第2話 一日の終わりと、今朝のこと

 目釘抜きの軸をグッと押し込み、目釘を抜くと、鞘を握って手首を叩き、刀身を迫り出させた。かこ、と柄から外れた刀身を布越しに挟み、丁寧に抜いてはばきも抜く。この鎺は刀身と鞘が接触するのを防ぐ重要な部品であった。直にそれらが触れ合えば、互いに傷つけあってしまう。

 なかごをよく揉んだ拭紙で拭う。片方の刀身を保持する手には、余計な脂や手の塩分がつかぬよう、手袋をしていた。

 それから打粉を下から上へ、うっすらと残る程度にポフポフ打っていく。耳掃除をする耳かきの反対側についている、白いポンポンのようなものといえば、この時使う道具をイメージしやすいだろうか。

 その粉を軽くはたき落とし、拭紙で綺麗に拭っていく。


 朔夜は己の刀身を台座においてまじまじと睨むように観察する。

 例えるなら剥き出しの刀身だけになった今の鬼伏飯綱は、一糸纏わぬ乙女そのもの。

 瑞穂刀みずほとうは最高の切れ味を持つ世界最強の刀剣であると同時に、美術品だ。その扱いはまさしく女心のように繊細かつ難解である。

 燭台の火を照り返す、薄紫と白銀が混じった妖艶な刀身。

 妖喰いの悪鬼羅刹をも斬り伏せた羅刹斬飯綱。代々当主が飯綱を名乗る刀工一派が、師匠・波山麗樹はやまれいきのために打った一振り。当然、悪鬼羅刹を切ったのは麗樹そのひとである。


 ——妖怪にとっては、同じ妖を喰うことも、人を喰うことも同列に『共食い』と認識される行いだ。少なくとも真っ当な妖怪なら、妖や人を食おうとは思わない。

 だが、中には道を外れる外道もいる。そういった連中は、力を求め倒錯した行いをしてしまうのだ——。


 朔夜は刀を見ながら、妙なことを考えていることに気づいた。

 宿の使っていない一室をわざわざ借りて、愛刀を鑑賞し、手入れする。手入れ自体は別にどこででもできるが、鑑賞は一人でゆっくりしたかった。

 無論、傍らには無言で海月が正座している。恵国のメイドエプロンと動きやすい丈の短い着物を合わせた格好で。 

 彼女がからくり人形の付喪神なのは、露出した体を見れば一目瞭然であった。

 触った質感は、金属質。関節は球体である。けれど表情があり、人間のように滑らかに動く。


「そろそろお眠りになられた方が……」

「……ああ。羅刹も、いつまでも裸にしておくのはつらいだろうしな」


 台座から刀身を手に取り、朔夜は海月から受け取った油布に丁子油を染み込ませ、棟の方から挟み込むような形で持って、下から上へ一定の間隔で油を薄く張っていく。

 塗りすぎると鞘に脂が染み込み、鞘を痛めてしまうので、薄く膜が張るくらいで良いのだ。何事も、ほどほどが一番いいというのは、刀剣の手入れでも同じである。

 朔夜は気持ち塗りすぎた部分を新しい拭紙で拭い、整えた。

 油を塗り忘れた部分は、もれなく錆びる。刀の錆は侍の魂の錆つきである。つまり、恥だ。

 朔夜はもう一度羅刹斬飯綱を火の光にあて、よく観察した。

 手入れに抜かりはない。


 はばきは厚みがある方がなかご側である——その常識を改めて己に言い聞かせて鎺を嵌め、柄を取り付ける。下から軽く叩いて、その反動で柄と鎺とを嵌め込んだ。

 海月が無言で目釘を手に乗せてくるので、やはり黙って受け取り、目釘を刺して目釘打ちでしっかり打ち込んで保持する。当たり前だが、目釘が外れた刀を振れば、悲惨なことになるのは言うまでもない。

 刃を上向にして、昨今巷を賑わす電磁鋼製の鉄鞘に納める。下手に刃を水平にして抜いたり差したりすると、変な力が加わり刀が傷む。

 戦場では苛烈に扱うように見えるが、実際ああしたときも多くの剣士は細心の注意を払っているのだ。当然、鑑賞・手入れにしたって丁寧に扱うに決まっている。それは愛刀だからではない。物を大事にすると言うのは、瑞穂人の美徳であった。それこそ、いつか付喪神になったとき、末代まで祟られてはたまった物ではない。


 丁寧な所作で刀を手に、朔夜は広間に向かった。海月が静かに寄り添う。

 宿の店主に礼を言ってから広間に入り、何人かの宿泊客が雑魚寝する中、隅に行って、二人は横になった。盗む奴はいまい。いたとしたら、気づく。朔夜は刀を枕元に置いて、それから目覚められることを信じて瞼を閉ざすのだった。


×


 チチチ、と小鳥の鳴き声が聞こえてくる。

 瞼越しに光が突き刺さり、朔夜は眠り堕ちることなく朝日を拝められることを悟り、ゆっくりと目を開けた。

 眠り堕ちる病『枕返し病』は唐突に罹患することもある。というか、前触れなく急に、というのが大半だ。罹るものはあっという間に、なんの予兆もなく眠り堕ちるし、罹らない者はどんな生活を送っていようが決して罹患しない。いやに白黒はっきりした病気だった。


 格子状の窓から光が差していた。宿泊客の何名かは既に起き上がっており、それぞれ身支度をしている。朔夜は腹筋の要領で起き上がり、傍にいない海月が朝食を調達しに行っていることを察した。

 敷いてあるゴザの上に雑魚寝していた体が痛むが、場末の宿駅に上等な布団など期待できない。寝る前に薪代相応の湯を入れて風呂に入れて、雨風凌げるだけ御の字である。

 朔夜は昨晩浸かった湯の熱さを思い出し恋しくなったが、首を振って未練を断ち切るとゆっくりと立ち上がった。

 料金は前払いで五五せん(約五五〇円)。燃料は道中で集めた薪木を直に渡していたので、実際に払ったのはそれだけだ。

 なおちょうたつしてい食事が、どこにいってもだいたい一食大体十銭から二〇銭なので、多めに見積もって百銭使ったとみていい。とはいえ昨晩、ここへくる途中で海月が妖力式の施条小銃ライフル——稲葉銃で狩ったイワトビウサギを宿に買い取ってもらっていた。

 昨今うさぎの価格は高騰し、高いものだと十五両から三十両(約一九五万円〜三九〇万円)で取引される。見た目が不恰好で、食用以外の用途がないイワトビウサギは高騰していないが、それでも貴重な食料ゆえ五十銭ほどで売れる(一銭=十円ほどの価値である)。


 朔夜は宿泊客の一人が、一抱えあるイワトビウサギの、そのもも肉を食っているのを見た。

 それで別に何を思うわけでもない。こっちは、適正な額をもらっているのだから文句はなかった。


 朔夜は格子状の窓に目を向けた。

 外側の方は細く、内は広く奥行きに向かって細くなる三角形になるように隙間が作られている。こうすることで外側からは見えづらく、中からはそとが窺える作りになるのだ。

 往来には既に人が行き来していた。宿駅という立地上、人の流れが絶えないのは常だ。人間、妖怪、老いたもの若いもの、男女問わず歩いている。中には馬をひくもの、牛車を携えるものもいた。


 朔夜はその中の、ある一団を目に留めた。

 獣の血が濃いらしい半獣人の犬妖怪の女に、鴉天狗の背が高い男、横に大きい太った河童の女。

 皆同じ羽織を着ていた。背を向ける河童の背中には、甲羅で膨らんでいるが、その羽織には山吹色で雷の文字が染められている。

 雷の文字を使う一族の家臣団かなんかだろう。

 少し気になり、朔夜は耳をそばだてた。


「——みも……は、……こへ」

「時間が——いと……うのに」

「先方——たせる……には……」


 周囲の喧騒にかき消えた声から察するに、誰かを探していて、非常に急いでいることがわかった——と、


「夢……いなど、あ——はずが……」


 ——ゆめい……夢吸い?


 朔夜ははっとした。

 あの連中は、夢吸いについて何か知っているのだろうか。

 だとしたら、多少不躾でも聞いておきたい。今は、猫の手も借りたい状況なのだ。

 朔夜は荷物を詰め込んだ巾着袋やらを帯に通し、刀を掴むと、素早く外に出た。それからすぐに家臣団(?)の傍による。

 刀を腰に差し、朔夜は一礼。瑞穂人に取って相手に一礼——お辞儀するのは、敵意のない表れを示す。向こうもそれにならい、軽く一礼した。


「旅の者か。土地のことを聞きたいのかね。生憎だが我らにそのような余裕は——」


 先頭に立つ半獣人の犬妖怪の女がそう言い、朔夜は食い気味に遮った。


「いえ。不躾ながら夢吸いという単語が聞こえましたのでこちらにやってまいりました」

「夢吸いか……というと君も?」

「はい。師匠が……」


 犬妖怪は節目がちに「そうか」と呟いたのち、顔を上げた。「医者に見せるのがいいんじゃないか。我らのツテを紹介してもいい」

「それには及びません」朔夜は断言した。貘の夢吸いでないと救えない病であることは知っている。眠り堕ちる病——枕返し病が広がりを見せ始め三十年。未だ、それを医者が治療できた試しはない。延命方法を探るので手一杯なのだ。

 犬妖怪は顎を撫で、それから言った。


「では、何用で?」

「夢吸いについて知っていることがあれば教えてほしいんです。なんでも構いません」

「ふむ……それなら我らより、我らが主人の方が詳しい。そうだ、取引をしないか?」

「取引?」


 後ろの長身痩躯の鴉天狗と小太りの女河童は黙ったままだ。


「我らが主人、雷嵜家かみさきけ次期当主・雷嵜深杜かみさきみもり様を連れ戻してきてもらえれば、夢吸いだけでなく延命に使える薬についても教えよう。どうだ?」

「……わかりました。それで、雷嵜殿は何処いずこに?」


 女犬妖怪は北西を指差した。


「この先に雨乞い岩という一枚岩がある。そこを目指したと思われる。我らにはすべきことがある故、ここを離れられんのだ」

「わかりました、すぐにでも連れ戻してきます」


 朔夜はそう受け合い、頷いた。

 くるりと踵を返し、去ろうとしたところで女が声をかけてくる。


「名を名乗っていなかった。私は餓堂がどう。こっちは鴉玲あれい、そしてこっちの河童は河肚かわばら


 朔夜は再び三名の妖怪を見て、一礼した。彼らはどこか険しい顔で礼を返す。


「では」

「ああ。深杜様を頼む」


 背を向け歩き出すと、笹の葉に包まれた朝食を調達してきた海月が駆け寄ってきた。

 一連の話を伝え、行動方針を確認した彼らは食事を済ませ、預けている愛馬を引き取るため厩舎に向かうのだった。

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アヤカシ・オーヴァドラヰヴ — 妖怪稀覯紀行 — 夢咲蕾花 @FoxHunter

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