公職選挙法にはいろいろ細かい規定があって、演説会場や演説で使う拡声器や選挙運動に使う車両にはそれぞれ「表示板」と呼ばれる記章をつけなければいけない。 これらの記章はすべて、選挙管理委員会があらゆる候補者に全く同じ枚数を配布する。そしてそれらの記章のない場所での演説や集会はすべて非合法となり選挙違反となる。
だから例えばだけど、衆院総選挙で全国一斉に選挙が行われている最中に、激戦の選挙区に東京の党本部からの応援車両が入り、その応援車両に党本部の幹部と当該選挙区の候補者が同乗して遊説する…という場合、当然のことながら、拡声器用の記章も、選挙カー用の記章も、「普段その候補者が使ってる選挙カー」「普段その候補者が使っている拡声器」からひっぺ替えして、党本部車両と党本部拡声器に付け替える…というオペレーションで対応する。
バカらしい規制のように思えるが、こうすることによって、「全ての陣営が、同じ台数の拡声器、同じ台数の車、同じ数の会場」で選挙運動できるという平等性を担保しているわけだ。上記の事例だと、「わざわざ記章をひっぺ替えして、つけかる」オペレーションをすることによって「東京からきた党本部車両の拡声器」と「普段の拡声器」が同時に併存して選挙区内に拡声器が増えていく…なんて事態を防止しているわけ。
運動員も同じ。公選法には「選挙運動員とはなにか」についても細かく規定されており、「選挙運動員ができること・できないこと」だけでなく「選挙運動員の数」も規定されている。そのためにあるのが、「選挙運動員用の腕章」だ。この腕章も上記記章とおなじく、選挙管理委員会が全く同じ枚数を全ての陣営に配布する。こうすることによって、全ての陣営の選挙運動員の数を平等に保つことができる。だから先ほどのツイートの松下玲子の事例のように、よそから国会議員なり有名自治体議員なりが応援にきて、「ビラ配り」という「公選法で選挙運動員にのみ認められた行為」を行う場合は、当然のことながら、当該応援政治家は「選挙運動員」になる必要があり、「選挙運動員用腕章」をつけることによって「選挙運動員となった」とみなされるわけ。もちろん当該政治家が臨時にビラ配りのために腕章をつけているときは、普段その腕章をつけている選挙運動員は腕章をはずし、当該政治家の人数分、「選挙運動員ではない人」になっているわけ。
で、ここまでして、拡声器や車両の台数や、選挙運動員の人数の平等性を確保している以上、公選法の実運用では(ニュアンスの話なのでちょっと伝わりにくいかもしれんが…)、
「街頭演説には、記章のついた拡声器が必要」という解釈ではなく「記章のついた拡声器を用いて行う屋外での演説を、公選法が許可する街頭演説とみなす」という解釈が用いられる。なんだか不思議な解釈のようにおもえるが、「記章の配布を以て全ての陣営に平等を確保したと認識した」以上、こういう解釈になるのは当然。なんとならば「記章のない演説」は選挙違反である以上、「記章のある演説」は「公選法の認める演説」とみなさざるを得ないわけでね。
と、このように、公選法は「全ての陣営の物量的な平等性」を一種偏執的に徹底的に規定し管理しています。
そして公選法がそうであってくればこそ「選挙の平等性」が担保できるわけです。そして公選法がこうであってくれるからこそ、「選挙期間中に、街に拡声器が無尽蔵に溢れる」とか「町中、ビラとポスターだらけになる」というようなことを防げてるわけです。
で、公選法がここまでして「選挙の平等性」を規定しているからこし、「東京15区における、つばさの党の行為」は、「選挙妨害」などいうあやふやな概念ではなく、「すでにある公選法の規定の根源的な否定」という意味で、明確に罪に問える行為なんです。
まあその辺の話に興味のある奇特な方は、メルマガで解説しますので、メルマガ読んでください。
sugano.shop/items/59ccab22
40