3.偉い! すごい! やればできる子ー!
床を掃いて、窓を磨いて、ダダダーッと雑巾をかける。
そんな平凡な清掃作業を、いったいどれだけの時間続けたことだろう。
必死にやっているはずなのに、一時間、二時間と過ぎても全然綺麗になったように見えなかった。
もちろん綺麗になってないなんて錯覚で、実際はちょっとずつ進んではいる。
でも、どこもかしこも汚れすぎているせいで、それは本当にちょっとずつだった。
牛歩のごとくというか、亀の歩みというか。
錬金術以外の地味な作業は嫌いだ。あまりの遅さに我慢できず、癇癪を起こすようにムガーッと箒を乱暴に振り回してしまうこともあった。
そのせいで埃が巻き上がっちゃって、ゲホゲホと咳き込む羽目になったけど……。
他にも、曲がり角にあった蜘蛛の巣に真正面から突っ込んで全身がネバネバまみれになったり、突如として床に空いた穴に足を取られて転んでしまったり……何度散々な目に遭ったかわからない。
それでも私は、床にぶつけて赤くなった鼻を擦りながら、めげずに掃除に勤しみ続けた。
すべてはこのお店を繁盛させて、すっごいお金持ちになって、あのムカつくブレイブにぎゃふんと言わせるため。
そう。私がこうして嫌いな掃除をしなきゃいけなくなったのも、床にぶつけた鼻が今すっごく痛いのも、全部ブレイブのせいに違いないんだから。
ブレイブのせい、ブレイブのせい、ブレイブのせい……なんか段々ホントにムカついてきた! 許さないぞブレイブ!
胸の内に湧き上がる怒りを原動力にして、手と足を動かし続ける。
雑巾が足りなくなれば、乱雑に放置されていた古ぼけた布を錬金釜に投入して錬成して新たな雑巾にし。
家主が不在の間に住み着いていた虫どもを見つければ、容赦なく箒で追い出して駆逐し。
床や壁に空いた穴は、木材の破片を集めて錬金術で修復したものを上から被せて蓋をする。
そんな作業を黙々と続け、やがてすっかりと日も暮れてしまった頃――。
「終わったぁぁぁー!」
ついに掃除を完遂した私は、工房の中央で達成感に満ちた雄叫びを上げていた。
心地良い疲労感に促されるがまま、私は床に大の字で寝転がる。
ふへぇー……疲れたけどやり切ったって感じがするぅ。
掃除を始める前にこんな風に寝転がってたら埃まみれの蜘蛛の巣まみれになっちゃってただろうけど、もうピッカピカだからいくらでも寝転がれるのだ。
ほら、この通りゴロゴロしても全然問題なし!
ゴロゴロ! ゴロゴロ! ゴロゴロゴロー!
「偉いぞ私ー! ほんとよく頑張った! 偉い! すごい! やればできる子ー!」
自画自賛。こんなとこ誰かに見られていたら笑われちゃうかもしれないけど、今日ばかりはいいのだ! だって私、本っ当に頑張ったし!
本音を言えば、いったい何度爆弾で全部吹き飛ばしちゃおうか悩んだかわかんないけど……偉い私はちゃんと最後まで我慢することができたのである!
まあ綺麗にしたのは表の工房と、あとは自室とか普段使うところだけで、実はまだ掃除してない部屋が結構あるんだけどね……へへへ。
でもこれ以上はあんまりにも面倒すぎ……じゃなかった。時間がなかったので後日、暇がある時にでもやることにする。
え? 暇がある時っていつかって? ……細かいことはいいんだよ!
なにはともあれ、お店としてお客さんに見せる部分はこれで完璧。
いつでも自分のお店を開くことができるというわけだ!
「って言っても、今日はもう遅いし。いろいろやるにしても明日からだね」
チラリと窓に目線を向ける。家の外は、すでに完全に夜の闇に包まれてしまっていた。
今から出かけてもできることはほとんどないし……今日は早く休んで、明日に備えるのが吉だ。
「……あ」
けれど自室に戻ってきたところで、私ははたと自分が重大なミスを侵していたことに気がついた。
「……家具、買ってないんだった……」
空っぽな自室を見渡して、私は茫然と呟く。
いや、ベッドだけじゃない。他の家具も全部……。
……何度も言うようだが、私は元々ここを使う予定がなかった。
使う予定がなかったから、立地がこんな路地裏の果ての辺鄙な場所でも承諾したし、建物だって建て直しなんかはせず、元々のオンボロな状態そのままにしていた。
つまりなにが言いたいのかというと……ベッドもイスも机もクローゼットも、私はなに一つとしてまともな家具を買い揃えていないということだ。
掃除してる時は余計なこと考えないように努めてたから気づかなかったけど……。
え。こ、これはいったいどうすれば……?
「い、今すぐ買いに……! や、もう日が暮れてるし、どのお店も……あぁぁ、なんでもっと早く気づかなかったの、私……」
頭を抱えて、ガックリと項垂れる。
……一応、野営の時にいつも使ってた毛布があるから、ただ寝るぶんには支障はない。
けど掃除が終わったらフカフカのベッドで寝られるから! と、後のご褒美を糧に頑張っていた部分もあったのだ。
それが叶わないと気づいてしまった瞬間の落胆は筆舌に尽くしがたい。
しかも、だ。
「よく考えたら、ご飯も買ってないじゃん……」
本当に今更な話だが、私は朝からなにも食べていない。
これまた掃除に没頭していたせいですっかり忘れちゃってたけど……ぐぅぅぅー、と。
今頃になって、お腹が再び凄まじい空腹感を訴えてきていた。
「うぅ……ぐす」
嫌いな掃除をあんなに頑張ったのに……その結果がこの仕打ちなんて……。
思わず目に涙が滲んでくる。
なんで今日はこんなに散々なんだろう。今までやってきたことの罰が当たっちゃったのかなぁ……。
「……もういっか。今日はもうなんにもしたくない……このまま寝よ……」
酒場ならこの時間でもまだやってるだろうけど……もはや出かける気力すら湧かない。
お風呂も明日の朝とかでいいや……。
私は部屋に置いていたリュックから毛布を取り出すと、部屋の隅っこに移動して、いじけるように毛布の中にうずくまった。
……うぅ、寒い……。
これ、年がら年中雪が積もってることで有名な魔導国バラベル製のふわっふわ毛布なんだけど……それでもやっぱり、夜は冷えるなぁ……。
「……ステラちゃんがいたら……」
こうして毛布に包まっていると、どうしても勇者パーティの一員として旅をしていた時期のことを思い出してしまう。
依頼で遠出する際は道中で野営することもよくあって、そんな時はいつもこうして毛布に身を包んで横になっていた。
もちろん、それだけじゃ夜の寒さは防ぎきれない。体が冷えないよう焚き火を熾してはいたが、それもせいぜい一時的に暖を取る程度のものだ。
野営の時、私たちが肌寒さを感じることなく夜を越えられていたのは、ステラちゃんが展開してくれていた結界の存在が大きい。
結界――どうしても無防備になってしまう睡眠中の防御策として冒険者向けに考案された、光属性魔法の一種。
本来、この結界の魔法に危機の察知と自動防御以上の機能はない。
だけどステラちゃんの結界は彼女が私たちのことを一所懸命に考えて手を加えてくれた特別性で、従来の光属性に加えて火属性の魔力までもが織り込まれていた。
そのおかげで結界の中は常に快適な温度を保っていて、こんな毛布一枚で寝ても全然寒くなかった。どこでだって気持ちよく寝られた。
昔、そのことでステラちゃんにお礼を言った時には、ステラちゃんも私にありがとうって言ってくれたっけ。
私が作った魔除けのアロマの効果で、野営中に魔物が寄ってくることは滅多になかったから。
魔物が寄ってこないってことは、結界を破られる心配がほとんどないってことで。ステラちゃんへの負担が軽くなることと同義で。
私もフラルちゃんのおかげで安心して眠れるんです、って。だからありがとう、って。
覚えてる。あの時ステラちゃんが向けてくれた、満開の花みたいに可憐な笑顔も。
「ぐすっ……」
ブレイブもマグナもステラちゃんも同じ仲間ではあるけど、その中でも私とステラちゃんは親友とも呼べる間柄だった。
休日はよく一緒に出かけたし、寝る時は決まって隣同士だった。眠くなるまで他愛のない話をしていた。
私がバカやって自分の爆弾の爆発に盛大に巻き込まれちゃった時なんかも、ドワーフの血が濃い私は丈夫だから全然平気なのに、泣きそうになりながら必死に回復の魔法を使ってくれた。
それで結局その後、ステラちゃんは堪え切れずにわんわん泣いちゃって……ブレイブに叱られる時はいつも口を「へ」の字にする私も、あの時ばかりは心から反省したっけ。
うぅ……ステラちゃん……。
会いたい……。
「……って、ダメダメ! こんなこと考えちゃダメ! お店を繁盛させて、お金持ちになって、ブレイブのやつを見返すんでしょ! こんなとこでくじけてちゃダメ!」
パンパンと音が鳴るくらい勢いよく自分の頬を叩く。
あ。ちょ、ちょっと強く叩きすぎたかも……い、痛い……すごくじんじんする……。
……でもそのおかげで、憂鬱な気持ちも少しだけど吹っ飛んでくれた。
どうやら空腹と寒さでずいぶんと弱気になっちゃってたみたいだ。
落ち込むなんて私らしくもない。元気なのが私の一番の取り柄なんだから、もっとシャキッとしなくちゃ。
それに、私がこんな風に一人で塞ぎ込んでるなんて知ったら、ステラちゃんだってまたあの時みたいに泣いちゃうかもしれないしね。
次に会った時、ステラちゃんに笑ってもらうためにも、私も笑うようにしなくちゃ。にへへ。
「よーし! そうと決まれば明日から頑張るためにも今日はもう寝よう! おやすみなさい、ステラちゃん!」
ステラちゃんが「おやすみなさい、フラルちゃん」といじらしく返してくれる姿を幻視しながら、私は毛布を頭まで被り直して瞼を閉じる。
ステラちゃんのことをいっぱい考えてたからだろうか。
さっきまでは感じられなかった心地よい温かさに包まれた気がして、すぐに意識が微睡み始めた。
そしてそのまま眠りに落ちていく……はずだったのだが……。
――ギィィィ。
「……ふぇ?」
工房の方から物音が聞こえてきて、私はパチリと目を覚ます。
「今の……もしかして、扉が開く音?」
目をゴシゴシとさすって眠気を振り払うと、私は小首を傾げた。
幻聴……ではないと思う。
確かにちょっと寝かけちゃってたけど、まだそこまで意識が朦朧としていたわけじゃない。
お客さんが来たのかな、とも思ったけど、そもそもまだ開店してないしなぁ……。
「……ちょっと様子を見に行ってみようかな」
強い風に当てられて音が鳴っただけって可能性もあったけど、少し気になった私はランタンを持って工房の方に行ってみることにした。
ちなみに毛布には包まったままだ。だって寒いし。
工房を覗き込める位置まで来た私は、廊下の角からそーっと顔を出して、目を凝らしてみる。
……やっぱり、誰かいる……?
薄暗いからハッキリとはわからないが、入り口近くに人影のようなものが見える気がした。
あちらはまだこちらには気づいていないみたいだ。開けっ放しの入り口の扉の近くで、なにかを探すようにキョロキョロとしている。
空き巣……なのかな?
けど空き巣だったら、わざわざあんな正面玄関から来るかなぁ。
あ。っていうか玄関に鍵かけるの忘れてた。次からは忘れないようにしないと。
空き巣じゃないとしたら……私が留守にしてた間に住み着いていた浮浪者さんとか?
うーん……そうだったらちょっと申しわけないけど、出て行ってもらうほかない。
使う予定もなくずっと放置していたけど、これからここは私のお店になるんだし。
「あのー」
「……!」
いずれにしても話を聞いてみないことには始まらない。
そう思った私が近づきながら軽く声をかけてみると、人影は驚いたように私の方に振り向いた……気がした。
なにぶん暗くてよく見えないのでハッキリしたことは言えない。
せめて顔だけでも見えないかと、私はランタンをかざしてみる。
「っ……」
「え、あ、ちょっと!? ……行っちゃった」
私がランタンをかざすと同時、その人影は床になにかを置くと、逃げるように出て行ってしまった。
私も後を追ってすぐに外に飛び出したが、人影はすでに路地裏の暗闇に消える寸前だった。
日が落ちている今、街頭のない路地裏の道は一寸先も見えない真っ暗闇だ。
追いかけるのは早々に諦めて、私は家を出てすぐのところで足を止める。
一瞬だけ見えたシルエットからして、とりあえず女の子っぽかったけど……。
なんか……どことなく見覚えがあったような?
……うーん?
「それに、なにか床に置いてったけど……」
落としていったではなく、置いていった。
私から逃げ出すよりももっと優先することがあったみたいに、あの人影の子は立ち去る間際に慌てて床になにかを置いていた。
その正体が無性に気になった私は工房の中に戻ると、人影の子が置いていった物に明かりを近づけてみる。
「……紙袋? なにか入ってるみたいだけど……こ、これは……!」
紙袋の中を漁った私は興奮でカッと目を見開くと、勢いよく中の物を取り出して宙に掲げた。
「や、やっぱり……! これ、ハンバーガーだ! しかも、私の大好きなドラゴンステーキ&照り焼きフェニックスチキンスペシャルバーガー……略してドラ照りスペシャル!」
な……なんでこんなものを置いていって……?
まさか差し入れ? それとも……プレゼント?
あの謎の人影の女の子から、私への?
「あの子、いったい誰だったの……? 私の好物を知ってるってことは、私を知ってる人なんだろうけど……」
……や、好物を知っていただけじゃない。
彼女は、私が所有してるこの工房の場所まで知っていた。
こんな路地裏の果てにあるような辺鄙で廃れた場所に、私を探して偶然たどり着いたなんてあるわけがない。しかもこんな真夜中に。
私の好物を知ってる人は、それなりにいるとは思う。
でも、滅多に使ったことがないこの工房の場所まで知ってる人となると相当限られてくる。
私がここに直接案内したことがある人なんて、それこそ元勇者パーティの仲間だったステラちゃんくらいしか……。
「……もしかして、ステラちゃん?」
可能性としては一番高いけど……なんで追放した私にわざわざそんなこと……。
それとも、だからこそ?
一人で飛び出しちゃった私を心配して、ずっと私を探してくれてた?
落ち込んでるだろう私を励ますために、私の大好きなハンバーガーを買ってきて……?
「……よくわかんないけど、とにかくこれは、私へのプレゼントってことでいいんだよね?」
あの人影の子の正体がステラちゃんにしろ、他の誰かにしろ。なんらかの明確な意図を持って、ここにこれを置いていったことは確かだ。
そしてそれはきっと、私のために。
そうであれば、ありがたくいただくのが受け取った側の礼儀というものだ。
断じて、そう断じて! 私がドラ照りスペシャルを食べたいだけというわけではなくてね!
ふへへへへ……。
「厄日だと思ってたけど、最後にちょっとだけ良いことあったなぁ」
ありがとう謎の人影さん。あなたのおかげで、ちょっとだけ元気出たよ。
心の中でお礼を言って、ハンバーガーの包み紙を剥いてパクリと頬張る。
だいぶ前に買ったものだったのか、すっかり冷めて固くなってしまっていたけれど。
不思議とそれは、今まで食べたハンバーガーの中で一番美味しく感じた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
工房の掃除をし、謎の人影さんからハンバーガーのお恵みをいただいて満足感のまま眠りについた翌日。
このユグドラ王国の王都で自分のお店を開く許可を取るため、私は早速とばかりに商業ギルドに赴いていた。
許可を取ると言っても、そこまで難しいことはない。
こうして商業ギルドに申請し、お店を開く場所や商売内容について、それからその商売をするに当たって必要な資格を持っているかどうか審査を受けるだけでいい。
これでも私はれっきとした国家資格を持つ一人前の錬金術師だ。自分の工房だって持っている。やましいことはなにもない。
手続きは問題なく順調に済んで、無事に営業許可書を発行してもらうことができた。
この営業許可書は読んで字のごとく、王都でお店を開くことを許可された証だ。
今までも広場で露店を開く時なんかに期限が数日程度の簡易的な許可書を貰ったりしたこともあったけど、今回のこれは期限が五年もある本格的なやつだ。
そんなこんなで無事営業許可書を手に入れた私は、その日のうちに自分の錬金術店を開店した。
その名も『プロジオン錬金術店』。
私の名前がフラル・プロジオンなので、そこからラストネームを持ってきただけの安直な店名だ。
これで私は数多の錬金術師見習いの子たちが夢に掲げる『自分のお店を持つ』ことを図らずも実現した形になる。
私自身、自分の工房をほったらかしにして勇者パーティになんて加入していた不真面目錬金術師だけれど、もしも自分のお店があったらと妄想したことが一度もないと言えば嘘になる。
なんだかちょっと感慨深い気分だった。
今日から私は、このお店で頑張っていくんだ。
お店の外にデデーンと設置した『プロジオン錬金術店』の看板を見上げると、不思議とやる気に満ち溢れるようだった。
……そう。ここまでは確かに順風満帆だった。
だが、そんな記念すべき開店日から何日かが経過した頃――。
「うぅ……どうして……」
早々に、と言うべきか。
私は、お店を開店して以来の最大の問題に直面してしまっていた。
そう……なにを隠そう、このお店には――。
「なんで誰も来ないのぉ……」
このお店には、未だ一人としてお客さんが来ていなかったのである……!
……なんでぇ……?
Commentary:ドラゴンステーキ&照り焼きフェニックスチキンスペシャルバーガー
通称ドラ照りスペシャル。これ一つでとんでもない量のカロリーを摂取できる。
ちなみにドラゴンステーキと書いてあるが、使っているのはドラゴンではなくてワイバーンの肉。
また、フェニックスチキンと書いてあるが、使っているのはフェニックスではなくてボルカニックバード(火山に棲む鳥系の魔物)の肉。
一見詐欺に思えるが、分類的にはワイバーンは竜種で、ボルカニックバードは不死鳥種なので詐欺ではない。
通の間の噂によれば「真ドラゴンステーキ&照り焼きフェニックスチキンスーパースペシャルメガバーガー」なるものが存在するらしい……。