人が食事を口から取れなくなって回復の見込みがなくなった時、点滴を希望する家族は多い。
でも、点滴って本来は「回復し得る人のため」のもの。
例えば、ちょっとお腹壊したり、肺炎になって食事が取れなくなった時に一時的にこれ使い回復までの時間を稼ぎ体力維持するには、最高の道具。
一方で、「戻ってくる見込みがない人」に、点滴を続けると悲惨。
水を入れ過ぎれば、入れた水を消費し切れずブクブクに浮腫み、痰が喉元に溢れてゼイゼイ言いながら死んでいく。
逆に、点滴を少なめにしても「生き延びられてしまう」
500mlの点滴だけで1-2ヶ月くらいは生きられる。水で、体の脂肪や蛋白質(筋肉)を分解してエネルギーをつくることができるから。
しかし、やがて消費する脂肪、そして筋肉が無くなり命脈は尽きる。
最期は骨と皮だけの変わり果てた姿を見る。
「婆ちゃん痩せちゃったなあ」と看取る家族も辛い。
人生の最期の時間において、本人も周囲も一番穏やかなのは、食べられるだけ飲めるだけのもので過ごす事。
徐々に脱水が進むことで意識がぼんやりし、やがて静かに眠り始め、微熱を発し、程なく静かに息を引き取る。
人類の歴史は700万年あると言われるが、そうして自然死を迎えた私たちの祖先の今際の際が、そんなに壮絶で苛烈なはずがない。
自然は過酷にはできていない。
医療の名のもとで、この自然の過程に抗おうと余計な手出しをするようになって、この穏やかな死を邪魔するようになった。
死に際がこんなに苦しくなったのは、現代だけ。
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