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東京都北区滝野川の軍事遺跡、東京第一陸軍造兵廠滝野川工場跡を歩いてきました。
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これまで数回に渡って歩いてきた北区滝野川の東京陸軍第一造兵廠滝野川工場
その広大な用地には、戦後、東京国税局滝野川第二宿舎などが作られましたが、周辺に軍用地境界標石や憲兵の詰所といった軍事遺跡が残っていました。
少し前に、その東京国税局滝野川第二宿舎が取り壊され、その場所が滝野川三丁目公園になったというので、軍事遺跡がどうなったか確認するために訪問してきました。
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というわけで子供たちとともに、2022年4月1日に開園した滝野川三丁目公園にやってきました。
公園は、草地エリアと遊具エリア、健康遊具にエリアに分かれており、珍しい遊具を見つけた子供たちはさっそく遊具エリアに行ってしまいました。
2023年は猛暑が9月に及び、この頃もまだまだ暑さが厳しかったというのに、子供は元気なもんですね。
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遊具の下はウッドチップになっており、子供がケガをしない優しい仕様です。
まー私は小さい頃よく、空き地に放置されたコンクリート資材とかを使って遊んでいたものですが、その頃に比べると子供の遊び場も遥かに安全になりましたね。
自分がやっていたような遊びは、今考えるととても危険だったとしか思えず、自分の子供たちにやらせようとは思いません。
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そんな事を考えながら園内を散策していると、公園の入口の辺りに目的のものを見つけました。
この三つの石は「陸軍用地の標石」です。
東京第一陸軍造兵廠第三製造所として、火薬、照明弾発煙筒などの製造を行っていた東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の軍用地境界標石とされています。
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解説板。
上の方の写真でも紹介していますが、この境界標石は、公園ができる前の、東京国税局滝野川第二宿舎の塀沿いにあった陸軍軍用地境界標石です。
滝野川三丁目公園の整備に伴い、北区?が園内に移設する形で保存してくれたのでした。
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解説板に掲載されている写真は2枚しかないのに、三基ある軍用地境界標石。
以前訪問した時は、写真の二基は確認しています。
この一番左の、かけてしまった軍用地境界標石は見落としていたようです。
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ちなみにこの日は、近くの滝野川八幡神社の例大祭でした。
そのため近隣のあちこちで、町内会の神輿が動いていました。
もう少し涼しかったら良かったんですがね、こう暑さが酷くなると、夏祭りなんてものはなくなるかもしれませんな。
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人混みが苦手な私は、子供たちを滝野川三丁目公園で遊ばせつつ、近くの静かな四本木稲荷神社にやってきました。
神輿を担ぐ声で賑やかな周辺に比べ、境内は別世界のように静かです。
この神社は、現在の十条駐屯地北区立中央公園一帯にあった東京第一陸軍造兵廠十条工場の工廠神社だった四本木稲荷神社を分祀した神社で、かつては東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の構内神社でした。
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その縁で、境内にある鳥居や石灯籠などは、東京第一陸軍造兵廠の工廠職員から奉納されたものになっています。
この手水鉢には「明治43年鉄砲火具職工一同 奉納」と書かれており、東京第一陸軍造兵廠には、全国から集められた職工が働いていたことがわかります。
しかしアジア・太平洋戦争中においては、長引く戦争と戦局の悪化によって職工が次々と兵隊にとられて工場からいなくなると、代わって銃後の女学生ら学徒が動員されたという。
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不足していたのは人手のみならず物資もであり、部品作りをしていた女学生たちは、原料がなくなると工場でのんびりすることができたという。
しかし、軍のお偉いさんが視察に来るという日は、オシャカになった使い物にならない信管をわたされて、これをみんなで磨く演技をさせられたというから、狛狐様も苦笑したでしょうね。
ある日の空襲のとき工場の一部に火が回ったところ、工場の幹部が逃げたのでほとんど学徒だけで消火したことがあったというから、狛狐様も、大人はあれでも懸命に戦った学徒のために力を貸してくれたに違いない。
(訪問月2023年9月)