ヘイトスピーチカウンターについての個人的意見をダラダラと…
第一義的には、カウンターの目的は「ヘイトスピーチによって大きなダメージを受ける恐れのある人に、ヘイトスピーチを聞かせないこと」。なので、とにかくでかい音を出す、ヘイターを挑発してほかの話をさせる…等々のことをするべき。
被差別当事者でない人にとっては、街頭でのヘイトスピーチは単にうるさいものに過ぎないので、カウンターとしてケアすべき要素はない。また、ほかに手段がなくて仕方なくやっていることなので、一般の人にうるさかったり邪魔になったりすることはやむを得ない。
ヘイター(ヘイトデモ、ヘイト街宣)をその場所から追い出すことができれば素晴らしい。ただし、これは通常のカウンターではできない。デモの場合はコース上への座り込み、街宣の場合は街宣場所の占拠や街宣中のなだれ込みなどが必要になる。
チャンスがあればこれは狙うべきだが、ほとんどの場合、警察の方のノウハウと準備が上回るので実現はできない。一時的にできても排除されてしまう可能性が高い。
ただし、一時的にでも成功すれば、警察が次からデモや街宣の許可を考え直す可能性はある。
言うまでもなく、警察が警備上の都合からデモを許可しないというのは、言論の自由の侵害であり、歓迎すべき事態ではない。
しかし、包括的差別禁止法が存在しない現状では、被差別当事者の平穏な生活を守る手段がほかにない。ならばやる。それがカウンター。
このほかにも、ヘイターの本名や職場のアウティング、悪罵など、品位の点から褒められたものでない手法が多々ある。それがほかの差別を助長することがないなら、礼節の点から見て疑問があったとしても、カウンターとしてはためらうべきではない。
差別から被害者を守るためには他に方法がない、という事情はあらゆる手段を正当化する。
カウンターは、もちろん、言葉の真正な意味でのボランティアである。
なので、できることは個人の事情によって色々な違いがある。できる範囲のことをすべきであり、また、避けられる限りは逮捕されたり、ヘイターからの暴力にさらされたりすべきではない。
単独での積極的な行動は絶対に避け、無理はしない。積極的な行動ができない場合にはそこにいるだけでも、あるいは物陰に潜んで記録しているだけでも貢献はできる。
無理はせず、できるときに、できることを、柔軟な発想でやろう。そして最後には勝とう。