16 白狼の巣③
幻影は決して無秩序で無敵の化物ではない。
宝具が、世界のどこかに記憶された『かつて存在していたアイテム』をベースに生み出されているように、幻影もまたこれまでに存在した『生き物』をベースに生み出される。
それは聳える巨体、振り下ろされる刃もまた、いつかどこかで存在していたものだということだ。
頭上から振り下ろされる白刃をギルベルトが両手に握った大剣で受け止める。込められた凄まじい膂力に腕がきしみ、膝が砕けそうになるのをぎりぎりで耐える。
ウルフナイト――武器持ちの狼人間を便宜上そう呼ぶことにした――は武器こそ違えど、皆、恐るべき力と耐久力、そして巨体からは信じられない軽い身のこなしを誇っていた。
まだ戦ったのは数体だが、その膂力は力自慢のギルベルトを越え、その素早さは身軽さに自信を持っていたルーダに匹敵する。
そして、その体力や耐久力は人間であるティノ達よりも遥かに高い。
獣の腕から繰り出される攻撃はまともに受ければ重傷必至の物であり、ティノはともかく、普段ある程度余裕を持って戦える宝物殿にのみ潜っているギルベルトやルーダ達にとっては数段格上の相手だ。
正真正銘の難敵だが、しかし、幸いなことに唯一ティノ達が勝っている点があった。
それは――チームワーク。
ギルベルトが刃を押さえているその隙に、グレッグが大きく踏み込みその長剣を持って、剣を振るうその腕の関節部――手甲と腕甲の隙間を貫く。
一瞬力が緩んだ瞬間、ギルベルトは凄まじい力で上から押さえつけられた大剣を左に逸らした。
切れ味にぶそうな大ぶりの刃がギルベルトのすぐその隣に落ちる。ウルフナイトが唸り声をあげ、殺意に濡れた眼でギルベルトとグレッグを見下ろす。
そして、その巨体が目を見開いたままぐらりと崩れ落ちた。
後ろから忍び寄ったティノが、天井近くまで飛び上がり、後ろからその首に刃を入れたのだ。
両手に握った赤黒い剣身のショートソードは、『白狼の巣』に入って倒したウルフナイトが幸運にも死後に残した物。
体重をかけるように放たれた刃はその分厚い毛皮を、筋肉を、骨を切り裂き、首に半ば食い込む。
首の切断こそできなかったものの、致命傷を受けたウルフナイトは悲鳴すらあげず、空気中に溶けるように消える。
ティノが足音を立てずに着地する。
ギルベルトはしばらくそれを見下ろしていたが、やがて安心したように肩で息をついた。
その表情には軽い疲労が滲んでいた。
「はぁ、はぁ……やったか」
「本当に、割に合わねえ依頼だ」
グレッグが手に残る分厚い毛皮を穿った感触に眉を顰める。
金属装甲よりはマシだが、ウルフナイトの体毛はかなり硬く、全力を出さなければ致命傷を与えるのは難しいだろう。
巣の内部はティノの予想通り、ウルフナイトの大きさにあっていなかった。
特に天井はウルフナイトの身の丈ぎりぎりだ。
一番初めに奇襲を受けた時のように頭上を取られる恐れこそなかったが、薄暗く狭い空間で大型の魔獣と相対するという緊張感がじわじわとパーティの気力を削っていった。
拾ったばかりの武器で、一撃で急所を貫いてみせたティノが表情を変えずに言う。
「やはり、四人でかかれば倒すのは難しくない。どれだけ強くても相手には協力という概念がない」
それは、今回のウルフナイトの最も大きな弱点であり付け入る隙だった。
個々の力が強くても、コンビネーションがまるで存在しないのだ。
仲間が死にかけていても目の前の敵を優先して助けたりはしないし、例えば複数体のウルフナイトが存在していたとしても、一番余裕のあるティノが一体以外を遠く引きつけ、残りの三人で一体のウルフナイトを攻撃するという戦法が成り立つ。
もちろんそれはそれで危険だが、この周り全てが強敵に囲まれた状況では有効な戦術と言えた。
「武器も手に入ったし」
「もう一本落ちればいいんだがな」
ティノは素手での攻撃を得意とするが、さすがにウルフナイトを相手にすると分が悪い。
普段も短剣を持ち歩いてはいるが、あくまでサブウェポンだ。うまく突き刺せば一撃でウルフナイトを倒せる武器が手に入ったのは僥倖だった。
終始、周囲への警戒と隙を窺うに終わったルーダがほっと一息つく。
緊張や疲労はともかくとして、宝物殿の探索は順調だった。
盗賊
ウルフナイトは単体で行動していることが多いようで、縦横無尽に奔る巣穴の中、それを避けながら進むのは難しくなかったし、戦うことになっても即席のコンビネーションでなんとかなっている。
曲りなりにも足跡の会場で大言を吐いたギルベルトの力はそこそこ高く、グレッグは経験が豊富なだけあって、人に合わせるのがうまかった。動きを止めればティノがトドメをさせる。
また、逆にティノが目を引けばその隙をギルベルト達がつける。
ルーダは目立った活躍こそないが、別にそれは弱いからではない。ティノが盗賊
一人でも大きな傷を負えば問題になっていたが、今のところなんとか凌げている。
全てが計算され尽くしていた。
もしかしたら武器のドロップすら予想していたのではないだろうか。そんな誰かに聞かれたら笑われるような考えすら浮かんでしまう。
「やはりマスターは正しい。マスターは神」
「……お、おう。そうだな」
自分に言い聞かせるかのように呟くティノに、グレッグが引きつった表情を向けた。
クランマスターやパーティリーダーは元々カリスマがあるものだが、ティノの持つそのマスターに対する信頼は度が過ぎているように見える。
何より、グレッグが見た限りではクライにカリスマを感じない。
長年のハンターとしての活動で見る目はあるつもりだが、強力なハンターが持つような引きつけられるような何かが全く見えないのだ。
メンバー募集の会場でクライの正体を知った時には何の冗談かと思った。
千変万化だと知った今でも信じられないし、全て計算通りだと説明された今でも何かの間違いじゃないかと思える。
コネでレベル8になったとでも言われた方がまだ納得出来るが、こうして優秀なハンターであるティノの口ぶりからは純粋な信頼が見えた。
ハント中にパーティ内で不和を起こすつもりはない。色々言いたいことはあったが後回しにする。
生きて帰れたら確認する機会はできるだろう。今すべきことは何としてでもこの異常な様相を見せる宝物殿から生き残ることだ。
長剣を腰の鞘に納めるグレッグに、ティノが一度その肩を震わせ、深刻そうな声で言った。
「でも、まだこれから何かあるはず。マスターのいつもの試練はこんなものじゃない……」
「……はぁ? 何言ってんだ、お前」
ギルベルトが呆れたような声でグレッグの内心を代弁する。
今の状況でも並のハンターならば間違いなく逃走を選ぶ。
情報がない宝物殿ならばともかく、出現する幻影が割り出せている宝物殿で予想外の出来事が起こるということは非常事態の発生を意味しているからだ。
ルーダにもグレッグにも、そしてギルベルトにも、今以上の試練というのは想像できない。
「……とりあえず、慎重に奥に進む。入り口付近には気配はなかった。死体もなかった。救助対象は奥にいるはず」
§
全身にのしかかる疲労とは裏腹に、ギルベルト・ブッシュの精神は研ぎ澄まされていた。
戦場のぴりぴりとした空気。すえた臭い。現れる見たこともない強力な『幻影
「もうお前とはやってられない。ついていけないんだ。俺はパーティから抜ける」
ギルベルトがパーティから抜けるその前日にメンバーの青年から掛けられた言葉を思い出す。
ギルベルトよりも三つ程年上の青年だった。ギルベルトがこの街に来てからずっとパーティを共にしていた青年で、しかしその実力はギルベルトよりも一回り以上、下だった。
努力をしていたのは知っていたが差は広がるばかり。
その通達を受け、そして他のパーティメンバーもギルベルトの顔色を窺いながら同じように抜けることを宣言した時にはその言葉を激しく恨んだものだが、こうして力量以上の宝物殿に潜入している今ではその気持ちも少しだけわかる。
彼らも悩んでいて、そして自分ももっとメンバーの気持ちを考えるべきだった、と。
だがそれ以上に、自分と同等以上の力を持つパーティメンバーとの共闘はギルベルトを高揚させた。
帝都を訪れてからずっと一つのパーティに所属していた。時折臨時でメンバーを加えることはあっても、基本的にギルベルトが共に戦った仲間は皆、ギルベルトよりも下の実力しかなかった。
だが、今は違う。
共に戦える仲間がいる。
グレッグの剣は一撃の重さこそギルベルトよりも下だったが、鎧の隙間をつけるほどにテクニカルで手数も多かったし、ティノの奇襲――ウルフナイトの首元を狙う跳躍と躊躇いのない正確な一撃は見事という他ない。
ルーダも武器が貧弱でウルフナイトに致命傷を与えることこそなかったが、索敵から牽制まで一通りこなして見せた。
一人で相対するのが難しいウルフナイトという強敵に一丸となって戦う。
久しくなかった感覚がギルベルトの血潮を熱く燃やし、まるで新しい燃料が入ったかのように、疲労が蓄積し重いはずの剣を容易く振るわせる。
宝物殿に入ってから数時間。未だ動きの衰えないギルベルトに、グレッグが呆れたように言う。
「おいおい、調子良さそうだな」
「ふん。ようやく、調子がでてきたんだよ」
初めは受けるのがやっとだったはずのウルフナイトの刃が、徐々に押し返せるようになっていた。
決して最初に手を抜いていたわけではない。だが精神的なものか肉体的なものかはさておき、それは目に見えてわかる成長だった。
また一体。ウルフナイトが倒れる音を聞きながら、ギルベルトが息を切らせる。
たった一つ不満があるとするのならばそれは――
「はあぁっ……これで、煉獄剣の魔力
手の中の煉獄剣を見下ろし、ため息をつく。
煉獄剣は今、宝具としての力を失っていた。魔力を込めようにも、ギルベルトの魔力量では負担が大きすぎる。それは他のメンバーでも同様だ。
煉獄剣の力を発揮できたのならば、もっとウルフナイトを簡単に倒せたはずだ。千変万化のような真似は不可能でも、炎を纏わせウルフナイトの剣を焼き切ることくらいならできた。
探索も円滑に進んだはずだ。
残念そうな声を漏らすギルベルトに、ティノが呆れたように言う。
「ギルベルトに宝具はまだ早い。宝具に頼れば腕が錆びつく。だから私もまだ持っていない」
「……お前、まだ宝具を持ってなかったのか」
小さなリーダーから掛けられる偉そうな言葉にももう慣れた。
怒ることなく、その予想外の言葉にギルベルトが目を丸くする。
そう言えば、ティノが宝具を使っている様子はなかった。
物はともかく、レベル4に認定されるくらいに宝物殿を探索していれば宝具の一つや二つ見つけているはずだ。ましてや大きなクランに入っているのだから、仲間から譲り受けることも可能だろう。
不思議そうな表情をするギルベルトに、ティノが腕をぱんぱんと叩きながら続ける。
「宝具はあくまで切り札。普段の戦闘で使うべきではないし、使わなければ勝てない敵と戦うべきではない。マスターからの今回の依頼はそれをお前に教えるという意図もあるはず。間違いない。ある。嫌がらせで煉獄剣の魔力
「……とんだおせっかいだ」
信じられない話だ。だが、ティノが宝具を使っていないという情報がその言葉の信憑性を増す。
確かに、宝具なしでの腕試しでギルベルトはティノに手も足も出なかったのだ。
眉を顰め、改めて煉獄剣を見下ろすギルベルトにティノが付け足した。
「だから、私が宝物殿で発見した宝具は、お姉さまを通じてマスターに渡される。マスターが宝具の性能を調べて良い物だったらアイスに連れて行ってくれる。つまりマスターは神」
「……それ都合よく搾取されてるだけなんじゃねーか?」
グレッグがぴくぴくと瞼を痙攣させながらティノを見ている。
「そんなことはない。マスターは甘い物が苦手なのに付き合ってくれる。つまりマスターは神」
ギルベルトもどちらかと言うとグレッグの意見に賛成だったが、真面目な表情のティノを見て口を挟む気にはなれなかった。