「死ね」
このセリフは相手の存在を否定する言葉の中でも最上級の言葉であるが、これを見ているあなたは、誰かにこう言われた経験はあるだろうか。友達とじゃれ合いながらとか、コテや名無しさんから煽りで言われたとかの笑えるものから、上司からのパワハラで言われたなどの笑えないものまで、いろいろあると思う。
残念ながら俺は母親に言われた。そう、生みの親直々に息子である俺に対して言ったのだ。「死ね」と。
・俺の元母親について
「前回も思ったけど話が長いぞ、要点だけ話せ」と思った読者。ここからが本題だから、申し訳ないがお付き合いいただきたい。
俺の元母親はクソだった。ギコっぽいぽいの中にもキチガイやクズはいる(ごめん)が、そんなのが甘く見えるほどのクソである。どれくらいクソかを分かりやすくまとめると以下の通りだ。
ケース01.昼夜問わずに大量の酒を飲み、酔って大声で発狂する。(1995年11月~2009年03月)
ケース02.折り畳みケータイを自分で折り壊したと思ったら野原しんのすけみたいな声で泣き出す。(2002年04月)
ケース03.精神科から渡された薬をODし、呂律が回らないまま意味不明な言葉を叫ぶ。冗談誇張抜きで「あうあうあー」って感じ。(2009年01月)
ケース04.部屋の中で換気扇もつけずにタバコを吸う。そのせいで部屋の壁は黄ばみ、俺も大量の副流煙を吸った。(1995年11月~2009年03月)
ケース05.別の男性と不倫し、父が仕事で家を空けている間に幼い俺の目の前でセックスをする。(時期不明)
ケース06.こげんたちゃんのグロ画像を見せて「こげんたちゃんがこんな殺され方するなんて許せない!」と泣き叫ぶ。(2002年05月)
(知らない人のために大まかな概要を書くと、こげんたちゃんは2002年05月に発生した福岡猫虐待事件で殺された猫のことである。犯人は拾ってきた猫を凄惨な方法によって虐待を行い、2ちゃんねるの動物苦手板のスレでその様を実況し、そして最後には殺害した。その亡骸すらも玩具にして弄ぶ犯人の残虐性は波紋を呼び、度重なる通報により犯人は逮捕された。亡くなった猫ことこげんたちゃんは以下の写真に写っている猫である。ちなみに"こげんた"と検索をするとグロ画像が出るので要注意。)
(知らない人のために大まかな概要を書くと、こげんたちゃんは2002年05月に発生した福岡猫虐待事件で殺された猫のことである。犯人は拾ってきた猫を凄惨な方法によって虐待を行い、2ちゃんねるの動物苦手板のスレでその様を実況し、そして最後には殺害した。その亡骸すらも玩具にして弄ぶ犯人の残虐性は波紋を呼び、度重なる通報により犯人は逮捕された。亡くなった猫ことこげんたちゃんは以下の写真に写っている猫である。ちなみに"こげんた"と検索をするとグロ画像が出るので要注意。)
ケース08.サラ金から借金をし、家の電話に借金取りからの電話がかかってくる。(2009年03月)
ケース09.今度はネット上で会った男性と不倫、そして離婚をする旨を父にメールで伝える。(2009年03月)
ケース10.間男が不倫に罪悪感を感じて母親との連絡を断った結果、ミミズが這ったような文字で意味不明な文章を書き、23時から5時くらいまで母親は狂ったように大声で大笑いする。(2009年03月)
ケース11.なんやかんやあって間男は母親と一緒にいることを決意、母親は「私のところに来てください」と俺に土下座。(2009年03月)
ケース12.身勝手な不倫で離婚に至ったことで父方の祖母が「午後ティーくん、お母さん新しい人と一緒になるんだって、よかったねえ」と母親の目の前で嫌味を言った結果、「なんなのアイツ!マジでありえない!」と悪態をつく。
(いや、自業自得だろ…)
ケース13.間男と交際した後に仲が悪くなると「そっちの家に戻ろうかなって思うんだけど」と俺と父に軽い気持ちで言う。(2009年10月)
ケース14.俺が父のほうに残る決断をしても「私はあんたの母親だから」と俺に縁を切られるまで偉そうに言っていた。(2009年04月~2014年11月)
ケース15.俺に縁を切られたときに「死ね」と吐いた。(2014年11月)
思い出そうと思えばまだまだあると思うけど、もうここまで書けば俺の母親がどれだけ極上のクソだったか十二分に理解いただけたかと思う。
クソなんてもんじゃない。メンヘラでクズでゴミでカスでゲロでキチガイで身勝手で生きてる価値もなくて、常にポコチンがなければ生きていけない寄生虫の女。それが俺の元母親だった。
・我が家の離婚とBARギコっぽいONLINEの因果関係について
この記事を見ている君はきっとこれを一番知りたいのだろう。ならば四の五の言う必要はない、今からその因果関係を述べさせていただく。
上記のクソ行動一覧をご覧になれば分かるが、その中にネットで出会った男性との不倫が挙げられている。「まさかその男性こそギコっぽいの住民だったのか!?」と思った人もいると思うけど、別にそうではない。なぜなら母親自身はBARギコっぽいONLINEを知ってはいるがログインしたことはないからだ。じゃあどこで知り合ったのか?
その答えは、2ちゃんねるのオカルト板にあったネットラジオスレだった。
簡単にその場所の概要を説明すると、2000年代から2010年代初頭辺りまでに流行っていたネットラジオを用いて、住人の間で怖い話や怪談朗読をしようという者が集まっていた場所だったのだ。今のギコっぽいぽいと同じくらいか、少し狭いくらいの規模の界隈である。小規模ながらもオフ会は頻繁に開催していたようであり、今のギコっぽいぽいよりもアクティブな界隈だったらしい。
名前は伏せさせていただくが、俺の母親はそこで「S」という名前で2006年から活動し、演出や朗読術に長けている人気DJとして君臨していたようだ。だらだらとフリートークやイベント配信を行っている俺とは違い、破天荒なトークと他を凌駕する演出力が魅力的なカリスマDJ、それがSというラジオDJだったらしい。実際の放送中の肉声もパソコンにあるので、いつかその機会が来ればみんなに聞いてほしい。
(ギコっぽいぽいと違って、そこのラジオ放送は録音も外部公開もOKな感じだったので、特に問題はないと判断するが、ここで半永久的に残る形で残すのはNGと判断しました。)
(ギコっぽいぽいと違って、そこのラジオ放送は録音も外部公開もOKな感じだったので、特に問題はないと判断するが、ここで半永久的に残る形で残すのはNGと判断しました。)
そして俺の母親、Sはそこで「P」という名前の男性と不貞行為に走り、俺の家庭はバラバラになったのだった。
そのPという男、実際に何度か会ったことはあるが、決してイケメンではないし身長は低め、声は男性としての雄々しさを感じさせる低音ボイスとは正反対の甲高い声だった。おまけに喋る時は早口。俺の母親と会うまでは実際童貞だったらしいし、はっきり言ってモテなさそうな男だった。ただひとつだけ、職業は大学の教授であり、博士号を取得しているというところが挙げられる。ここは素直にすごい。
さて、ここで前回の記事「俺がギコっぽいぽいにいる理由」をご覧になった人は、俺が子供の頃にBARギコっぽいONLINEで初めて配信をした過去の部分を思い出してほしい。すみません長くてその部分飛ばしましたって無礼者のためにも、該当する場所を抜粋して下に書く。
そして時は2005年7月。またBARギコONLINEが復活していないか調べた俺は1つのサイトを見つけた。それが「BARギコっぽいONLINE」だった。(略)「マイクも揃った!これで僕もあの人のように人気配信者になれるぞ!今こそ出陣の刻!」と言わんばかりに意気揚々と配信を開始。(略)アホみたいなマイクを使っているから何を喋っているのかも分からない、音量は最大にしてもWindows側でブーストを使っても小さすぎる、聞き取れるほど大声で喋っても今度は声から子供であることを看破され、(当たり前で自業自得だけど)叩きのログしか出ない。俺が憧れていた人の配信とは雲泥の差。「僕が子供だから?だからあの人みたいな配信ができないのか?」とただただ無力感に苛まれた。
この一連の流れ、実は後ろで母親は見ていたのである。俺がギコっぽいで配信をしている光景を見て、配信というものに興味を持ったのだ。
…そう、察しのいい読者がいればもうお気づきだろう。母親は俺の配信している姿を見て、配信そのものに興味を持ち始め、そしてハマっていたオカルト板にて、自身の声をストリームする場を探し、そして辿り着いてしまった。そこがネットラジオのスレだったのだ。そもそも俺がギコっぽいを見つけなければ、母親は先述のネットラジオに興味すら持たなかったはずなのだ。
つまりは直接的な原因ではないにしろ、我が家の離婚の原因は、原因の原因まで突き詰めると俺であり、そしてギコっぽいと言っても過言ではないということになってしまう。
だからこそ、俺はギコっぽいに対して複雑な思いを抱かずにいられない。
この場所は俺からすれば、始まりの場所でもあり、思い出の場所でもあり、そして我が家の運命を狂わせた呪いの場所なのだ。そんな場所で今日も俺は活動しているとは、なんとも奇妙な運命である。
もっと元母親のことについて書くつもりだったのだが、あまりにもギコっぽいとは関係ない方向へ脱線してしまったので、この記事では省略することにした。次の記事でだらだらと書くので、見たい人だけ見てください。
長々と読んでいただき、ありがとうございました。
長々と読んでいただき、ありがとうございました。
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