「歴史は繰り返す。」
ドイツの哲学者カール・マルクスはこう残している。
この記事は「BARギコっぽいONLINEで配信したせいで俺の両親が離婚した話」の続きです。ここから先の話はギコっぽいとは一切関係ない自分語りになるので、興味のない人は読まなくていいです。
・許せない気持ち
前回の記事で書いたように、どうしようもない人格破綻者だった俺の元母親だが、それでも俺のたった1人の母親であったことは、認めたくはないが俺が生まれたその時点で決まった事実だ。
もちろん根っからの悪人というわけでもなく、美味しいごはんを作ってくれたり、例え歪んでいたとしても愛情を持って接してくれたことも知っているからこそ、子供の頃の俺は母親を憎みながら、息子として母親を愛していた。それは離婚する前も離婚した後も、縁を切るその時まで変わらなかった。

(この写真は、2005年09月28日に撮影された元母親の料理です。)
(この写真は、2005年09月28日に撮影された元母親の料理です。)
4歳の頃、母親が酒や薬を大量に接種し家の中で暴れたときには「今のママは別の人と心が入れ替わってる。早くいつもの優しいママに戻って。」と治まるまで願い続けていた。離婚をするときだって、どちらに着いていくかの選択を迫られ、毎晩俺は苦悩し泣いていたことを克明に覚えている。2011年03月11日には俺の中学校の卒業式に離婚した後も来てくれて、震災が発生し電車が止まったことで母親は当時住んでいた神奈川に帰れず、例え一晩きりだとしても、かつて住んでいた幕張の実家で3人で朝を迎えられたことがすごく嬉しかった記憶がある。
でも、だからこそ俺はやはり許せなかった。
毎日真面目に粉骨砕身働いていた俺の父親を裏切り、まだ幼かった俺の心を傷つけるばかりか逃れられない業を背負わせ、そして帰る場所である我が家すらも身勝手にぶち壊したことが、本当に許せなかった。
(これは離婚直後の2009年04月30日。母親が出ていって、ガラリと寂しくなった我が家。父はこの写真を撮りながら、何を思っていたのだろうか)
・血の恐ろしさについて
ここで母親についてもう一つ知っておいてほしいことがある。それは、母親自身も毒親育ちだったということだ。
母親は自分の母親から虐待を受け続けて育った。家庭は崩壊し、母方は再婚するもその相手は重度のパチンコ依存症であったので、まともだった父親のほうに育てられて成長したようだった。
その経験から、母親はことあるごとに「私と同じ思いをさせないからね」と俺に言っていた記憶がある。毒親育ち故に、自分は同じ過ちを犯したくないという思いは確かにあったのだろう。
しかし、血に忍び込んだ悪意は世代を越えて無情にもその人生を狂わせるようだ。母親は気高き信念を持っていながら、結局は親を演じ切ることはできずに女として生き、実子を苦しめるという蛮行を犯した。なんと皮肉な話だろうか。
「俺ももし子供ができたら同じことをしてしまうのか?いや、したくない。俺は間違いを犯さない。でも、母親はそう心に決めたのに同じことを繰り返したじゃないか。毒親に育てられた子供は、結局毒親になる運命なのか?だとしたら、俺に子供を残す資格なんてないのではないか?」
そう思った途端に、俺は自分の身体に流れる血が本当に汚らわしく感じ、自らの生まれの不幸を呪った。
・親になるという責任と覚悟
ならば、不幸な子供が生まれてしまわないためにも、このまま血を絶やすべきなのでは?という典型的な反出生主義者の考えが頭をよぎる。
毒親育ちなら一度は辿り着く考えであり一見正しいようにも見えるが、これはとどのつまり思考停止の論理である。
子孫を残し、世代を重ね、種を未来へと繋いでいく。生物は皆そうして歴史を紡ぎ、文明を築いてきたのだ。生まれなければ悲劇は起こらない。それは確かにそうかもしれないが、命を生み出すことへの否定とは、それすなわちこの世に生きとし生けるすべての生物に対する否定そのものなのだ。だからこそ、俺は反出生主義が正しいと今は思えないし、毒親育ちではあるが子供は欲しいと純粋に思う。
いつか子供が生まれ、母親や祖母のような同じ過ちを犯さずに、最後まで親として生き続け、そして子離れの瞬間が訪れたその時こそ、絶望の終わりであり、そして希望の始まりだと信じている。
不幸の連鎖を断ち切ることは本当に難しいことかもしれない。それでも俺は家庭を作り、それを守りたいと願っています。
ギコっぽいのことは一切関係ないのに最後まで読んでくれた物好きの君、ここまで読んでくれて本当にありがとう。
今日はここまでです、お疲れ様でした。
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