性的なことに嫌悪感はありません
こんにちは、こむねです。
私の文章がかなり多くの人に読んでいただけているようで、とても嬉しく思っています。もし、過去記事を見ずにこのnoteに辿り着いた方は、以下の記事を読んでいただけますと私のことを理解していただけると思います。
上記の記事、私の言葉足らずのせいか少し勘違いをさせてしまった部分があるので、今回で訂正をしたいと思います。
私は、性的な行為に対して嫌悪感はありません。男性に対しても嫌悪感はありません。
私は、人並みかそれ以上に性欲はあると思います。
(比べたことがないのでわかりませんが…笑)
大好きな男性と性行為ができるなら、迷わず「したい」と答えます。
それでもこの2年間、性的なことにまったく手を伸ばさなかったのは、事件の『記憶』があったからです。行為を想像するだけでも、『記憶』が邪魔をして、欲望を妨げます。
私の中には瓶があります。性欲が詰まった瓶です。中身が外に出ようとすると、『記憶』が蓋となって浴棒が溢れ出ようとする出口を塞ぎます。
薄暗い部屋、見慣れない家具、見知らぬ背中、独特の臭い、モワっとした空気、乾いた口、浴びた朝日…これらの感覚が蘇り、ドロッとした気持ち悪さを感じます。あったはずの『性欲』はスッと消え去り、代わりに不快感だけが残るのです。
性的な行為を嫌悪しているのではなく、嫌悪している記憶が性的な行為を妨げている……これが、事件から2年間の私です。
今は、この蓋に小さな穴が開いて、欲望が少しずつ瓶の外に溢れ出ています。オナニーを出来るようになったのが進歩の証です。
しかし、性行為を妄想すると、記憶が蘇ってきます。瓶に蓋がされます。本当は妄想したいけれど、どうしても蓋が閉まってしまう。これが今の現状です。
おそらく、蓋が無くなることはないでしょう。この記憶は、一生付き合っていくものになると思います。
でも、今後、この穴を大きくすることができれば、蓋の存在なんて気にならないくらいになれると思っています。穴をあけることはできたのだから、その穴を大きくしていくことは容易なはずです。
男性に対しても同じです。
嫌悪感自体はないのですが、男性との距離感(物理)が近くなると、記憶が蘇って後ずさりをしてしまいます。目線を向けられると、顔をしかめてしまいます。
決して性的な目で見られるのが嫌というわけではありません。「性的な目で見られたい」「好意をもって見られたい」と本当は思っています。
しかし、表面的な感情と、より深いところで感じていることは違います。「許可なく隙をついて私の身体を弄ろうとしているんじゃないか?」という不安が頭を過るのです。これは、自分ではどうにもできません。
私の中の『男性恐怖症』は、「怖い…」と思っているのではなく、体が勝手に「怖い」と認識してしまうことなのです。
Twitterでは、直接対面していないこともあって、体が反応することはありません。「男性恐怖症なら、あまり話しかけない方が良い?」と心配してくださる方がたくさんいて本当にうれしく思っています。でも、全然大丈夫です。(ただ、たくさんのDMをいただいているので1つ1つ返信することはできません。すべて読んだうえで、リアクションのみさせてもらってます。「返信してくれないのは男性恐怖症だからだ!」と勘違いされている方もいますが、そういうわけではありません。ご理解ください)
私は、性的な行為に嫌悪感があるわけではありません。男性に対して嫌悪感があるわけでもありません。あるのは『記憶』に対する嫌悪、記憶の中の感覚に対する嫌悪です。私は性行為をしたいと思っているし、男性ともっと近づきたいです。
だからこそ、私は前に進みたい。記憶と戦っていきたいと思っています。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
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