200724 皆様からのメール、五島勉氏死去報道など
沢山のメールコメント・メッセージを頂戴している。

やはり五島勉氏死去に関するものがアタマひとつ抜けて多い。

その次が三浦春馬さんの自死に関するもの。こちらはおそらくほとんどが女性からのものと思われる。

私としてはこの芸能界の事件に関して、思うことがまったくないというのではないが、特にここで、このブログで書きたいことではない。

ただ『三浦春馬さん』と『さん』づけで呼ぶことに対してとてつもない違和感があって、本音をいえば、いまでも彼のことは『三浦春馬』と呼び捨てにしたい気持ちだ。

まあそれは彼にまだ生きていて欲しかったという願望の裏返しと解釈していただければ幸いである。

2

フィクションでしかない五島勉のノストラダムス大予言シリーズが生み出したものとして、オウム真理教の起こした数々の事件を挙げて、今なおメディアにくすぶり続ける第二の麻原彰晃待望論と、結果的にそれを助長するかのように暗躍するオカルト業界の病巣を問題視する方もいる。

これはオカルト以外のことでも当てはまってしまうことでもある。

たとえば『地球環境問題』などでも見え隠れすることからわたしたちは暗い気持ちにさせられるのだろう。きっと。

そのむかし、わたしたち日本人は、空の雲の中に『雷神さま』という鬼のような形相をした『神様』がいて、不思議に夢をかなえてくれた、のはユーミンだけど、じゃなくて、背中に背負った太鼓を叩いて稲光を放ち大きな音を鳴り響かせて激しい雨を降らせるのだと信じていた。厳密にいうと信じ込まされていた。

昔の人のことを笑ってはいけない。いまのわたしたち日本人も実はまったく同じようなものなのだ。

この『雷神様』を『地球環境温暖化』という言葉に置き換えるとわかるだろう。

理由、原因のはっきりしないものを象徴、ある種のたとえとしてコトバにして、それをわたしたちに信じ込ませようと躍起になっている連中はマスメディアの中に確実にいる。それが問題なんだと思うのです。

やさしさに包まれてでなくて、『怪しさに包まれて』ですな。

失礼しましたー

3

五島勉氏の死去の報は様々なメディアで扱われはじめ、そのためだろう、私のところにくる問い合わせのメールも多種多様になって来ている。困惑しています、正直言って。

なぜ日本のマスメディアは五島勉のノストラダムス大予言シリーズが五島勉によるフィクションだと断言しないのだろうか。

それこそ、マスメディアはノストラダムスの『人類滅亡予言』をいまでも、これからもあることとして、わたしたち日本人の意識をコントロールできるとかあるいはしたいとと思っているからではなかろうか。

一昨年のフジテレビの番組に五島勉が登場したときの宮根誠司の発言をよく噛みしめると、宮根誠司という男、報道番組の司会者としては何かが大きく欠損していることだけは間違いないようだ。何故その場で五島勉のノストラダムス大予言がフィクションであることを言えなかったのか。宮根誠司ひとりではない。日本の民放各局の五島勉のノストラダムスの大予言シリーズがすべてフィクションであると断言したテレビ局はひとつもして存在していない。

これが日本のテレビ局、民放のずる賢いところなのだ。

4

相変わらず多いのが『ノストラダムスの職業は医者で良いのか?』とか『ノストラダムスは実在の人物なのか』みたいな、どちらかというとわたしが答えるにふさわしくない質問の種類である。

ノストラダムスが(定義として)医者かどうかなんて私にわかりっこない。

ただ、先人の研究をそのまま受け止めて、
『いわゆるDocteur(ドクトゥール)という意味での医者とは言い難いかもしれないが、Medecin(メドゥサン)ということであるならば、ノストラダムスことMichel de Nostredame(Michel de Nostre-Dame)は医者である』というだけである。

ドクトゥールもメドゥサンもフランス語でともに医者(医師)であることだけは間違いないからだ。それ以上のことはわからない。

ノストラダムスが実在する人物かどうかだが、ノストラダムスというのがペンネームである以上、実在はしない、実在の人物ではない、いうこともできる。

特に最近の研究では、ノストラダムスことミシェル・ド・ノートルダムの死後に出された、巻目(かんもく)でいうところの5巻目以降の預言詩の作者がノストラダムス(ミシェル・ド・ノートルダム)本人でないことが確実視されているわけで、そうなると、ノストラダムスという人物は実在はしないのだという一方の論理だって成り立ってしまうのである。

しかし、Michel de NostreDameという薬草販売店の経営者であり、占星術師の人物は実在し、彼が使ったペンネームのひとつが『(ミカエル、ミケール、ミケエル)・ノストラダムス』というラテン語表記のものだったのもまた明らかなる事実ではあるわけだから、実在の人物であると断言するもう一方の論理もまた正しいということも出来るのである。

ここで例として持ち出すのはふさわしくないかも知れないが、『デーモン小暮閣下』という自称十万数十余歳の悪魔がいる。(笑)あなたもテレビなんかで見たことあるでしょう。

あれは実在の人物(というか人間じゃないけど)、悪魔なのか、実在はしない架空の人物(悪魔)なのか。それと同じようなもんじゃないのかね、よくはわからんが。

それと、例によって『ノストラダムスは料理研究家でよいのか?』という疑問をお持ちの方もまだいるようだ。

こちらはわたしが答える必要がありそうだ。

答えはちろん

違う、料理研究家ではない

となる。

だからこれは何度も書いているとおりで、日本語版ウィキペディア『ノストラダムス』のページにはウソが書かれているのである。

解釈がどうたらということでは決してない。ノストラダムスを料理研究家とするのはれっきとした間違いであり、ウソなのである。

たとえばフランス語版や英語版のウィキペディアのノストラダムスのページにはノストラダムスの職業区分に『料理研究家』とは書かれていない。ノストラダムスを料理研究家にしているのは日本語版のウィキペディアだけである。

言い換えると、ノストラダムスのことを料理研究家としているのはわたしたち日本人だけなのだ。

第一に、ノストラダムスこと、ミシェル・ド・ノートルダム本人がこのことをどう意識していたかについて考えてみればよい。

彼は薬草販売店(エルボリストリ)を経営する薬剤師であることは自認していたはずであるし、そう自称している。同様に、彼は占星術を学んだ職業占い師であることを自認し自称している。

しかし、ノストラダムス本人は『料理研究家』であるとは自認も自称もしていない。そもそも、料理研究家なんて近世になってからやっとあらわれた職業ではないか。

もしノストラダムスに『あなたは料理研究家ですか?』と尋ねたらきっと彼は『料理研究家ってなんだね?』と首をひねり問い返してくるに違いない。

料理研究家というのは、わたしたち現代人からはそう見えるというだけのことでしかない。

というかこれではウィキペディアを使って悪ふざけをしているだけなのだ。バカなガキどもがよ。

もうひとつ書くが、そもそも、ノストラダムスがノストラダムスというペンネームを使って書いた料理本は『化粧品とジャム論』という題の一冊だけである。これ以外にノストラダムスは云われるような料理の本は出していない。これは歴史的な事実だ。

つまり、ノストラダムスはこの本一冊出したことで日本のバカなウィキペディアンに『料理研究家』呼ばわりされているわけで、だったら何故このウィキペディアのノストラダムスのページを書いたバカはノストラダムスのことを『化粧品研究家』とはしないのだろう。こういう曇った精神性は私には理解できないでいる。

さて、わたしたち現代人にとってジャムはパンに塗って食べたりお菓子の材料に使われる食材だが、十六世紀の一般庶民にとってジャムはそれはそれは高価なもので、決して料理と呼べるようなものではなかった。ではなにかというと体の調子が良くないときや病気を治すために口にする高価な薬品だったのだ。

今私の目の前には一房のバナナがある。4本で350円くらいした。いまでこそバナナなんていつでも安価にコンビニやスーパーで買えるお手軽なおやつや食事の代用品だが、数十年前まで、バナナは病気になったときくらいしか食べることの許されない高価な食べ物であった。

それと同じである。そもそも精製された砂糖そのものが貴重な食材であり、その砂糖をふんだんに使わなければ作れないジャムなんて庶民にはなかなか手の届かないものであった。

ウィキペディアの執筆者も無知なのかそこまで頭がゆかなかったのか、ノストラダムスは医者だから『化粧品とジャム論』を書いたとしているが、そもそもそれが間違いのもとである。

このブログの読者の方ならばもちろんお解りだろう。

ノストラダムスが『化粧品とジャム論』を書いたのは彼が医者だからではなくて、ノストラダムスことミシェル・ド・ノードルダムが薬局を経営する薬剤師だからなのだ。化粧品もジャムも当時の薬局(エルボリストリ)で扱う営業品目である。

薬局経営者だからこそ、化粧品ともども、この高価な薬品であるジャムをもっと広めようという目論見で書かれたのが『化粧品とジャム論』という著作なのだということぐらいは気がついて欲しかったところだ。ウィキペディアという辞書に執筆するようなプロパー(協力者)ならば。

ちなみに、ノストラダムスは1550年から予言暦(アルマナ、アルマナックとも)を書いたのも、そもそもが、彼の薬局の顧客のためのサービスであったことは有名で、それが評判を呼んだことが後の『四行詩(カトラン)預言詩』執筆につながったと言われている。

長くなったのでここいらで結論として締めるが

ノストラダムスが預言者として名声を博するその礎となったのは、彼が医者だったからではない。『薬局の経営者』であり『占星術師』であったからだ。

ミシェル・ド・ノートルダムは医者であった。これは事実である。

ミシェル・ド・ノートルダムはミカエル・ノストラダムスというペンネームで『化粧品とジャム論』という本を出してフランスだけでなく他のヨーロッパ各国で大ヒットになった。これも事実。

しかし、ノストラダムスがこの本を書いたというか書かざるを得ない必然があったとすれば、それは彼が医者だからではなく『薬局経営者』だからである。

医者は化粧品とかジャムの本は書かない。


メールはこちらから
akgoodco1224@gmail.com


拍手というのをいただけるならお願いします。