日本唯一の“紙芝居アナウンサー”とは
実体験そのものは少ないものの、紙芝居がとても楽しいものだったという記憶は残っている。当時、紙芝居を実演する人といえばほとんどが中年~高齢の男性だったと思うが、彼らがテンポ良く話し、一枚ずつ紙を引いては新しい展開を見せる紙芝居の世界に、あっという間に引き込まれ、夢中になったものだ。
その紙芝居屋さんの名は、「紙芝居師なっちゃん」。鎌倉のイベントに登場するというウワサを聞きつけ、さっそく会場に足を運んでみた。すると……。
様々な出店がある会場の中で、ひときわ人だかりが目立つ場所があった。子供たちが笑い声を上げ、手を上げ、大きな声で何やら元気よく答えている。大人たちも笑い、大きな拍手を送っている。その先に、紙芝居師なっちゃんの姿があった。
たしかに、若い女性である。小柄で、かわいらしい女性だ。しかし、その紙芝居を実演する姿は、なんともパワフルでエネルギッシュ。紙芝居のウデも確かで、声は実に聞き取りやすく、話を進めるテンポも素晴らしい。そして、なんといっても、見ていて楽しい。自然と笑顔になるのだ。
見ている内に、筆者もあっという間にその紙芝居に引き込まれた。子供の頃、オッチャンたちの紙芝居に引き込まれたのと同じように。
実演が終わり、次の実演までの合間に、紙芝居師なっちゃんに話を聞いた。ついつい「なっちゃん」と呼んでしまいそうになる、親しみある雰囲気の女性だ。
若い女性の紙芝居屋さんは珍しいと思いますが、どういったキッカケでこの仕事に就かれたのですか? 「実は私、以前にNHK金沢放送局でアナウンサーをしていたんです」と、なっちゃん。「その当時、番組の企画で子供向けの絵本をつくったり、紙芝居をつくって、子供たちのもとを回ったりしました。それが、私にとってすごく楽しかったんです。子供たちも、すごく喜んでくれて。そんな仕事をこれからもしていきたいな、と思ったのがキッカケでした」
なっちゃんの紙芝居で感じた、透き通る声。テンポの良い喋り。滑舌の良さ。非常に伝わりやすい、伝え方……。なるほど、これらはアナウンサーとして磨いてきたスキルが下地になっているわけか。
でも、“女子アナ”は、世の女性たちにとってあこがれの職業のひとつだと思います。その職を捨てて紙芝居師に転身するというのは、思い切った決断だったのでは? 「たしかに、悩みました。けれど、アナウンサーとして原稿を読むよりも、紙芝居を通じて喜んでもらえる仕事の方が、私らしいと思ったんです」
NHKを退職後、紙芝居師としての活動を東京で始めた、なっちゃん。保育園や幼稚園、ショッピングセンター、ストリートなどで、紙芝居師としての修行を積んでいった。
東日本大震災の発生以降は、被災地も積極的に回って子供たちに紙芝居を見せている。「被災地の子供たちと接していると、やはり傷ついていると感じます。けれど、紙芝居を通じて親御さんたちが笑ってくれると、子供たちも心から笑ってくれるんです。ほんのひとときでも、傷が癒えてくれるなら私も嬉しいです。被災地での紙芝居は、一生続けていきたいと思っています」
そう、この「大人も笑顔にする」のが、なっちゃんの紙芝居の大きな特長である。基本的には子供向けの内容なのだが、決して“子供だまし”ではないのだ。子供たちを本気で楽しませようと紙芝居をつくり、子供たちと対等な目線で、本気で子供たちに紙芝居を見せる。だから、大人もその本気に取り込まれ、楽しめ、笑顔になるのだ。
紙芝居師なっちゃんは、イベントの司会といった仕事も行っているが、その司会の合間に紙芝居を実演することもあるという。「これがご好評いただいているんです。司会をやっていたおねえちゃんが、いきなり紙芝居を始める、というのが面白いらしくて(笑)。こういう“紙芝居アナウンサー”ならではの仕事も、これからどんどんやっていきたいですね」となっちゃん。
ニュースや天気予報などの原稿を読み上げるアナウンサーは、たくさんいる。が、その合間に紙芝居を見せてくれたり、難しいニュースを紙芝居で説明してくれたりしたら、これはなんとも楽しいではないか。日本唯一の“紙芝居アナウンサー”には、たくさんの可能性が詰まっていると感じる。
「いつか、全国ツアーのように、日本中を回って紙芝居を実演していきたいです」と話す、なっちゃん。現在は、鎌倉・湘南エリアを拠点に、関東での実演が中心だが、呼ばれればどこでも行くという。また、紙芝居師なっちゃんのスケジュールは、公式ブログで確認することもできる。
「紙芝居は、日本独自の文化です。紙芝居師として、日本のみならず、世界中に紙芝居を広げていきます!」と意気込む、紙芝居師なっちゃん。そのパワフルさ、エネルギッシュさを持ってすれば、決して不可能なことではないはずだ。
(木村吉貴/studio woofoo)