前回からの続きです。
穀物・食物の神
『豊受大神(とようけのおおかみ)』について
みてきました。
この豊受大神に、月神の気配があります。
豊受大神を奥宮
「眞名井神社(まないじんじゃ)」で祀る
・『籠神社(この・こもりじんじゃ)』
(京都府宮津市字大垣430)
公式ホームページでは
『豊受大神』について
産業・衣食住の神様。
月神の一面をお持ちであり、天御中主神と
同神であると伝えられる。
御神徳 五穀豊穣 衣食住守護・諸業繁栄
と記しています。
「丹後国風土記」逸文には
羽衣を隠され、天に帰れなくなった天女こそが
『豊宇賀能売命(とようかのめ)』
すなわち、豊受大神であると伝えます。
豊受大神は天から降りてきたのですね。
古代の月は『水』を司り
その水は、雨、霧、夜露の形で
地上にもたらされ、山を通して
川や湖となり、人びとに豊穣をもたらします。
前述した豊受大神が祀られる
籠神社・奥宮
「眞名井神社(まないじんじゃ)」も
「天の眞名井の水」という
美しい水が湧いています。
「眞名井(まない)」とは、水につく敬称です。
豊受大神は、月神の一面を持ち
水をもたらす。
水はすべての生命の源です。
食物が育つのに、日の光(太陽)は不可欠ですが
水も必要でしょう。
水をもたらす月は、じゅうぶんに
「豊穣の神」たり得るのではないでしょうか。
豊受大神は、古代の月神の神格の一つを
持っていると思います。
(眞名井神社の奥には、巨石~磐座(いわくら)があり
「奥座」には、「熊野大神」。
すなわち「スサノオ」が、祀られています。
スサノオにも「月」の神格が、見え隠れします。
豊受大神が祀られる伊勢神宮・外宮は
摂社など含めて、千木が外削ぎ、鰹木が奇数と
拝殿の形式が、すべて『男神』となっています。)
また、今まで書いてきた通りですが
古代の月は、この『水』をもたらす他に
様々な神格を持っていました。
月の重力は、「満潮」「干潮」
潮の「みちひき」を引き起こし
潮流に大きな影響を与えます。
月相を読むことは海洋民にとって
きわめて重要であり
「海人族」と「月信仰」は
親和性が高いと考えています。
京都市西京区松室山にある
名神大社・松尾大社の境外摂社に
「月読神社(つきよみじんじゃ)」がありますが
この社は、もともと玄界灘の沖にある
長崎県、壱岐島(いきのしま)を拠点とする
海人・壱岐氏の奉祭する月神が
勧請(かんじょう)されたと伝えられます。
※「勧請」とは神仏を分霊して
他の地に移してまつることです。
朝鮮半島と日本の中間にある
壱岐島や対馬は
大陸との交易中継地点という
絶好の立地から
海人族の一大拠点であり
壱岐氏が月神を奉祭することは
「海人族」と「月信仰」の関係性を
物語ると思います。
航海の安全を祈り、月神を祀ったのでは
ないでしょうか。
(以前に、壱岐島から月信仰が発祥したのは
違和感があると書きましたが、これは壱岐氏が
信仰する月神が、山城国(京都)に勧請された
結果だと思います。訂正させて下さい。)
月はこの他にも
・周期的な「満ち欠け」から、太陰暦という『時間』
生活のリズムを提供し
・女性の生理周期と密接な関係を持ち『生殖』を司る
・自身の引力から、『地震』などの天災に影響を与え
・『日蝕』や『月蝕』を引き起こす
月は、古代の人びと深い関係を有し
その月の運行を読むことは、為政者にとって
もっとも大切な『政治的技術』でした。
この月、そして日(太陽)を読む天文技術は
もちろん縄文社会にもあったのでしょうが
本格的な天文技術は、大陸から
もたらされたと、考えるのが妥当では
ないでしょうか。
その技術的起源は、中国で広まった
古代『道教』にあり
その淵源は、自然崇拝や鬼神への信仰にまで
遡ります。「道(タオ)」を説き
不老不死を究極の理想とする道教は
易学や風水、仏教などを吸収し、発展してきました。
そして、道教は日本の陰陽道の
ルーツとなります。
あの「安倍晴明(あべのせいめい)」で有名な
「陰陽道(おんみょうどう)」ですね。
晴明の師、「賀茂忠行(かものただゆき)」は
陰陽宗家としての賀茂家を確立します。
天武天皇の時代
「陰陽寮」が設けられ、国家機関として
占いや天文、暦の作成などを担当し
なんと、明治まで存在していました。
その職掌の一つに、日・月という天文を読み
災害などを予測することがありました。
さて、例によって、長い前置きが
終わりました。
今回は、前回に引き続き
日本の歴史に大きな影響を与えた
漁労・航海、海を生業の場とする人びと
・『海人族(あまぞく)』について
書きたいと思います。
(『賀茂』『鴨』『甘茂』『加毛』などと表記します)
『カモ』族について、書こうと思います。
カモ氏を調べていたら
『少名彦神(スクナヒコノカミ)』
『八咫烏(ヤタガラス)』を調べたくなり
前回から間が空いて、ほぼ月刊の更新と
なってしまいました。
・『熊野本宮大社』八咫烏像
(「八咫(やた)」は「やあた」とも読みます)
毎度、マイペースですいません。
妻には、生暖かく見守るよと
言われています。
でも妻の協力、意見なしには
当ブログはできません。
道教の陰陽のごとく(笑)
おおげさではなく
「陰・陽」「女・男」の視点が
とても大切だと考えています。
先月、仕事の異動も重なり
ドタバタしましたが、また職場が
(「サイトウ」とゆかりが深い(と考えるている))
「都筑(つつき)」の地から、近い場所に
なりました。
片道40km…かなりの遠距離通勤なのですが
きっとこれも縁なのだと
思うことにしています。
今回は、現在書いている
『荒脛巾(アラハバキ)』からは
少しだけ、横路にそれますが
「カモ」氏について、書こうと思います。
ヤマトの成り立ちに、深く関係する
古い氏族であり
(その意味では、完全に無関係とは考えていないのですが)
とても重要な部分なので
頑張って調べてみました。
「カモ」氏には
・女系『神の巫女の系譜』
などの謎があるように感じます。
神代の時代の海洋民であり
古代氏族研究家・宝賀寿男氏は
鴨族は、天孫族の一大系統と書かれます。
(『古代氏族の研究⑱鴨氏・服部氏』)
(少名彦神の後裔諸族)
『女系』については
『海人の姫君』とでも言うのか
神武天皇から数えて、4代までの后の系譜が
気になりました。
それらも書きたいと思います。
・カモ氏と関わる
『三輪』氏、『出雲』族
『少名彦神(スクナヒコノカミ)』について
・天神「カモ」氏の祖
「賀茂建角身命」は
(かもたけつぬみのみこと、かもたけつのみのみこと)
『八咫烏(ヤタガラス)』とされますが
『三嶋溝咋耳神(みしまみぞくいみみのかみ)』
など、様々な別名があるという説について
など、カモ氏はヤマトにごく初期
(紀元前1世紀ころ)に渡来した
巨石・聖水・日神・月星信仰を持つ海洋民
ではなかったか、そのようなことを
書きたいと思います。
・『少名彦神(スクナヒコノカミ)』
しかし、そもそも何故に
『カモ』氏を調べる必要が生じたかというと
以前に
「サイトウ」とは、『済東(サイトウ)』。
「サイトウ」姓のルーツは
古くに「東(ヤマト)」と「大陸」とを
往き来していた『済(わた)りの民』
『済東(サイトウ)』であり
「海洋民」ではないかと、書きましたが
(岩手県水沢町の余目氏に伝えられる
一族の記録『余目旧記』には
『済藤』の表記があります。)
対馬市に、「斎藤」姓は多く
電話帳のランキング上位に、入っています。
(ちなみに対馬で、電話帳に記載されている姓で
最も多いのは、「阿比留(あびる)」です)
対馬美津島町
「鴨居瀬(かもいせ)」に、斎藤の分布があり
海洋民「済東(サイトウ)」を書くにあたり
「カモ」との関連性も考慮する必要があると
感じたからです。
じつは、先祖調査を始めたころに
対馬の「鴨居瀬」での
「斎藤」姓の分布が気になり
「賀茂」といえば、「八咫烏」。
本を買って、読んでみたのですが
当時は、よくわかりませんでした。
ですが今回、「鴨居瀬」を思い出し
あらためて書棚から取り出して
読んでみると
かなり重要な謎を、はらんでいると
感じました。
また、宝賀寿男氏の「古代氏族の研究」
最終巻『鴨氏・服部氏』が
とても参考になり、そして同時に
かなり驚きました。
それらを書きたいと思います。
宝賀寿男の説について、かなり頷ける部分が
ありました。
そして、自分が先祖調査で、群馬県で
じっさいに見聞きした事と
かなりの部分で、つながりました。
私の先祖は、私称ですが
『安房守(あわのかみ)』を名乗っていました。
あくまで、私的な名乗りですので
「播磨守」「筑後守」など
どのような「国名」を冠しても
良いわけなのですが
なぜ数有る国名の中で、『アワ』なのか?
『アワ』とはいったい何なのか?
それが謎でした。
ですが、宝賀寿男氏の説を知り
納得できました。
全国にある
淡島・粟島神社などの総本社は
・『淡嶋神社(あわしまじんじゃ)』で
(和歌山県和歌山市加太116)
祭神は『淡島神(あわしまのかみ)』です。
淡島神の本体について、諸説ありますが
「アワシマ神社」の多くは
「少名彦神(スクナヒコ)」を奉祭しています。
先祖の館近くにあった神社が
『大杉神社』で、本社が
茨城県稲敷市阿波(アバ)にあります。
『あんば様』と呼ばれています。
本社・大杉神社の鎮座地、阿波は
霞ヶ浦が内海だった頃、島状地形を呈し
「安婆嶋(あばしま)」と呼ばれていました。
『アワ』は
「アバ」「ハハ」などに転訛します。
(漢字ではなく、「音」が大切だと考えています)
群馬県藤岡市の字(あざ)・「中(なか)」に
『泡輪神社(あわじんじゃ)』があります。
・『泡輪神社』(群馬県藤岡市中乙234)
祭神 大物主神 天富命(アメトミノミコト)
ちなみに、先ほど対馬の斎藤姓の分布について
触れましたが、藤原叙用が『斎藤の氏神』として
祀った『菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)』のある
石川県加賀市大聖寺には
顕著な斎藤姓の分布はみられません。
・加賀国二ノ宮『菅生石部神社』
(石川県加賀市大聖寺敷地乙ル81)
『国土地理院HP』より やはり海水面を上げています
(神社の背後は「橋立台地」、かつて「島」状地形でした)
菅生石部神社について、また知見を得たので
後々、書きますね。『島』がテーマです。
また、海人族・宗像氏が信仰したのが
世界遺産に指定された、海の正倉院といわれる
「沖ノ島(おきのしま)」です。
「田心姫神(たごりひめのかみ)」が祀られています。
「島」とは神宿る聖域なのですね。)
また『少名彦神』後裔諸族には
カモ氏の「八咫烏」のように
『鳥トーテミズム』
鳥への信仰がみられます。
私の先祖が暮らした、群馬県高崎市の
吉井町~秩父一帯に伝わる民間伝承に
「羊太夫(ひつじだゆう・ようだゆう)」伝説が
あります。
羊太夫は秩父山中で、銅を発見した功績で
多胡(たご・たこ)郡司に任命された
人物とされ、その事跡はユネスコ
世界の記憶に指定された
「多胡碑(たごひ)」に刻まれています。
不可解な理由で、羊太夫は朝廷に討伐され
最後は、配下の「八束脛(やつかはぎ)」と共に
「金のトビ」となって
「池村」に飛び去ったと伝えられます。
池村は、先祖が暮らし名主をつとめた
川内(カワウチ)村の隣、目と鼻の先です。
カモ氏の祖とされる「八咫烏(ヤタガラス)」は
詩人で女性史研究家である、高良留美子氏は
ヤツカハギとは「海民」であり、「月」の信仰をもつといわれます。
群馬県の水上温泉の近く、「月夜野(つきよの)町」に
『八束脛神社』があり、高良氏は地名に「月」が
あることに注目されています。
(2005年、近隣の町と合併し、みなかみ町となり
月夜野町の地名は、消滅しました)
さて、次回から
賀茂氏について、記したいと思います。
「カモ」とは、カモ族
「族」と称されるほど多様な一族があり
大きく分けて、二系統があり
① 山城国(現在の京都府)、葛野(かどの)
② 大和国(現在の奈良県)、葛城(かずらき)
を本拠とする二氏があります。
続きます。