みなさまの暇つぶしになれば幸いです(^^)
運命は変わった。予定調和は崩れ、未来はより混沌となる。この立香でなければ成しえなかったと断言できる“偉業”の一つはライダーの手によって完遂された。
“漂白”された世界に向けて発信されていた通信を受け、シャドウ・ボーダーは本来なら有り得なかった速さで目的地に到達した。
それが二週間前のこと‐つまり現在、原初の魔術工房‐彷徨海バルトアンデルスに立香はいた。
年に一度、12月31日にのみ姿を現し限られた才能のみを招き入れる神秘の海域。多くの才能ある魔術師達が望みながらも足を踏み入れることの出来ない場所で立香は途方にくれていた。
「むぅ、帰り道が消えたんだよ」
夜中に目が覚めて、与えられた私室を暇だからという理由で飛び出して、廊下を歩いていた立香は何時の間にかに迷子になっていた。時刻は深夜‐立香の頭の上にのるフォウ君も小さな寝息を立てている。立香はフォウ君を起こしてしまわない様に絶妙なバランス感覚を誰に目にも触れない場所で無駄に発揮しながら廊下を歩く。失くしてしまった帰り道を探す立香の旅路は長く‐続く訳もなく五分ほどで見慣れた場所にあっさりと辿り着く。‐当然だ。
現在の彷徨海バルトアンデルスを取り仕切るアトラス院の才女‐シオン・エルトナム・ソカリスと、そのサーヴァント‐“キャプテン”は立香たちが彷徨海バルトアンデルスにやってきてから、たった二週間の間に人が暮らす環境では無かった彷徨海をカルデアベースに造り替えてくれていた。
現在の彷徨海バルトアンデルスは昔のカルデアとほぼ同じ造りをしている。‐その場所で迷子になる立香にこそ問題があったが‐それは隅に置いておいて見慣れた場所にたどり着いた立香は安堵しながら、食堂の扉を開いた。
「―――む?」
「…深夜の食堂の扉を開けると、そこには盗み食いをする新所長の姿があったのです。これは事件かも!」
深夜の食堂。電気が付いていながらも“まあ、誰もいないよね”と開いた扉の先にゴルドルフが居て、しかも、ケーキを盗み食いしていたという事態に立香のテンションが謎に上がる。
「ねえねえ!何食べてるの?バターの香りかも!ケーキ?ケーキ!ケーキ!?」
深夜テンションという非常に厄介な状態で絡んでくる立香に対してゴルドルフは心底、迷惑そうにしながら声を上げた。
「ええい、鬱陶しい!まったく…鼻の良い奴だ。おおかた、私と同じく甘いバターの香りに釣られたのだな?………仕方あるまい。私はもう充分に味わった。そら、まだ手を付けていない半分をくれてやろう。お茶はポットにあるぞ」
立香はゴルドルフから渡されたケーキをわーい!と受け取り、甘いバターのいい香りに欲望が刺激されるまま口に運ぼうとして、止まった。
そんな立香の様子をみてゴルドルフは怪訝な顔をする。
「どうしたのだ?」
「うーん。よく考えたらこんな深夜にケーキは女の子の敵すぎるかも。お茶だけ飲んで、ケーキは明日の楽しみにしようかな?…うん。そうするね。ゴルドルフさん、ケーキありがと。明日、マシュと一緒に食べて味の感想を聞かせてあげるからね」
「…え?なんで私に味の感想を?」
「…え?だってこれ、ゴルドルフさんが作ったケーキでしょ。なんで不思議そうな顔をするのかな?…ていうか、ちょっと顔色が悪すぎるかも!大丈夫!?」
摘まみ食いをしたケーキ。‐青白い顔で冷や汗をかき始めたゴルドルフから聞けば、それはゴルドルフが用意した物ではなく、食堂に『for藤丸立香』と書かれて、置かれていたものらしい。
謎のケーキ。そして、そのケーキを食べてから明らかに体調を崩し始めたゴルドルフ。その事態が意味することを立香が理解するよりも前に、
金属がぶつかり合う音が食堂に響いた。
立香とゴルドルフが音のした方へと視線を向ければ、そこには立香に向けて放たれた暗器を
そして、忘れられる筈もない立香にとっての怨敵‐
原初の魔術工房‐彷徨海バルトアンデルスという絶対の安全が約束された場所に突如として姿を現したコヤンスカヤにゴルドルフは毒を盛られていただろうケーキを食べて青くなった顔を更に青くしながら、震えた。
「な、なな、ななな、何故コヤンスカヤ君が此処に!?」
「…参りましたわ。大の男がこっそり、部下への贈り物をつまみ食いとか。本命には口も付けて貰えませんし。…そして、直接、命を狙おうかと思えば面倒なのが、ワラワラと。相変わらず、無駄に愛されてますわね。立香ちゃん♪」
予測などできない唐突過ぎるコヤンスカヤの登場を説明するのなら、ロシア異聞帯での立香の奮闘とカドックの絶命を知った
知っておくべき事実は二つ。一つ、コヤンスカヤは立香の命を狙い彷徨海バルトアンデルスに現れた。二つ、この状況下において追い詰められているのはコヤンスカヤだ。
不意を突き立香の命を狙った凶刃は暗殺者‐武則天により防がれた。そして、コヤンスカヤを前にした立香の高ぶりに呼応して次々に‐ワラワラと‐立香のサーヴァント達が現界する。その中にはもちろん、カルデアにてコヤンスカヤの
毒殺に刺殺。二つの暗殺を外したコヤンスカヤの状況は悪い。いくら異星の神の使者である彼女とはいえ、五人のサーヴァント達を敵に回せるほどの戦力は有さない。奥の手の一つや二つはあるが、それは立香のサーヴァント達も同じことだ。
彼女はロシア異聞帯での蒸気王‐バベッジの戦いを知っている。其処で解放された“大宝具”という存在もまた知っていた。
故に此処で無理やりに立香の命を奪わんとすることが悪手であると悟り、失敗したことを諦めて、舌先三寸で転がして逃げの一手を打とうと、立香に微笑みかけたコヤンスカヤにとって意外だったのは、自分を見た瞬間に殴りかかってくると思っていた立香が動きを止めていることだった。
「…」
コヤンスカヤの声掛けに立香から返事はない。コヤンスカヤと対峙する武則天も立香の
コヤンスカヤの暗殺は失敗し、周りには立香のサーヴァント達が揃い踏み。コヤンスカヤにとって敵地である此処にはもちろん、カルデアの時の言峰神父の様に誰かが助けが入ることはない。逃げようにも武則天がそれを許さない。
どこをどう見ても立香が優位な状況で、それでも立香が顔を俯けて動きを止めている理由を考察して‐思い至ったコヤンスカヤは驚いた後、いやらしく嗤った。
「ええ、なるほど、そういうことですか。あなたも意外と愛されてますわね。ゴルドルフ所長」
「…は?…ど、どういう意味だ」
立香が盛られる筈だった毒を盛られ、顔青くして寒気で身体を震わせるゴルドルフが回らなくなってきた舌で懸命に返事を返すのに対し、コヤンスカヤは嗤いながら言う。
「彼女がそうして必死に衝動を抑えてるのは、どう考えて貴方の為じゃないですか。私の命を奪うは、簡単でしょう。けれど、それをしてしまえば
コヤンスカヤの言葉でゴルドルフは立香へと顔を向け、そこで怒りに震えながらも歯を食いしばり衝動を必死にこらえている立香の姿をみた。
コヤンスカヤの言う通りだ。今の立香にとって、コヤンスカヤを倒すことは難しいことではない。それを分かっていたからこそ、コヤンスカヤも立香の暗殺を試みた。
正面から戦わずに搦め手で藤丸立香という障害を取り除こうとした。それは失敗してしまったが、コヤンスカヤにとって幸運だったのは“優秀な立香ちゃん”を自称する彼女が、
いや、優秀ではないという言葉には語弊がある。コヤンスカヤとて立香が優秀なマスターであることは認めている。だが、しかし、
故に優秀な魔術師ならば選べただろう選択が出来ずに立香は唇を噛む。ゴルドルフの命を前に、小さなリスクを選択することが出来ずにいる。
その姿を嗤いながら、コヤンスカヤは立香に近づく。自分を制していながら、立香がゴルドルフの命を守りたいと思っているが故に動くことのできない武則天を見下し、その前を堂々と横切りながら、コヤンスカヤは立香の目の前に立った。
「愚かな…いえ、この場合は可哀そうにというべきなのでしょうね。中途半端に優秀な立香ちゃん。貴女が激情に呑まれるだけの愚か者であったなら、この場で私を倒し多くのモノを救えたのに」
自分を見下すコヤンスカヤを立香は睨みつけるが、コヤンスカヤはそんな立香の視線など意に介さず、ただその姿を嗤う。
「カルデアで受けた傷が原因でロシア異聞帯では私は動くことが出来ませんでした。けれど、もう傷はこの通り癒えています。次に向かう先の異聞帯では存分に商売をさせていただきます♪それがどういうことか…中途半端に優秀な立香ちゃんなら、わかりますよね?ふふ、そんな怖い顔をしなくても理解しておりますとも。
コヤンスカヤは笑う。美しく笑う。優し気に笑う。お前の激怒はその程度かと言いたげに鼻を鳴らし、敵を目の前に動けないという無様を晒す立香を嘲笑う。
「カルデアで出会った時の貴女は脅威でした。カルデア以外の全てを、自らの命すらも無視して戦う貴女は恐ろしいほどに強かった。けれど…ええ、けれど、出会って間もないゴルドルフ所長を守ろうとするなんて、
自分を見上げ睨みつけてくる立香を見下しながらコヤンスカヤの心に沸き立つ感情は落胆だった。視線の交差する僅かな時間に降って沸いた自分の感情に驚きながら、コヤンスカヤは考える。
コヤンスカヤにとって立香は目的の前に立ちふさがる敵でしかない。その筈なのに、その敵が弱くなったことに対して落胆しているという事実を客観的に
「(なるほど…なるほど…業腹ですが…私はこの小娘の“怒り”だけは認めていたということですか…)」
カルデアで出会った“凡庸である”とされた少女は、凡人の範疇を遥かに超えた怪物だった。
クリプター達の数人が“物語の中に生じた誤植”と呼称する程度には脅威だった。立香のサーヴァントに霊基を砕かれかけたコヤンスカもまたそれ自体は認めている。確かに単身サーヴァントの使役を可能にする“奇跡”なのだろう。‐いや、違う。
“この立香”の本当の恐ろしさは“そこ”ではない事をコヤンスカヤは知っている。
カルデアで戦った時の立香はいっそ清々しいまでに周りの環境と言うものを気にかけていなかった。感情のままに戦い‐自分の命すら勘定に入っていなかった。守る為に戦う‐いや、違う。魔王を従え極寒の中で嗤っていた彼女は‐戦いたいから戦っているようにしかコヤンスカヤには見えなかった。
そして、それが“怒り”。七つの大罪の内においても最も強いエネルギーを生むだろう感情の本質であることをコヤンスカヤは知っている。
「奪われたことに怒り。踏みにじられたことを許さない。そうして生じた衝動のままに駆け抜ける貴女であったからこそ、私は認めていたのに…出会って間もない相手も大切だなんて、その尻軽さには落胆の一つもしてしまいます。そうして際限なく弱くなり続ける貴女が私たちに勝てる筈がありません」
立香にはコヤンスカヤの言っていることの半分も理解できない。それでもその言葉の中に含まれる“哀れみ”を感じ取ることは出来る。敵に向けられるその感情ほど、人の神経を逆なでするものはない。立香の視界が赤く染まりかける中で、コヤンスカヤは小瓶を一つ床に落として姿を消していく。
「もし仮に貴女が未だ私たちの脅威だというのなら、証明してみてください。怒りのままに、衝動のままに、向かってきなさい。人類最悪(笑)のマスター。私が次に向かう先は中国異聞帯です」
結果的に見れば今回の暗殺はコヤンスカヤの完敗だった。立香に盛る筈だった毒はゴルドルフの手によって防がれ、ゴルドルフが誤って服毒した毒も戦いを回避する為に解毒剤を渡したことで解決した。
コヤンスカヤの持っていた彷徨海バルトアンデルスへの侵入という一度限りの手札は切られ、“現象”として見れば何も生み出さなかった。‐動かしたものは“衝動”。そして、“感情”。
「…あは、あはは、アハハ」
怒りと呼ぶにはあまりに弱弱しい声が食堂に虚しく木霊する。
その立香の様を見て、ゴルドルフは理解する。立香との付き合いの短いゴルドルフですら、理解せざる得ないほどにコヤンスカヤに煽られた立香は危うかった。
次に向かう異聞帯は決定された。向かう先は北欧でもインドでもない。
中国異聞帯の他にない。そうしなければ“この立香”は壊れてしまいかねないと危機感を抱いたゴルドルフは司令官として有能であった。
そして、この後に全ての事情をゴルドルフから聞いたホームズとダ・ヴィンチもその決定を支持する。“この立香”の危うさは二人も既に気が付いていたことだ。
許せないという純粋な怒りが前に進む為の揺ぎ無い原動力となるのなら、そうでもしないと進めないのなら、その感情は決して汚していいものではない。
許すことが大切だと知ったようなことをいう者がいる。しかし、許せないから、怒るのだ。
立香ちゃんは激怒した。必ずや邪知暴虐のクリプター達と
―――戦いが始まる。次に立香たちの向かう世界は恒久的な平和を実現した桃源郷。“戦い”という言葉が失われるほどに進歩して、故に停滞した歴史。完成を持って完了とした異聞。
異聞深度:E。『人智統合真国シン』開幕
長らくの執筆停止の原因は何を隠そう、ぐっ様です。
彼女だけとは立香ちゃんを仲良くさせたいという欲が出て執筆をしてしまいました。ただそれを読み返した後で皆様に答えて頂いたアンケートを読んで、心を鬼にして書いたものを消しました。
そして、今年の夏のイベントで心がバキバキになりました。
クリプターを一人倒した。次はどうする?
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少しだけ後悔する
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女の子とは友達になる
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男の子とは友達になる
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激怒する