アヤカシ・オーヴァドラヰヴ — 妖怪稀覯紀行 —

夢咲蕾花

第一章 眠り堕ちる病

第1話 夜明けの新月と次百の海月

 あの人は、自分には何もないと言った。

 私にも何もないからあの人を求めた。

 お互いに、空っぽだった。

 貪るように互いの口を啜り、愛を貪った。お互いの空っぽを埋めるために、お互いの全てを混ぜ合わせるように。

 私は悪い女だ。

 まだ幼かった旦那様を誑かすような人形だから、親方様からも捨てられたのだ。

 それでも私は、未だに旦那様の愛を貪っている。私たちは、虚ろだから。


×


 激しい剣戟が火花を散らす。敵が握る白銀の刀が、その白刃を一閃させた。こちらが握り込むは二尺四寸五部の太刀、愛刀・羅刹斬飯綱らせつぎりいづな。その刀身は微かに紫紺を帯び、妖艶に煌めいている。

 敵の斬撃を見切って半身になってそれを躱し、峰に足を固定して抜かせないようにする。すかさず上段から振り下ろした真一文字の一閃で相手の刀を半ばから叩き折る。乾いた金属音と、微かな火花が散った。

 くるくる舞った刃が障子を破り裂き転がっていき、部屋で丸まっていた女中たちが悲鳴をあげるが、それが意識になにか障りをもたらすと言うことはない。極限の、散漫な集中・・・・・状態にある彼らには、悲鳴なんぞはなんでもない。


 滑らすように走らせた返す一撃でその者の首を落とせば、間欠泉のように血が吹き上がり、制御を失った肉体が電気を浴びたように痙攣し、ひっくり返る。絹を裂くような女の悲鳴が上がり、首を失った胴体が部屋に向かって倒れ込んだ。

 藍色の髪の青年は、酷く冷め切った目で周囲を一瞥。とても、感情らしい感情を感じられない氷のように冷え切った、冷厳な紫紺の目。悲惨な光景を生み、それを見せつけている自覚を持ちながらも呼吸ひとつ乱さない。

 それは侍としての矜持であり、術師として求められる冷徹さであり、彼なりの寂しい処世術だった。


 屋敷の廊下を出て、足袋のように先が割れた足袋長靴たびちょうかで中庭の玉砂利を踏む。

 飛び出してきた浪人崩れの鋭い切先をひょいと躱し、手首を返しつつ素早く振るった一撃で撫で切りにした。相手の脇腹から心臓へ裏切上に切り上げ、背後に回って脊髄を切り、沈めた。浪人崩れは池に頭を突っ込み、そのまま激しく震え、ゴボゴボと赤黒い気泡を撒き散らしながら小便と大便を漏らして絶命。

 屋敷に突入してからこっち、都合六人を切ったところで、晨空朔夜ときそらさくやは開き気味の瞳孔をさらなる刺客に向ける。


「貴様、お館様に何の用だ!」

禎晶玄治さだあきらげんじは名うての盗賊。俺の仲間を盗られたから、返してもらいにきただけだ。……それにしても噂に聞く禎晶家さだあきらけの私兵隊も堕ちたな。人の身で鬼と斬り合う剣の達人も、この程度か」


 冷たく、言い放つ。

 これまでの戦闘で朔夜に負傷はない。返り血で赤く染まっているだけで、彼自身の傷は皆無。紫紺を孕む二尺四寸五部の愛刀・羅刹斬飯綱らせつぎりいづながさらなる生き血を求め、切った者どもの血をさながら餓えた狼の唾液のように滴らせている。ねばっこい血が、糸を引いて垂れた。

 軽く刀を振って血を払い、朔夜は肘口で拭って脂を落とす。美しい直刃の波紋が顔を出し、ぬらり、と殺意の輝きを反射する。

 敵が目を歪め、口元に穢らわしいものへの罵倒を乗せた。


「曲者め! お前たちは手出し無用、誇りを踏み躙られて退けるものか! 我が手で首を落としてお館様の面前に晒してくれよう!」

「やってみせろ、反吐糞野郎が」

「この糞餓鬼——」


 筆頭に立つ隊長が言い切る前に、朔夜は動いた。ちょっと煽られて仲間を切られただけで頭に血が昇る。それでは山賊と変わらぬではないか。

 朔夜が身に纏うのは軽量の鎖帷子に袴の装い。その上に最低限の籠手と脛当て、胸当てのみ。総重量はせいぜい七キロ。人間ではない朔夜にとっては、布切れを纏うのと大差ない。

 電光石火の如き速度で隊長に距離を詰めた朔夜は脇構えから表切上——相手の左脇腹から右肩へ向け切り上げる斬撃を見舞う。

 素早く受け太刀を作り斬撃を防いだ敵に、すかさず刺突。狙いは首。


「く——賊の分際で……!」

「口じゃなくて、手ぇ動かせ」


 私兵隊の部下たちが一騎打ちを見守る。

 執拗に首を落とそうとする朔夜に対し、禎晶私兵隊隊長は守りを固め、反撃で切り返す。

 朔夜は手首を抉る一撃を腕を腰に引いて肘を畳んで回避したが、相手の刀身の切先が額を裂いた。構わずにこちらも小手先をくるりと捻って切先を目元に霞ませる。怯んだところで構え直し、霞の構えから首を狙い、切り払った。敵はしかし、それを素早く躱し、鍔迫り合いに持ち込む。


「若いなりにやるな」

「見た目と歳が一致しないのが、妖怪・・だぜ」


 朔夜はすぐさま下肢をたわめ、相手の股の下に足を差し入れる。そのまま上半身まで移していた重心を、噛み合う刀身越しに相手に移した。


「⁉︎」


 胡蝶フーティエ国に伝わる古武術における寸勁すんけい——それに似た高等技法である。

 中庭の決闘は、その一手で一気に戦局が傾いた。

 朔夜が上半身を執拗に狙う展開から、突然脛を狙った斬撃に切り返した。

 突然に屈み込みつつ上半身を捩じ込んで腕を伸ばし、右の脛を払い、骨身に達する裂傷を刻む。防がれたりすれば一気にカウンターをもらい、こちらの腕を破壊される危険性のある一撃である。故に決まれば、こちらが必殺を可能とする奇を衒う斬撃となった。

 脛切りは本来は薙刀に見られる技法であり、刀では長さが足りず滅多に見られない技だ。だが朔夜は踏み込みと腕を伸ばすこと、そして半妖の膂力でもって片手で刀を保持し振るいきることでそれを可能としていた。

 寸勁を含むこの技を教えてくれた師匠と、そしてそれを受け継いだ朔夜が数多の剣才を沈めてきた、決め手である。

 隊長格が呻き声をあげ、たまらずくずおれた。


「く——無念」

「言い残すことは」


 朔夜が太刀をうなじに擬すると、隊長は意を決したように言った。


「——っ、全隊撤退、撤退だ! もはや禎晶に義はなし! せめてお前たちだけでも落ちぶれる前に、離れよ!」


 部下が、薄々感じていたことをお館様よりも信頼する隊長に命令され、戸惑いつつも刀を納めた。

 朔夜は大上段に太刀を振りかざし、言う。


「いいのか? 二君に仕えないんだろ」

「我らは侍ではない。落ちぶれた浪人だ。だがこれからの時代、我らは必要とされる。少なくとも若いあやつらはここで死ぬべきでは——ない」

「……介錯はしてやる」

「頼む」


 隊長は己の刀を腹に当て、思い切りよく掻っ捌いた。腸を含む臓物が腹圧で血とともに飛び出し、それでも隊長は侍の矜持でもって悲鳴を噛み殺した。朔夜は苦しみを素早く終わらすべく、首に刃を落とし、切り落とした。けれども首の皮一枚で刃を止める。飛んだ首が鳥に食われるのは、本望ではないだろう。

 部下の安全を、全ての責任を負った切腹だ。部下たちも割り切れぬ思いはあっても、同じ釜の飯を食った上官の最後を汚すわけにはいかぬと、恨みがましく朔夜を睨みつけながらも、黙って去っていった。


 朔夜は血振りをした太刀を羽織の肘口で拭い、鞘に納めた。


 隊長の誇りと信念は、確かに受け取った。名は聞けなかったが、忘れることはない。

 憎むべき相手ではなかった。だが、敵だった。故に、斬った。そこに後悔などない。斬った相手に申し訳ない、というのは最大の侮辱だ。


 ——彼らはあくまで末端だ。黒幕は禎晶玄治である。

 だからといって、犯罪に加担した下手人を許せるのかといえばそれはまた別だ。浪人としての斬り合い、犯罪に加担した下手人としての彼ら。理屈で割り切れないことである。そして朔夜は、理屈というものをそこまで信用していない。


 朔夜は人間ではない。だからというわけではないが、理屈というものが好きではない。論理や理性、理屈というものに封殺され、圧殺されてきたから尚更だ。

 四分の一。

 朔夜に流れる妖怪の血の比率はそれだけだ。それでも、その種族は龍——穹皇光摑彦オオゾラノミツカヒコという由緒ある龍の血統だ。古い龍の血は、四分の一程度の割合でも、十二分に彼を妖怪たらしめている。

 故に考え方も——というよりか、彼の幼少期を考えればたとえ純粋な人間でもそのようになるのだろうが——妖怪的だ。


 強い奴が、上に立つ・・・・・・・・・。妖怪は、そう考え、実行する生物だ。

 強さとは無論、腕っぷしが一番だが、他にも経済や交渉、政治も含まれる。とにかく力を持ち、強いものが上に立つのが妖怪なのだ。彼らはそうやって古代から今に至るまで生き延び、発展してきたのである。


 隊長の命令は人から人へ転じていた。あちこちで、脱退する者とそうでないものの争いが起きている。巻き添えになって死ぬ非戦闘員もいるだろうが、いちいち興味がない。今は他人の命よりも優先すべきことがある。その一つが、拉致された仲間であり、次いで己の命だった。。


「貴様ァ! 賊が嘯きよって!」


 大喝。飛び出してきた女は、既に斬られている。左肩から腹にかけて、着物が真っ赤だ。はだけた乳房には刀傷があり、詰まった黄色い脂肪の断面が剥き出しでたらりと溢れつつある。溢れ出るのは、赤いというより黒ずんだ血。どうみても心臓を損傷している——もって十数秒だろう。

 それでも朔夜は容赦なく、瞬時に鯉口を切り、抜刀した。斬撃の勢いで後ろに押し退け、確実を期して首を落とす。念には念を。確実に殺さねば、死者は時々・・・・・死んだことを忘れる・・・・・・・・・。特にこんな、汚い情念が・・・・・蔓延る状況では《・・・・・・・》。

 目の前の曲がり角で侍が斬り合い、一人、若い男が壁際に押し込まれて切先で貫かれた。

 出てきたのは満身創痍の、老いさらばえた男。


「禎晶玄治だな」


 朔夜が言うと、老人は苦虫を噛み潰したような顔で、こちらを呪うように睨んできた。金への妄執と執着は、人の顔をあそこまで悍ましく歪めてしまうらしい。

 裂けた額から垂れる血を乱雑に拭い、朔夜は言う。


「仲間を返せ」

「あの人形のことか? やらん、やらんぞ。あれは儂の物だ! あれほど上等な人形を、貴様のような浪人風情が——」


 朔夜の癇に障る単語を、二回。

 殺す、と決めた。命乞いをすれば、素直に反省すれば見せしめに腕の一本で済ませた。だが、もう決めた。

 糞野郎。殺してやる。


 踏み込みが、板の間を砕く。玄治が蛇のように刀を絡ませようとし、朔夜はそれを直上的な切り上げで真上に弾いた。角度タイミング、そして圧倒的な腕力。激しい金属音が、相手の刀を砕く。

 相手のガラ空きの胴に、肝臓を狙って刺突。目を見開く禎晶玄治が血を吐き、呻いた。

 刃が肉を抉り、臓腑を潰した確かな手応え。玄治が再び大量に吐血。構わず刀身を横に薙いで腹を裂き、心臓を刺突で潰し、喉に刃を滑らせて、必要以上の殺傷を加えた。


海月くらげは、人形じゃない……!」


 光を失った目が、どろ、と澱んだ笑みを浮かべていた。それが、朔夜の考えを否定する嗤笑に思える。お前は狂っているんだ、そう言っているように思えた。


「お、お館様……」


 こくのメイド服と着物を合わせた女が、震える声で言った。その怯え切った仔犬のような目が朔夜を、そして血で濁る刀を認め、白目を剥いて倒れた。

 恐怖のあまり卒倒した女を無視して進む。牙を向かない獣には興味がない。

 妖怪は、女だろうが強大な力を持ち、絶大な立場に君臨することが頻繁にある。故に、妖怪にとっては戦場で出くわす相手の性別はそこまで関係ない。敵意を持って攻撃してきたら、それはもう立派な反撃対象である。逆に、戦う意志のない弱者などは、初めから眼中にないのだ。


 奥まった部屋の障子を蹴飛ばして上がり込むと、そこには村から引っ立てられてきた若い女が七名ほどいた。そのうちの一人、上等に着飾られ座布団の上で縛られていた女こそ、朔夜の仲間であった。


「迎えにきた。帰るぞ」


 額から血を流す朔夜を見て、女は心配そうに呻いた。

 朔夜は縄を切り、猿轡を外す。水色の髪に、先端を金色に染めたくらげのような髪型の女は、——朔夜の右腕である術師にして彼専属の女中奉公妖じょちゅうほうこうにん九十九海月つくもくらげは「すみません、不覚を……」と言って目を伏せる。


「おかしなことはされなかったか」

「される寸前でした」

「間に合ってよかった。……『夢吸い』については?」

「書物があるそうです。探しましょう」


 朔夜は頷き、それから捕えられている女の縄を切った。護衛はしてやれないが、大丈夫だろう。外には村の警ら隊が待機している。


×


 ——夢。

 眠っている者が見るモノ。それは脳が情報を整理している際に見る光景であるとも、妖気が見せる幻であるとも、己の中の宇宙の光景であるとも、様々な説がある。


 そしてこの国では夢を見ている間は魂は肉体から抜け出すという考えが、古来より存在する。


 故に眠っている者の枕を返してしまうと、魂が肉体に戻ることが叶わず、現世から隔絶されたどこかへ消え去ってしまう――そういった信仰が瑞穂国みずほのくににはあった。


 故に、眠ったまま起きなくなるその奇病を、あるいは呪いを、人は『枕返し病』と呼んで、恐れ、忌み嫌った。

 原因も治療法もわからないそれは、いつ誰がなってもおかしくない。数十万人から数百万人に一人という割合で罹患する珍しさ故に研究も進まず、病の原因究明等は未だ手付かずであった――。


 いま一つの希望を挙げるとするならば、睡夢を吸い尽くして現世へ帰還させる霊薬草『貘の夢吸い』――それを用いることである、というのが、世間に流れる風説として有名なものだった。


 師匠が眠り堕ちたとき、青年は神でも仏でもなく、師から授かった一振りに誓った。

 必ず貘の夢吸いを手に入れてくる、と。


 奇病が広がりを見せ始め、それと前後する形で末法の如き治安の悪化を招く時代。

 そこに、無頼の術師と、そのお付きの姿があった。


 彼らは最愛の人を救うために、実在を疑われる霊薬草を探して旅をしている——。

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