『マーフィー 人生は思うように変えられる』 ジョセフ・マーフィー
マーフィー 人生は思うように変えられる―ここで無理と考えるか、考えないかで… (知的生きかた文庫)
Joseph Murphy ジョセフ・マーフィー
ジョセフ・マーフィーは数冊読んだことはあるのだが、この本はエッセンスがよくわかってよかった。自己啓発に懐疑的な方もおられるだろうが、シンプルにマーフィーの主張がわかったという点で私の個人的な嗜好であるが、「GREAT BOOKS」の選に選びたいと思う。
マーフィーのいう基本的なエッセンスは願うことを想像力で現実にかなったように想像しつづけると潜在意識にはたらきかけてそれが現実にかなうというものである。じつにお手軽な成功哲学に思えてバカにする向きもあると思うが、感情や身体に関してはそれは確実なことである。悩みや不安ばかりを心に描いているとほんとうに体調不良になって病気になるし、不運や災難はふりかかるものである。
私たちは自分が働きかけている心の作用というものを知らないのである。感情や境遇を生み出しているものは自分の心やイメージなのだが、それが自分がつくりだしているという作用に気づいていないのである。あるいは心を選択したり、コントロールしたりすることなんて思ってもみないものである。外界の出来事や他人が私の感情や境遇を生み出したと信じている。そして外界や他人を呪い、怨み、私たちは外界にうちのめされて、被害者のような気持ちで一生を過ごすのである。
マーフィーはそのような人が自然につちかってしまう外界への態度というものを180度転換させたのである。外界はみずからの心がつくりだし、外界に反映されたものだと主張したのである。ふつう人は外界の出来事は私の心や信念と無関係に動くものだと固く信じているわけだが、私もそういう要素は外界に何パーセントはあるかと思うのだが、マーフィーは極端なまでに信念が外界や出来事をつくりだすと主張している。信念や信仰が石まで動かせると信じるくらいの気迫がなければならないからだろうが。
信念や信仰というものは近代の歴史の中でキナ臭いとりあつかいをされてきたものである。信念を信じすぎるのは宗教や呪術だとして、近代の科学はそれを排斥してきたわけだが、それによって外界を物質や物理法則ではたらく客観的な事物としてあつかうことによって近代科学は樹立して発展したわけだが、同時に私たちはマーフィーが主張するような精神が原因で病気がおこるといったことや、心で人生の幸福や不幸が決まってしまうといったような主張さえ禁じられてしまったのである。
自己啓発や信念が嫌われるのはそれによって近代科学がよってたつ客観的世界が失われてしまうからである。私は感情面や身体面ではマーフィーの主張を信じるほうが健康面にはよいと考えているが。自分の心理的世界においてはマーフィーの信念的世界を信じるほうがぜったいに心によいと思う。感情や身体的健康、境遇は自分の描いた心がつくりだすものである、そう考えたほうが私たちは心の「主人」になれ、外界や出来事の「奴隷」にならなくてすむと思うのである。
外界の出来事を出発点や原因ととらえるか、心や思いを原因ととらえるかで人生のありようは大きく変わる。落ち込んだり、不遇になったりするのは、私の心の持ち方やあり方に問題があるからだということになるからだ。心のあり方に責任がかかってくる。心に原因があるというとらえ方は、人生の助手席から運転手になることを意味するのである。私はこういう態度のほうが正しく、かつ自分のためになると思う。近代科学の態度というのは心まで客観的世界においてしまったために、クルマの助手席でどこにいくかわからない車の暴走に脅える哀れな被害者の人生を生み出すだけだと思う。
「こうなってほしいことを、自分の心に命じなさい。そうすれば、望み通りになるのです」
「やりたいと望んでいることをやっている自分を想像してごらんなさい。そして、その行為を感じてごらんなさい。そうすれば、あなたの人生に驚くべきことが起きます」
「「こうなったらいいな」ということがあったら、そうなったつもりになってごらんなさい」
「あなたの中に、恨み、恐れ、悪意、敵愾心、悩みといった暗い仲間たちを住まわせてはいけません。こういうものは、あなたの心の落ち着き、安らぎ、健康といった、よい仲間を殺してしまうのです。
反対に、あなたの心の中をいつも明るい光に満ちた大通りにして、信頼、平和、真実、愛、喜び、善意、健康、幸福、富といったよい仲間をいつも歩かせるようにするのです」
「よく、「食物があなたをつくる」といわれます。……もし、あなたが心に否定的な考えを食物として与えていると、病気、悲惨、悩みがあなたの生活の中に育ってしまいます」
「よいことを考えればよいことが起こってきます。悪いことを考えれば悪いことが起こってくるのです」
「知識として覚えるだけでは役に立ちません。いいと思ったことは心にしみ込ませ、自分のものにしてしまうのです。そうすれば、潜在意識にもそれが溶け込んでいきます」
「もしあなたが、誠実、信頼、平和、愛で心をいっぱいにしたら、否定的な考えがあなたの心に入り込む隙はなくなってしまうのです」
「この世において神の平和を楽しみたいと思ったら、わたしたちは心に神の寺院をつくるべきです」
「あらゆるものを愛することが、私の心をなごやかにし、恐怖を取り除いてくれるのです。私はつねに最善のものを求め、喜びに満ちています。私の心は悩みや疑いから解放されています」
「無限の力は外からくる何ものにも傷つけられないし、何ものにも負けないのだとよく覚えておきなさい。この力は全知全能ですから、もし、あなたが考えや感じ方をこの力と同一化するならば、あなたは自分で思っているよりもずっと力強くなれるのです」
「自分のいっていることを、いつでも心の中で否定していると、病気は治りません」
「心臓肥大や高血圧のことをクヨクヨするのは、それだけその病気を重くすることになります。よくない兆候や、うまく働かない器官など、悪い部分ばかりを考えるのはよしなさい」
「もし、あなたが何かを信じると、意識するしないにもかかわらず、それは心の中で大きな場を占めるようになるのです。だから、あなたを癒し、祝福し、励ますもののみを信じなさい」
「悩んでいるときはたいてい、そうなってほしくないほうに心を向けているものです」
「大きな問題にぶつかったら、楽しいことや気持ちをやわらげることをして緊張を解くことです。問題と戦ってはいけません」
「悩んでいるとき、あなたはそうなっては困ることを一生懸命に求めているようなものです」
じつにかんたんな心の法則をマーフィーは描いたものである。心に思ったことがそのまま実現する、よいことも悪いことも。だから単純に心によいことやすばらしいことを描けと。
だけど心というものはいつも悪いほうや否定的な考えばかりにひきずりこまれるものである。知らないあいだにそっちのほうばかりに落ち込む。思考というものは問題や悩みの「作業班」のようなものなのだろう。解決しようとするのはいいのだが、ぎゃくにその間、心は不穏で不安なものに満たされつづける。おかげで心の法則どおり、不穏で悲観なことばかりが感情や身体、人生でおこってしまうのである。
だから心を問題や怖れから外して、よいことやすばらしいことに満たさなければならないのである。マーフィーや自己啓発は心の主体をとりもどす運動をおこなっているわけである。かつてはキリスト教や仏教が説教や念仏によって人々をそういうふうに導いてきたのだろうが、近代科学は心を客観的世界のほうにおいてしまった。信念や信仰の排斥である。そして哀れな私たちは心の犠牲者となってしまったのである。
心を出発点や原因ととらえることによって、私たちは心にどのようものを描いたらよいかを決める責任を課せられることになる。悲観や否定ではないのはいうまでもないことだろう。マーフィーのようなキリスト教信仰を完全に信じられる土壌に住む人たちをうらやましく思う。きれいで、美しくて、安らかで天上の言葉ばかりに満たされた心はこの世の天国というものなのだろう。
「あなたの荷を、主にゆだねよ。主は、あなたを支えられる」
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