自分が東大に進学することにしたというか受けることにしたのは、実家から通える距離の学費が安い大学で、図書館が充実しているので勉強しやすそう(特に授業とか教育カリキュラムみたいなのには期待していなかったし、入ったあとの先輩・同期・後輩との付き合いみたいなのも、入る時点では特に考えてなかった)、という理由である。
なので、入学後に改めて進学先の学部を選択するというシステムを初めて認識したし、文3だと文学部と教育学部しか行けないと思っていて、最終的に進学することになる教養学部後期課程に行けばずっと駒場だということは入学してしばらくしてから知った(馬術部の先輩に教養学部後期課程の先輩がいて、存在を知った)。入る前から入ったあとのことを考えてあれこれ検討していたら、違う選択をしていたかもしれない(結果的に同じになったかもしれない)。
そして大学に入学するときは大学を出たらよく分からんが新聞社か出版社みたいなところで働きたいなと思っていたが、大学教員になりたいとは思っておらず、就職したら自由に使える時間もなくなるだろうし、と思って、計画的に留年した。大学院に行くと研究しなくてはならないが、学部生で留年すると誰かに何かをしろと言われることはないので、自分で自分の好きなように時間が使えたのはとても満足している(指導教員が決まってからは、ハラハラさせてしまったかなとは思っているが。。。)。特に交換留学でシドニー大学に1年弱行けたのは、その後の人生(観)に大きく影響を与えた(東大には帰国子女の学生もいたりするのと比べると、奨学金を借りて自分でアルバイト代を貯めて学部3年生でようやく行けたのであるが、異国の地で貧乏生活でも生きていけると自信がついた)。
学部生活を満喫しすぎて当初の計画であった留年2年を1年オーバーして、留年を3年してしまったのであるが、その1年がなかったら自然言語処理とは出会っておらず、いましているようなことはできていなかったので、結果的にはよかったかなと思っている。大学院に進学してからは他研究室の複数の先生方から「短期修了しないの?」と言われたが、わざわざ学生でいる特権を手放すことはないので、こちらも当初の予定通り(苦労は多々あったが)5年間修士と博士を堪能した。博士号を取得したら企業に就職するつもりであったが、ありがたいことに色々なご縁があって出身研究室に助教で残り、公募で東京に移り、さらに現職に、という感じで、なんだかんだと大学教員は(学生ほどではないが)自由度が高いので、居心地良く過ごさせてもらっている。
で、文3のクラスの同窓会に(自分としては東京に戻ってきたあたりのタイミングの)35歳くらいのときに出たのであるが、そのとき自分のように大学で働いている人はもっと多いのかと思っていたら、記憶が正しければその時点で大学で働いていたのは30人ほどのクラスで自分を入れて3人で、理系とは違い、そもそも大学院に進学する人数が少ないとはいえ、他大学よりは大学院に行く人が多いであろうし、もっと大学で働く人多いのかと思っていたので、意外であった。まあ、自分も含め、勉強好きな人は多かったけど、それで大学院まで行って大学で職を得たいと思う人はそんなにいないということかなという気もする(自分も学部入学時にやりたかった哲学で大学院に進学した訳ではないし)。
みたいなことを、いま一橋で新しくできたソーシャル・データサイエンス学部・研究科をどうしていくか、という話を他の先生方としたりすると、ときどき思い出す。昨日も「リサーチ・ワークショップ」という外部の講師の方々をお招きしてトークをしていただく授業で計量政治学の話をお聞きしたりして、せっかく大学にいるのだから、こういうふうに色んなトピックを勉強したいんだよね〜、と思ったりしたのであった。いろんな人がいるというのは大学ならではだと思うのだよね。
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