千葉県印西市東の原の軍事遺跡、印旛陸軍飛行場跡を歩いてきました。
1
千葉県印西市東の原にある公園、東の原公園にやってきました。
広々としたこの公園には、掩体壕を模して造られたという大きな砂場があります。
この公園に到着したのは平日のお昼時だったんですが、小学生と思われる子供たちがたくさんその砂場で遊んでいました。
IMG20231122140000
なぜ掩体壕を模した砂場があるのかというと、今は住宅地となっている印西牧の原駅付近一帯が、かつてのアジア・太平洋戦争中、「印旛陸軍飛行場」であったからでした。
東の原公園には印西市教育委員会設置の「印旛飛行場と掩体壕」の案内板があり、これによると印西牧の原駅周辺には1941(昭和16)年から1945(昭和20)年にかけて、逓信省航空局の印旛地方航空機乗員養成所(通称印旛飛行場)の滑走路が広がっていたという。
日本本土に戦火が迫ってきた1944(昭和19)年頃から陸軍の軍用飛行場として使用され、首都防衛に任を果たしていました。
IMG_7740
東の原公園にある掩体壕は、あくまで「模して造られた砂場」なのですが、東の原公園から南西へ約550mの位置には、印旛陸軍飛行場のものとされる無蓋掩体壕が一基残っています。
写真のフェンスの向こうに見える湾曲した土の盛り上がりが、その無蓋掩体壕です。
コンクリート製で屋根のある有蓋掩体壕に比べ、ただの土塁といった感じでちょっと分かりにくいですね。
キャプチャ
横からの写真だと掩体壕の全体図が分かりにくいと思ったので、グーグルマップの上空からの写真を抜粋しました。
掩体壕には、コンクリート製で蓋のある有蓋型と、屋根がなく土塁状の形状をした無蓋型があり、この掩体壕は無蓋型の掩体壕でした。
上から見れば分かる通り、この無蓋掩体壕は馬蹄形をしており、活用当時、口の開いている部分の先には飛行機の誘導路がありました。
IMG_7738
フェンスの手前には、印西市教育委員会が設置した「掩体壕」の案内板もあります。
印旛陸軍飛行場には無蓋掩体壕が多数建設され、1982(昭和57)年に印西町石造物調査会が調査した際には36基が確認されたという。
しかしその後のニュータウン建設・開発により、掩体壕は消滅し、保存措置がとられているのはこの1基だけのようです。
IMG_7741
有蓋掩体壕はよく目にしていたのですが、無蓋掩体壕を見たのは初めてでした。
というのも、無蓋掩体壕がこういう完全な形で残っているケースは少なく、貴重な軍事遺跡であるという。
コンクリート製で頑丈な有蓋掩体壕に比べ、土塁を固めただけの無蓋掩体壕は壊しやすかったから、今はもうほとんど残っていないんでしょうね。
(訪問月2023年11月)