年働いても、この時計の価値を得ることはできないだろう。でもな、俺はもっと上のステージに行くんだ。

 アルコールのせいでひどく酔った金子社長が口にしていた言葉です。ずいぶんと体調が悪いように見受けられましたが、しっかりとした内なる芯を抱えていました。少なくとも、私の目には、金子社長が将来のビジョンを本心で描いていたように見受けられたのです。

 なぜ、あの日、あの場所から飛び降りたのでしょうか。わざわざ、私たちの研修中に飛び降りる必要はあったのでしょうか。誰にも邪魔されず、金子社長にとって意味のある死に場所を選ぶこともできたと思いませんか。

 それに、金子社長が腕につけていた時計はどこに消えましたか。ショパールの希少性が高い限定品の時計です。とても、高価な時計です。

 このように綴ってはいましたが、私は全ての真実を知る者なのです。

 

 そもそも、なぜ、このようなことを山岡さんへ綴る気持ちになったかと言えば、私の余命が関係しているのかもしれません。余命を僅かにして、これまでの人生を振り返ることがあります。私は私自身の人生にほとんど後悔を残してはいません。

 ただ、時々、懐かしむことがあります。

 バザーラホールディングスの内定者がグループ分けをされ、たまたま集められた輪の中で、山岡さんと一緒になったこと。その時話した内容も私の人生の一部なのです。

 突然ですが、山岡さんは今、幸せでしょうか。

 私は明日、死んだとしても幸せだったと言うことができます。

 悔いがあるとすれば、あの日の真実を、裁きを誰も受けていないことぐらいです。そして、私にも受けるべき裁きがあります。

 私の悔いを山岡さんに託すことはできないでしょうか。

 もちろん、私も罰せられるべき人ではありますが。

 この手紙を最後まで山岡さんが読んでくれること、私の訴えに応えてくれること、山岡さんが断れないこと、私は山岡さんのことを信じています。

 どうか、山岡さんが選んだ道が、未来に真実と正義をもたらしてくれることを心から祈っています。


 有川千明(ありかわちあき)

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