「あの頃に戻りたい」
そう俺が人生の中で初めて思ったのは、2006年の4月。小学5年生の春頃。
「小学生の癖にそんなくたびれた大人みたいなことを思うなんて何があった?」と思う人もいるだろうが、理由は「クラス替えで仲が良かった友人達と離れ離れになってしまったから」というものすごく些細なことで、口にした言葉に似つかわしくないほど、くだらない理由だった。
何だよそんなことか大げさな、と大人からしてみれば誰もが思うかもしれない。実際俺自身も今はそう思う。
しかし、当時の俺からしたら大げさでもくだらなくもない、真面目な理由だったのだ。登校中も、授業中も、下校中も、いつも思うことは1つだけ。「4年生の頃は楽しかったな、戻りたいな」。
そう思えば思うほど、何もかもがつまらなくなった。
学校だけじゃない、当時親から禁止されても目を盗んでハマっていたインターネットも、春から新しく始まったアニメやドラマも。
まるで別世界に来てしまったのではないかと錯覚するほど世界がつまらなくなり、過去が恋しくなった。
その頃から、過去を過剰に美化して戻りたいと耽ってしまう俺の悪癖が始まった。
あの時ああしていれば、この時こうしていれば、目が覚めたら俺は過去に戻っていないだろうか。考えるのはそんなことばかり。「昨日に戻れないのなら今日を精一杯楽しめばいい」と思って楽しい思い出を作っても、今度は「楽しかったから戻りたい」と思ってしまう。
筋金入りの懐古厨となった俺だが、時計の針は戻ることも止まることもなく、ただひたすらに進んでいき、そして俺は大人になった。
・BARギコONLINE
「で、結局これがお前のギコっぽいぽいにいる理由と何の関係がある?話が長いぞ」と思った読者。もっともな意見だ。安心して読んでほしい、ここからが本題だ。
俺がギコっぽいぽいに来る十数年前、2004年12月にBARギコONLINE(以下、本家)というサイトに辿り着いた過去がある。
どのように辿り着いたかも今も鮮明に覚えている。
当時、仮面ライダー剣というヒーロー番組において演者の壊滅的な滑舌と演技によって「オンドゥルルラギッタンディスカー!!」という空耳が生まれた。
当時、仮面ライダー剣というヒーロー番組において演者の壊滅的な滑舌と演技によって「オンドゥルルラギッタンディスカー!!」という空耳が生まれた。
リアルタイムで見ていた俺はその頃ネットをやっていたこともあり、オンドゥル語としてネットミーム化していたことも知っていた。俺の父や当時まだ離婚していなかった母も、仮面ライダー剣を見ていたこともあってそれにハマり、俺もオンドゥルのFLASHを見漁っていた。
「それと本家になんの関係がある?いいかげんにくどいぞ」と思った?うるさい、ここからだ。
オンドゥルネタにハマった俺はある日、そのネタの作品を保管するアップローダー「オンドゥルアップローダー」を見ていた。
その中にある画像を見つけた。バーのような部屋で2匹のギコ猫が「オレァクサムヲムッコロス」や「ウェ━━━━━(0w0)━━━━━イ!!」という吹き出しを出している画像だ。
俺はその画像に衝撃をウケた。「なんかゲームみたいで楽しそう!僕もここに行きたい!」と思い、その画像タイトル「gikobar_02.gif」からGoogleで検索をかけ、そしてBARギコONLINEに辿り着いたのだ。この日から俺の2chアバターチャットサイトの人生が始まった。
辿り着いた先には仮想の街があり、噴水広場があり、10階建てのバーがあり、そして吉野家もあった。
ポケモンのルビサファのようなRPGを彷彿とさせるが、存在する人(というかギコ猫)は決してNPCではなく生身の人間。すべてが新鮮で、無我夢中でマップを駆け回り、いろんな人に話しかけては会話を弾ませたり、無視されたりしていた。
しかし、その本家はわずか1年足らずで稼働を終了した。サーバーの問題でとか色々聞いたけど今でもよく分からない。定期的に復活してないか調べたがいつまで経っても復活せず、機動戦士ガンダムSEED DESTINYやツバサクロニクルを見たりしてダラダラと過ごしていた。
・BARギコっぽいONLINE
そして時は2005年7月。またBARギコONLINEが復活していないか調べた俺は1つのサイトを見つけた。それが「BARギコっぽいONLINE」だった。
16歳未満は一般へのログインを禁ずる旨の文言があり、当時俺は9歳だったがエロサイトへの接続時に18歳以上と騙りまくっていた俺はノータイムで一般へログインした。
ログインした俺は少しガッカリしていた、本家にあったような10階建てのバーも噴水広場も吉野家もなく、まったく違う真新しい街があったからだ。
しかし1つだけ俺の目を引く、配信という要素があった。
誰がやっていたかはもう覚えてないけど、まったく知らない人の声が聞こえてくる、まったく知らない人の顔が見える。その人の話している話を、その部屋にいる人達は楽しそうに聞いている。幼かった俺の目には、その配信者がとってもかっこいい存在に見えた。
すぐさま俺は別の部屋で配信を始めた。マイクがないからとりあえず音楽配信をした。流す音楽は仮面ライダー剣のBGMだった。それがこの音楽、「疾風!Aの3カード!」だった。
なんで俺がこの音楽を選んだのか?それは前述のアップローダーに違法で上げられていたものを知らず知らずのうちに違法ダウンロードしていたからだった…。
当然ながら淡々と音楽を流すだけの配信にはログを残してくれる人も集まってくれない、あの人のようにカリスマ性溢れる配信もできない。
俺は幼いなりに苦悩した。「なぜ?なにが悪い?あの人にあって僕に足りないものはなんなんだ?誰か教えてくれ」と。その答えは自分自身でもすぐに分かった。トーク配信じゃないから人が集まらない。それ以外になかった。
ならばと思い、父親に「うちにマイクってないの?」とねだり、1本のマイクを受け取った。
今俺が使っているYeti Xなどとは比べ物にならない、最低限の通話さえできればいいクソしょぼいマイクだった。だが、「これなら!」と思いパソコンに備え付けられているピンク色の穴にマイクのジャックを差してみた。
「マイクも揃った!これで僕もあの人のように人気配信者になれるぞ!今こそ出陣の刻!」と言わんばかりに意気揚々と配信を開始。
トークも弾み、ログ職人の名無しさんもどこからともなく集まり、リスナー数はうなぎ登りのめっちゃんこすごい配信ができる神配信者が誕生したのだ。
…なんてことになるはずもなく、むしろ結果は散々なものだった。
アホみたいなマイクを使っているから何を喋っているのかも分からない、音量は最大にしてもWindows側でブーストを使っても小さすぎる、
聞き取れるほど大声で喋っても今度は声から子供であることを看破され、(当たり前で自業自得だけど)叩きのログしか出ない。
俺が憧れていた人の配信とは雲泥の差。「僕が子供だから?だからあの人みたいな配信ができないのか?」とただただ無力感に苛まれた。
大人と子供、その絶対的な壁。今すぐ何をしたところで越えられるはずもない力の差。
だがしかし、幼い俺の頭でも気づいたことがあった。それは自分の本当の敵は大人ではなく、時間であるということだった。
俺が憧れたあの配信者は少なくとも20歳は越えていた。人生の厚みを感じるオーラ、落ち着いた低い声、圧巻するトーク力。それらは子供では持ち得ない物である。
「僕も大人になれば、あの人みたいになれるのかな。今は9歳だけど、十数年も経てば僕もあんな風になれる?」
俺は悔しかった。待つことしかできない、生き続けることしかできない。十数年と立ち塞がる時間の壁が、幼い俺には途方もないものに感じた。
それでもその失望感を理性的に片付けられるほど子供というのは利口なものではない。文字通り駄々をこねる子供みたいに俺は一般で荒らし行為を行ったのだ。汚いログを連投したり、配信パネルを乗っ取ったり、とにかく思いつく迷惑行為はなんでもやった。
「荒らし行為をするなんてバカな子だね」と思うか?もちろん、何も言い返しできない。当時の俺は本当にバカな子だったのだ。
だが、当時の俺が荒らしをやっていた理由は、子供である自分自身に失望したからというのもあるが、もう1つ大きな理由があった。それは「大人達の仲間に入れてほしい」という寂しさの裏返しだったのだ。正当化するつもりは毛頭ないが、悪意が根源ではなかったのだ。
荒らしや煽りに一番効くのはなんだ?それは古今東西いつの日も、無視。それが最適解だ。
当然俺の荒らし行為も一貫して無視された。受け入れてくれる物好きな大人(ゆきおさん)もいたが、少しするとやがて離れていき、俺は居場所を求めて彷徨い、やがてそのサイトから消えた。
当然俺の荒らし行為も一貫して無視された。受け入れてくれる物好きな大人(ゆきおさん)もいたが、少しするとやがて離れていき、俺は居場所を求めて彷徨い、やがてそのサイトから消えた。
それからは俺自身の人生が激動だったのもあり、BARギコっぽいONLINEというサイトの存在は次第に俺の頭の中から薄れていった。
時は2012年11月。ようやく16歳になった俺だったが、インターネット自体も時代と共に変化し、当時のアングラ感が漂っていた空気が変わったため、BARギコっぽいONLINEのような2chアバターチャットサイトから人も離れていき、もう俺が憧れた場所もなければ、人もいなかった。
幼き日の夢は成長して大人になるにつれ、時代の流れとともにどこかへ行ってしまったのだ。
しかし、俺はやっぱり思っていた。「昔は良かった。あの頃のインターネットは面白かった。あの頃のネットに今の俺がいて、人気者になったらきっとあの人のような配信ができたはずだ」と。
そんなことを思っても時は戻らない、あの頃のインターネットは帰ってこない。そんなことは分かっていた、だからこそもう俺も忘れようとしていた。
・ギコっぽいぽい
時は2021年8月。俺は大人になっていた。ミルクという彼女もできて、一流企業に就職して、新築の一軒家に引っ越すなど、決して自慢をするつもりはないけど男として得たいものは得ている自信があった。
それでも愚かな俺はやっぱり、失った過去に対する執着は持ち続けていた。YouTubeで昔のアニメCM集を見たり、FLASHゲームを遊んだり、PS2のゲームで遊んだりして、あの頃に戻った気になっていることが日課だった。
そんな時だ。Adobe Flash Playerがサポートを終了してBARギコっぽいONLINEが閉鎖し、昔の画像でも漁ってみようかと検索してみたときだった。「ギコっぽいぽい」という見慣れないサイトが確かにそこに存在していた。試しにアクセスしてみると、驚いたことに人がいるではないか。
それも過疎というレベルではなく、総数で100人は越えている。目を疑った、この時代にギコっぽいを模したサイトに100人もいる?
俺もハンドルネームを付けようと思い、少しだけ考えた。ちょうど机の上に午後の紅茶 レモンティーの空きペットボトルが転がっていたので、「午後ティーマン」と名付けた。そう、それまでは「モコナ」とか「さぬ」という名前だったのだが、心機一転のために新しく名前を考えたのだ。
それから俺はギコっぽいぽいで活動を始めた。最初は配信を見に行ってログで会話するだけだったが、持っていたSkype用のマイクで配信を始めてみた。どうせならと俺は愛用のスマートフォンをWebカメラとして使用することができるアプリで、黒いマスクをして顔出し配信も同時にチャレンジした。
俺は感動した。まるであの時のあの人みたいに配信ができる。声をかっこいいって言ってくれる!(マスクしてるけど)イケメンって言ってくれる!
嬉しくなって口も回ってきたので、トークも弾んだ。俺の話を楽しそうにみんな聞いてくれる!すげー!まるで昔に戻ってやり直してるみたいだ!
今まで16年ほど自分の中で燻っていた何かが、燃え尽きることを求めていた燃えカスが、すべて燃え上がった。
その時思った。俺はここにいたい。ここにいれば、過去にいながら今を生きることができる。
決して人が多いサイトではないけど、逆にそこがあの時感じたアングラ感を感じることができる。ならなおさらここにいたい。
俺は確かに希望を感じていた。昔できなかったことを、今ここでやりたいという意欲に湧いていたのだ。
・そして今
あれから3年経った2024年4月の今、俺はイベント企画者としてここにいます。
クオリティの高いイベントができてるなんて思わないし、目立ってしまったがゆえにアンチが生まれて煽りや荒らしが湧くこともある。力が及ばないこともある。軽率な行動や言動が原因で軋轢を生むこともある。俺が頑張っても過疎化の歯止めをかけられているとは思えない。
それでも俺はここを守りたいと思いました。楽しいことがないなら作ってしまえばいい、俺は俺のできることをやるだけだと。
嫌な奴やくだらないことをする奴もいるけど、一緒にいたいと思う人達もそれ以上にたくさんいるし、応援してくれるのは本当に励みになる。
だからこそ俺は、「今が一番幸せだ」と言えるようになった。もっとみんなと、楽しい時間を一緒に過ごせたらいいなと思っています。
だからこそ俺は、「今が一番幸せだ」と言えるようになった。もっとみんなと、楽しい時間を一緒に過ごせたらいいなと思っています。
長々と読んでいただき、ありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (1)
今後の御活躍も祈念しております。
gogoteaman
が
しました