モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
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「――なるほど。そういう動機でしたか」
日も落ちた帰り道、五十里と花音からハッキングの犯人について聞いた達也は納得顔で頷いた。
作動確認の後に仕掛けられたハッキングはお世辞にも巧妙とは言えず、セキュリティを破られるようなことはなかった。
その代わりと言うべきか、反撃の難しい手法を取られていて攻撃元の特定には至らなかったのだが、紗耶香と桐原、そして駿が実行犯を捕まえたことで事態は解決を見たようだ。
捕まった平河千秋は月曜のハッキングにも関与していたことを認めており、その動機は達也の活躍を妬んでのもの。憎悪と形容しても違わない激情は伝え聞くだけでも顔を顰めたくなるほどで、にもかかわらず達也の表情は僅かにも揺るがなかった。
「何ですかそれ! 単なる思い込みじゃないですか!」
反応が大きかったのは達也本人よりもほのかの方で、前を歩く深雪も眉を顰めている。
同情を滲ませたのは幹比古と美月くらいで、一行の半数が千秋の行動を『暴走』と断じる中、雫は一人曖昧な表情を浮かべていた。
「ですが、それなら放っておいても問題なさそうですね」
妄執染みた動機を聞いた上で、達也は気にした様子もなく放置を決める。
これには花音も首を捻り、訝しむように訊ねた。
「狙われてるのはキミなんだけど?」
「ええ。ですから、巻き込んでしまった形になりますね。柔なセキュリティは組んでいないのでご迷惑をお掛けすることはないと思いますが、もしかすれば今後もお手間を掛けてしまうかもしれません」
申し訳ないとばかりに首を振る達也に、今度は五十里の方が反応した。
達也の組んだセキュリティに太鼓判を押した上で、ハッキングだけに留まらないのではと続ける。
「今度は直接的な手段を取ってくるかもしれない。エスカレートする可能性もあるし、平河先輩から説得して考え直してもらうのが一番じゃないかな?」
五十里の提案は千秋の暴走を止める手段としての最適と思われるものだったが、達也は首を縦には振らなかった。
「平河先輩をこの件に関わらせるのは止めましょう。姉妹とはいえ、先輩に責任はないんですから」
千秋の暴走の起因は小春の憔悴であり、本を正せば無頭竜の工作が原因だ。謂わば小早川と同じ被害者であり、千秋の行動は心痛を抱えた姉を見かねてのもの。全くの無関係とまでは言えずとも、そこに彼女の負うべき責任はない。
実際、小春は論文コンペの代表を辞退するほどの心痛を負いながら、学校へ通い続けることはできているのだ。ミラージ・バットで小早川が落水していた場合、彼女がどれだけのショックを受けていたかは想像に難くなく、そうならなかったのは非常用の刻印術式を用意した五十里と駿のお陰だろう。
深雪に脅威が及んで初めて対応に動いた自分が、それも小早川の時と違い完全に阻止してみせた自分が恨みを買うのは半ば仕方のないことだと、達也は客観的に考えていた。
「意外と優しいトコもあるのね」
手っ取り早い方法を取らず小春を庇うような言動をする達也に、花音は心から驚いたような表情を浮かべる。
途端にムッと口を尖らせた妹をさり気なく背中へ隠して、達也は苦笑いで花音へ応じた。
「余計面倒になりそうな気がするからですよ。それに最近周りをチョロチョロしているのは彼女だけではありませんから」
誤魔化す代わりにそう言って、二年生二人と友人たちの意識を散らせる。
素早く周囲へ視線を配る五十里、花音、幹比古の三人に対し、不安が勝ったほのかと美月はそわそわと左右へ振り向いた。
途中、ふと何かに気付いたように、美月が前を歩く雫へ声を掛ける。
「雫さん? どうかしたんですか?」
呼びかけられて初めて視線に気付いたのか、雫はハッとして顔を上げた。
「体調でも悪い? 小父様に連絡しようか?」
「ううん。大丈夫だよ、ほのか。ちょっと疲れただけだと思う」
親友の気遣いに笑みを返す雫。
それが愛想笑いだとはわかったものの、雫が何に悩んでいるのかまでは、ほのかにもわからなかった。
千秋の行動と動機が語られる間、雫は一人静かに考えを巡らせていた。
考えていたのは別のこと。千秋のことではなく、彼女を追った駿のことだ。
五十里と花音の説明を聞く間、雫の脳裏には千秋を追う駿の姿が過っていた。
抱いた疑問は一つ。何故、駿はあの場にいたのかということ。
勤勉な駿の性格を考えれば、複数回予定されている作動確認のために訓練を放って見学するとは思えない。警備隊の訓練にも休養日はあって、敢えて訓練を休む必要はない。
今日の実験がどうしても見学したいものだったというなら理解もできるが、達也曰く、プラズマを生成する実験装置はそれほど珍しいものでもないらしい。
もちろん、偶然で片付けることもできる。寧ろ偶然と考える方が自然だろう。
実験に興味があった。訓練の合間に居合わせた。別の用があったなど、理由はいくらでも考え付く。疑問を抱くこと自体、過敏になっている証拠かもしれない。
それでも、雫はこれが単なる偶然だとは思えなかった。
何か別の理由があった。
実験の見学とは別の、警備隊の訓練を欠席してまで足を運ぶ理由があったはずだ。
そう考えたとき、頭に浮かぶのは駿が口にしていた願いだった。
『守りたい人たちがいるんだ』
九校戦の最中、二人きりの病室で囁かれた言葉が脳裏に響く。
夏休みが明けて以来駿が何かに思い悩んでいるのは知っていて、彼の言う『守りたい人たち』が関わっていることは予想できた。
多分、今回もそれが理由なのだろう。
紗耶香や桐原と共に千秋を捕まえることは、駿にとって必要なことだった。
だから駿は警備隊の訓練を欠席してまで見学の輪の中に紛れていたのだ。
必要なことだったのだろうと。そこまで考えて、ふと疑問が浮かび上がる。
駿は何故、それが『守りたい人たち』に関わると知っていたのだろうか。
今回だけなら紗耶香や桐原が『守りたい人たち』に含まれていたと思うだけだ。
だが駿の無茶や不可解な行動は今回が初めてではなく、少なくとも九校戦が始まってからは何度か目の当たりにしていた。
何か危険に直面していたならまだわかる。春にテロリストが襲撃してきた時や富士へ向かうバスでの一件は、実際に危機へ陥ったから対応したのだろう。
けれど倒れるほどの無茶をした《スピード・シューティング》は本来、怪我人の出るような競技ではないのだ。にもかかわらず、駿は目的のために必要なことだったと語っていた。
先日の生徒総会も同じだ。三年生の和泉が質問席へ登壇した際、駿は驚きを顔に浮かべていたが、あれだって誰かが直接的な危機に見舞われたわけではない。
目の前の危機を退けることだけではない。
一見危険とは無縁なことでも、駿の目的に関わることがあるのかもしれない。
線引きは駿にしか判らず、もたらす結果も雫には判らない。
それでも駿の意図を想像することはできて、『不都合が起きないよう保険を掛けているのでは』と思い至った瞬間、もしかしてと雫は考える。
(駿くんは、何が起きるのかを知っている……?)
自分でも眉唾だと思いながら、けれどそれで駿の言動に説明がつくと感じた。
何が起きるのかを知っているから、目的を果たすのに最適な行動を取っていた。
何が起きるのかを知っているから、知らないことに対して驚愕を浮かべていた。
何が起きるのかを知っているから、独りで対処しようとしているのかもしれない。
ありえないことだと頭では考えておきながら、雫は結局その思い付きを捨てきることができなかった。
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午後九時を回った頃。
自宅のリビングでくつろいでいた達也の前へ、横合いからカップが置かれた。
「お兄様、コーヒーをお持ちいたしました」
「ありがとう。頂くよ」
礼を言ってカップを手に取る達也。
そんな兄を嬉しそうに眺めながら、深雪はソファの隣へ腰を下ろす。
自分の分の紅茶を口にしてほうと短い息を吐いた深雪は、達也がカップを置くのを待って問いかけた。
「森崎くんのことをお考えになっていたのですか?」
ちらりと達也の視線が隣へ向く。
横目に見ると深雪は微笑み顔で待ち構えていて、達也は参ったとばかりに肩を竦めた。
「深雪に隠し事はできないな」
「それはもう。深雪はお兄様のことであれば、すぐにわかりますよ」
上機嫌に応じた妹の頭を撫でる。
差し出されるまま、深雪が満足するまで達也の『ご褒美』は続き、手が離れる頃には兄の口元にも穏やかな笑みが浮かんでいた。
「昼食の後、あいつを連れ出した理由は予想がついているだろう?」
「私たちを監視している者がいるとお知らせになられたのですよね? 森崎くんにも伝えておくべきだろうと、昨晩お兄様は仰っていましたし」
深雪の推察に頷いた達也は両膝に肘を突き、組んだ両手で口元を覆った。
前屈みになって表情を隠したまま、視線を卓上のカップへと落として続ける。
「尾行に遭ったことをあいつにも報せるというのは伝えていた通り。ただ、一つ確かめたいことがあってね。警告の中に嘘の情報を交えて話したんだ」
黒く澄んだ鏡面に達也の鋭い眼差しが映る。
じっと何処かを見つめる兄の目は、深雪をして感情の窺えない色をしていた。
「嘘の情報、ですか?」
恐る恐る、深雪は兄の言葉を繰り返す。
先を促す彼女へ、達也はいつになく淡々とした口調で答えた。
「尾行の犯人は九校戦へ手を出してきた相手と同じ、つまり《
深雪が驚きに目を見張った。膝に置いた両手がキュッと握られ、表情に真剣味が宿る。
目を閉じた深雪は共有されてきた情報から兄の判断の根拠を探し、およそ二週間前の帰路での会話に訳を見出した。
「森崎くんに、彼らとの繋がりがあるかもしれないと仰っていた件ですね」
「荒唐無稽な話だと、俺自身も思っていたんだけどね」
ようやく顔を上げた達也が苦笑いを浮かべてソファに背をもたれる。
眼差しは斜め上方の天井へと向けられ、長く息を吐きながら述懐が続く。
「だが、どうしても可能性が捨てきれなかった。事故が起きることを知っていたと仮定すれば、あいつの対応や準備の良さに説明がつくから」
そこまで口にして、それきり達也は口を噤んだ。
じっと天井を見つめる兄を覗き込むように見て、深雪はゆっくりと訊ねる。
「結果は、どうだったのですか?」
深雪の問いに、達也は即答しなかった。
答えは出ているのに何度も検算をやり直しているような、そんな短い間が空いた後、身体を起こした達也がようやく答えを口にする。
「……白とは言えない」
思っていた通りの答えに、深雪は静かに息を呑んだ。
兄がこれほどまでに懊悩する以上、疑惑があることは間違いない。
ただ、それでも駿は達也にとって貴重な友人の一人で、レオや幹比古といったクラスメイトを除けば唯一と言ってもいい気安い間柄の同性だ。
深雪にとっても単なるクラスメイトに留まらず、一科生男子の中では最も話す機会の多い友人と言えるだろう。
けれど、だからといって見て見ぬふりはできなかった。
「尾行犯について話したとき、あいつは驚く以上に動揺を顔に浮かべていた。そしてそれは《無頭竜》の関与を伝えた瞬間が最も顕著だった。繋がりがあるかは判らないが、何かしら知っていることがあるのは間違いないだろう」
疑わしい存在だと、そう判断せざるを得ない。
心情と分けられた思考は何度繰り返しても同じ回答を示していて、感情よりも理性に傾くよう設計された達也の精神は、すでに内心の迷いを隔離していた。
一方、じっと兄の推論を聞いていた深雪はふと首を傾げて訊ねる。
「ですがお兄様、そうだとすると森崎くんが事故を避けなかった理由がわかりません。四高との試合の映像は私も見ましたが、とても演技をしていたようには……」
「俺もそこが疑問だった。あの試合、もし森崎が事故のことを知っていたのなら、五十嵐や香田が入院することはなかったはずだ。だが実際は事故が起き、森崎自身も怪我を負った」
間近から見上げる妹に頷いて見せた達也は顎先に指を当て、考えを纏めるように続けた。
「モノリスで起きる事故だけを知らなかったのか。小早川先輩の事故だけを予期していたのか。或いはそのどちらでもないのか。はっきりしたことは判らない。
それでも、森崎と《無頭竜》の繋がりが否定できない以上、警戒はしておかなければならないだろう」
自分たちを尾行したUSNAの工作員
背後にいるのが《無頭竜》だとすれば、駿もまた何かしらの行動を起こすかもしれない。
もしもそうなった時、果たして駿は連中に敵対するのか、或いは協力するのか。
見極めなければならないと、達也はほんの小さく息を吐く。
達也自身も気付かぬほど小さなため息は、傍らの深雪だけが知る苦悩の発露だった。
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同時刻。品川のとある料亭の個室では三人の男が卓を囲んでいた。
「申し訳ございません。お待たせしてしまいましたか?」
開口一番、青年が訊ねる。
言葉通り恐縮を表情で見せながら、穏やかな口調には焦りや卑屈さが一切ない。
腰を落とす所作は滑らかで、整った容貌と相まって貴族然とした余裕すら感じさせた。
「お気になさらず。我々も着いたばかりですので」
対する壮年の男も素っ気なさこそあるものの口調は穏当で、友好の仮面を被る程度には青年との関係を疎ましく思ってはいなかった。
隣の若者が口を開かないのはいつものことなので、男も青年も気にした素振りはない。
「早速ですが、
給仕の人間が下がった後、無言のまま猪口を呷った男が青年へ切り出した。
「協力者が一人捕まったと聞き及びましたが」
徳利を手に取って、男はお代わりを注ぐ。
清酒の満ちる様子を眺めていた目は、やがて猪口が一杯になると青年へ向けられた。歴戦の軍人が放つ威圧感は加減されて尚、影のように青年――周公瑾を取り囲む。
「
全身へ覆い被さるような重圧を、周は柔らかな声で受け止めた。
右手を胸へと当て、「ご安心ください」と浅く目を伏せる。
「彼女にはこちらの素性を何一つ教えておりませんので、情報漏洩の危険性はないと思われます」
「それでよく協力者に仕立て上げましたな?」
信じられないとばかりに陳は相槌を打つ。
工作部隊の隊長を務める身として、現地協力者確保に必要な要件は熟知している。金で雇う傭兵にすらある程度の事情説明は必要で、周の言う方法があるなど思いもよらなかった。
「あの年頃は純粋で情熱的ですから。自分の願いを果たすために、多くを聞くより多くを語りたがるものです。道を示されるよりも、道を舗装されることの方が喜ばしく感じる時期なのですよ」
懐疑的な表情を浮かべた陳へ、周はそう言って微笑んだ。
見た目に似合わぬ妖艶な微笑は経験深い陳をして不気味に感じられるものだったが、手段はどうあれ結果が出ていれば構わないと目を閉じ相槌を打った。
「先生がそう仰るのであれば大丈夫なのでしょう。ただくれぐれも『万が一』がないように願いますぞ」
一応の念押しだけを付け加えると、周は恭しく頭を下げて答える。
「心得ております。近日中に様子を見て参りましょう。つきましては、護衛役にお貸ししている彼を連れて行きたいのですが」
「久沙凪殿を、ですか。わかりました。戻り次第、そちらへ向かわせましょう」
周の申し出に、陳は一切の疑問や逡巡もなく頷いた。
なんとなれば煉を紹介した張本人なのだ。優れた隠形の術も鋭い剣術の技も知っていて当然で、客分としての働きを見た後だからこそ成果にも期待が出来るというもの。
いざとなれば協力者を始末するよう命じておくこともでき、部隊の人間が監視下に乗り込むリスクも生じない。周の提言は、陳にとっても好都合なものだった。
「ご厚意、感謝致します」
再度一礼した周に、陳が猪口を掲げて見せる。
合意の乾杯は静かなまま交わされ、二人は同時に清酒を口に運んだ。
陳とは対照的にゆっくりと杯を傾ける周を、もう一人の参列者――