15 マスターの流儀
『白狼の巣』は洞窟型の宝物殿だ。
元々シルバームーンは高度な知能と社会性を持つ魔物であり、大規模な群れを構築し、一つの巣穴を掘って共に暮らす習性があった。
最盛期は千匹以上の巨大な群れだったという、シルバームーンの巣はまるで蟻の巣のように縦横無尽に奔っており、その面積は小規模な村ほどにも達するという。
そして、その巣はシルバームーン達が絶滅し、宝物殿となった今でも、ほとんど元の形を保っていた。
ぽっかりと地面に開けられた巨大な宝物殿の入り口。それを茂みの影から観察しながら、ティノがため息をついた。
元々、魔獣の巣だったころも、巣穴の入り口には警戒のため常時複数体のシルバームーンがうろついていたという。
だが、今うろついているのは真紅の毛皮をした狼人間だった。十メートル以上離れた場所からでも感じる熱い吐息に獣臭。爛々とした瞳のみが闇の中、酷く目立つ。
その手に握られた抜き身の刃が夜空に輝く朧月の光を反射し鈍く輝いていた。
「おい、剣だけじゃない。弓や火器持ってる奴もいるぞ」
「くそっ、あの個体だけ強いわけじゃねえみたいだな。マナ・マテリアルが過剰供給された? このあたりで何かあったのか?」
声を顰めるギルベルトに、グレッグが眉を寄せてその幻影を観察した。
世界に満ちるマナ・マテリアルが溜まり、一定以上の濃度になった時、宝物殿や幻影が生み出される。
が、更に何らかの理由でその濃度がより高まった時、幻影や宝物殿はそのマナ・マテリアルを取り込み、更に一段レベルの高い存在に昇華される。
ハンターたちの間で『進化』と呼ばれ恐れられるイレギュラーな現象だった。
進化は滅多に起こることではない。
マナ・マテリアルは普段、世界を縦横無尽に奔る地脈に沿って循環する形で動いている。
常に流れがあるのでそれぞれの場所で蓄積するマナ・マテリアルには限度という物が存在する。
一般的に、進化などが発生するのは地脈の変動や環境変化など外的要因でマナ・マテリアルの時間辺りの濃度上昇量が上がった場合のみだとされていた。
周囲の宝物殿によって高い国力を得ているゼブルディア帝国は地脈の変動に敏感だ。
そんな兆候があったらハンター達に知らされているはずである。環境が変化したといった情報も聞いていない。
だが、こうして目の前に想定よりも一段ランクの高い幻影が何体もうろついている以上、文句を言っても仕方がない。
ティノが呼吸を整え、冷静に戦力を分析する。
幻影の大きさは想定していたレッドムーンより二回り大きい。
また、四足歩行のはずのレッドムーンと比較し、目の前の狼人間は二本の足で立っている。体高で言うのならば、レッドムーンの倍以上大きいだろう。
「元々、巣はシルバームーンの大きさを基準に作られてる。あの大きさなら、巣の中での動きは制限されるはず。飛んだり跳ねたりは出来ない……と思う」
「広い場所で戦うよりはさっさと中に入ったほうがいいってことか……でも俺、遠距離攻撃の手段持ってないけど……」
巣穴の外には五体の狼人間がたむろしていた。
全身を頑丈そうな鎧で覆っている点は変わらないが、武装が違う。
剣が三体、弓が一体、そして見覚えのない長い銃身の火器が一体。配置と狼人間の数からして、気づかれずに穴の中に入るのは不可能だ。
挟み撃ちされる可能性を考慮すると、連中を無視して穴に飛び込むのはやめたほうがいい。
「救助対象は中にいるのか? こんな明らかにヤバそうな宝物殿に入ったのか?」
「……宝物殿が進化したなら、見つかる宝具も期待できる」
宝物殿と幻影、そして宝具の顕現は同じ仕組みだ。
マナ・マテリアルが濃ければ濃いほど現れる宝具の力も強い。
また、人気がないというのも重要な要素だ。宝具の入手は早い者勝ちなのだから。
「遠距離攻撃手段を持っている人いる?」
振り返り投げかけられたティノの言葉に、グレッグとルーダが顔を見合わせる。
この場合の遠距離攻撃と言うのは、あの鎧で身を固めた狼人間に多少なりともダメージを与えられる手段のことだ。
例えばルーダは短剣を投げることもできるが、鎧と、そして分厚い毛皮を持つ狼人間に対して有効な攻撃を繰り出すことはできない。
黙り込む二人を見て、改めてティノはパーティのバランスの悪さを実感した。
普通のパーティだったら、こういった時のために遠距離攻撃を得意とするメンバーを最低一人、入れているのが常識である。
ギルベルトが背負った煉獄剣を両手で握り、腰を僅かに上げた。
「しょうがないな、俺が切り込む。弓と銃さえ先制で倒せば後はなんとかなるだろ」
「……は? 馬鹿?」
「魔力がなくたって、煉獄剣は普通の剣よりも強い。大丈夫、こういうのは――慣れてる」
ギルベルトの格好は軽装だ。
薄い金属版を仕込んだ皮鎧は身軽さを好むハンターとしては一般的なものだが、断じて囮を務める者の格好ではない。
盗賊職
五体を相手に気負いのない声は本当にその少年がこういう状況に慣れていること示唆していた。
「そういえば、お前、ワンマンパーティだったって言っていたか」
ハンターの才能は個人差が強い。パーティ内でメンバーに力の差が生じるのは当然で、特にずっと弱い仲間と共に闘ってきたハンターは自分が前に出る傾向にある。
それまでそうやって勝ち続けてきたからだ。新たなパーティではそれが不和の原因になることも多い。
立ち上がりかけるギルベルトをティノが睨みつける。
「勝手なことしないで。死にたいなら別だけど、臨時のものとはいえ、私には、このパーティのリーダーとして全員生きて帰す義務がある」
「……はぁ?」
予想外の言葉に、ギルベルトが目を見張った。
パーティを組む経緯。互いの性格から考えて、リーダーがギルベルトの身を案じるようなことを言うのは意外だった。
そもそも、このパーティ内で最も身軽なティノならば、たとえ多数の狼人間を相手にしても逃げるだけなら簡単だろう。
長年ハントを共にした仲間ならばともかく、このメンバーは寄せ集めだ。
ともすれば、盾にされる可能性だって少しは考えていた。
ギルベルトの視線に、ティノが眉を顰め、そして断言した。
「見捨てたりはしない。私は今回、マスターにリーダーとしての行動を期待されている。貴方達を一人も欠くことなく生きて帰ることはいわば――最低条件」
ティノとて、ハンターがそう綺麗事ばかりで成り立っているわけではないということは知っている。
時にはパーティ全体を守るために、メンバーを見捨てる判断をしなければならないということも。
だが、今回求められているのはそこではない。
マスターが、例え臨時とは言え、仲間を見捨てなければならない依頼を振ってくるわけがない。
それこそが『始まりの足跡
たとえそれが見ず知らずの者と共に組まされた臨時パーティだとしても――いや、だからこそ、今この瞬間、ティノ・シェイドはリーダーとしての資質を問われているのだ。
冷たい夜の空気を吸い込み、近づく戦闘の瞬間に高ぶる鼓動を抑える。
そして、ティノはパーティメンバーを見回し、口を開いた。
「身軽な私とルーダが先に出て相手を引きつける。遠距離武器の回避の訓練は受けている。その隙にグレッグとギルベルトが後ろから後衛組を強襲する。近づけば火器や矢は、怖くない」
§ § §
あー、頼むからティノだけでも生きててくれ。この際、他のメンバー盾にしてもいいから。
歯を食いしばりながら朧月のみが照らす夜天を駆ける。
全身を貫く空気の膜。
宝具の外套により生み出された推進力により、空を飛ぶ僕は弩弓から放たれた一本の矢か何かのようだ。
一度放たれたらもう戻れないのも矢と同じである。
暗闇をただ方向だけ制御して進む。
帝都を取り囲む壁、巨大な門をあっという間に通り過ぎ、眼下に広がるのはどこまでも続く平原と、灯りのない整備された道だけだ。
美しい光景だが、それを見る僕の心情はゲロ吐きそうの一言だった。
『夜天の暗翼』は外套型の宝具だ。
夜そのものを形にしたかのような美しい紺色の布地に、襟元に白い宝玉のついたその宝具はその使用者に飛行能力という極めて強力な力を与える。
飛行能力を与えてくれる宝具は希少で、人気が高く、故に高価だ。僕のコレクションにあるのも『夜天の暗翼』ただ一つだが、この宝具には幾つもの重大な欠陥があった。
この宝具の前の持ち主が起こした『人間ミサイル事件』は宝具の有用性と危険性を皆に多分に知らしめた本当に悲しい事件である。
凄まじい推進力で頭から天井につっこんだそのハンターはそのまま天国に召され、『夜天の暗翼』は優秀なハンターを一人殺した宝具として廃棄寸前で僕に引き取られた。正真正銘の欠陥品だ。
だが、空を飛べるのは間違いない。
細かい制御ができないわ、重力制御よりも推進力に重きを置きすぎて大抵の飛行宝具が持つ『浮遊』が不可能だわ、そもそもブレーキがないわで問題だらけだが、空を飛べるのは間違いない。
そして、めちゃくちゃ速い。完全に安全性が考えられていない速度である。
宝具として現れるようになっている以上、過去これの元になったアイテムが存在していたはずである。初めにこれを考えた人を小一時間説教してやりたい気分だ。
人外じみたハンターの足でも一時間以上かかる距離を瞬く間に駆け抜け、そのまま森の中に入る。
地面を歩けば鬱蒼と茂る木々に視界を遮られ、石や枝葉で足場も悪く歩くだけで体力を消耗していただろうが、空を駆ける僕には関係なかった。
遥か上空を高速で飛行する僕に、森に棲みつく鳥や獣達がざわめき悲鳴をあげる。悲鳴をあげたいのは僕の方だ。
そして僕は非常にブレの大きな視界の中、なんとか目標の宝物殿を発見した。
木々のない開けた地。大地に空いた大きな穴。この辺に他に洞窟型の宝物殿はないので間違いないだろう。
速い。自分でも惚れ惚れするような速さだ。これならティノもなんとか生きているだろう。
後の問題はブレーキがないことだけだ。
そして僕は歯を食いしばり、進行方向を斜め下に向け、そのままの勢いで穴の中に飛び込んだ。