静岡県浜松市北区の軍事遺跡、三方原陸軍飛行場跡を歩いてきました。
今回は家族旅行で、浜松の浜名湖に隣接する大崎半島にやってきました。
写真の湖は浜名湖の支湖である猪鼻湖で、この湖は大崎半島で浜名湖と仕切られており、幅120mの瀬戸水道で浜名湖に通じています。
この猪鼻湖はアジア・太平洋戦争の敗戦直後に、大日本帝国陸軍独立戦車第8旅団の戦車「四式中戦車チト」が進駐軍による接収を免れるため沈められたという言い伝えがあるロマンのある湖です。
またこの大崎半島のどこかの山林には、1946(昭和21)年あるいは1947(昭和22)年3、4月頃に、毒ガス入りと思われるドラム缶が埋設された、という話があります。
実際浜名湖とその周辺には、終戦時に日本軍が保有していた毒ガス缶が、毒ガスの製造・使用の事実隠蔽のために投棄・廃棄されたという。
「浜名湖への投棄により大崎半島に漂着した毒ガス入りと思われる黄色い帯が巻かれたドラム缶を、消防団約10人で運び大崎の山林に深さ3.6mの穴を掘って埋めた」という証言もあります。
実際戦後になって、浜名湖周辺では毒ガス缶の発見や被災の事実が報告されています。
戦後の1950(昭和25)年に浜名湖の掃海が行われ、その際びらん性毒ガスであるイペリット缶約100本が引き揚げられ、それは遠州灘に再投棄されたという。
また2007(平成19)年に環境省が浜松市で実施した掘削調査では、同年8月8日に旧日本軍のびらん剤入り容器と推定されるドラム缶1個が発見されているから、いまだ未発見の毒ガス缶があったとしてもおかしくはありません。
その大崎半島から東へ15kmのところにあった旧三方原陸軍飛行場は、その毒ガス入りドラム缶投棄事案と大きく関係する軍事施設でした。
三方原陸軍飛行場は、第7航空教育隊(中部九七部隊)と三方原教導飛行団が置かれていた旧陸軍の飛行場でした。
写真は、現在の白柳式撰果機株式会社本社の入り口に残されている、第7航空教育隊の門柱とされているものです。
第7航空教育隊の門柱は全部で三基残っており、現在は資材置き場等となっている様子でした。
門柱は味気ないもので案内板もなく、さらに、ちょっと道路から奥まった場所にあるので、そうと知っていなければ気付かない程度のものです。
この第7航空教育隊では当時、飛行機の整備教育などが行われていたという。
第7航空教育隊の門柱から東へ150mほど行ったところには、航空自衛隊浜松基地の官舎があり、この官舎の入り口には、第7航空教育隊に隣接していた三方原教導飛行団のものとされる門柱が2基残存しています。
三方原教導飛行団は太平洋戦争後期の1944(昭和19)年に、浜松陸軍飛行学校から独立した飛行部隊でした。
三方原教導飛行団は毒ガスを扱う秘密部隊であり、三方ヶ原や天竜川河口で訓練を重ね、実戦では毒ガス弾を中国大陸に投下していた部隊だったという。
写真は西側の門柱で、門柱の上部から飛び出ている金具は、表札をかけていたものと推測されます。
終戦時、三方原教導飛行団ではイペリットやルイサイトという危険なびらん性の毒ガスを約20トン保管していたという。
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