「子を持ちたい同性愛者を支援する」活動をしている「こどまっぷ」と言う団体が炎上している。
団体主催者の「説明」を見る限り「子を持ちたい同性愛者の為に親身になりたい」と言う気持ちは伝わって来るが、その一方で「生まれてくる子」への気遣いは希薄だ。
言うまでも無く「同性愛カップルが子を成す」事は「自然な状態」では「物理的に不可能」である。
そこで「同性愛カップルを男女のカップルにする」為に「ゲイカップルとレズビアンカップルを結び付ける」と言う事になる。
だが、これは「子を設ける事を目的とした便宜的男女カップル」であって、その男女の間に「愛」は存在しない。
つまり「ゲイとレズビアンのカップルで子を設ける」と言う事は「男女の愛を介さず、生物的な雌雄の組み合わせで子を設ける」と言う事に他ならない。
ここが「男女の夫婦」と決定的に異なる所で、男女の場合は「愛」が先にあり、その愛の帰結として「子を授かる」のである。
「親となる同性カップル間には愛がある」と言うかも知れないが、そこに愛があろうとも、その「子」が「愛を介在しない男女が設けた子」である事に変わりは無い。
子に取って「生物的雌雄の組み合わせでしか無い、愛の介在しない男女」から「自らが作られた」と言う「出自の事実」は、決して「軽く受け流せる」物では無い。
自らが「子を持ちたい同性愛カップルの親の為に作られた存在」だと知った時、その子は一体どの様に思うだろうか。
その気持ちは、例え「親である同性愛カップル」であっても、決して100%理解する事は出来ない。
何故なら「自らは両親の『愛』があって生まれた『出自』を持つ」からだ。
如何に「子を持ちたい」と言う「願望」があったとしても、子は「親の持ち物」では無く「一人の独立した人格」である。
その「子」が「自分の根源的な存在理由」である「両親の愛」が「無かった事を知る日」は、必ずやって来る。
「自然に子を持ち得ない同性愛カップル」が「愛を介さず異性と子を設ける」と言う事には、その様な「根本的な倫理の破綻」があると言わざるを得ない。
勿論「それでも子を幸せに出来る」と信じる同性愛カップルが子を持つ事を、法が禁じている訳でも無い現状で止める事は出来ない。
だが、言うまでも無くそれは「その同性愛カップルが『子が自らの出自を知った結果起こる事』を含め全責任を負う」べき事だ。
だが、そこに第三者が介在し「男女の愛を介さず子を設ける事を奨励する」のは、生まれた子への責任の重さを鑑みても「問題が多い」と言わざるを得ない。
子に取っては「自らを産み出した両親の愛」こそが「自分がこの世に存在する理由の根源」である。
勿論、不幸にもその様な「愛を持ち得ずに生まれた子」が「同性愛カップルの子に限らない」事は事実だが「不可抗力でそうなる事」と「選択の結果そうなる事」では全く意味が違う。
多くの人がそれを感じ取っているからこそ、今回の様な「炎上」に繋がった事を、主催者はもっと重く受け止めるべきだ。
一番大切なのは「子を持ちたい同性愛カップルの幸せ」では無く「生まれて来た子の幸せ」である事は、今更言を重ねる事ですら無い。
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