2000年6月7日発売号から始まった此処のコラムも18年。気が遠くなる。眩暈がします。ガチンコ3・栗もえかのもはや戦友たる栗本柚希が生まれるのはその4か月後、鈴木萌花は翌々年の2月で連載45回目の頃。何度か書いてますけど初回は書き原稿じゃ無くインタビューをまとめていただいたもので、第3回では村長と成る以前の坂崎幸之助さんに私がインタビュー、自分で文章にまとめています。「KIKCHY FACTORY」と成る以前は『LOVE LOVEあいしてる』の出演者とスタッフのリレーインタビュー連載で、初代担当・影澤大姐様が私の連載にしてくださいました。
3年が終わろうかという4月『ayu ready?』を始めたタイミングでカラー1ページのアーティストインタビュー連載と成り、今で言う「浜崎あゆみへきくちから」再スタート。これは「さだまさしと石田さんへきくちから」まで5年超続き、初回のあゆから堂本光一までの1年半36回分は『音楽番組の楽屋でインタビュー』という本にまとめていただきました。大瀧詠一師匠との写真も未掲載トークもこの本の「あとがき」も私の制作人生の大きな宝物です。
書き原稿に戻って10年。担当編集者さんも替わりましたが、初代の担当だった影澤大姐様が先日ちょうど私の誕生日に学研を定年退職されました。それこそ大変な戦友でしたし、ロックな姉貴で、私がおもしろいと思う音楽かっこいいと思う音楽をおもしろがってくれた、たいせつな音楽仲間でもありました。
「きくちさんとのお仕事は、私の37年の中で、今もとても大きな位置を締めている大切な時間です」
私もそのままお返しします。お人形たいせつにしますね。
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