モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
◇ ◇ ◇
10月も半ばを過ぎると、論文コンペの準備もいよいよ追い込みに掛かってきた。
市原先輩主導で書かれていた論文の草稿も予定通りに提出されたそうで、残すところは実演に使用する装置の組み立てと術式の調整だけ。それぞれ五十里先輩と達也が担当していて、どちらの作業も順調に進んでいるらしい。
作業の手伝いに当たる生徒たちはこれ以上ないほどの活気を見せていて、さながら祭りの只中にあるような賑やかさが校内を満たしている。
これに触発されてか共同警備隊の訓練も日ごとに熱が増していて、実戦を想定した訓練は時にモノリス・コード以上の激しさになることもあった。
一癖も二癖もある上級生たちに揉まれるそれは、父の会社で行う訓練と同等以上の強度に感じられるほどだ。
また十三束の指摘にヒントを得て以来、暇を見つけては叔父から警棒術の指南を受けるようにもなった。
以来、下校後は父の会社の訓練施設へ向かい、
そうして朝から夜まで訓練漬けの日々を過ごし、本番を10日後に控えた木曜日。
いつも通りの時間に教室へ入ると、珍しく出迎えの声を掛けられた。
「よっ、森崎。おはようさん」
「渋川? おはよう。今日は随分と早いんだな」
窓際の席で片手を挙げた春樹に応える。
訊けば所属するクラブが論文コンペの準備に参加していて、昨日も遅くまで残っていたらしい。疲れのあまり変な時間に寝たせいか、明け方早くに目が覚めてしまったそうだ。寝癖の残った髪を撫でる春樹の目元には薄っすらと隈ができていて、よほど疲れているんだろうと察せられた。
「授業まで少しでも寝ていたらどうだ?」
苦笑いの浮かぶまま問うと、春樹は眠そうな目のまま真面目くさった顔で首を振った。
「今寝たら始業までに起きれなくなるからな。1限の課題を終わらせてからにするよ」
思わず息が漏れる。軽口が口を衝いて出て、大袈裟な反応に自ずと笑みが浮かんだ。
同じく口の端に笑みを浮かべた彼から「寝ちまわないよう、お喋りに付き合ってくれ」と要望され、おざなりな返事の零れ落ちるまま窓脇の壁へと寄り掛かる。
冗談と軽口を交わし合う談笑はその後も和やかに続いた。
時間が経つごとに他のクラスメイトも会話へ加わってきて、賑やかな日常の幕が徐々に開いていく。
何でもない朝の一幕には未来への無邪気な期待が満ちていて。
空っぽの胃に温かさが滲んで広がり、脳裏を占める不安もこの時ばかりは隅へと退いていく気がした。
◇ ◇ ◇
昼休みになると校内の活気は一段と大きくなった。
学生食堂へ向かう道すがら、聞こえてくる声はどれも陽気で楽しげで、釣られて目を向ける度に自然と笑みが浮かぶ。魔法を扱う関係上、一般の高校生よりも高い自制心を求められる魔法科高校の生徒だが、論文コンペという大きな目標に向け作業へ取り組む姿には熱意と期待が満ちていた。
賑やかなのは食堂も同じで、各所で楽しげな声が上がっていた。
入り口からそのまま配膳口へと向かい、受け取った料理を手に空いている席を探して校庭側へと歩く。
そうしていると、不意に柱脇の席から声を掛けられた。
「あれ、森崎くん?」
そこにいたのは達也一行で、緑茶のパックを手にした幹比古がこちらを見上げていた。
声に釣られて一同が振り向き、足を止めたところへ美月が問いかけてくる。
「お一人ですか?」
「みんな作業をしながら食べるらしくてね」
肩を竦める動作で応じると、同じA組の三人がなるほどとばかりに頷いた。
夏の九校戦同様、論文コンペの準備作業に参加する生徒は一科生の方が割合多く、1年A組からも多くのクラスメイトが加わっている。実演装置の組み立て作業が本格化した今、午後の作業時間を少しでも増やすための方策なのだろう。実際の効率はともかく、『忙しさを楽しむ』にはそれくらいが丁度いいのかもしれない。
「でしたら、森崎くんもご一緒にいかがですか? 幸い席も空いているので」
誘われて、思わず首を傾げる。
深雪の言葉通り空席はあるのだが、空いているのは4人掛けテーブルの内の2席だけ。近くのテーブルはどこも埋まっていて、グループの定員を考えれば席が足りない。
「千葉さんと西城が来るんじゃないのか?」
訊ねた途端、ほのかの口元に何やら意味深な笑みが浮かんだ。
一方、幹比古と美月は明後日の方向に視線を逸らしていて、わかりやすい彼らの反応になるほどと思い至る。
エリカとレオが揃って不在となれば、思い当たるのはレオが千葉家での修行に励んでいる可能性だ。レオの身体能力に目を付けたエリカが彼に剣術の指導を行うのだが、原作でも確かに論文コンペ目前のタイミングだった。
「二人とも、今日はどうやら休みらしい」
答え合わせは達也の口からもたらされた。
淡々とした口調で、けれど口の端だけは吊り上げて言ったそれに、わざとらしく目を丸くして見せる。
「ほう。そういうことなら、ありがたくご一緒させてもらおう」
言いつつ、幹比古の隣の席へと向かう。
原作通りレオが剣術を学ぶ機会を得たことへ安堵を抱きながら、その反面、修行へ挑むきっかけが何かはわからなかった。原作では2つあったきっかけの内、一方はまだ起きていないと断言できるはずなのだが。
ざっと考えを巡らせながら、端の席へ腰を下ろす。
その瞬間、ちょうど対角にいた雫と視線が合った。
ほんの僅か目を細めた雫は口元に小さな笑みを浮かべ、そっと小首を傾げる。
言いたいことはあるだろうに、そうした諸々を呑み込んで尚、変わらず振る舞ってくれているのだ。受けた気遣いには応えなければ、とても申し訳が立たない。
考えているだけでは判明しないことを隅によけ、雫へ目礼を返す。
それきり視線を手元のプレートへ落とした雫は楚々とした手つきで食事を再開した。他のメンバーも銘々食器を手に取り、料理を口へと運んでいく。
食事中は談笑も控えめに、やがて全員のプレートが概ね空になると交わされる言葉の数は増えていった。
揃って欠席したエリカとレオの現状をあれこれ想像して盛り上がる女性陣に、達也や僕は求められるまま合いの手を入れる。幹比古の純情ぶりもまたある種のスパイスとなり、妄想のヒートアップするほのかを達也が現実へ引き戻す形で話はひと段落となった。
話題の対象は論文コンペへと変わり、当事者の達也がひとしきり質問に答えた後、やがて興味の対象は別のものへと移った。
「警備隊の訓練はいかがですか? 毎日遅くまで残られているみたいですけど」
美月の問いかけと共に全員の視線が向けられた。
参加者が身近にいないからか、一同の眼差しには思いのほか興味が覗いている。
「大変なのは間違いないが、得るものも多くて充実しているよ」
感想を素直に答えると、6人はまるで知っていたとばかりに頷いた。
「森崎くんらしいね。中条会長は『去年よりも輪をかけて厳しい』って言ってたけど」
いっそ呆れたような笑みでほのかが言うと、E組の約2名が途端に目を丸くする。
どんな光景を想像したのか知らないが、そんな風に顔を青褪めさせるほどじゃないと思うのだが。そもそも、訓練へ熱が入るのは仕方のない理由があるからだ。
「十文字先輩が警備隊全体の統括に当たる分、
共同警備隊の隊長は、その年の九校戦モノリス・コードで優勝した学校から派出するのが九校間の協定だ。そして、今年優勝した一高からは満場一致で十文字先輩が選出された。
『十文字先輩が総指揮を執る以上、前線を預かる我々が無様を晒すわけにはいかない』と語った沢木先輩が指導する関係上、訓練の強度が高くなってしまうのは当然の結果だろう。
「昨日の訓練では十文字先輩自らが訓練相手になっていたようですが……」
「お陰様で、メンバー全員にペナルティの追加メニューだった」
深雪からの問いに頷くと、女性陣は全員が唖然とした顔で息を呑んだ。
失笑の一つでも誘えればと思ったのだが、存外重く受け止められてしまったらしい。
「十師族の直系、それも次期当主が相手となれば、警官隊でも苦労するだろうな」
傾きかけた雰囲気は唯一納得顔をしていた達也に修正された。やれやれとばかりに肩を竦め、皆の視線が集まったところでコーヒーのパックを手に取る。
それで我に返ったのか、深雪が兄に続いて紅茶のパックを手にし、彼女の様子を見たほのか、雫、美月がそれに続いた。喉の渇きを癒した4人は示し合わせたかのように息を吐く。
女性陣の様子に自ずと笑みが浮かんだ。
ちらと目を向ければ、達也は素知らぬ顔でパックを畳んでいて、手前の隣人は何やら真剣な表情で手元を睨んでいる。
謝意に応じるつもりのない達也は諦めて、幹比古の方へ声を掛ける。
「吉田も、興味があるなら参加してみるか?」
そうして初めて我に返ったようで、幹比古は慌てて顔を上げた。
恥じらいを隠す余裕もないのか、躊躇いと遠慮の言葉が切れ切れに漏れ出てくる。
「遠慮はいらない。九校戦で君の実力は知れ渡っているし、何より訓練の相手は多いに越したことはないからな」
「……そういうことなら、是非お願いするよ」
少しの間の後に返ってきた答えは予想以上に力強いもので、訊いたこちらの方が驚くほどだった。
とはいえ、幹比古が乗り気になること自体は歓迎だ。口にした理由は元より、今後のためにも幹比古には多くの経験を積んでもらわなくちゃならない。
「もちろんだ。沢木先輩に掛け合っておこう」
鳩尾の疼痛を押し隠して頷く。
必要なこととはいえ、幹比古をこちらに都合よく誘導するのはこれが三度目だ。
「ありがとう」
頷く幹比古の目は、どこか遠くを覗いているように見えた。
◇ ◇ ◇
この日一番の出来事となったのはその後。
昼食を食べ終え、各自のホームルームへと向かう途上だった。
ちょうど実験棟の角に差し掛かったタイミングで、ふと達也に呼び止められた。
「少し話せるか」
他のメンバーを先に行かせた達也は、皆に声が届かなくなった頃合いを見計らってそう言った。
声量は抑えながら、声音はどこか物々しく。答えるこちらも自然と潜めた声になった。
「問題ない。場所を変えるか?」
「そうだな。この時間なら、風紀委員本部がいいだろう」
頷いて応え、変に目立たぬよう雑談を交えながら風紀委員本部へ。
予想した通り室内には誰も居らず、先に部屋へと入った達也は備品棚の前で振り返った。
「休み時間中に悪いな」
「わざわざ呼び止めるほどだ。よほど大事な話なんだろう?」
何しろ深雪が振り向きもしなかったのだ。それどころか足を止めた雫とほのかの背を押す程で、恐らく事前に示し合わせていたのだろう。食堂で会ったのは偶然だったが、或いは機会を伺っていたのかもしれない。
前置きを省いて問いかけると、達也は視線を二つある扉へ走らせた。
盗み聞きを警戒しているのだろう。僕の感覚では判らないが、《精霊の眼》を使っているのかもしれない。それほどの警戒が必要な話となると、自然と息が詰まる気がした。
やがて視線をこちらへ戻した達也は一歩距離を詰め、囁くように口を開く。
「実は昨日、下校中に尾行に
ドクンと、心臓が大きく跳ねた。
ここ最近は向けられることのなかった、鋭い眼差しに射貫かれて。
当事者の仲間たち以外には決して語らないはずの情報をこうして明かされて。
何よりも、彼らを尾行したという人間が僕の知る相手ではなかったと聞かされて。
三重の驚愕に頬が固まり、背筋を冷たいものが流れていった。
僕の知る限り、この時期に達也たちが尾行に遭うとすれば、それはUSNAからの工作員が正体だ。軍属か否かは不明だが、彼の国で雇われた非合法のエージェントが防諜を目的として達也たちの監視に当たっていた。
彼がエリカたち3人によって撃退され、その後
しかし達也曰く、尾行の犯人は《無頭竜》の人間だったという。
考えられる可能性としては2つ。
勢力を維持した《無頭竜》が報復に動いたか、もしくは達也が嘘を付いているか。
《無頭竜》が健在だというのはあり得る話だ。夏休み中、有明にリン=リチャードソンは現れず、僕自身もジェネレーターと交戦しているのがその証拠だろう。
達也が失敗したとは考えづらいが、その後の摘発が上手く運ばなかったとすれば《無頭竜》の頭首リチャード=孫が存命している可能性はある。仮に生きていた場合、達也への報復に動くことは十分に考えられる展開だ。
一方の達也が嘘を付いている可能性。
考えたくはないが、こちらも否定できない。
そもそも僕は疑われていた身だ。半年間でそれなりに友誼を結んできたつもりだったが、怪しまれる素地があるのは自覚している。
何より、達也の師はあの八雲法師なのだ。『原作知識』という僕の秘密すら知っている節のある八雲法師が彼の側に居る以上、達也に知られるのも時間の問題だろう。
そう考えると、達也の視線がいつになく鋭いのも納得がいく。
事実と異なる情報を告げて、こちらの反応を窺っているのだろう。
尾行者の正体を知っているか否かで、僕の反応は大きく変わるのだから。
間近から見据えてくる眼を見返し、湧き上がる震えを呑み下して応じる。
「
差し当たり無難な台詞を返してみる。
苦言を装って呟いた一言はしかし、瞬き一つで受け流されてしまった。
「去り際、男は言っていたそうだ。『身の回りに気を付けろ。学校の中だからと安心はしないことだ』と」
続けて放たれた情報に身を打たれる。
またしても重要な、おいそれと公言できないような情報で、七草先輩や渡辺先輩らにも語られていないはずのものだ。そんな危険な話を明かす裏には、いったいどんな思惑があるのだろうか。
「まるで校内にスパイでもいるような口ぶりだな」
「残念ながら、その通りだろう」
冗談めかして呟いてみるも、
閉口するこちらへ、達也は一拍の間を取ってから続けた。
「あまり大きな声では言えないが、実は日曜の夜と月曜の午後、二度にわたってハッキングを受けた。月曜の方は校内で、だ」
言いながら、達也は一度瞑目して備品棚へと顔を向ける。
瞬間、背筋を撫でていた冷気が薄れ、知らぬ間に強張っていた肩から力が抜けた。
冷や汗のじっとりとした不快感を意識から締め出して、続く達也の言葉に耳を澄ませる。
「時期的に論文コンペの資料を狙った産学スパイだと思っていたんだが、犯人が校内にいるとなれば話は別だ。男の発言も含めれば、何処かの犯罪組織が絡んでいる可能性もある」
同じように棚の上の器材へ目を向けながら、詰まった息と一緒に問いを吐き出した。
「それで、司波は僕に何を期待しているんだ?」
真意はどうあれ、これだけの情報を開示したからには何かしらの行動を期待しているのだろう。
『
「別に厄介事を押し付けるつもりはないさ。ちょっとした注意喚起だよ」
しかし、予想とは裏腹に達也は何の見返りも求めてこなかった。
いっそ拍子抜けと言ってもいいような回答には寧ろ怪しささえ感じられるほどだ。
「注意喚起ね……。千代田委員長へはもう話したのか?」
「ああ。五十里先輩と市原先輩にも通達済みだ。尾行の件はさすがに暈してだが」
やはり尾行のことは話していない、か。この辺りは原作と同様のようだ。
恐らくは『ハッキングを受けた』という点だけを話したのだろう。論文コンペの資料が産学スパイのターゲットにされることは割とあるケースらしいから、それだけでも警戒心を触発することはできるはずだ。
あとは何故、僕にだけそのことを話したのか。
理由の一端でも教えてくれれば安心できるのだが、まさかこちらから訊くわけにもいかない。
「――事情は概ね理解した。精々気を付けるとしよう」
聞かされた情報を反芻し、緊張と一緒に呑み込んで頷く。
《無頭竜》の報復か。達也の疑念か。或いはその両方か。
真意はどうあれ、きっかけを貰ったことには変わりない。
ある意味、これで動きやすくなったとも言える。
事情を知られないよう迂遠な方法を取る必要がなくなったのだ。
疑念を晴らせる見込みがない以上、いっそ開き直ってしまうのも有りだろう。
「十文字先輩と沢木先輩にもそれとなく話しておこうと思うが、構わないな?」
「もちろん。寧ろ、ありがたいくらいだ」
予想通り、反対されることはなかった。
達也の口元に微笑が浮かび、間もなく顔を上げる。
「話は終わりだ。時間を取らせて悪かったな」
言って、達也が脇をすり抜ける。
入り口の扉を開いて振り返った彼の、口元に浮かぶ笑み――。
それが愛想笑いなのかどうかすら、僕にはまるで判断がつかなかった。