汎人類史が失った物の中に満天の星空というものがある。栄えた場所である程に、地上の闇は光で照らされ、同時に天の光は見えなくなった。
日本の都市で育った立香にとって満天の星空という光景は馴染の深いものではない。だからこそ、その美しさには惹かれるものが有る。
ロシア異聞帯では昼夜関係なく吹雪いていた為に見ることの叶わなかった光景に目を輝かせ、木に背を預け、杯を呷る。
朱色の盃に注がれた酒を一息に飲み干す立香を見ながら暗殺者‐荊軻は笑みを零す。
「良い呑みっぷりだ」
「えへへー、色んな人に仕込まれたからね。酒樽一杯くらいなら余裕なんだよ!荊軻さんのお酒は美味しいから、幾らでもいけちゃうかも!」
「それは重量。だが、あいにくと持ち合わせはそう多くない。この瓢箪一つで勘弁してくれ」
「わかってまーす。荊軻さんも飲んで飲んで!人類の英知であるダ・ヴィンチちゃんが作ったお酒を人類の救世主である私が注いであげるんだから!」
「うむ。ありがたく頂こう」
返杯を一息で飲み干す荊軻に立香は拍手を送る。つかの間の和やかな時間はゆっくりと過ぎていた。
日中、この村でえられた情報は少なかった。元々、村人たちは村の外の事は曖昧な噂話程度でしか知らず、この異聞帯の王の名も正確に知りはしなかった。“天子様”と呼ばれ崇め奉られる存在は十中八九、“始皇帝”であるというのがダ・ヴィンチの分析ではあるが、確信を得るには至らなかった。
そんな状況でそれでも懸命に情報収集に励んだ立香たちが得られたのは二つ。
一つは大昔に起きたという“戦争”という国事の際に“天子様”の声に応え現れたという”英雄”の存在。
そして、二つ目は彼らが眠ると言う霊山‐驪山の存在。
正直、立香にはそれが与太話にしか思えなかったが、カルデアの頭脳であるダ・ヴィンチとホームズはそうではなかった様で、この異聞帯で起きている異常‐この世界には抑止力たる英霊がいないという点と
「英雄が死せずに眠ってる。
立香が零した疑問に荊軻は杯を傾け、首も傾ける。
「私は学者でないから
永久に平穏を享受する安寧と調和が続く太平の国。幸福への隷属と引き換えにこの世界の人々は世界に祈らずとも生きる術を与えられた。
祈るのは
「気に食わないのじゃ」
立香と荊軻の細やかな宴会に子供の声が飛び込んできた。声の方へ振り向けばそこには豪華な織物に身を包んだ童女‐立香の
「あ、ふーやーちゃん。マシュの事、呼んで来てくれた?」
「まったく…いくら
そう悪態をつきながら歩いてくる武則天の傍にマシュの姿はない。
「残念じゃがあのマシュとか言う娘は妾に劣らぬ美を持つ娘と”ちゅー”するので忙しいから来られぬそうじゃ」
「え!?チュウ!?マシュとダ・ヴィンチちゃんがチュウしてるの!?私も混ざりに行かなきゃ!!」
「あ、待て待てマスター。“ちゅー”は接吻ではない。何と言っていたか…“ちゅーにんぐ”じゃったか?」
「あ…そう…マシュはオルテナウスのチューニング中か、残念なんだよ」
「くっふー、しかし安心せよ。妾は優秀故にな!たとえ本意ではなくともお使いから手ぶらで帰る筈があるまい!」
そう言いながら笑う武則天の後ろで動く小さな人影。立香たちが目を凝らせば、其処には小柄な武則天の背に隠れてしまう、武則天と同じくらいの背丈の少年がいた。
それは村での情報収集の際に何度か言葉を交わした少年だった。
「くっふっふー、大人たちは日が落ちて寝静まっていたが、こやつはそこの茂みでお前たちを覗いておいたから、ひっ捕らえてきたぞ」
立香と荊軻はそう言いながら武則天に突き出された少年を見る。
二人の視線に少年は顔を赤くした後に頭を下げた。
「ご、ごめんなさい。なんだか眠れなくて、夜風に当たりに出たら、お姉ちゃん達の姿が見えて…その、凄く綺麗だったから、覗いてしまいました。ごめんなさい!」
立香は少し前から視線を感じていた。荊軻が何も言わないので害はないのだろうと放っておいたが、彼だったようだ。
「綺麗だなんて、えへへ、確かに荊軻さんはすっごく綺麗だけど、私もかな?」
「うん。お姉ちゃんも凄く綺麗だよ」
「わーい。嬉しいな。ほら、こっちにおいでよ。君もお酒を呑む?ジュースの方がいいかな?割る用の奴を水で薄めればいいよね。はい。これ上げる」
立香は持っていた朱色の盃に入っていた酒を飲み、盃に果汁を注いで水を足し少年に手渡す。
「あ、ありがとう」
少年は顔を赤らめながら立香から盃を受け取った。
「どういたしまして!ふーやーちゃんは何を呑む?」
「ふむ、カルデアの酒も良いが折角だ。荊軻とやら、妾の盃を満たす栄誉を与えてやっても良いぞ」
「おや。皇帝陛下が私の酒をご所望か。ふふ、良いだろう。今夜は無礼講としようか」
「くっふー、よかろうなのじゃ」
こうして四人となった細やかな宴会は再開する。
その最中に立香達は少年と様々な事を話した。
立香達のいる汎人類史には有って少年の生きる異聞帯にはない儚くも美しく喜びに溢れたもの。
それに触れた少年は目を輝かせて言った。
「“自由”って、すごいね!」
その言葉を聞いて、立香は思う。この異聞‐中華異聞帯‐安寧の大地は確かに素晴らしいのだろう。
けれど、人が生きるには余りに“つまらない”と立香は思っていた。
人生に刺激を求めるのなら、この異聞帯を退屈だと称した立香の考えは間違ってはいない。
一見すれば真面なソレは、けれど、強い者の理屈でもあった。人生を楽しみながら生きられる者の考え方だった。
ただ平穏に生きたい。
愛したヒトと共に安らかに生涯を終えたい。
そう考える者からすれば、この異聞帯こそが理想形。
その平穏を維持する為に愛したヒトが存在していると言う一点を除けば始皇帝の統治こそが彼女にとっての理想郷と言ってよかった。
けれど、その譲れぬ一点が有るからこそ始皇帝と完全に仲良くなれない彼女は‐大局を動かす為に満月の夜に降りてきた。
「不愉快ね」
言葉のままに不機嫌さを隠すことなく音もなく現れた彼女に対して驚き言葉を失ったのは立香ではなく、荊軻と武則天の二人だった。
酔っているとはいえ
「サーヴァントが能天気なら、マスターも同じね。その間抜け面は、映像で見るよりも滑稽だわ」
「間抜け面は酷いかも。アハ、お前は資料通りの綺麗な顔をしているね。パイセン」
「その吐き気を催す敬称は止めなさい」
此処に降りるは美しい黒髪を二房に束ねた月下美人。
クリプター‐芥ヒナコが其処に居た。
唐突に現れた敵の前に二人の
目配せ一つで通じた二人の動きを止めたのは芥ヒナコの背後から現れた英霊の
「あの…お姉ちゃん…」
「しー、なんだよ。こっちにおいで」
動揺する少年を優しく制し守る様に抱き寄せる立香。
それを見て眉を潜めた芥ヒナコ。
周囲から虫の鳴き声すら消えた静寂の中で立香と芥ヒナコの視線が交差する。
互いに本心を見せないまま、唐突に訪れた出会い。状況を動かしたのはやはり立香だった。
立香は人差し指を立てるとその指先を夜空で輝く月に向ける。そして、無邪気に驚いた様な声を出す。
「あっ!あれれ~、あれはなんだろ~」
「…」
ふざけた言葉だった。少年をこの場から逃がす為に芥ヒナコや蘭陵王の気を逸らすにしても、もっと頭の良いやり方は存在していた。
まるで馬鹿みたいな真似をする立香。故に溜息すら吐かずに動かないでいる三人にとって其処からは正しく“あっ”という間の出来事だった。
血の匂いがした。
それにいち早く気が付いたのはこの大地において中立を保たんとする始皇帝側に立つが故に立香を必要以上に警戒していなかった秦良玉だった。
立香と対峙する自分たちの背後から香る血の匂い。それに反応して即座に背後を振り返れば其処には血塗れの白い鬼が居た。
「芥ヒナコ様!危ない!」
「…え?」
十字槍を振り上げる血塗れの白い鬼‐森長可の狙いが芥ヒナコだと気が付いた秦良玉は芥ヒナコを突き飛ばし‐身体を切り裂かれた。
「あぐぅ!?」
鮮血が舞う。倒れる秦良玉を見て呆気に取られる芥ヒナコに代わり森長可の次の攻撃に備えたのは蘭陵王。
「マスター!私の後ろに!」
秦良玉の躰から血が噴き出す。
「ぎゃはははは!やったぜ!オラァ!この女はサーヴァントか!何点だ?なあ、マスター!」
美しかった秦良玉の顔からは文字通りに血の気が引き白さが際立ち美しさに磨きがかかっている。
それを玩具の様に扱う森長可。あんまりにもあんまりな光景に言葉を失ったのは芥ヒナコと蘭陵王だけでなく荊軻もまた引いている。武則天は森長可が秦良玉の首を振り回す度に飛び散る血が身体に掛るのを器用に避けていた。
森長可の蛮行に唯一反応するのは無論、それを命じた立香だ。立香はあんまりにもあんまりな光景を少年に見せない様に少年を背中から抱き寄せ、その眼を両手でふさぎながらに森長可に笑顔で答える。
「血が流れてまだ消滅していないから、その綺麗な人はサーヴァントじゃないのかも」
「あぁ?…ちっ、なんだよ。なら、女子供は三点じゃねぇか」
森長可はつまらなそうにそう言うと秦良玉の首を無造作に地面に捨てた。それを見てキレたのは蘭陵王だ。彼は仮面の下の美しい
「止めなさい」
「マスター!しかし、秦良玉は!」
「私たちの完全な味方では無かったわ。彼女は始皇帝の英雄よ」
「…しかし、我々の敵ではありませんでした。素晴らしき武人です。あの様に扱われていい筈が無い」
「お前は相変わらず優しいわね。でも、止めなさい。状況が悪い。さっきまで二対二だったのに、今は三対一よ。堪えて。お前は私を守りなさい」
「…御意」
立香と言葉を交わすこともなく死亡した秦良玉。
それを察した立香は秦良玉の正体を悟る。森長可の攻撃に反応して芥ヒナコを庇うことの出来た時点で秦良玉が名高い武人であることは立香も分かっていた。そして、芥ヒナコから出た“始皇帝の英雄”という言葉。
ならば、名前も知ることなく殺された彼女こそ村で得られた情報の一つ。霊山『驪山』に眠る“冬眠英雄”なのだろう。
(冬眠英霊。ダ・ヴィンチちゃんが算出した脅威度はS。個々の武力に差があるとしても、森君の攻撃に反応する事が出来た彼女が最低ラインだとして、それが何百人も居たなら確かに脅威的なんだよ)
「…、…、…」
視界を塞いでいようとも風に乗り香る血潮。それに気が付き身体を僅かに震わせる少年。それでも立香の言葉の通りに静かにしている姿を可愛く思いながら、立香は少年の後頭部に胸を押し当てて色々と考える。
(でも、パイセンはそんな彼女の死に驚きはしても動揺してない。一緒に行動していたから、
芥ヒナコの言うように今の立香の状況は良い。
武則天&荊軻 対 蘭陵王&秦良玉という均衡は立香の切った森長可というジョーカーに壊された。これにより芥ヒナコが作りたかった対話の場は台無しになった。
状況は三対一に変わり立香の優位は揺るがない。
「お前には本当に私たちと話し合う気がないのね」
芥ヒナコの言葉に立香は笑う
「当然かも。男の子の
「あっそ。気色が悪い笑顔ね。私としては話し合いで終わるならそれが良かったのだけれど、それが無理ならお前は無駄に戦うことになるわ」
この異聞帯に於ける芥ヒナコの願いは空想樹の成長ではない。故に彼女はこの地に根付いた空想樹の内側が腐っていることを始皇帝に隠している。
「この異聞帯に未来は無い。お前が何もせずとも何れ消える運命にある。故にお前が戦う理由は無い。だから、此処を去れと言いに来たのだけれど…その眼は私の言葉なんて信じないわね」
「まさか、私がパイセンの言葉を信じない訳ないんだよ。信じた上でこう
立香の宣戦布告に芥ヒナコは噴き出して笑う。美しい顔を歪ませながら、我慢が出来ずに漏れた声は艶に満ちていて男を虜にする魔性に満ちていた。
「ふふ、あはは、あははは!私が、私が人類の裏切り者?的外れも良い所ね」
月下の元で黒髪を解き、長く美しい髪が風に揺れる。そして、眼鏡を外し捨て去れば、その瞳は血の様に赤い。
「私にとって
その言葉と姿を見て立香は芥ヒナコの正体を悟る。立香は魔術師としては三流以下だが、察しは良い。加えて経験だけで言うなら一級品だ。
故に立香はソレに属する者達に出会ったことがある。流石に始祖となると話は別だが、話だけならダ・ヴィンチちゃんから聞いていた。
この星の守護者とも呼ばれる存在。
人類を超越した最強種。
始祖の吸血鬼。
それがこの状況下でなおも芥ヒナコが揺るがずにいられる理由だと知り立香は目を細めた。
「そっか。確かに私が間違っていたね。最初から人じゃないなら、裏切りも何も無いもんね。でも、ならどうして人ではないパイセンが人類史の生存競争に参加しているのかな?カルデアに参加した理由も分かんないけど、関係ないなら、引っ込んでなよ」
「私だってそのつもりで居たわよ。元々、カルデア初代所長のマリスビリーが死んだ時点で見切りは付けていたの。二代目の娘に期待なんて出来なかったし、マリスビリーとの契約も切れていたから適当に死んで身を隠す気でいたわ。でも、その時に事が起こった」
マリスビリーへの義理を通して参加したレイシフト。それは人類焼却を目論んだ魔神王ゲーティアの配下の手によって失敗に終わり、芥ヒナコは死んだ筈だった。
それは彼女にとって都合の良い展開だったと言っていい。
元より彼女は人類に興味がない。故に人理修復も本心から言えばどうでも良かった。
それでも一応は期待したマリスビリーは死亡して、レイシフトに参加したことで義理も通した。故に芥ヒナコが死んだなら、その名を捨てて再び始祖の吸血鬼‐虞美人として生きるつもりでいた。
けれど、どういう因果か芥ヒナコは生きていて‐そして、この異聞帯で彼に出会ってしまった。もう二度と出会うことは無いと諦めていた虞美人にとっての最愛の人。
項羽がこの異聞帯ではまだ存命だった。
「だから私はクリプターとしてこの戦いに参加した。項羽様と一秒でも長い時間を共に過ごす為に、異聞帯の王である始皇帝にも協力するわ。その方が都合が良いもの」
「でも、この異聞帯の勝利は望んでいないんだよね?」
「ええ、どの道、キリシュタリアには敵わない。あの男の異聞帯は異常よ。それこそイヴァン雷帝程に巨大な化け物がごろごろといるわ。勝てはしない。なら、私は戦いを望まない。戦いが続けば続く程、項羽様が傷ついてしまうもの」
「だから、一緒に腐り堕ちることを願うんだ。仲間みたいな顔をして。パイセンは、
「なんとでも言いなさい。お前如きに理解されようとは思わない。それにこの世界を滅ぼそうとするお前に非難される謂れはないわ。そうして庇う振りをしている子供すら、消し去ろうとするお前より私の方が幾分か真面よ」
「…え?」
芥ヒナコ‐虞美人の言葉にそれまで立香の言いつけ通りに静かにしていた少年から声が漏れる。立香の背後から抱き寄せられて、両手で視界を塞がれたままに少年は言う。
「お姉ちゃん達は、僕たちを滅ぼす為にやって来たの?」
「そうだよ」
思わず言葉に詰まる質問に二もなく立香は答える。その返答を武則天と森長可は当然のものとして受け取り、荊軻は
「勝者が生きて敗者は滅びる。そう言う単純な
「…お姉ちゃんは、僕たちの敵なの?」
「それは君が自分の目で見て決めることかも」
そう言って立香は抱き寄せていた少年を介抱する。
少年の視界は
首を落とされた始皇帝の使いとそれを成した血塗れの鬼武者。立香と対峙する黒髪の美人とそれを守るように立つ仮面の剣士。そして、自分を見つめる立香とそれに従う二人の女性。
激動と言える光景を目にした少年は最後に縋るように立香を見て、その場から走り去っていった。
「厄介払いは済んだようね」
虞美人の言葉に立香は微笑み答える。
「待っててくれるなんて優しいね。じゃあ、始めようか、殺し合い。パイセン」
「ええ、そうね。後輩」
最早、其処に問答は無用。
互いに許せぬ敵を見据えながら月下の元で対峙する。
この立香ちゃんがクリプターを許してしまうのではという心配がいくつかのメッセージや感想の中にありましたが、安心してください。激怒したままですよ。
皆様にアンケートも取りましたし、そこがブレてしまってはこの物語の書きたい部分がなくなってしまいます。
なのでクリプター達との和気あいあいを見たい方は他の方が書いている世界線を読むか原作で-ぐっ様に聖杯を貢ぎましょう。
ぐだぐだな文ですが応援いただけると幸いです。(^^)
またどのような意見であれ、感想をいただけるのは嬉しいです。
クリプターを一人倒した。次はどうする?
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少しだけ後悔する
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男の子とは友達になる
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