210715210715 ノストラダムス預言集9と10の本当の作者
結論から先に書く。

ノストラダムス預言集の九巻十巻の本当の作者はノストラダムス本人ではない。

おそらく、同時代に跋扈(ばっこ)していたノストラダムスを名乗る偽物のノストラダムスの誰かだろう。

これさえ覚えておけば、これからトカナのようなインチキオカルトサイトに、ノストラダムスの預言詩に関する記事が出ても、バカにして笑って読み飛ばすことが出来るはずである。

2

毎年この時期になると、あの『恐怖の大王』で有名なノストラダムス預言集の第10巻72章(番)の
L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois
Du ciel viendra un grand Roi D'effrayeur
Resusciter le grand Roi D'Angolmois
Avant apres Mars regner per bon heur

1999年7ヶ月
空に恐怖の大王が現れる
アンゴルモアの大王が蘇る
その前後マルスが幸福に時代を統治する
の預言詩に関する質問や意見のメールが多くなる。

いままでは『夏休みなので中学生高校生からの質問なのかな』くらいの感覚でとらえていたが、もしかすると、詩の中に『七の月』という単語が出てくるのでそのためなのじゃないか、と最近になって思うようになった。

当たってますか?

どうしても『この預言詩の正しい意味を教えろ』みたいな横着な質問者が出てきたり、あまりよい印象は持っていないのだが。

そういう人には『これも寓意詩でありその様式に則って、意図的に本来の意味を隠すのが目的で意味不明な単語を散りばめているのでたったひとつだけの意味はないし、それを探すのは単なる時間の無駄にしかならない』みたいな返答をしてきた。

混っかえしているのではない。これが正しい返答(法)なのである。

最近は海外のサイトでもこのブログのことが取り上げられたりして、フランス語のメールが来たりするので一筋縄ではゆかなくなった。

前に『この第十巻七十二章の預言詩はノストラダムスことミッシェル・ド・ノートルダムの作ではない』と断言的に書いたが、意外なことに、死後に初版の出た五巻から十巻までのノストラダムス預言集、実はこれはフランスをはじめとする欧米でもあまり知られていない『事実』のようだった。

ノストラダムス本人の作ではないというその根拠を箇条書きで挙げるとこうなる。
①ノストラダムスことミシェル・ド・ノートルダムの死後に出された預言集に初めて登場する預言詩であること。
②生前公表されたノートルダム作の預言詩と比較すると数字の表記がフランス語的とは言えずむしろラテン語(イタリア語)であること。
③ノストラダムスの弟子のひとりで死の際まで秘書官(頭目)を務めていたジャン=エメ・ド・シャヴィニーの覚書によれば、ノストラダムス(ド・ノートルダム)は初版の誤植のあまりの多さに怒りと嘆きを隠さず、五巻目以降の刊行に対してはひどく消極的であったと記されており、それが初版出版以降の預言詩の詩作数の少なさの直接的な原因であることは間違いない。
つまりは九巻十巻を埋めるほどの数はなかった、ということだし、六巻目からの預言詩は本人が書いていないのは、これはもう誰にも覆すことのできない、絶対的な、歴史的な『史実』というよりも事実なのだ。

3

『ミシェル・ノストラダムス氏(師)の預言詩集』として知られるノストラダムスの預言詩も、全てがミシェル(ミカエル)・ノストラダムスことミシェル・ド・ノートルダム(1503-1566)の手によるものでないことはすでに明らかである。

もう40年も前、日本で五島勉の『ノストラダムスの大予言』シリーズの大ヒットとブームが起きた1972年より後のことに違いはないが、それでも1980年代になる前、1979年のころには『預言集の五巻目以降のほとんどの預言詩が実は本人の手によるものではない』というのは定説であった。

しかも、ミシェル・ド・ノートルダム生前の1555年に初版の出た第一巻から第四巻の預言詩でさえ、ギリシャ時代から伝わっていたような古い寓意詩を、15世紀当時新しく成立したフランス語正字法で、ラテン語風のカトラン(四行十音節)に仕立て直し、綴りを変えたようなものも相当に含まれている。

ノストラダムスの業績を職業区分で分類したときに、特に英米では、医者(薬剤師)、占星術師、著述業とともに翻訳家と見なされているのはそのためである。(英語版のウィキペディア参照)
ちなみに、(これも毎度強調していることだが)ノストラダムスに『料理研究家』なんて無理矢理な肩書きをつけて喜んでいるのは世界広しといえど、私たち日本の(お間抜けな)ウィキペディアンだけである。

何を言いたいかというと、要するに、ミシェル・ノストラダムスという予知能力者が夢や幻影として見た事柄を『予言』として詩にしたものではないということを正しく理解できていればそれでよいのである。

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何回読んでも理解できない、困った人たちからのコメントが多数舞い込むのもこの季節ならではのことである。

昨年今年とその傾向は強くなっている。

それとこれもある種の困ったちゃんなのだが、このブログを指して『文章長過ぎ、長い文章書くのは頭の悪い人ですよ』みたいなことを書いて寄越す人が結構いたりするから始末に負えない。(笑)

逆だろう。長い文章が読めない、理解ができない、把握できないのを『頭の悪い人』とするのがこの世の中の常識というものだが。

西村博之みたいなTwitterとかのSNS(の短文)に影響されて、長いブログの書き主をアタマが悪いと決めつけるのも、さらにいうとそれを本人に向かって送りつけるという行為、これなんか、いかにも今日的なよくない傾向と言えるだろう。

てめぇの文章を読む能力、読解力のなさを他人のせいにするなってことですぜ。

(つづく)

[一般公開2021.08.13]


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