2015-05-21

いじめっ子が死んだときの話

もう20年近く前の話。

小学生だった頃、極悪ないじめっ子がいた。

(仮にジャイアントでも呼ぶことにしよう)


ジャイアンはその名の通り、体が大きく乱暴者だった。

下級生を追い掛け回して殴り、上級生にケンカをふっかけ暴れまわっていた。

授業中もフラフラ廊下を歩き、グランドに出て、そのうち外に出て行ってしまう。

先生たちも手を焼いていたようで、親を呼び出したりしたようだがその効果は無かった。

正義とか、理屈とか、ルールとか、そういうのは一切無視でとにかく感情のままに行動するような奴。

今思えばADHD(注意欠如・多動性)だったのかもしれない。

その頃は学校中がジャイアンを毛嫌いしていた。

だけど誰も怖くて言えない。

休み時間学校の行き帰り、学校の外で遊ぶ時。いつもジャイアンが来ないか注意を払わなくちゃいけない。

本当に嫌いだった。

けど腕力のあるジャイアンにかなうはいないし、大人もあてにならない。

みんなで警察通報したこともあったが、結局大人の話し合いになり何の進展もなかった。

このまま中学まで我慢しながら、過ごすのかと思うと激しく憂鬱だった。


そんな時ジャイアン交通事故にあった。


俺は学校帰りの公園友達と遊んでいた。

そこへジャイアン事故の一報である

まだネットも何もない時代だったため、情報は噂の域を出ない。

けど話によれば、大きな事故だったらしい。

生死は分からない。

みんな口には出さないが同じ気持ちだっただろう。

死んでてほしい。




俺はその日の夕方ニュースに釘付けになった。

今でも忘れない6時55分の地方ニュース



ジャイアンは死んでいた。


自転車乗っていてダンプの横にぶつかり転倒。

タイヤに頭を踏まれてほぼ即死だったらしい。



次の日の全校集会で校長は泣いていた。

しかし生徒も教員も含めその場にいたすべての人間ジャイアンの死を歓迎しただろう。


少なくとも俺の周りでジャイアンの死を悲しむ者はいなかった。

突然現れた幸運女神

学年を問わず、みんながウキウキしていた。

目が輝いていた。

ジャイアンが死んで嬉しいという者までいた。

ダンプの運転手さんは英雄になった。

本当に誰もが喜んだ。


ジャイアンが死んだとき、誰もが幸せを感じた。



それは歪んだ時代象徴的な出来事かもしれない。

ただ、

1人の犠牲で、社会全体の幸福度が増すこともある。

俺はジャイアンの死から学んだ。

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