殺せんせーが地球を爆破するまで残り八カ月。七月の暑い日差しの中、私はそれと対面した。
「今日から烏間を補佐して働く!よろしくなE組」
そう言って鷹岡明と名乗る男は笑った。まるで昔馴染みのようにそれはそれは楽しそうに。そんな姿に私は思わず鼻を塞いだ。どぶ川の腐った臭いがした。
六月も終わりを告げいよいよ夏真っ盛りとなる。訓練も四カ月目に入りクラスメイトの能力も最早ただの中学生とは言えないレベルまで向上した。銃の取り扱いも私の指導のお陰か見違えるようによくなった。いつかルームエントリーによる暗殺を敢行してもいいかもしれない。
「視線を切らすな!次にターゲットがどう動くか予測しろ!」
烏間先生の指導の下、ナイフ戦闘術の訓練を行う。この人の教え方は好きだ。余計な無駄話や感情を挟まず必要なことを簡潔かつ的確に伝える。
「次ッ!」
一見すると不愛想にも感じられる対応。だが、それは私たちを信頼し尊重しているからこそなのだ。信頼しているからこそ余計なものを挟まない。私は確かにこの人を信頼していた。
「皆も中々のものになってきたな……」
皆の動きを観察しながら呟く。男子では赤羽、前原、磯貝。女子では岡野、片岡あたりが非常に優秀だ。特に岡野のトリッキーな動きには驚かされる。確か体操部に所属していたと聞く。私も取り入れてみようか。
「次ッ!」
私の番だ。皆は二人がかりなのに私だけ一人なのは少し寂しい。誰も何も言ってくれないし烏間先生も何も言わない。
「お、いつものが始まったぞ」
「今度はどっちが勝つかなー?」
外野が騒ぎ始めるのもいつもどおりだ。というか何で烏間先生は私が相手の時だけ両手を構えるのだろうか。考えても仕方ない。私も力を抜いてナイフを構える。そして私が動くまで睨み合いが続く。いつものことだ。でもたまに烏間先生から仕掛けてくることがあるのは気のせいだと思いたい。
相手に体格が劣る場合防御に回るのは得策ではない。隙を突き一気に仕留める。隙がないなら無理やり作る。いつもやってきたことだ。左手に握った砂をジャブの要領でかけ相手の視界を塞ぎ思考に一瞬の隙を作る。以前に行った手榴弾と同じ方法だ。腕で砂をガードしたのを見計らって突貫。がら空きの肝臓をナイフで刺して終了といった感じか。
「その手にはもう引っかからないぞ!」
まるで予期していたかのように腕を取られ投げられた。どうやら誘われたらしい。地面に叩きつけられる前に側転の要領で体勢を立て直し第二撃に備える。
「君は小手先のテクニックに頼り過ぎだ。こう何度も同じ手を喰らったら誰でもわかる」
確かにワンパターンが過ぎるか。前にも胡椒をかけてからの攻撃やエアガンを発砲してからの攻撃などやりたい放題やったものだ。流石にばれるか。ちなみに胡椒の時は当てたものの怒られエアガンは避けられたうえに一瞬でスライドとフレームを分解され非常に困惑した。
「次は俺からいかせてもらおう」
凄まじい速さで距離を詰めてくる。狙いは武装解除からの投げ技か。どう考えても訓練生に出すべきではない速度で繰り出される腕を避け牽制としてナイフを振るう。
初撃が外れた場合、当然だが戦闘が始まる。こうなればもう消耗戦だ。攻撃は突きから斬撃に変わり、一撃必殺ではなくミスを誘発させるための嫌がらせ染みた攻撃をひたすら繰り返すことになる。こうなってしまうと私は圧倒的に不利。だから短期決戦で終わらせたかったのに。
「どうした?嫌がらせだけでは俺には当てられないぞ!」
いや、貴方なんでそんなに笑顔なんですか?どうみても楽しんでますよね。胡椒をぶちまけたことまだ根に持っているのだろうか。まあこれでは埒が明かないのも事実。こちらから仕掛けるとしよう。
「相変わらずガチバトルしてんなぁ」
「流石もののけ姫……」
ナイフを振りながら後退し、そのままナイフを投げつける。ほぼノーモーションの攻撃に烏間先生も驚いたようで致命的な隙が生まれる。同じくノーモーションでタックルに移行し押し倒してからの予備のナイフで攻撃。
体重60キロの衝撃はいくら烏間先生と言えども堪えるはず。そう思った私の考えは壁にぶつかったときのような衝撃と共に消え失せた。唖然とする私の背中に突き付けられる柔らかいナイフの感触。
「最初に言ったはずだ同じ手は通用しないと」
ナイフを手渡しながら烏間先生は私に言った。それなりの速度で投げたナイフをキャッチしつつ私のタックルを予想して身構えたのだ。化物と言うしかない。どこからどうみても烏間先生の圧勝だった。
「臼井さんは自分の攻撃に意識を向けすぎる傾向があるな。次からは相手を誘導することも考えるように。次ッ!」
まったくの正論だった。烏間先生から離れ校舎と校庭を隔てる土手に大の字に転がり流れる雲を目で追いながら考える。実戦を経験したことがないと思っていたが実は違うのかもしれない。殺せんせーの監視役を務めるくらいだ、非公式の作戦に従事したことがある可能性も否定できない。
「平和だなぁ」
暗殺の訓練に平和も糞もあるかと思わなくもない。でもここには淀んだ殺意はない。殺意はあるにはあるが何というか澄んでいるのだ。殺意というのはもっとドロドロしているべきとかもしれないがまあこんな殺意もあっていいだろう。
「さっちゃん、なんかおじさんみたいだよ~」
「陽菜乃か……」
手に水筒を持った倉橋が私の横に座った。私も起き上がり訓練の様子を眺める。
「よかったら飲む?」
「ああ、感謝する」
手渡された水筒の蓋を開け匂いを確認する。ごく普通のスポーツドリンクだった。水筒を口につけ傾ける。果糖ブドウ液糖の味がした。以前の私なら毒を警戒して確認がとれるまで飲まなかったことだろう。何の躊躇もなく飲めるということは私がそれだけ皆を信頼しているという証拠。昔なら考えられないことだ。私も成長したものだな。
「さっちゃんって意外とゲスいよね。胡椒かけたりエアガンで撃ったり」
胡椒の時は本気で怒られた。もう二度とするまい。合理性を追求するあまり手段が雑になるのは私の良くない癖だ。
「確かにあれはやりすぎだった。だが考えてもみてほしい。私たちがやるべきことは殺しであって殺し合いではない」
「どう、違うの?」
平和な国で戦いとは無縁な生活を送ってきた彼女にこの違いを理解させるのは少し厳しいものがあるだろう。だが暗殺者として訓練を重ねてきた今の彼女ならわかるはずだ。
「簡単だ。私たちが真に目指すべきものは一方的な殺し。敵に一切の反撃の余地を与えずただただ一方的に殲滅する。そのためにはどんな手だって使う」
戦いになった時点で半分負けのようなもの、相手に撃たせず捕捉させず混乱させ一人一人確実に排除していく。一撃離脱を徹底することで己の被害は最小に留め、敵に甚大な被害を与える。ようはゲリラと同じだ。
「わかった!それって暗殺者ってことでしょ?」
「まあ、そうだな」
普段はふわふわしていている倉橋だが彼女も暗殺教室の立派なメンバーというわけだ。
「そういえばさ、この前ショッピング行こうって話したじゃん。いつ行こうかなー?」
「そう言えばそんな話をしていたな。まあ適当な日に連絡してくれ」
倉橋となんてことない雑談をしながら訓練の様子を眺める。そろそろ休憩も終わりにするか。そんなことを考えていると杉野と潮田の番になった。潮田はこれといって運動能力が高いというわけでもなくどこにでもいる(女にしか見えないのを除けば)普通の中学生だ。何か特筆するべきものは……
「なんだあれは……」
烏間先生に吹き飛ばされる潮田に違和感を抱く。烏間先生があんなにも慌てるなんて初めて見たぞ。それに潮田のあの動き、傍から見ればなんてことない動きに見えるが妙に存在感が希薄だった。
「さっちゃん、どうかしたの?」
「い、いや何でもない。それより休憩もこれくらいにしておこう。これ以上はサボっていると思われてしまう」
「さんせー!」
潮田の動きに一抹の不安を抱きつつ私は訓練を再開した。
「それまで!今日の体育は終了とする!」
体育という名の訓練が終わりを迎え各々が休憩に入る。私は先ほど潮田が見せた動きが頭から離れなかった。ただの気のせいと断ずることもできなくないが、私の本能がそれを否定する。こういうときの勘はよく当たるのだ。
「まあ、考えてもしょうがないか……」
結論として考えないことにした。例え人殺しの才能があろうが彼はこんな私を友人だと言ってくれた。それだけで十分だ。それにここにいる間は手は汚させない。汚れ仕事は私の役目だ。
「せんせー放課後みんなでお茶しよーよ!」
「誘いは嬉しいがこの後は防衛省からの連絡待ちでな」
倉橋が烏間先生を誘うが尤もな理由で断られていた。そのにべもない返答に皆が困惑している。まあ殺せんせーやビッチ先生と比べたら不愛想と思われても仕方がない。私としては余計な私情を挟まないのはプロとして好感が持てるが皆はもっと彼と仲良くしたいのだろう。だからこそ壁を感じることに困惑する。
「私たちのこと大切にしてくれるけど、でもそれってただ任務だからにすぎないのかな」
口には出さないがそれだけは違うと言える。あの人はこんな血に塗れ薄汚れた私をここに置いてくれた。銃を握らなくていいと言ってくれた。あの言葉は間違いなく彼の本心の言葉だった。
「そんなことありません。確かにあの人は先生の暗殺のために送り込まれた工作員ですが、彼にもちゃんと素晴らしい教師の血が流れてますよ」
殺せんせーが断言した。殺せんせーの言う通りだ。烏間先生は間違いなく信頼できる人物であり尊敬する大人の一人だった。
だからこそ私はあいつが許せなかったわけだが……
烏間先生と入れ違いにやってきた鷹岡と名乗る巨漢の男の足元には大量のケーキや飲み物の詰まった紙袋が置かれていた。差し入れのつもりらしい。どうやらそこそこ高いお菓子らしく皆目を輝かせていた。
「もので釣ろうなんて思わないでくれよ!お前らと早く仲良くなりたいんだ」
仲良く、ね。皆はあの笑みに警戒心を解いてお菓子を食べ始めている。だが私はこいつをひと目見た時から敵だと感づいた。私のような多くの修羅場を潜り抜けてきた者とは違う。もっと淀んで腐った臭いだ。
「同じ教室にいるからには俺達家族みたいなもんだろ!」
どの口が言うんだこの肉袋が。みんなおかしいと思わないのか。誰も鷹岡の腐臭に気づかず信頼し始めている。糞ったれが。赤羽はいつの間にか姿を消していた。彼もこいつの腐臭に気が付いたのだろう。
「おーい、そこでぶすっとしているお前も食え!美味いぞぉ」
糞、気が付かれた。仕方なく近寄りさりげなく全身を観察する。一見すると太っているようにも見えるがそれは違う。腕は筋肉でぱんぱんに膨れ上がり腹も恐らく似たようなものだろう。改めてこいつへの警戒を強化する。
「なんだなんだ?凄い気合入ってんな~」
今の私はマガジンやナイフを装着したMolleベルトを装備しライフルもハンドガンも所持している。個人的には軽装なのだが皆に言わせると重装備らしい。
「光栄であります。鷹岡先生!しかしながら自分は食欲がないので誠に遺憾ではありますが辞退させていただきます!」
ここは適当に話を合わせておくか。軍属の経験はないため適当になってしまうがそれでも気を良くしたらしい。男は笑った。そのまま背を向け距離を置く。
「さっちゃんさんがそうやって話すと本格的に軍人みたいだね。というかいきなりどうしたの?」
潮田が私の異変を察知して話しかけてきた。ちょうどいい。私も最大限努力するが彼にも一応忠告しておこう。
「あいつには注意しておけ」
「えっ?」
すれ違いざまに小声で言う。しっかりと聞こえたようで潮田だけは目の色を変えていた。今私にできるのはこれくらいだ。後は様子を見るしかない。
「訓練内容の一新に従って時間割も変更になった。これを皆に回してくれ」
それから一向に正体を現さない鷹岡を警戒しつつ配られた時間割表に目をやる。なるほど、そういうことか。糞野郎め。配られた時間割には毎日夜の九時までみっちりと日程が組まれていた。とてもじゃないがただの中学生にやらせる内容ではない。ここで私も無理だと言えればどれだけらくだろうか。しかしながらこれくらいなら割と余裕でできてしまう自分が憎い。
「待ってくれよ!無理だぜこんなの!できるわけねーよこんなの!」
あまりの暴挙に前原が堪らず抗議の声をあげる。まずい!そう思って立ち上がろうとしたが、既に遅かった。
「できないじゃない。やるんだ」
前原に強烈な膝蹴りを喰らわせながら鷹岡はそれはそれは楽しそうに笑った。誰もが唖然として動けずにいる中、鷹岡は狂った笑みを浮かべて宣言した。
「言ったろ?俺たちは家族で俺は父親だ。世の中に父親の命令を聞かない家族がどこにいる」
軍人に求められるのは結果だ。だからたまにいるのだ。どうしようもない破綻した人間が。
「さあ!手始めにスクワット100回を3セットだ!」
鷹岡が手を叩く。それだけで暴力とは無縁な生活をしてきた皆を恐怖に肩を震わせた。もっと早く私が動いていれば前原が蹴られずに済んだのに。だが起きてしまったことを悔やんでもしかたない。次はさせない。改めて決意を固める。
「抜けたい奴は抜けてもいいぞ!そん時は新しい奴を入れるだけだ」
こいつそれで明日から全員来なくなったらどうするつもりなんだろうか。
「でもな、本当はそんなことしたくないんだよ。なんだってお前たちは大事な家族なんだから。父親として一人でも欠けてほしくない!」
何が父親だ。こんなのは悪質な洗脳ではないか。初めに一人見せしめを作ることで恐怖を植え付ける。似たようなことを何度もされてきたからこいつのやりたいことは嫌でも理解できる。
「な、お前は父ちゃんに付いて来てくれるよな?」
神崎の頭に手を置き優しく言う。こうやって何度も何度も飴と鞭を与え相手の思考を麻痺させていく。洗脳の常套手段だ。神崎は恐怖に震えている。言い返すのかそれとも恭順するのか。
「あ、あの……わ、私は……」
彼女とはあまり会話したことがない、それがどうした。汚れ仕事は私の役目だ。気付かれないように鷹岡の背後に移動する。皆が驚きの目で私を見るが無視だ。
「私は嫌です。烏間先生の授業を希望します」
鷹岡はその瞬間を待っていたのだろう。口角を吊り上げると大きく腕を振りかぶった。
その瞬間、私が横からAR-15型エアガンのストックを鷹岡の顎に突き付けた。時間が止まったような沈黙が流れる。
「そこまでだ。バンバン殴りやがって。いい年して何一人ではしゃいでいるんだ」
「お、お前いつから……」
この程度の気配に気づかないとはでかいのは図体だけのようだ。必然的にこいつへの評価を下方修正する。鷹岡が私に気を取られている間に神崎に目配せする。
「あ、ありがとう」
理解してくれたようで神崎は私達から離れていった。よしこれであとは二人の時間だ。鷹岡もやっと再起動したようで額に青筋を浮かべて怒っている。怒れ怒れ、糞野郎が。
「お前、さっきの軍事オタクじゃねぇか……父ちゃんに何向けてんだ」
「悪いが私の家族は全員死んだよ。だから鷹岡先生のありがたいお話は理解できないんだ。すまないね」
鷹岡は一般人が見たらそれだけで卒倒しそうな形相で私を睨みつける。まあ、中米のマフィアのほうが余程怖いな。所詮は己の手も汚したことのない平和な国の人間。戦う者としての格が違う。
「父親にそんなこと言って許されると思うのか?今なら土下座で許してやる。わかったならさっさとそれを下ろせ」
鷹岡は怒りが上限突破して逆に冷静になったらしい。いや、違う。怒りすぎて表に出ないだけだ。少し刺激すれば……
「あぁ?さっき家族いないっていっただろ。耳ついてんのか?」
「てめぇ!!」
まるでダムを爆破したかのように怒りの感情があふれ出す。こういうチンピラは扱いやすくていい。
顔を真っ赤に染め鷹岡は拳を振りかぶった。それなりの速度で放たれる剛腕。当たればただじゃすまないだろう。でも所詮それなりだ。
「ッ!?」
放たれる拳をしゃがむことで回避。左足を軸に回転しつつAR-15のストックを全力で鷹岡のがら空きになった顔に叩きこむ。
銃剣格闘においてストックでの殴打は基本中の基本。例え銃剣を付けていなくともそれは変わらない。
そして玩具だとしても防衛省謹製の特注品、作りは実銃そのものだ。このまま殴り飛ばせば鷹岡の歯と頬骨は砕け散ることになるだろう。
「なっ……」
が、AR-15のストックは鷹岡の顔面数ミリのところで静止した。私が寸止めしたのだ。正直思い切り殴り飛ばしたいのだがそれはまた別の機会にする。
しかし寸止めだったにも関わらず鷹岡は目を見開き額には脂汗が浮かんでいた。そのまま顔を近づけ耳元で囁く。
「今度皆に手を出してみろ。二度と鏡を見れないようにしてやる」
そこらのチンピラ風情では出すこともできない凄味。これは脅しではない、忠告なのだ。綺麗な顔で帰りたかったら何もするなという私からのありがたいアドバイス。守るか守らないかは彼次第。
「では自分はこれにて!」
わざとらしく敬礼を行い皆の下に戻る。突然の事態に皆唖然とする中。私は何事もなかったかのようにスクワットを始めた。