広島県竹原市忠海中町の軍事遺跡、広島陸軍兵器補給廠忠海分廠跡を歩いてきました。
2023年の年の瀬、家族旅行で、JR西日本の呉線に乗って忠海駅にやってきました。
忠海駅はJR西日本のローカル線の無人駅にもかかわらず、外国人を含む多くの観光客が乗降する駅です。
その理由は、たくさんのアナウサギが棲息するうさぎ島として知られる「大久野島」行きのフェリーターミナルが駅近くにあるからで、我が家も大久野島に行くためにここ忠海駅にやってきました。
忠海駅から徒歩4分のところには忠海港フェリーターミナル「うさぎの島への玄関口」があり、中で大久野島行きの乗船券が購入できます。
ここから大久野島への渡航手段は、300名乗れるフェリーと100名乗れる休暇村客船の2種類あり、どっちも同じフェリーチケットで乗船できます。
なお大久野島でアナウサギにあげる餌はこのターミナルでしか買えず、島内には売っていないので注意が必要です。
大久野島は約500〜600羽のアナウサギが棲息し、うさぎ島として知られていますが、第二次世界大戦中は島のほぼ全域が秘密裡にイペリットなど毒ガスを製造していた軍需工場「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所」でした。
忠海駅から忠海港フェリーターミナルに行く途中にある呉共済病院忠海分院は、1942(昭和17)年に大久野島東京第二陸軍造兵廠忠海製造所の従業員・家族診療所として発足した病院だという。
軍の診療所は敗戦後広島県に寄付され広島県立忠海病院となり、戦後は大久野島での毒ガス障害に苦しむこととなった元従業員の診療等に当たりました。
また、大久野島で毒ガスを製造していた時代、島の玄関口だった忠海駅前には情報流出を防ぐための憲兵隊分駐所が設けられていたそうです。
今は鉄筋コンクリート造の呉共済病院忠海分院ですが、戦後の広島県立忠海病院は憲兵隊の建物を改造した木造病棟だったというから、広島県立忠海病院は軍の診療所+憲兵隊の敷地を譲り受けて開設されたものと思います。
忠海駅周辺にはこうした診療所や憲兵隊のほか、陸軍関連施設として発煙筒を作る陸地工場、工員宿舎、官舎、講堂などが建てられていたという。
大久野島にあった毒ガス製造工場は「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所」でしたが、対岸のここ忠海港周辺にあった軍需工場は「広島陸軍兵器補給廠忠海分廠」という名前だったようです。
「広島陸軍兵器補給廠忠海分廠」では大久野島の「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所」で製造されたガス等の保管や搬送を行っていたとされ、当時は保管のための倉庫が建ち並んでいたという。
フェリーターミナル近くにある日本肥糧株式会社広島支店の倉庫は、形的・古さ的に軍の施設っぽい感じがし、ひょっとしたらこれら倉庫は「広島陸軍兵器補給廠忠海分廠」の倉庫を利用したものかもしれませんね。
広島陸軍兵器補給廠忠海分廠の遺構を探して忠海駅周辺をぶらぶらしていると、アヲハタ株式会社ジャム工場の前で陸軍軍用地境界標石と思われるものを発見しました。
上の方が欠けてしまっており、確実にそうであるとは言えませんが、「軍」の文字は読めるし、「陸」の土の部分は読めることから、「陸軍」と記載されていたものと思います。
標石の横を見ると「31」という通し番号がふられていました。
アヲハタ株式会社の設立は敗戦後の1948(昭和23)年12月。
ジャム工場は広島陸軍兵器補給廠忠海分廠の跡地に作られたのでしょうか。
うさぎの島への玄関口であり観光客がフェリーを待ち、現在はのどかな雰囲気の忠海港周辺。
しかし戦時中は機密であった毒ガスを保管・搬送していたことから憲兵が目を光らせており、張り詰めたような空気が感じられる場所であったという。
次回はここ忠海港から、毒ガスを製造していた大久野島へ向かいます。
(訪問月2023年12月)
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