「はい、臼井さん」
「あ、どうも」
椀に盛った湯豆腐を差し出される。葱、鰹節、大根おろしなどの薬味と醤油が合わさり見た目も匂いもとても美味しそうである。あれから私たちは殺せんせーに連れられ湯豆腐を出す店で湯豆腐を突っついていた。
「サチコが言ってた通りとんだ化物教師だな。何もかもお見通しで遊んでたわけだ」
この人日本語話せたんだ。ずっと英語だったから気が付かなかった。先生とレッドアイが話している間に湯豆腐を口の中に入れる。
「あ、美味しい……」
濃厚な大豆の味と薬味が合わさり口中に旨味が広がる。こんな美味いものは初めて食べた。いつも碌に調理していないものばかり食べていたから尚更そう感じる。気が付くと椀の中は空っぽになっていた。あっと言う間だった。
「嬢ちゃんもそんな顔するんだな。そっちのほうが銃を構えているときよりよっぽど似合ってるぜ」
「えぇ、ほんと。ふぅー、私も、ふぅー、思います。ふぅー」
「「早く食え!」」
いったいいつまで豆腐を冷まし続けているんだ。気になって突っ込んでしまった。こういうのは柄じゃないんだけどなあ。さて、これからどうなるんだろうか。レッドアイは殺せよとかなんとか言ってたが殺せんせーのことだからそんなことはしないだろうし。
「あんた嬢ちゃんの担任なんだろ?なんか言ってやれ。こいつ修学旅行返上してまで暗殺に参加したんだぜ。ガキはガキらしくしてろっつーの」
「それについては私があとできっちり言っておきます。それでどうでしたか?臼井さんは」
何か話題が私のことになってる。意気込んで修学旅行返上して暗殺に来たのに何でその暗殺対象と湯豆腐突っつくことになったのだか。レッドアイも最初こそ警戒していたが今じゃすっかり打ち解けてしまっている。
「ま、その歳にしちゃあ上出来だな。俺のスポッターにしてもいいくらいだ」
「それは困ります!臼井さんは私の生徒ですよ!!」
「いや、冗談だからな。そんなぬるぬるすんな」
何というか私の知っている裏の世界はもっとこう殺伐としているはずなんだが。一応世界中飛び回ってたんだけど。私もまだまだというわけか。こうして夜は更けていく。
「俺もまだまだ未熟だったってわけだ」
暗殺を通して得られたものは人を豊かにする。だから私は暗殺されるのが楽しみ。殺せんせーはそう言った。レッドアイの言葉を借りるのなら身体も考えもいかれてると言わざるを得ない。だからこそ罪悪感が残るというもの。こんなにも楽しみにしていた殺せんせーに私は銃弾でお返しをしてしまったのだ。
「レッドアイさん、これからどうするんですか?」
「俺か?ここを観光してみることにするよ。どうにも俺は一つの色に囚われ過ぎていたようでな。他の色も見てみることにしたのさ」
結局、レッドアイは暗殺を辞退してしまった。でもその顔は何故だか初めて会った時よりもずっと清々しいものであった。彼もまた殺せんせーに手入れされてしまったのだろう。何ともお節介な教師だ。赤の他人まで教育してしまうなんて。
「嬢ちゃん、あんたも拘りすぎないでもう少し周りを見て見な。生き方を決めるにはあんたはまだ若すぎる。じゃあ、あばよサチコ、殺センセー」
そう言ってレッドアイは私の頭を人撫ですると背を向けて去っていった。後に残るのは私と殺せんせー。二人の影が夕闇の京都に吸い込まれていく。
拘りすぎるな。レッドアイは私にそう言った。私は兵士という自分に拘りすぎているのだろうか。兵士としての私と学生としての私。どちらかを否定する必要はない。殺せんせーは前にそう言った。その言葉の本当の意味は未だに分からない。
「あの……」
「にゅ?なんです」
「修学旅行来れなくてすみませんでした」
取りあえず気まずいので謝っておく。でもきっと殺せんせーは怒らないんだろう。殺せんせーが本気で怒るのはきっと何かを蔑ろにした時だ。自分然り、他人然り、殺せんせーはいつもそうだ。
「いいんです。臼井さんが自分で選んだことなのですから。ただ、修学旅行も立派な授業。勉学を疎かにしては立派な暗殺はできませんよ。ですから臼井さんには後で宿題を提出してもらいましょう」
顔にバツ印を浮かべている。ほんと、どいういう構造しているんだか。殺せんせーの皮膚を研究すればそれはそれは素晴らしい迷彩服が作れるに違いない。
「では先生はこれで。臼井さんも残りの修学旅行楽しんでくださいねぇ。ヌルフフフ」
風切り音と共に殺せんせーの姿は瞬く間に消え去った。去る前に殺せんせーが何か意味深なことを言っていた気がするがきっと気のせいだろう。残るは私だけ。さて、私も国が予約してくれた宿泊施設に戻るとしますか。
「あ!臼井さんやっと来た!!」
「へ?」
目の前には缶ジュースを片手に持った浴衣姿の茅野。おかしいな、場所間違えたかな。いやでもそんなはずは。念のためにメールで送られてきた宿泊施設の場所を確認する。
「やっぱりあってる」
「どうしたの?でも大変だったね。家の事情で一人で来なきゃいけなかったなんて」
「え?あ、ああ」
どうにも話が見えない。そんな私を余所に茅野は他の皆を集めてきてしまった。ぞろぞろと集まってくるE組の皆。え、ほんとどういうことこれ。
「お、臼井じゃん。やっと来たんだ。てか何で私服?」
「あ、さっちゃーん!!」
戸惑っている間にも質問が次々に飛んでくる。質問の内容を鑑みるにどうにも彼らの中では私は家の事情で二日目からしか参加できず一人でここまで来た勇者ということになっているらしい。
「来たか、臼井さん」
救世主が現れた。烏間先生を見つけた私はすぐさまE組の皆をどけて彼に近づく。彼らは私が来たことにやいのやいのと騒いでいる。
「どういうことですかこれ。何で私の宿泊場所がよりにもよってここなんですか」
それが疑問だった。他にいい場所なんていくらでもあるだろうに。手違いとかいうレベルではない。これではまるでわざと……ん?まてよ。
「烏間先生、あなた謀りましたね……」
殺せんせーが言っていたことの意味が分かった。残りの修学旅行とはこういう意味だったのか。確かにもう京都での暗殺計画はレッドアイが辞退したせいでなくなってしまったがまだ私がいる。
「君にこれ以上負担を掛けるわけにはいかないからな。あと一日しかないが修学旅行を楽しんでくれ」
それだけ言って烏間先生は去ってしまった。後に残るはE組の皆だけ。どうやら私はみんなと一緒に過ごすことになるらしい。言い訳どうしよう。
「これでE組みんなで修学旅行いけますね!」
「そうだね奥田さん。さっちゃんさんが来れなかったらどうしようかと思ってたけど」
「これで安心だね!」
奥田、潮田、茅野が口を揃えて言う。他の皆も同調するかのように頷いていた。なんでこうここのみんなはこうも人好しなんだろうか。その今までにはなかった反応に戸惑う。同時にまたよくわからない感情が湧き出てくる。
「あ!さっちゃん笑ってる!」
「え?」
倉橋に言われて自分の口に手を当てる。これ以上ないってくらい口角が上がっていた。そうか、今私は笑っているのか。最後に笑ったのは何前だったっけ。思い出せないそれに思いを馳せる。
「そう言えば臼井さんが笑うの見たの初めてかも」
「なんかすっげーレアな光景だな」
委員長コンビが笑いながら言う。片岡は私に口パクで『よかったね』と言った。はあ、本当にみんな馬鹿ばっかり。でもまあ、悪い気はしないな。
ちなみに旅館で見せた笑顔でしばらくからかわれたのは至極どうでもいいことである。
烏間先生に謀られた私は女子の皆とコイバナ(恋愛に関する話し合いという意味らしい)をしたり、それを盗み聞きした殺せんせーを追いかけたりするというはちゃめちゃな時間を過ごした。
そして今は深夜0時。私はどうにも寝付けずにいた。いや、正確には眠る気になれなかった。E組の皆は男女別の大部屋で全員で眠るらしくそこには当然のように私も含まれていた。ちなみに他のクラスは高級ホテルの個室らしい。まあ、それは置いておくとして一つ問題があったのだ。
「銃がないと眠れない……」
大部屋で眠るということは当然銃を持ちこむことは出来ない。でも私は手元に銃がないと眠れないのだ。仮に眠ったとしても殆ど起きているのと変わりないくらいの浅い眠りしかできない。
そこで私は考えた。眠れないなら眠らなきゃいいやと。そんなこんなで私は今非常階段に腰を下ろしながらスキットルを傾けていた。ライフルケースも勿論あるし拳銃もいつでも抜けるようにしてある。中途半端に眠るなら寝ないほうがましだ。それにやろうと思えば三徹くらいなら問題なく行動できる体力はある。
「誰か来るな」
足音と呼吸音から鑑みるに恐らく女性。真っすぐこっちに近づいてくる。殺し屋ということはないだろうが一応M&Pに手を掛ける。そうこうしているうちに足音はみるみる近づいている。
「あんたこんなところで何してんのよ」
「む、イェラビッチ先生ですか」
振り向く。そこには浴衣姿のイェラビッチ先生がいた。浴衣姿と言っても肌蹴すぎてもはや服として機能していない気がするがもうそう言う生き物だと思っておく。
「ちょっと眠る気にならなくて。そう言う先生は?」
「私はトイレに行ってきた帰りよ。あんたが大部屋から出ていくのが見えたから気になってついてきたの。てかあんた何飲んでんの」
手に持ったスキットルを指さす。まあ別にこの人にならばれてもいいか。スキットル掲げれば先生は呆れたような顔をした。
「何それ?ウィスキー?」
「ええバーボンです。どうです?一口」
「頂こうかしら」
差し出したスキットルを取り一口飲んで……咽た。これ前にも見たな。盛大に噴き出したあと咳き込みながらイェラビッチ先生は私を睨みつけた。
「ゲホッ!あ、あんたどんだけ強いの飲んでんのよ!!」
「まあ70度超えですから。でも味はいいでしょ?」
「確かに……って、そう言う問題じゃないでしょ!あんたもうちょっと自分の身体大事にしなさいよ」
今更言われてなあ。酒も煙草も薬もやったことある身からすれば本当に今更としかいいようがない。
「ほんとマセたガキっていやだわ。そうだ、サチコ。あんたどうせ寝ないんでしょ?だったら付き合いなさいよ」
断る理由もないので付いていくことにする。しばらく廊下を歩き先生はある部屋に私を案内した。
「ここは?」
「私の部屋。さっきはあのタコが邪魔したせいで飲めなかったのよ。だから付き合いなさい」
それだけ言うと先生は何処からともなく缶ビールを取り出して飲み始めた。どことなくおっさんくさいのは気のせいだと思う。私にも勧めてきたので遠慮なく頂く。さっきは自分の身体大事にしろとか言ったのに。まあビールなんて酒の内に入らないというわけだろう。
「やっぱビールは弱くて駄目ですね。喉を潤すにはいいんですけど」
蒸留酒に慣れ親しんだ私にとってビールなんてジュースのようなものである。飲み過ぎると流石に明日ばれるので量は飲まない。対照的にイェラビッチ先生はどんどん空き缶を量産していく。なんか本格的にオッサンみたいだなと思ったがそれは言わないでおく。
「烏間から聞いたわよ。あんた昨日からずっとあのタコのこと狙撃しようとしてたんですってね」
「ええ、まあ。結局失敗しましたけど。あ、ここで銃の整備してもいですか?」
頷いたのでそれを了承とみなしケースから銃を取り出す。畳が汚れないようにシートを敷きAR-15を分解していく。イェラビッチ先生が興味深そうに覗いてきた。
「それM16?結構いいの使ってるわね」
「それなりに値は張りましたよ。特にスコープが」
整備とは言っても一昨日から合わせてから100発しか撃っていない。ボルトはクロムメッキが施されているので銃身と機関部を軽く掃除するだけである。
「そんないいの使ってるの?」
「ええ、シュミット&ベンダーの高級モデルなんで。多分円で5、60万はしますよ」
「ろ、60万って……あんたそんな金あるんならもっと女磨くのに使いなさいよ」
少し酔っているのかイェラビッチ先生は普段なら言わないようなことを言っている。女を磨くか。どうすればいいのか全く分からない。シャンプーとやらでも買えばいいのか。
「スタイル良くて顔も悪くないんだから磨かなきゃ損よ。そのぼさぼさの髪、何で洗ったらそうなるのよ」
「普通に石鹸ですけど。そろそろ髪切らないとなあ」
伸びてきた前髪を指でいじりながら考える。その様子に先生は深い溜息をついた。心底呆れているといった様子。
「はぁ、あんた女としての自覚ってものがなさすぎよ。その髪だってどうせ自分で切ってるんでしょ?適当すぎてすぐわかるわ」
「こればっかりはね。他人に刃物を向けられるのはどうにも不安で」
そう言うと先生は何とも気まずそうな顔をして黙ってしまった。私は人を気まずくさせる才能でも持っているか。沈黙が支配する。
先に口を開いたのはイェラビッチ先生だった。
「じゃ、じゃあ私が切ってあげるわよ。それなら安心でしょ!」
「は?」
何を言っているんだこの人は。というかこの人髪切れるのか。そのことを訊ねるとイェラビッチ先生は自慢げに頷いた。どうやら女を磨くための技は一通りマスターしているらしい。無駄に万能だな。
「シャンプーとかコンディショナーもいいの紹介してあげるからちゃんと手入れしなさい。いいわね?」
「それ私が買うんですよね?いいですよ面倒だ」
「その様子じゃ傭兵時代のギャラ持て余してんでしょ?だったらいいじゃない。けちけちしないの」
まあ、ちょっとくらいならいいか。そう思ったので私は彼女の提案を飲んでしまった。後日、紹介された商品が思いの外高くて後悔したのはどうでもいいことである。
「分からないな」
「いきなり何よ」
夜も更け私たちの酒盛りは未だに続いてた。と言っても飲んでいるのは殆どイェラビッチ先生だけであるが。綺麗だった部屋も今では空き缶がごろごろと転がっていて本当にあれだった。先生はもう素面とは言い難い状態でひたすら私に愚痴を言い続けている。その大半が烏間先生に対する愚痴なのは好意の裏返しなのかもしれない。でも生徒に誘っても乗ってくれないとかいうのはどうかと思う。
「何でここまで私に構うのかってことですよ」
さっきからずっと考えていたことだった。さきほどの手入れの話といい何というか教師としての範疇を超えた何かを感じるのだ。それが私には分からなかった。ただの少年兵くずれのことなんか放っておけばいいのに。
「そうね……なんていうか似てるのよ。私たち」
「似ている、ですか」
そういう先生の顔はそこか哀愁を帯びていた。その顔は何か昔を思い出すようなそんな悲しい顔だった。
「私が初めて人を殺したのは12の時。国は民族紛争で荒れててね。民兵に親が殺されて私も殺されそうになった。だから殺した。迷いなんてなかったわ。その後はまあ色々あってある人の弟子になって殺し屋になった。あんたと似たような感じね」
こんな若いのに殺し屋をやっている時点で脛に傷を持っていると思ったが思ったよりも過酷なものだった。確かイェラビッチ先生は二十歳だったはず。八年、奇しくも私と同じ年数の間先生は血塗られた道を歩んできたのか。
「あんた自力でここまで戻ってきたんでしょ?すごいじゃない。私は人の助けがあって今まで生きてこれた。でも、あんたは違う。たった一人で自分の国まで帰ってきた。だからもういいんじゃない?休んでもさ」
休んでもいい。その言葉はなんとも魅力的な響きを持っていた。普通に生きて普通に死ぬ。そこには銃声も悲鳴もないのだろう。でもそこに私の居場所があるのだろうか。
「殺すことの本当の意味を知ってるのは多分私たちだけ。烏間だってわかっちゃいないわ。どんなに強くても所詮平和な世界の人間。でもそれでいいじゃない。住む世界が違ったって共存できないわけじゃない。少なくともあのタコを殺すまではね」
その言葉は同じ仄暗い世界を歩んできた者としての説得力があった。住む世界が違っても共存できる。殺せんせーが言ってたことと少し似ているその言葉に私は少しだけ惹かれた。
「だからそんなに生き急ぐ必要ないんじゃない?まだ若いんだから少しくらい立ち止まったって神様もきっと許してくれるわよ」
少なくとも殺せんせーを暗殺するまでは私たちは居てもいい。まあ殺し屋が英語を教えているんだから少年兵崩れが紛れたところで今更か。
「ありがとうございます。イェラビッチ先生」
「べ、別にあんたがあんまりにもうじうじしているから言ってあげただけよ。あともうイェラビッチ先生って言うの止めてくれないかしら。なんかよそよそしいのよ」
そうは言われても教師を名前で呼ぶのはちょっとなぁ。あ、そうだお誂え向きの呼び方があるじゃないか。
「わかりました!ビッチ先生」
「なんであんたまでそう呼ぶのよ!!普通にイリーナ先生でいいじゃない!!」
「うるさいなこの猥言製造マシーン」
「いまなんつった!!!」
その後、キレたビッチ先生に朝まで飲むのにつき合わされたのであった。当然、先生は次の日二日酔いでゲロゲロになった。こうして私の修学旅行ははちゃめちゃな終わりを迎える。