モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
◇ ◇ ◇
『全国高校生魔法学論文コンペティション』の本番を翌日に控えた土曜日、共同警備隊のメンバーは午前の授業が終わるなり部活連本部へと集まった。
一高から共同警備隊へ参加するのは計15人。これは警備隊を構成する魔法科高校九校の中で最も多く、開催地に近い学校だからというのが最大の理由だ。
個々の実力についても折り紙付きで、警備隊のリーダーを務める十文字先輩を筆頭に武闘派で知られる先輩方が参列している。
元風紀委員の辰巳先輩や僕の所属するコンバットシューティング部のOBである佐井木先輩といった三年生に加え、二年生も服部新会頭はもちろん、沢木先輩や桐原先輩、千代田先輩といった実力者揃いだ。
「なんだか少し緊張するな。森崎君はさすが、落ち着いているね」
ふと、隣から小さな囁きが聞こえてきた。
背中で手を組んだまま目線だけを向けてきたのは同じ一年生の
一年生でメンバーに加わっているのは僕と十三束の二人だけ。だからだろう。十三束は普段よりも肩を強張らせていて、言葉通りの緊張が窺えた。
斯く言う僕も内心には未知への不安が渦巻いていて、彼が言うほど冷静では居られていない。違いがあるとすれば、明日の出来事に対する自分の立場を知っているくらいだろう。
「そう見えるなら、虚勢を張った甲斐もあったかな」
肩を竦める仕草で応えると十三束はくすりと小さく笑みを浮かべた。
買い被りを止める気はないようで、なんとも据わりの悪い心地でいる間に十文字先輩が姿を現す。
「全員、揃っているな」
部屋へと入ってきた十文字先輩は一同の正面で足を止めると、全員の顔をゆっくりと見渡してそう言った。
「昨日までの訓練ではよく努めてくれた。これまで培ってきた技術と心構えをもって、明日の警備に当たってもらいたい」
端的な激励から始まったそれは、そのまま明日に向けての訓示へと続く。
「知っての通り、魔法学論文コンペティションは多方面からの注目を集める催しだ。魔法学研究における画期的な技術が発表されることもあり、国内外の専門誌に取り上げられる機会も少なくない。
こうした論文はその学術的価値はもちろん、実験装置には貴重なサンプルや資料が使用される場合もあり、それ故産学スパイの標的とされることもある。我々の務めはこうした非合法活動を行う者から参加者と資料を守ることだ」
共同警備隊の意義を再確認し、集まった人間の目的意識を一つに束ねる。簡潔明瞭で実直な十文字先輩らしい言葉だ。
けれど、先輩の話はそれで終わりではなかった。
「例年通りなら、警戒すべきはこうした不審者への対処だけだった。しかし――」
不穏な前置きで、自然と緊張感が高まる。
一拍の間が空いた後、十文字先輩は真剣な表情で続けた。
「今年の論文コンペティションは、他国の犯罪組織によって狙われている可能性がある」
誰かの息を呑む音が耳に届き、沈黙が重しとなって肩に落ちてきた。
春の襲撃事件を思い出した人もいるだろう。あの時は幸い死者も出なかったものの、銃火器の脅威に晒される恐怖は大なり小なり抱いたはずだ。
「当然、このことは警察も魔法協会も把握している。例年以上の警備体制が敷かれるのは確認済みだ。それでも、想定を超えた危険に見舞われる可能性は否定できない。明日は全員、防弾チョッキを着用して警備に当たるように」
否やの声は出ない。質問すら一つも上がらないのは少し妙だが、それだけ十文字先輩の言を信用しているのだろう。或いはここ最近続いていた事件から不穏な雰囲気を察していたのかもしれない。
「有事の際、我々は他の生徒職員の矢面に立つこととなる。僅かにでも躊躇いを覚える者はいつでも名乗り出てくれて構わない。それを恥と言わせることはしないと約束しよう」
十師族の中でも首都防衛を担う『十文字家』は政府との繋がりも強い。当主代行を務める十文字先輩だからこそテロリストの潜伏を知ることができ、いざという場面で最前線に立つ覚悟を持っていることが表情からも見て取れた。
「明日は朝7時に国際会議場前に集合だ。皆の奮起に期待する」
そう言って、話を終えた先輩が会議室を後にする。
十文字先輩の退室した後には闘志や意気込みを発露するメンバーの声が満ちた。不安も恐怖も吹き飛ばさんばかりの覇気で、隣の十三束は少々気圧されていた。
横浜に侵攻してくる大亜連合の軍勢は原作よりも遥かに大きな規模となるだろう。
《鬼門遁甲》を操る陳祥山と、世界でも十指に入る近接戦闘魔法師の呂剛虎以下、万全の状態の大亜連合軍特殊工作部隊。大亜連合軍本隊も増員されることこそあれ、小規模になることはまずありえない。
ここにジャスミン・ウィリアムズとジェームズ・ジェフリー・ジョンソンを初めとしたオーストラリア軍魔法師が加わっている可能性が高い。周公瑾を含む『無頭竜』の構成員も協調することが予想され、或いは久沙凪煉すらもまた姿を見せるかもしれない。
対する日本側も原作以上に備えていることは十文字先輩の話から読み取れた。現地に向かう前から防弾チョッキの着用指示が出るということは、原作以上の警戒が敷かれているということに他ならない。
八王子特殊鑑別所に現れたのが呂剛虎でなく久沙凪煉だったことといい、或いは陳祥山率いる大亜連合軍部隊も捕まっていない可能性がある。魔法技術や素材の奪取を企図していた彼らが未だ警察の手から逃れているのなら、論文コンペもまたターゲットになり得ると考えたのだろう。
敵と味方のどちらもが原作以上に力を蓄えていて、衝突はすでに決まっている。
既知の展開とは大きく変わることが簡単に想像できて、全容の窺えない歯車を止めることはどう取り繕っても不可能だ。
メンバーの意気軒昂な声が響く中、一人静かに両手を握り締めていた。
◇ ◇ ◇
部活連本部を出た後、僕は校内を目的もなく歩いて回っていた。
警備隊の訓練はなく、風紀委員の仕事もない。コンバットシューティング部も今日は休みで、論文コンペの準備もすべて完了しているとあって時間を潰せるようなことは何もなかった。
今できることといえば、悪あがきじみたトレーニングくらい。それでもいつもなら迷わずトレーニングへ向かうのだが、今日に限っては学校に残っていたい気分だった。
どうしてそう思ったのか。理由は概ね自覚している。
願うことも欲しがることも許されない、子どもの我儘のような未練がそれだ。
半ばまで傾いた陽の下をたくさんの学生が行き交っている。
多かれ少なかれ笑みを湛えている生徒が大半で、僅かな例外も表情には真剣さが覗いていて充実ぶりが見て取れた。打ち込むものは違っても懸命なことは変わらない。入学した時から見続けてきた一高の日常だ。
これが最後だと思うと、見慣れた景色からも目を離すことができなかった。
たった半年という短い期間だが、この光景の一部になれていたと思うと妙に感慨深い。できることなら卒業までと、そんな考えは何度も浮かんでいた。予定もないのにこうして居残っているのは、そんな未練が理由だろう。
だがそれはあくまで未練であり、断ち切るべきものだ。
叶わない願いだというのは解っていて、そもそも僕にはそれを望む資格もない。
不相応な未来に憧れて、取り返しのつかない失敗をした。
過去の失敗から逃げ出したくて、過ちと罪を積み重ねた。
せめてあるべき未来へ至れるようにと、受け継いだ後悔と願いのためにできる限りの手を尽くしてきた。
けれど、僕のしてきたことはどれも『余計なこと』だったのかもしれない。関本先輩と面会した時、それは確信となって胸に落ちた。
『優れた者が持つ知識や技術は基となった技術や研究がある以上、社会に還元されるべきだ。司波はそれを怠り、有益な情報を独占しようとしていた』
周公瑾や大亜連合軍に繋がる記憶の一切を奪われていた先輩はけれど、自分がスパイ行為に加担したということは覚えていた。
動機を語る彼の横顔に迷いや後悔の色はなく、本心からそう思っているのだと納得せざるをえなかった。
『司波は自分と周囲のことしか考えていない。彼の妹も表向きはともかく本質は同じだ。そんな彼らよりも森崎――君こそが一高の代表に相応しいと、僕は思っている』
それが洗脳による結果なのか、それとも元々抱いていた考えなのかはわからない。
けれど関本先輩にそう言われた時、頭には以前耳にした噂が浮かんでいた。
『
どこからか流れだした噂は一高中に広がり、想像以上の反響があった。一部では僕を推薦する声まで上がっていたそうで、与り知らぬところで推薦状まで提出されていたらしい。
当時は誰かの悪戯か気の迷いだろうと思い流していたが、関本先輩に面と向かって言われて初めてその可能性に気が付いた。
僕自身が達也と深雪の立場を貶める要因になっているのではないか。
僕の存在が二人の功績を妨げ、周囲から認められる機会を奪っているのではないか。
『
達也の傍らには常に深雪が居て、たくさんの友人や理解者が居て、彼は彼自身が培ってきた実力と知識、技術によって多くの信頼を勝ち取っていく。
その功績は数知れず、だからこそ国外からの理不尽な要求をも拒み続けることができた。彼を信頼し必要とする人間が多かったからこそ、彼ら自身が世界から弾かれることもなく物語は大団円を迎えることができた。
『僕』という存在は、それを妨げているかもしれない。
憧れた達也の物語を、他ならぬ僕自身が壊しているかもしれない。
これまで生じた原作との差異は『僕』という異分子が要因だ。始まりが変われば結果も変わるのが当然の話で、完全に元通りにすることは最早不可能だろう。
せめて元の形に近付けられればと動いてきたが、さらに問題を増やすことになるのなら本末転倒。大団円の障害となるものは早急に取り除く必要がある。
警備隊の一員として横浜に行くことを変えるつもりはない。
八雲法師の忠告からして、こうなった責任の一端は間違いなく僕にある。だからこそ出来る限りの対処をしなくてはならない。積み重ねてきた全てを懸けて、文字通り全霊を懸けて臨むのは決定事項だ。
そして、もしも横浜事変を生き残れたとして。
『守りたい人たち』の誰も失わず、無事にハロウィンの夜を迎えられたとして。
すべてが上手く運ぶような幸運が起きたとして、それでも僕は二度と
◇ ◇ ◇
歩き回った末にたどり着いた屋上は早くも朱に染まり始めていた。
眼下の賑わいもすっかり収まり、ちらほらと学校を後にする生徒の姿が覗える。校門へ向かう集団の中にはクラスメイトの姿もあって、和やかな雰囲気の一団を見ていると鳩尾の辺りに自然と力が入った。
「――駿くん?」
不意にすぐ傍から名前を呼ばれて振り返る。
すっかり聞き慣れた声と唯一の呼ばれ方。相手が誰かは確認するまでもなく判った。
「やあ、雫。よくここがわかったな」
驚いて見せはしたものの、本当は来るかもしれないと思っていた。いっそ待っていたと言ってもいい。
校内に残っているのは知っていて、目に付けば声を掛けてくるだろうと踏んでいた。ひとけのない、けれど人目にはつきやすい場所へたどり着いたのは、無意識の内に彼女との会話を望んでいたからかもしれない。
予想外があるとすれば彼女が一人で来たことだろう。最近は護衛役として熱心に務める姿が目立っていて、一対一で会うのは久しぶりだったから。
「深雪は達也さんと一緒に帰ったよ。ほのかには中で待っててもらってる」
こちらの疑問を察して、雫は視線で後ろにある扉を示した。
扉の窓の向こうには薄っすらと人影が覗いていて、耳をそばだてる親友を想像してか口元には小さな笑みが浮かんでいた。
「それで、どうしたの? なんだかボーっとしてたみたいだけど」
沈みかけた日に照らされて、雫は小さく首を傾げる。
その仕草と表情がどうしようもなく鮮やかに映って、腹の底から衝動がこみ上げた。苦いばかりのそれを吐き出すわけにはいかず、懸命に飲み下して表情を繕う。
「特に理由はないよ。ただ――そう、ただ景色を眺めていただけだ」
じっとこちらを見据えていた雫はやがて隣に並び、校門の方を眺めて首を捻る。
「いつもと違うところはないと思うけど」
「ああ。いつもと変わらない、見慣れた一高の景色だ」
彼女の言う通り、論文コンペの前日であることを除けばありふれた土曜日に過ぎない。
関係者もそうでない人も大半が家路に就いていて、駅へ続く道に一高生が点在する光景は何度となく見てきたものだ。
じっと眼下を見つめていた雫はやがて顔を上げ、ちらりと視線を寄越して呟く。
「あんまり意味のないことをするなんて、珍しいね」
その身も蓋もない言い方はある意味で雫らしくて、思わず笑みが浮かんだ。
「確かに、目的もなく景色を眺めるなんてことは今までしてこなかったな」
覚えている限りの以前からこちら、ずっと何かの目的のために動き続けてきた。
立ち止まって景色を眺めることもあるにはあったが、それだって理由があってのことだ。
「何があったのか、訊いたら答えてくれる?」
身体ごと向き直った雫に確信をもって問いかけられる。
いつもと違うことをしているのだから疑問を抱くのも当たり前だろう。
「別に何も。強いて言うなら、明日は忙しくなりそうだってくらいかな」
何でもない風を装って、何度目かわからない嘘を吐く。
当然納得してくれるはずもなく、間近から見上げる眼差しは鋭くなった。
身勝手な話だ。
肝心なことは言わないくせに、こうして話せることを嬉しく感じているのだから。
恩に報いることも、疑問や心配を解消することも、向けられた好意へ応えることもせず、傷つけるとわかっていながら素知らぬふりで先延ばしにしてきた。
本音も真実も語らず、巻き込むわけにはいかないからと遠ざけておきながら、こうして未練たらしく会って話せることを喜んでいる。
だって、『僕』にとって『
大切で、失いたくなくて、幸せになって欲しい。
仲間想いで賢く、負けず嫌いで、何より人の幸せを祝福できる彼女を愛おしく思った。
初めて見た時から、『僕』が『
実際に会って話して、関わり合いを続けていく中で想いは深くなっていった。
向けられる好意に気付いてからは、嬉しさと理性の間で葛藤し続けた。
傍らで守り続ける未来を何度夢想したことだろう。
彼女の隣で、達也たちと歩む未来を何度夢想しただろう。
想像するだけで幸福な光景を何度も夢に見て、その度に
『
こんな嘘と罪に塗れた手で彼女の未来を汚すなんて、誰より僕自身が許せない。
彼女の想いを知りながら肯定も否定もできずにいたのは、そんな理由。
本当に、身勝手な話だ。
まともな答えが返ってこないと判ってか、雫は再度校門の方へ身体を向けた。
柵の手すりに片手を乗せて、一転して静かに問いかける。
「前にした約束、覚えてる?」
いつもと同じ落ち着いた声音でそう言って、彼女はそっと顔を上げる。
見上げたそこは茜色に染まっていて、吹き抜ける風も月の初めよりずっと冷たくなっていた。
いつか話せる時が来たら、すべてを打ち明けると約束した。
けれどその「いつか」を迎えるには、いくつもの奇跡を重ねる必要があるだろう。
実現の望みは薄く、傷つけることになると予期していて、だからこそもう一度表情を繕う。
「ああ。もちろんだ」
これが最後になるのなら、せめて格好悪い姿だけは見せたくない。
ひび割れた仮面で聡い彼女を騙し続けるのは難しいと判っていながら、なけなしの矜持が口角を持ち上げていた。
● ● ●
その儚く消え入るような微笑みを見て、雫は確信に近い予感を抱いた。
遠くない未来、駿は居なくなってしまう。或いはそれを覚悟しているのだと。
引き留めたい。けれど、それが駿の望みを妨げる行為だと知っている。
傍に居たい。けれど、駿は雫が同行することを望んでいない。
心配と不安は尽きず、訊きたいことの数はもう両手の指にも収まらない。
いっそ問い詰めようかと思いすらしたが、どれだけ迫ったところで駿が答えることはないだろう。それが判るくらいには駿のことを知っていて、だからこそ悔しさが滲んだ。
今の自分では駿の隣に並ぶことができない。
終わりを受け容れようとする駿を諭すことができない。
ならば、せめて――。
「前にした約束、覚えてる?」
震えそうになる声を必死に抑えて、呟く。
表情を整えるには時間が足りなくて、熱くなった目を閉じる間だけ背中を向けた。
滲んだ視界を瞬きで晴らし、ゆっくりと胸に渦巻くモノを吐き出す。
「ああ。もちろんだ」
聞こえてきた答えに嘘や誤魔化しの響きはなかった。
真摯で誠実で、けれどどこか決定的な隔意の覗く表情だった。
内に隠されたものを知りたいと願いながら、けれどそれを口に出すことはなく。
物分かりよく呑み込んだ風を装って、雫ははっきりと宣言する。
「待ってるから。何があっても、ずっと待ってるから」
少しでも駿を繋ぎ止める理由となるように。
今度こそ逃げられることのないように。
駿が諦めた『未来』へ望みを掛け、必ず実現すると心に決めた。
「だから約束、破っちゃダメだよ」
たとえ駿の望みに沿わなかったとしても、絶対に離れはしない。
どこまでだって追いかけて、必ずその隣に並んでみせるのだと。
(だって、私にとって君は大切な人だから)
ただ一つたしかな想いを胸に微笑む雫を前に、駿はどこか懐かしむような笑みを浮かべていた。