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大野左紀子
大野左紀子
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大野左紀子
@anatatachi_ohno
● 細々と文筆 ● 著書『アーティスト症候群』『アート・ヒステリー』『「女」が邪魔をする』他、共著『ラッセンとは何だったのか?』他
● ForbesJapan連載映画批評x.gd/bdqdP
● 私のこれまでx.gd/BefsT
● 犬短歌x.gd/H36ET
大野左紀子さんのポスト
清掃員が、
バンクシーのことを知らず消した‥‥普通
バンクシーのことを知ってて残した‥‥常識的
バンクシーのことを知らず残した‥‥職務怠慢
バンクシーのことを知ってて消した‥‥よくわかってらっしゃる
RT 中学生に作品を壊されたクワクボリョウタ氏のコメント。
>それよりも重要ななのは、生徒たちが内なる不満や怒りや欲望をさまざまな違った形で表現できるように支えることです。
ここまで言える人はなかなかいないと思う。教育を通じて日常、真摯に若者に向き合っている氏の人柄が偲ばれる。
小泉今日子の発言を立川志らくが長々と批判しているが、小泉の言う「バラエティはくだらない。出演したくない」の意味を取り違えて「くだらないから素晴らしい」とかまったく頓珍漢だしそんなレベルの話なんかじゃないし、この人こそテレビに出てきてほしくないわ。くだらないので記事は貼らない。
西欧の人の方が世界が明るく見えるという観点から、絵画史を見直してみると面白いかも。
引用
うちゃか
@sayakaiurani
みんな炎の光で本読んでるからやってみたけど全然文字見えない。「見えないんだが?」って言ったら「貴方は目が黒いから見えにくい。僕らは目が青や緑だから炎だけで十分見える。その代わり、太陽の光が明るすぎて耐えられない。サングラスしないとすぐに目の前が見えなくなる」って言われた。
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RT あるある過ぎる。自分の好きなものを少しでも批判されたり相対化されたりすると、自分を否定されたかのようにめちゃくちゃ傷ついて攻撃的になる人が増えている。自分が肥大化して自他の区別がつかなくなっている。9年前の自著にも書いたが、この20年くらいの間に顕著になってきた現象だと思う。
「大吉原展」が炎上してる件やっと把握。内容以前に導入のプレゼンがあんまりだ‥‥というところに批判が集中してる模様。こういう軽薄な感じになるのはこの十数年の美術館系企画の傾向で、集客のためにハードルを低くしているうちにどこかピントが外れた感じになってきてるのではないかと。
謝罪した岡村隆史の人気番組降板を求める根底に「過去に女性は些細なことで簡単に解雇されてきた」「女性芸能人は不倫しただけで全番組降板になった」ということがもしあるのだとしたら、それは仕返しの論理だし、女性が仕事を奪われた件は間違っていたと言えなくなってしまうので賛成できない。
RT 緊縛にしろSM文化にしろ密室で同好の志が集う文化だったのが、こうして大々的にオープンな場でやったら批判を招くのは必至。「わかる人だけで楽しみたい」ではなく、「大勢の人をびっくりさせたい、注目されたい」になった時点で、タガが外れる。
年末に大掃除は合理的じゃないよ。ただでさえ忙しい時期だし窓を開けるのも寒い。ゴミが出るのにゴミ収集はお休みだ。大掃除に適しているのは春。暖かくなって家中開け放せて窓拭きや水回りの掃除もしやすい。ついでに年度末で出る不用品処分もできる。大掃除は年末ではなく年度末にしようそうしよう。
CMで洋服を「高見え」と言ったり化粧品を「若見え」と言ったりするのが商品PRとして有効とされている世界が、貧乏臭くてほんとに厭だ。なんでそんなに剥き出しなのか。
ファミマの「おかあさん食堂」問題やっと追いついた。ハウスの「私作る人、僕食べる人」から45年ですね‥‥。「おかあさん食堂」というネーミングは、共稼ぎ家庭が多数となり夫も家事をするのが当然という考えが行き渡った現代において、母親が常に台所にいた時代へのノスタルジーなのだろうが、→
老母85歳が家に来て2週間。「自由にしてて」と言ったら雑巾を持ってあちこちを拭いてたかと思うと庭の草取りをし姿が見えないなと思うと「散歩してきた」と帰ってきて静かだなと思うと自室で本を読んでおりボーッとしてることがない。小さくて白いおかっぱ頭がちょこまかしているのにこっちも慣れた。
預金残高が三桁になってるのに煙草を買ってしまう人の感覚を問うツイを見た。うーん‥‥三桁しかないからこそ煙草という選択になるんじゃないかな。無論客観的に見たら「他に使い途が」と言われるのはわかってるだろう。でも三桁のお金で自分を維持できるものは煙草なんだ。元愛煙家なのでわかる。
ガチガチのホモソーシャルの中で必死でのし上がってきた女は、男たちに認めてもらうためにホモソーシャルの価値観を人一倍内面化していることが多いんだろうなと思う。どこまで行ってもそこでは「女だてらによくやってる」という目線でしか見られないわけだけど。
美術界から非難轟々の「美術館女子」、発想が最近のNHKと同じだね。お堅く思われたくない、親しみを持たれたいというのが残念な方向に突出していくの。あとは若い女性にアピールできれば人を呼べる儲かるという資本主義消費ルールに乗っかった結果だ。
ピンクリボンの乳がん検診ポスター、批判殺到のグランプリ作品はじめ、いろいろ見てげんなりした。新しい広告表現もいい加減出尽くしている中で、なんとか捻った表現や小技で目を引きたいとするあまり、本来の目的や対象者の心理を置き去りにしている。
RT よくわかる。大学非常勤していた時、○○についてどう思うか?と問うと「人それぞれなので好きにすればいい。ただ押し付けは良くない」など思考の跡のない回答が急に増えてきたのが2010年代だった。自分の意見を言うのを避ける傾向。「どう思うか?」ではダメなので「なぜだと思うか?」にしたが。
RT これはオタクの人だけではなく、ある世代以降に見られる傾向の一つだと思う。芸術系大学の講義を持っていた頃、ゼロ年代に入ってから批判に弱い学生が増えてきたと感じた。作品についての指摘を、自分自身を否定されたように感じてしまうとか。
「バイキング」ではすみとしこが提訴された件、完全に伊藤さん支持の立場で報道しているが、metooがハリウッドで始まった時、「まあ芸能界って枕営業もありますしねぇ」みたいなことをゲスト達が喋ってるのを坂上忍がニヤニヤしながら聞いてたの、忘れてないぞ。
単に「胸の大きな女性の表象が含まれる広告」ではなく「女性の大きな胸を男性の癒しとしているのがわかる表象を押し出した広告」。日頃、胸にばかり注目されて嫌な思いをしている女性にとってはエンパワーメントどころではなく、「自分はそこしか見られてない」という「疎外感」を持つ場合があります。
引用
女子現代メディア文化研究会
@WmcJpn
【疑義】
(1)胸が大きな女性の表象が含まれる広告が排除されると、胸の大きな実在する女性が疎外感を持つ場合があります。そうした女性にとってはエンパワーメントとは逆とならないか。
→ x.com/WmcJpn/status/…
「いい男、何人もいるじゃないですかー」という女性視聴者達とのこのズレな。そういうとこなんだよな‥‥。
引用
るーりんご
@sweetsweetlucy
あさイチで大吉さんがいい男が出てこなくてつらいと言ってたけど、もしかしたら多くの男性はそんな風にこのドラマを見てるのかな?男性が責められてるように感じてるのかな?いい男は最初からずっと出てるんだけどな、難しいね。でも、実際にそういう社会だったんだから手加減しなくていい。
#虎に翼
妻の親を自宅に引き取るとその夫は「偉いね」と周囲に言われるそうだが、夫の母と同居となっても妻の方は別に「偉いね」とは言われない。まあ「大変だね」とは言われるが。うちは夫の両親と同居せず、最後に残った私の母を最近引き取ったが、妻と姑の関係と、夫と妻の母との関係は相当違うと思う。
RT 藝大に入ってから「表現したいことがない」となったり上には上がいることを知って病んでしまうの、90年代半ば以降によく聞くようになった。つまりギャラリーが卒展で青田刈りを始め、卒業と同時に華々しくデビューする人が出始めてから。早くマーケットに乗らないとダメみたいな考え方が蔓延した。
昔は政治家が少々頼りなくても、官僚がしっかりしてるからまだ何とか持ってるみたいなところがあった。安倍政権の7年半の間に、多少残っていた信頼も徹底的に崩された。ここまで毒が回っていては取り返しようがないと思う。そして怒りを溜め込みつつ、誰もが生活の防衛で手一杯で為す術がない。
昔、美術家をしていた頃、ある店でマスターと喋っていたら、私が作品を作っているとわかった初対面の人が話しかけてきた。作品で食べているのかと聞かれたので「生活できるほど売れていません。別に仕事持ってます」と言うと、「じゃあ御趣味なんですね。素敵ですね」とまったく悪気なく言われた。
つるの氏のように「自分の中に差別という概念はなく意識をすることもない」と素朴に思っている人は多いだろう。そういう人に「意識しないでいるのは既にある差別を黙認しているから」と言っても通じないだろう。「あなたは気づいていないが実際のあなたはこうなのだ」と言われて素直に頷く人はいない。
見つかりました!!!!! 元気です!!!! ありがとうございました!!!!!
twitter.com/anatatachi_ohn
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開会式は最初の方を見ただけだがTLから想像するに、職人技とか江戸とか鎮魂とか医療関係者リスペクトとかレインボーカラーのドレスとかマンガとかゲーム音楽とかイマジンとか、「世界からこう見られたい」というものを寄せ集めてみたけど何か芯があるわけではないという、今の日本そのものらしかった。
返信先: さん
不思議なのは、他人の作品についての批評(批判含む)すら「それを好きな人を否定することになるのでダメ」という考え方が見られること。自他の区別がついていないだけでなく、批評自体が成り立たない。全肯定でなければクソを投げ合うという極端な世界しか想定できないのかなと思う。
「美大芸大に行けるのは実家が太い」問題、何回目?という感じだが、70〜80年代に特に裕福な家ではなかったが行けた人がそこそこいたのは事実で、今はそれが大変になってきているのは、学費も生活費も上がり続けているのに、かつての中間層の大部分がぐっと下層寄りになっているから。時代が変わった。
返信先: さん
ネットでも何か言うと「それは単にあなたの感想に過ぎませんよね」という言葉で批判的な要素を無化しようとしに来る人がいるけど、感想だけどだから何?って感じで戸惑う。誰かに批判されたら即台無しになるようなものなのか。それぞれがそれぞれの感想や意見を言い合っている状況で別に良くないかと。
余談だが昔、「ジェンダー入門」の講義をもっていた頃、ネトウヨの学生が受講者の中におり、最後のレポートで「大野講師はフェミナチ思想を押し付けようとしているので思想信条の自由を奪ったとして告訴も可能である」てなことを書いてきたことがある。学びの途中なのだなぁと思った。
「世界は私を傷つけないようにはデザインされていない」という文字列を目にし、なんというか、こういう独特な言い方が出てくるのが21世紀か‥‥と思った。この文言が生まれていくる背景には、「世界は私を傷つけないようにデザインされているべき」という「私」を中心とした世界観がある。→
この間まで五輪中止するか否かの話だったのに、観客入れるか否かになって、いつのまにか観客人数の話になって、今はなんと酒類提供云々の話になってる。
RT これ、10年近く前に感じていた。提出物や作品を批評すると、「でもすごく頑張ったんですけど」とか。とにかく自分の努力をまず評価せよという気持ちがとても強い。小学校くらいから「頑張った子が偉い」というような教育を受けすぎているような気がする。
統一教会関連の発言で”炎上”が止まらない某タレント、ミュージシャンに強く批判されて返した一つのtweet内に「萎縮(してしまい)」という言葉を3回も使っていて、「萎縮させた方が悪い」という印象を作ろうとしているのだが、全く萎縮しているように見えないところが何とも‥‥だ。
返信先: さん
これが単なるノスタルジーとして全面的に許容されるようになるには、性別役割分業が完全になくなっていることが条件であり、今はその過渡期(?)なのでまあ反発も起こる、ということかな(私は「おーい、お茶」もなんとなくだが嫌だった。ヤメロとは言わず買わずに済ませていたけど)。
修正されたルックバック、加害者が同じ領域にいる、地続きだという設定だったからこそ、もっと書き手の足元を自ら抉るような批評性を持てたはず(そこまで踏み込めてなかったが)なのに、加害者を完全に外部化することで逃げてしまっていて、まったくダメな感じがする。
返信先: さん
ところで最初の「好きなものを少しでも批判されると攻撃的になる人」の増加、自著では戦後教育の一部に原因を求めているが、好きなもの=全面永久肯定でないと気が済まないのって一種の信仰だから、どこかで信仰を心の支えとして必要とする人間には「好き」がその代わりになっているのかもしれない。
返信先: さん
女性をエロく描いた絵が好きで自分でも描いたりするし人の描いた絵もいろいろ見てみたいと思っているのと、殊更エロが必要ないところに突然あると嫌だなぁここでは見たくないのにと思うのとは、両立する。そこをわかってなくて、相容れない欲望だと思っている人が結構いるんじゃないかと感じる。
何でも「アート」に回収されて安全なものになる不思議な現象。
引用
トド部長@IT業界の海獣
@thinkingtodo
北九州の成人式、ヤンキー共の特攻服花魁ファッションがいつの間にかアートと化してランウェイまで作られてるの、ポジティブ過ぎてワロタ
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「同性婚が認められても異性愛者は迷惑しない、夫婦別姓が認められても今までの人は迷惑しない、だからいいじゃないか」と言う人は多いが、この理路だと「ではマジョリティが少しでも迷惑することだったら反対なのか、要は自分たちの利益が守られる範囲での賛成なのか」という問いには答えられない。
女性服のポケット問題、まあねぇ‥‥くらいに見ていたが、「ポケットのあるなし、フェミニズムよりも服のシルエットの問題よね」って何を言っているのだろう。女性の物に限って有意に機能より美が優先されていたら、それはジェンダーであり、当然フェミニズムの問題になるじゃないか。#何か見た
「妻も夫の性欲処理機ではない」。一般論として言われれば「そうだね」としか思わないが、他でもない自分の夫の結婚前の性的行いについて散々批判した後で言ってるのが聞こえてきたら、「言葉に気をつけろ」とは思うね。もし自分の目の前で言われたら、机ひっくり返すかもしれないね。
なんか見たので書くよ。
>胸を強調しているわけでもない胸の大きな女性キャラ広告
この言い方はおかしい。「胸の大きな女性キャラ」なので、ちゃんと「胸を強調して」描かれている。主体は描き手。押し出されて宙に浮いたネクタイまでちゃんと描いた、描き手の表現の工夫を無視するべきではない。
RT 子供向けアニメに新規参入がなく大人向けアニメも作られず、量産される少年少女が主人公のアニメが大人が観るものになっているということと、少女の表象が街に溢れていること、その中に性的強調表現のされたものがあることとは、全部繋がった現象なんだろうね日本特有の。境目のない世界。
胸が強調されるぴったりした服を着ている胸の大きい人の「意図」は、「みんな、セクシーだと思って」かもしれないし「痩せてみえるはず」かもしれないし「胸が目立つけどこの服好きだからいいや」かもしれないし「好きな人に胸でアピールしたい」かもしれないし「女子だけだから平気」かもしれない。
RT チラッと見た「男性に媚びて生きるのも主体的選択」とかいうやつか。その「選択」は差別構造への依存なので問題にすべきはその構造だと何十年も前に批判されていたのに、それを指摘すると今は「女性の自由な選択を批判してる。フェミニズムは保守化している」とかいう声が返ってくる驚きね。。
最近になってテレビで芸能人などが「手を洗おう」とか「おうちにいよう」などと楽しそうに歌っているのを流すの、啓蒙のつもりだろうけどまことに鬱陶しいのですぐチャンネルを変える。そんなことは誰でもわかってるよ。逆に反発心を刺激するんじゃないかね、などと思ったりする。
RT グレタさんへの評価はさておいても、「声高に訴える女子供が嫌い」が骨の髄まで沁みてそうな人が「大人の操り人形だ」と笑っていたのは覚えてる。
ほとんどの人は、公共なら性的な表象はNG、個人の表現ならOK、企業の広告などはケースバイケースくらいに捉えて、今回は不適切と言っているのに、「公共の場に私の嫌いなものがある、傷つくから配慮せよと言っている。「脆弱」を盾に取ってる」とか言う人は一体何を見てるんだ。
返信先: さん
だからこういうのは、言葉狩りだとか何とかではなく、ノスタルジーをどう取り扱うかの問題ではないかと思う。「最近は何かいろいろ行き過ぎている。昔は良かった」という思い(私も持つことがある)を様々な場面で多くの人が感じれば感じるほど、ノスタルジーは醸成され時にイデオロギー装置ともなる。
返信先: さん
岡村隆史を「フェミニズムを学ぶ番組」に起用するという案もピンとこない。人がどのように改心したかを演出つきで見世物にするべきではない。それは個人がプライベートでさまざまな人間関係から学ぶべきこと。別に「フェミズムの番組」があってもいいとは思うが岡村を引っ張り出すのは悪趣味だと思う。
返信先: さん
「おかあさん食堂」という言葉で実際に郷愁を覚える人は少なくて、「昔の母親は割烹着で台所に立って手作りおかず作ってたらしいな。自分は知らんけど」と思う層がコンビニ惣菜利用者の大半だろうにも関わらず、ステレオタイプがノスタルジーを喚起する像として提出されている点はちょっと興味深い。
羽生結弦のインタビューを見たが、自尊心とか闘争心などが全部昇華された悟りを開いた仙人のような顔だった。「夢ではなく目標を叶えてあげたい」という言い方が既に普通ではない。自分が自分から切り離されている。四回転半の遠心力で羽生結弦の目標を叶えてあげる羽生結弦が出現したのかもしれない。
バンクシーと同じなのにという意見が散見されるが、バンクシーもバンクシーとして有名になる前は(後もか)捕まらないように逃げていたし見つかったら捕まったでしょう。キース・ヘリングもそう。この場合重要なのは法に触れてでも落書きで訴えたいというこの人の内的必然性の方。それは「悪くない」。
引用
Discharming man
@DreamViolence
何が悪いのかがわからない。
【独自】落書きを官公庁などに約20件確認 文科省掲示板に「FREE GAZA」と落書き 逮捕・送検の男(38)は容疑認める
fnn.jp/articles/-/679
学長による「事件の改変」理由である「女はこういうのに共感するだろうから」という計算は、エリート層の一見先進的な取り組みの中に、女性及び女性が学問することへの抜き難い見下しがあり、それは男子学生のヤジや新聞記事の揶揄とも根底で通じている‥‥と気づかせる秀逸な脚本だった。
#虎に翼
返信先: さん
思考パターンが「法で禁じられていないので自由」という現実追認的なところからなかなか発展しない。これは「法で禁じられているのでダメ」という考えに簡単に反転する。「法」が絶対化されていて、なぜ禁じられるのか?に踏み込む学生は少ない。
役に立つことした人にはお金あげますよって、こんなの露骨な囲い込みじゃないか。
都がアーティスト支援へ コロナで活動減、救済予算 | 2020/4/14 - 共同通信 this.kiji.is/62278356188707
返信先: さん
矢部の発言、火消し効果への期待と良識アピールもあるのだろうけど、途中から「結婚しないからこんなことに」的な親戚のおじさんみたいな説教になってて、ホモソーシャルのクズ的発言をホモソーシャルに再回収の図こそ、日本の芸能界の限界だけでなく、「世間」の限界なんだろうなと思った。
呼んでもいない警察が勝手に入ってきて勝手に作家を撮影していたら美術館側がまず抗議しやめさせるべきなのに、放置していたとか何やってんだ国立西洋美術館は。展示作家を守る気がないと思われても仕方ないね。
#虎に翼 で検索したら、男女で分けててイデオロギーが‥‥といった意見を見たが、母から娘、姑から嫁への抑圧、華族の入婿の弱い立場、寅子らを応援する男性教授や司法浪人生、自分の恵まれた立ち位置にまだ気づかない寅子など、結構様々な位相が描かれているけどなぁと不思議に思った。
このスレ、余すところなく「初デートでサイゼ」問題の核心を言い当てている。「高い店はサイゼの向こう」「まだサイゼステージに立ててない」など名言が。「サイゼに行こうか」ってなって初めて「ああ私たち気兼ねない関係になったんだ嬉しいな」って思えるんだよね。サイゼではなかったけど経験ある。 x.com/heligero/statu
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地下鉄の中、隣の70歳位のご婦人が「着物上手に着なさって。お稽古ですか」と話しかけてきた。「どうも。趣味で着てます」「ああそうなの。私もね、若い頃は教室に通ったもんですよ。道具を使って着るやつだけどね。それで母が箪笥に一杯着物作ってくれて。今の人はご存知ないだろうけど、昔はお嫁に
TGとトイレをめぐって紛糾するあれこれ、問題は「TGとトイレ」ではなく性犯罪者であって、TGは犯罪の隠れ蓑に利用されてしまっていることを改めて強調しなければならないと思う。どんなトイレを新設しようが、女性の入れるトイレがある限り性犯罪者はいなくならないというジレンマこそが問題。
返信先: さん
幼い子供は全肯定の世界を生きている。まず肯定感を得ることが子供には必要だ。「褒めて伸ばす」はそれを表す言葉。そのうち嫌なことが避けられないとわかってくる。自分にとって良いことだけで世界はできていないと。そうして否定性の世界に入っていく。否定性を受け入れた上で強く生きることを学ぶ。
RT 漫画家達が伊藤さんの似顔絵を支持のつもりで描いている件ね。はすみとしこのあの絵に対抗しているつもりだろうが、ルッキズムも性差別に関わっているのになんでわざわざそういうことをするかなぁと思う。支持者は伊藤さんが「美しい」から支持しているのではない。
安倍政権はまだ大衆向けの作り笑いをしていたが、菅政権はそれすら捨てて約一ヶ月の間に無表情でこちらの足元に次々杭を打ち込みに来ている感がやばい。
(RT こういう意見をはっきり言われる方もオタクの人の中にいらっしゃると思うとほっとする。観光地を盛り上げるために萌え絵を使うのは結構だけど、「スカートめくり」云々の設定は、老若男女が訪れる温泉の広告には入れてほしくない。それが仮に女性の発案でも)
返信先: さん
夫が「お母さん、そんな働かんでいいよ」と言うと、「これまで毎日やってきたことを急にやめるとボケるから」と母は答えた。おかげで家事がかなり助かっている。
返信先: さん
私は子供がいないのでずっと夫と二人暮らしで、2という関係性に飽きていたところに母が来て3になったことで、関係性に微妙な化学変化が生まれている。面白い。
その自己中心的な世界観を打ち砕かれて目が醒めて、世界と折り合いをつけていこうとし始めるのは、普通幼児〜少年期だ。大人になって気づくことじゃない。
「宗教の勧誘にあったら何て断る?」と夫に聞くと、「俺、創価学会だから。もう20年以上かなぁと言う。するとすぐに引き下がる」という答え。「じゃあ創価学会が勧誘に来たら?」「俺、共産党だから。党員になってもう20年以上かなぁ」。それいいね、私も勧誘されたらそう言うことにするわ。
無料部分しか読んでないが、「信用できるオトコなんていない」なら男を信用することを諦めればいいわけで、何故そこにメディアを通してしか知らないスポーツ選手を持ち出してくるのか解せない。飛躍が過ぎる。自分たちの男の趣味を新聞で語るのやめてほしい。
引用
朝日新聞(asahi shimbun)
@asahi
フェミニストが見た「大谷現象」 女性が受け取る「安心感」の正体 asahi.com/articles/ASR9Y
「気の緩み」という言葉の何に腹が立つかと言えば、こちらに全体責任、連帯責任を押しつけてくるものだからだ。そんな野蛮な言葉は断固として拒否する。
BSで早鎌倉したが、中川大志のあの表情を地上波でもう一回見てもいいかと思ってる。よくあの顔を作ったわ。一番重要なセリフの前だからだろうけど、びっくりしたわ。#鎌倉殿の13人
カップ麺を一度も食べたことがない老母、初めてカップヌードルを食べる。お湯を注いで3分じっと時計を睨み、蓋を開けて「まあ膨らんでる!」と驚き、食べ出すと「あらおいしい、ふーん、おいしいわ、あらエビも入ってる、これはいいわ、こんないいもの今まで知らなかったなんて」。いたく気に入った。
返信先: さん
ただ頑張るだけではダメなことがあり、そんなに頑張らなくてもできちゃうこともある、という現実を見ていかないと、自分より年収や学歴の低い人を「努力してないんだろ」と見下すような人間になっちゃうよなぁ‥‥。
家で「暇だ、やることがない」とぼやいているのは大抵、家事やったことない男の人だろうなと思う。家事はやり出したらキリがない。日常の事だけでなく、カーテンを洗濯したり引き出しの中を整理したりすべての鍋を磨いたり。主婦ならやって当然と思われることをやったら感謝されるのでこの際やるべき。
「私達の若い頃は今の若者から見るとすごく裕福に見えるんだろね、時代だったんだけど」という話がTLで流れてきて、ずっと上の年代の自分は「バブルの頃は30歳前後だけどブランドものは持ってなかったし海外旅行は貧乏旅行だったよ」と思ったが一つだけ、本は値段を見ずに買ってたことを思い出した。
返信先: さん
自分の身の丈がわかるようになるの、中年を過ぎてからだからね。それまでは身の丈知らずのことをすれば良い。
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