pixivは2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
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「えっ、……と…」
フロイドは夏色の目をして書類を見下ろしていた。
それは喜びと戸惑いのせいである。
気になっていた乙女から出し抜けにラブレターを貰ったみたいに突っ立ったまま、書類の上から下までを熱心に眺めていたのだ。
NRC第5会議室。※
ここは壁、床、天井の全てが真っ白のツルツルした素材でできた真四角の広い部屋だった。
床には長さ5メートルはあろう長方形の白い箱がそこかしこにゴトゴト置かれており、そこから丸くて白い花が突き刺さっているみたいに大量に咲いていた。
その花は、近付いた人間の髪の色と同じ色に変色する。
よってフロイドのそばに咲いた花は水紋のように/囲うように丸くターコイズ色になっていた。
(※第5会議室デザイナー:シャネル・エドガール)
「なんだい。何があったんだ」
リドルがヒールを鳴らして彼に近付いた。
花々はリドルの移動に合わせて次々と真っ赤に変色していき、彼が通り過ぎれば元の白色に戻っていった。フロイドのそばに立てば、周囲の花はターコイズに赤が混ざっていく。
リドルは彼の持った書類を背伸びして覗き込み、少しの間黙り込んだ。
一体何でフロイドが驚いているのか知ったのだ。
「これ、」
フロイドはリドルが見やすいよう紙を傾け、指を文字の上に置く。その文字は魔法効果でフッと紙面から拡大されて浮かび上がり、リドルは大きな目をこれまた大きく見開いて…。
「───ヴィル・シェーンハイトが出たのか!」
リドルは紙に向かって「山が動いたぞ」とパキッとした声を出した。
フロイドは3度連続で小刻みに頷いて、人差し指を斜めに自分の唇へ添えて考え込むのである。
その横顔はかなり真剣で、今後の展開を考えていた。
つまり考える価値のあることだった。
「?見せて、見せてくださいな」
監督生が背伸びをしてフロイドの腕に捕まって紙面を覗き込んだ。
「見せて見せて」
「おれも見たい、しゃがんでよ」
他にも一年生のちまこい者達がわらわら集まってきたので、フロイドは「はいはい」と限界まで腰を屈めてちっちゃいものクラブ達に紙面を見せてやった。
これが何かと言えば、第42回NRCエイプリルフールについての書類である。
エイプリルフールの仕掛け人やスタッフはいつも公募をして集った者たちと決まっている。
その年によって制作スタッフは異なり、スカウトする場合は主催者の人望が影響する。なのでハズレの年も当然あるし、生徒達も監督の名前や仕掛け人の名前を見て映画を観るかどうか決めるのだ。
つまり、素晴らしい名優たちが仕掛け人となり、照明、音声、撮影、編集、プロデューサー、音楽、美術、監督、脚本…などなどが名だたる男たちが参加していればその年はヒット間違いなし。制作費も増えるし、やれることも大幅に増える。
…ちなみに、前回の「地下二階の秘密」で集まったスタッフは計15名ほど。
制作費はほとんどなく、首が回らない状態だった。なのに関わらず映画は大ヒットし、素晴らしい興行成績を叩き出したのである。こうして低予算でもヒットすることもあるが…マ大体はやはり制作費をかけた分だけ興行収入も飛び跳ねるので、その方がよろしい。
では如何にして制作費を掻き集めるか。
これは先程説明した通り企画発案者の人望と、企画の面白さによる。
これにより大きな名前が釣れれば芋づる式に他の名前も釣れていくのだ。
例えばルーク・ハントが主催者だとする。
こうなるとルーク・ハントと仕事をしたがる生徒たちや、ルーク・ハントほどの男が参加しているなら…と大きな仕事の予感に名俳優がやってくる可能性が増える。
よって1人か2人、ビッグネームが釣れたならば続々と良い仕事をする腕っこきが集まるということだ。
面白い企画を打てばたくさん手伝いたい人が集まるし、そうでなくとも主催者に人望があればたくさん人が集まるのだ。
こうくるとお金も集まる、ということである。
前回フロイド・リーチをターゲットに指名したのはリドル・ローズハートだった。
リドルが主催者だったのである。
では何故彼に制作費とスタッフが集まらなかったかと言えば、リドルが映画畑の人間と繋がりがほとんど無かったせいだ。
ポムフィオーレ生が釣れれば一番だが、彼はポムフィオーレとの交友が希薄であり、その上前年は誰も彼もが忙しくてほとんど集まらなかった。
ターゲットがフロイド・リーチという難しさも相まって脚本家は逃げ出し、やっとの思いでこぎ出した船だったのである。
それなりの名前は集まったが、誰もが片手間にしか参加できなかった。
ターゲットとしてデイヴィス・クルーウェルを引っ張り込めたのは奇跡に等しい。彼のおかげで成功したプロジェクトだったのだ。
それにイデア・シュラウドは前年の主催者であったため脚本協力をしてくれた。これによってヒットした映画だった。
だから主催者のフロイドは焦っていた。
前年のターゲットが中心となってメンバーを集め、企画を進めていかなければならないため…フロイドの技量でこの企画が成功するか否かが決まる。
しかしフロイドには人望がない。
彼はオクタヴィネルの一部ではカルト的な人気を誇るし、他寮にも顔が広い。が、フロイドのことが好きな男たちはアンダーグラウンドな男たちばかりで、表舞台で活躍するような男はほとんど存在しなかった。
彼の友達は皆怖いお兄さんなのだ。
なので【クルーウェル暗殺計画】をフロイドが立案すれば大量に工作員が集まる上、裏社会のビッグネームが幾らでもヒットするが…【クルーウェルドッキリ計画】では誰も集まらないのだ。
日頃の行いがここまで反映されるのも珍しいことである。
よってフロイドは一体どうやってスタッフを募集するか悩んでいた。取り敢えず公募を出したものの、動くのはここからだ。
個人的になんとか色んな人間に声をかけていくしかないと思っていた。この時期は誰も忙しいため、スカウトはほとんどできないだろうことは分かっていたが…。
と。
そんな風に体を忙しくしようとしていた矢先のこと。
公募をして、適当に放置していた応募リストを今し方見て驚愕したのだ。
応募してきた名簿には、あまりにも大きな名前が連続して記載されていたのである。
「わ!見て、ヴィルさんがいるよ。凄い、どうして?」
「ちょうど暇だったのかしら。ラッキーでしたね」
「さぁ、彼の関心を惹く企画だったのかもしれないね。僕はヴィル先輩と付き合いが希薄だから分からないが…。待て、美術監督にシャネル・エドガールとエデン・ヴォイニッチが来てる。この2人、個展で忙しいんじゃなかったかい?」
「あっ。ネイサン・キングが照明監督で応募してる。凄いよ!これ!」
「見せて見せて」
「ぼくも、ぼくも見たいな」
ちっちゃいもの達はわらわらフロイドの周りに集まって嬉しそうな声を出し、背伸びをして紙面を覗き込んでいた。
フロイドは彼らに合わせてしゃがんでやり、書類を一番ちいちゃな美少年に渡してやった。
ここに居たちっちゃいもの達は、エイプリルフール実行委員会の少年たちだ。特に示し合わせたわけでも、身長制限があるわけでもないのだが…何故だか150〜160センチ近くの少年たちが集まっている。
リドルは前年度のターゲット指名者なので協力者として一応ここに居るのだが…。
「持って、フロイド先輩、ぼくのこと持って、見えない」
「はいはぁい…」
「わぁ!」
みんなが群がるので見えなかったらしいちっちゃい少年を、フロイドは脇の下に腕を通して持ってやった。
美少年は高い位置から紙を覗き込んで「わっ」と声を上げ、くすぐられているみたいにキャッキャと喜んでいる。
フロイドは眉を顰めて思案に耽っていた。一体何故こんなに良い滑り出しなのだろう…と。
こんなに沢山有名な男達が集まるような企画を打った覚えはない。
スカウトもしていないのに、公募だけでここまで集まるのはハッキリ言って異常だ。
彼は斜めに深く被ったハットの下で、影になった方の片目を酸っぱく細める。
理由の見当が付かなかったのだ。
「…静かだね?」
リドルがパチッと目を大きくして、意外にも大人しいフロイドを見上げた。
意外そうな顔をして。
リドルはフロイドがこの名簿を見た時、きっとソファにひっくり返って座り、仰け反りながらガラガラ笑うと思っていたのだ。「ア"ハ、イーィ儲け話じゃねぇか」と金勘定をし、最早自分は何もせずに事態が動くのをただ見ていれば良いと言うような感じで。
それなのに、田舎道の電話ボックスみたいに静かに立っているものだから不思議だったのだ。
「嬉しくないのかい?凄いことだよ」
「、……」
声をかけた途端であった。
フロイドは自信のない子供みたいに頼りなく…ビク、と僅かに肩を揺らしたのだ。
怒られることを危惧していたみたいに。
それ程意気地のない姿だった。
「ど…うしたの?キミ…」
「…だってぇ。オレこのメンツ指揮しないといけないんデショ?」
「マァそうだね。立案者なんだから」
「無理だってぇ。できねーよ…」
彼はあまりの錚々たる男達に恐れをなしたようだった。
彼らをまとめ上げる自信や勇気がこれっぱかしも無いらしい。フロイドは眉をハの字にして、どうにか辞退する理由を探しているようだった。
すまなそうな顔つきでハットの下に沈み込んでいる。
リドルはそれにあんまり驚いて声を失くした。
こんなことで臆病風の吹く男ではないと思っていたから。
「…なに、キミ。リーダーの経験がないの?」
「あるけどさぁ。こーゆーのはからっきし…」
リーダーをやった経験はある。
あるけれど…
フロイドが今まで担当してきた仕事は、どのようにして連邦捜査官の目を欺くか、どのようにして逃亡した滞納者を捕まえるか、滞納者を島から逃す専門業をしているブローカーをどのようにして締め上げるか、逆にどのようにして重要人物を島から逃すか…などなど、そういった厄介で重たいシリアスばかりだった。
例えば人を逃す仕事の時は、車や船の底に細工をして人1人が入れる隙間を作るプロの工作員を雇ったり、信頼できる運び屋を雇う。仲介地点で待つ男、監視カメラに映らない安全ルートを確保するプロ、捜査官を欺く二枚舌、公文書偽造班、銃を持った笑わない男、ずっと笑っている綺麗な裸の女、スーツを着た黒い運転手…などをフロイドが揃えて配置し、計画を練って作戦を実行する。
そういうことはやってきたけれど…。
そんな経験がこんな映画を撮影する現場で通用するはずがない。
演劇畑の大物達にどう指示して良いかわからなくて怖いのだと彼は言った。
リドルは腕を組んで以上の話をふむふむちみちみ頷いて聞き、コク…!と珈琲を一口飲んで本日の一言。
「この中の誰よりも現場向きじゃないか!」
と。
フロイドは現場向きである。
非の打ち所がなかった。
しかしフロイドはよく分かっていないようで、ワラワラ足元を歩き回るチビ達の頭に手を置いたり首根っこを掴んでペイッと退かしたりしながら、不安そうにリドルの目を見ている。
リドルはため息をついた。そんな姿にウンザリしたから。
「…安心おしよゼロゼロナイン。キミは現場に入ってしまえばサイボーグみたいに滞りなく働けるはずだ」
「…なんでぇ?」
「キミが普段している仕事は一度のミスも少しのズレも許されないものだろう」
「そぉだけど」
「おあつらえ向きじゃないか。ドッキリは少しの綻びで総崩れになる代物だよ。集団芸術にキミは慣れてる。それに今回は警察を欺かなくて良いし安全なルートを確保しなくて良い。いつもより簡単な仕事をするだけさ」
「でもオレ芝居なんてわかんねぇよ。やったこともねーし」
「人を騙す商売をしておいてよくもヌケヌケと…」
「金魚ちゃんは脳みそちっこいから分かんねぇンだよ。畑違いって言葉知ってる?」
「あ……およしフロイド。僕は人生に人殺しという項目を入れたくないんだ」
「ロクでもねぇのが俳優サマ扱えるかよ」
「ろくでもないキミだから活躍できる舞台だよ」
「なんで?」
「誰も期待しないから」
リドルは鼻を鳴らした。
しかしフロイドはそれを聞いた途端、ほろ、とまなじりをウッカリ優しくしてしまう。
その言葉は彼にとって希望だったのだ。
…そうか、畑違いだから向こうは期待していない。
段取りが悪くたって多少は仕方ないか。
当然である。脚本家にドラッグを国境警備隊に見つからないよう運べとの仕事を依頼する人間などいないのだから。
「………」
フロイドはホッとして、なんだか黙り込んでしまった。
未踏の現場指揮など上手くやれなくて当然かと開き直ることができたのだ。
「それにしても、どうして公募だけでこんな大物ばかりが集まったのだろうね」
リドルは自分の顎の下を自分で撫でるようにカリカリ掻きながら応募用紙を見下ろした。
ただ事ではないことは分かるけれど、何事が起こったのかは分からずじまいである。
フロイドはチラッとリドルを見てから、得体の知れない華やかな名前をなぞる。
「冷やかしじゃなけりゃ良いケドぉ…」
と、不安そうに。
■
「………」
ヴィルは貧乏ゆすりが止まらなかった。
何度メールボックスを見ても合否の連絡が来ないからだ。
嫌な焦燥感である。誰より早く結果を知りたくて熱さえ出そうだった。
「合否はまだ?」
「まだです」
「ウッ…」
助手、のんびり家のイーモスが首を振る。
ヴィルはとうとう熱が出てアトリエのソファに寝そべってため息を吐くのだった。
合否が何かと言えば、当然。
NRC/エイプリルフール企画
【屋根裏部屋の秘密】
ターゲット:デイヴィス・クルーウェル
仕掛け人:フロイド・リーチ
概要:〝地下二階の秘密〟リベンジ編
給与:山分け
脚本、演出、監督、照明、美術、現場作業員募集
希望者は以下のメールアドレスまで
……この募集に応募した合否である。
ヴィル・シェーンハイトはこの応募用紙がやる気なさげに張り出されているのを見て真っ先に応募したのだ。
何故応募したかといえば、当然前年の「地下二階の秘密」があまりに良い出来であり、この作品にどうしても携わりたかったから。
出世の約束された作品なのだ。出たがるのは当然だった。
その上脚本も監督も演出も未だ不在。
地下二階の秘密の続編だと言うなら、それもターゲットがクルーウェルであるならいくらでも人が集まりそうなものだが…それにこの人気ならフロイドから監督を指名しても良いくらいだが。彼はどうやらわざと席を開けておいて競わせるつもりらしい。
より良い人材を集める為だろう。
「地下二階の秘密」に次ぐ「屋根裏部屋の秘密」…。
この一文だけで映画屋以外にも優秀な人材がどんどんやって来そうなものだ。
しかも定員も決まっていないし…と。
ヴィルは胃をギリギリさせながら、合格発表を待っていたのだ。
ヴィル・シェーンハイトの名前を持ってしてもこの企画から弾かれる可能性は高い。
フロイドの好みで決めても良いほど人が集まっているだろうから、「ベタちゃん先輩は今回の雰囲気に合わねーし」と蹴ってしまっても問題ないはずなのだ。
だから彼は不安そうにしていて、「もしかしたらあの演出家が採用されるかも」「もしかしたら大道具スタッフの枠ですら満員かも…」と焦らされていたのである。
嫌だ。絶対やりたい。
前年の「地下二階の秘密」の時は少し名前を貸しただけで、脚本も内容もほとんど知らずに現場に出入りしていただけだった。
上映された作品を見てブッ飛んだ。こんなに面白い内容だったとは思わなかった。
それに…作品は素晴らしいだけに玄人目線では当然粗が目立っていた。
もっと演出もカメラもこだわれたし、もっと面白い仕掛けを作れたし、もっと遊び心を入れられた。もっと売れる映画にできた。
自分にしかできない仕事がたくさん目の前に転がっていた!
だから今回は本気でやりたい。
この企画に携わりたくて仕方ない。
嗚呼、フロイドと仲良くしておけば良かった。
そうすればコネで入れたかもしれないのに…!と。
……当のフロイドは人が集まるかどうかも分かっていない有様だったが。
「!」
と、そんな折。
待ちくたびれた彼へハットを斜めに被ったラブレターが届いたのだ。
「───ボンジュール♡」
フロイド・リーチである。
彼が既に開いているアトリエの扉に寄りかかり、コツコツ、とノックしてコチラを見ていた。
目のあたりをハットの影で暗くして、少し傾いてハンサムに笑っている。
立っているだけで白薔薇のアトリエをモノクロのモルグ(死体安置所)へと変えてしまう男。
遊星からの物体Xであった。
「……、」
ヴィルはガバ、と上半身を起こして彼を見上げた。
メールではなくまさか本人が来るとは思わなかったのだ。
多分というか絶対、合否を伝えに来たのだろう。
でなければ一般の他寮生がポムフィオーレ寮長専用アトリエに易々と侵入できる訳がない。
容赦のない合否発表は覚悟していたが…まさかこうもゲリラ的だとは思わなかった。
「古いモン呑んでんね」
フロイドは中に入り、ヴィルの側に置かれていたワインを手に取ってラベルを眺めた。
その姿はソムリエのようで、彼の本職を思い出させる立ち姿である。
「………」
ヴィルはグラスをテーブルの上で滑らせるように彼へ差し出した。
するとフロイドは微笑んでトーション(ナプキン)を取り出し、ワインボトルの首に添えて注いでくれる。
無駄のない流麗な所作であった。
「どぉぞ」
「ありがと」
ヴィルは注がれたそれをクッと呑み、グラスを置いてから…緊張ではやる胸を抑えるために。
親指で髪を両耳にかけ、何度か躊躇してから。
「もういいわ。合否を伝えに来たんでしょう?教えてちょうだい。アタシは合格?不合格?…」
覚悟を決めて聞いた。
しかしこの時点で合否はほとんど分かっていた。
フロイドが忙しい中わざわざやって来たということは、不合格だろう。寮長という身分の男にメールだけ送って終わりでは体裁がよろしくないと考え、一応義理立てに顔を出しに来たという具合だ。
きっと。
だからせめて切り出しやすいように聞いた訳だが。
「…んぇ?不合格とかぁ、そういうのあんの?オレベタちゃん先輩みたいなスゲェ人がなんで応募したのかなーって思ってぇ、聞きに来ただけなんだけどぉ…」
フロイドはキョトンとしてそう言った。
本気で訳がわからないという顔で。
「……は?」
「なんで応募してくれたの。冷やかし?」
と。
「…アタシ…こんなにお酒弱かった?今冷やかしって言われた気がしたわ」
ヴィルはのんびり家のイーモスに聞いた。
イーモスは「僕も聞こえました」と退屈そうに首を振る。
つまり彼の耳は正常である。
「アンタ今、冷やかしって聞いた?」
「?ウン。1発で聞き取れよ」
「なんで?」
「なんでも」
「アタシが冷やかしで応募したって言いたいわけ?」
「ウン」
「なんで?」
「なんでも」
…例えるならウィリアム・フリードキン。
トビー・フーパー。スタンリー・キューブリック、スティーブン・キング、ギレルモ・デル・トロ、ジョージ・ロメロ、デヴィッド・リンチ。
そんな名だたるホラー映画の大監督から実に自信無さげにショボショボと、「何故キミのような凄い俳優が来てくれたのだね」「冷やかしかね」と言われたようなものだ。
フロイドは今回の企画を大したものだと自覚できていなくて、俳優連中がこぞって出たがる映画になることを分かっていなかったのだ。
アレだけ売れた映画の権利を、今はフロイドが持っている。
彼はそれに関して全くの無頓着で、無神経と言って良いほどだった。アレが何故売れたかも分かっていないようである。
「……アタシ以外にも散々応募が来たはずよ。アンタ、それ、どう思ってるわけ?」
「え?なんで知ってんの?そーそー、チョー来てさぁ。これってなんで?前回は売れたけどさぁ、今回は売れるとは限んねぇのに。あと企画の中心はオレだし、オレ分野違うじゃん。映画とか撮ったことねーし」
「あ。あ〜……」
納得。
成程、この男、やはり今回の企画の価値と、自分の価値を全く分かっていない。
ヴィルはゲンナリした顔で頷いてから、仕方なく。
今回の自分の初仕事は、この男に価値を教えるところかららしいということを察したのだった。
「そう、アンタ。前回はラッキーパンチとイデアの功績で売れたと思ってんのね…」
無知ゆえの自信のなさだ。
確かにイデアの脚本は面白かったが、それが理由の全てではない。
アレが売れたのはデイヴィス・クルーウェルの芝居と、フロイドの〝嗅覚〟が理由である。
本来なら地下二階の秘密は、クルーウェルが深夜に地下へコッソリと降りていく所から始まる。フロイドは生活の折にクルーウェルが深夜に地下へ毎日通っていることを足音で知り、「何か地下にある」と予感してもらう所から本題に入るのだ。
しかしフロイドは深夜はグッスリスヤスヤ眠っており、気づく気配すらなかった。仕掛け人が頭を抱えるほど彼は熟睡しており…まるで話が進まなかったのである。
がしかし、彼は霊感的と言われるほどの勘の鋭さで、自ら何のヒントもなくあのクローゼットを突き止めた。
計画では普通、フロイドがあのクローゼットを見つけるのはもっと後半になってからだ。
彼は序盤も序盤であのブラックボックスを発見してしまったのである。
──それからは怒涛だった。
彼はクローゼットを見付けても最初は入らず、数日流し打ちしてから中を突き止めた。
しかし逃げることも隠れることもせず、気付いていないふりをしてクルーウェルを化かし始めたのである。当然精神は磨耗していたようだが、クルーウェルへはそれを悟らせないよう徹底的に隠していた。
仕掛け人・クルーウェルはこれに恐怖を覚えた。
もしやオレが殺されるのではないかとハラハラした程で、現場作業員も明日どうなるか分からない有様だったのだ。
番狂せが続いた先は、最早クルーウェルとフロイドの芝居合戦となった。
アレは全くの予想外であり、作業員たちもこの先がどうなるのか分からなかったのである。
ターゲット/フロイド・リーチ。
この男の嗅覚が地下二階の秘密を盛り上げた。
王道ホラーから一枚上へ押し上げ、化かし合い合戦にしてみせたのだ。
クルーウェルが彼に喰らい付いていけたのは、フロイドの様子をある程度監視カメラで確認できたからだ。それに味方も居たし、後半はイデアが付きっきりになって指示をしてくれていた。
あとはたぶん普段から人を殺している筈なので、慣れたもんだったのだろう。
イデアは前前年のリドルを指名した人間であった為協力してくれたのだ。
マそんなわけでアレほど地味なセットの連続でも、別荘内だけで完結した低予算映画でも、食えない男と食わせ者2人の鮮やかな心理戦がそれを全く気にさせないでくれた。
視点が変わればクルーウェルにとってもホラーである。
最初はフロイド目線で映画を観てクルーウェルに怯え、パンフレットで事情を知ってからクルーウェル目線でもう一度観ればフロイドに怯えることができるリバーシブル映画だったのだ。
そんな切れ者フロイド・リーチが今回はリベンジとしてクルーウェルと戦う。
こうくれば誰もが参加したいに決まっている。
舞台を用意したい者、脚本を用意したい者、演出に携わりたい者、舞台に出たい者、編集をしたい者、音楽を提供したい者…と、つまりこれは。
フロイドは演者以外やるな、あとは退いてろオレにやらせろ!という業界人がこぞって集まってきたというわけなのだ。
それにドッキリならフロイドのツテもかなり使える。
普段から実際に国境警備隊や連邦捜査官を欺いているプロの工作員なんて、ドッキリをするにあたっては素晴らしい人材であった。クルーウェル1人を騙すなど訳もないだろう。
役者と工作員がタッグを組めば面白いドッキリが作れるなんて、考えなくても分かる。
「ハァ、ハァ、ハァ、…」
というのをヴィルは、全身を使って説明した。
自分のことに限っては鈍いフロイドにもよく分かるように・飽きさせないように小芝居やミュージカルまで混ぜて説明したのだ。一番盛り上がってきた頃には特に理由もなくのんびり家のイーモスを引っ叩き、終わる頃にはくたびれた。
そんな風にゼェハァ息をして床に座り込むのを、フロイドはキョ…トン…としたまま見下ろしている。
「……つまりぃ?」
彼はゆるゆるしゃがんで聞いた。
ヴィルは引っ叩かれたみたいに暫く顔を上げなかったが、少ししてから。
「つまり、アンタは欲しい人材を無尽蔵に収集できるってことよ」
お前が声をかけるだけで、学園の技術者や役者達はのぼせ上がるだろう。
一体どうすればこのプロジェクトに携われるかと頭を抱えていることだろう。
欲しい者を欲しいだけかき集めれば良い。
それだけの力をお前は持っている。
「学園中の男がアンタに媚を売るでしょうね」
と。
ヴィルは疲れた顔で言った。
フロイドは乗組員を探す必要すらない。
既に船は用意され、その船に腕利きのクルーが出航準備を整えて待っている。ジッとこちらを見ている船が、いくつも並んでいるのだ。
どの船に乗るか決めるだけで良い。
あとは勝手に出航するから。
「無知は罪だし、才能を自覚しないのは大罪よ」
胸に指をさされた。
フロイドはこれにシンと黙し。
無垢なマバタキを何度かすると、やがて首を傾けて。
「──そぉ。じゃあさ」
自分もヴィルの胸にトン、と指をさす。
「才能は自覚しとくよ。次の月曜日までに」
フロイドは無表情だった。
つまり真剣な目をしていて、無駄を嫌う性質が飛び出していたのだ。
「だから先輩は月曜までにポムフィオーレの腕利きを集めておいて。そっちで言う、7人の侍ってやつ」
■
【オクタヴィネル第五〝オハナシ〟部屋】
「モストロ以外って何気に初かも」
エースは鉛筆を耳にかけて言った。
彼はエイプリルフール実行委員会の一員であり、そこに入った理由は「楽だから」に他ならなかった。
委員会の仕事は出された書類を審査して許可を出したり、会議を見て予算を決める仕事。…と、建前ではなっているが、一年生にそれ程の権限はなく、ただ貰った書類にハンコを押すだけのスタンプ係だ。
一応会議の参加義務があるのでやって来たが、寝てたって構わないらしい。
なので彼は猫背に寝癖をキャップで適当に隠したお気楽姿のまま、第一回目の会議にやって来た。
今回は取り敢えず、エイプリルフールに参加したい意思のある者をある程度選抜して呼んだ顔合わせらしい。
言葉通り「取り敢えず」なので楽なものである。
メンバーが入れ替わることもあろうし、まだ何も決まっていないらしいし。
主催のフロイドがアナログ派なので、「取り敢えず作業員の顔を見ておきたい」とのことで決まったことだ。
主催の性格がよく現れていることだ。
前回は主催の性格がお堅くて…マ、リドル寮長なのだが…彼の場合は真四角な会議しか存在しなかった。クリエイター集団が集まっているとは思えない程役人的な現場だったのだ。
エースはほとんど寝ていたし、とにかく面白くなかったことを記憶している。やることは全部予め書類にして提出して検討するだけの場所だったから、その場で何か面白いアイディアが出ることは一度もなかった。
今回はフロイド・リーチが主催。
会議室を提供するのも彼の仕事であり、よって集められた参加者はオクタヴィネルに集められた。
エースはスウェットにサンダル、キャップをかぶって片手にコーラを持ったまま第五会議室へ向かったのである。
そこはオクタヴィネルの地下の入り組んだ場所にあり、地下は廃業寸前の病院かもしくは古い地下鉄みたいな雰囲気だった。
床は病的なまでに磨かれており清潔だが、手が行き届いていて美しいという印象は持てない。
何かをヒステリックになって隠蔽しているという感じにしか見えなかった。
廊下の蛍光灯は切れかけていて、無言の鉄の扉が左右に連続して並んでいる。
その鉄の扉には、「焼却炉」「保育園」「みんなの広場」「05室」「記録室」「うたのお兄さん」「夏目15年」とよく分からない文字がプレートで表示されていた。
エースは知っている。
フロイドがたまに電話しているとき、「じゃあ、ソイツはうたのおにいさんで」「みんなの広場に連れてってあげて」とボソボソ話しているのを聞いたことがある。何かの隠語だとは思っていたが、まさか部屋のことを指していたとは知らなんだ。
(ここか…)
第五会議室への案内は、赤い熱帯魚がしてくれた。
空中を泳ぐ熱帯魚が先導をしてくれて、その魚は第五会議室の扉の中に入って消えたのだ。
エースは緊張しながら会議室をノックした。
少し早く着いたが、中からは人の気配がする。しかし返事はない。ノックは無視されてしまった。
「失礼しまーす…」
不安そうにノブをひねって、重たい扉を開ける。
オクタヴィネルの幹部クラスがエイプリルフールの主催を務めるのは初めてだ。つまりこうして地下の会議室を使えるのもフロイドの特権で、今まで寮外の人間がここに立ち入ったのは初めてのことだった。
「、」
よってエースは面食らう。
ドアを開けてみればそこは、およそ三畳ほどの随分に狭い部屋だった。コンクリートはむき出しで、裸電球がぶら下がっており、その四角い狭い小部屋はエレベーターの中のようだった。
この四角いコンクリートの箱の中に立っていたのはオクタヴィネルの赤鬼・青鬼と呼ばれる男2人だ。
赤髪のドレッドヘア、青髪のウェーブロング。
顔は傷だらけでいつもサングラスをかけており、エースが見上げるほど大きな体をしている。
スーツを着た赤鬼青鬼は悪人がそうであるように優しい微笑みを浮かべており、エースはドアを慌てて閉めそうになった。
しかし、
「どうぞ」
…そう言われてしまって、入るしかなかった。
エースは15秒たっぷり使って躊躇ってから、中でドアを閉めた。
すると赤鬼青鬼は優しい顔をしてエースを指差し。
「改める」
「服を脱いでください。改めます」
「改める」
「改めます」
交互にそう言った。
改めるから、服を脱げと。
それ以外に言葉を知らない妖怪みたいだった。
人間さんを逃さないためにはまず笑顔、そう躾けられた珍獣にも見える。
そんな凄まじい圧迫感の中、エースは当然逆らうこともできずに丸刈りにされた羊みたいに震えて服を脱ぐしかなかった。
目的は知らない。
ただし間違えたらお陀仏だ。
エースはこういう時に唱える念仏を知らなかった。
「はぁ、はぁ…」
エースはパンツ一枚になって自分を抱きしめるように立ち尽くし、俯いた。
赤鬼と青鬼は服をあらため、中に武器やカメラを仕込んでいないかを確認している。
フロイドに害をなす存在でないかを。
どうやらボディチェックのために脱がされたようだった。
「目的は?」
「改めます」
「改める」
「目的はなんですか?」
「あ。え、か。会議。会議に…あの、オレ、委員会の。実行委員会なんで。その、フロイド先輩に呼ばれて」
「会議ですか」
「会議ね。会議」
「改めました」
「改めた」
「どうぞ」
ボディチェックは合格したらしい。
エースは当然何も持っていなかった。
ポケットの中にガムの包みがあったくらいで丸腰である。
服を返されて着たエースは青ざめてハァハァ言いながら、指をさされた扉を開けた。
その扉は今しがた自分が開けた扉である。廊下にまた戻されるのだ。
エースはもうとっととこんな場所から逃げ出したくて、「あ、ども、」と早口で言ってドアを開けた。
すると。
「───えっ」
そこは廊下ではなかった。
第5会議室だったのである。
大勢の人間が居て、煙草の煙が充満していた。
「どうぞ」
「お気を付けて」
赤鬼と青鬼がドアを閉める。
エースは第5会議室に辿り着いて呆然とした。
自分が立っていたのは〝室内ではない〟。
エースが立っていたのは、見知らぬ森の中の洋館のエントランスであった。
周囲には木々があって、雪が降っている。
洋館の中は暖炉でホッとするほど暖かく、彼は外と中との間に立っていた。
「………あっ、これ…。ダブスペ定着転移法…?」
正確には「二重定着空間転移法」である。
「フィリル・ファロッジ」とも呼ばれる(発明者の名前)。
エースの今の呟きでも意味は通じるが、テストで丸はもらえない。
しかしお見事、これは二重定着空間転移法だった。
ドアを開けるだけで全く別の土地に転移できる魔法。
どこでもドアと違う点は、使用者の考えた場所に行き着かないという点だ。
第5会議室のドアを開けると見知らぬ建物にたどり着くのである。
オクタヴィネルはそうやって、ドアの向こうを単なる部屋にしておかない。何故なら証拠隠滅のために定期的に会議室やオハナシ部屋を燃やさなければならないので、ドアの向こうは別の建物でなければならない。
教員に取り調べをされそうになるたびいちいち部屋を潰していては使える部屋がなくなってしまうから。
つまりこの洋館もいつかは焼かれる。
オクタヴィネルは海外にいくつもの物件を買っていて、ドアを開ければ色んな場所に行けるようにしてあるのだ。
なので第5会議室といえど、必ずこの洋館に辿り着くわけではない。
ランダムに海外で買った物件に行き着くだけなので、次ドアを開ければ別の場所に行くのだろう。
国外逃亡用扉とも言える。
エースはその実態を知らないが、とにかく呆然としたままルネサンス風の洋館の中に入っていった。
右側に会議室があって、その中は人が溢れていた。
ポムフィオーレの美男子たちと、オクタヴィネルの強面たちが一堂に介している。
室内には硬く重そうなアンティークのテーブルが四角く並べられており、背もたれの高い椅子がゴトゴト並んでいた。
蝋燭の光、細長い窓から見える雪景色。
ポムフィオーレの美男たちは椅子に座っている。
オクタヴィネル生は長くて黒いコートを着ていて、ほとんどが椅子に座っていなかった。
「────………」
エースは会議室に顔を突っ込んで中を覗いた。
ワインレッドの重厚なカーテン、質の良い絨毯。開けた窓の近くでパイプをふかすオクタヴィネルの美男、ハットの下で低い音を立てて笑う人魚たち。
この空間にシックリと合うクラシックなポムフィオーレの美男…。
…オクタヴィネル生は会議の時座らないと言うが、本当だった。理由はいつ相手に拳銃を出されても対応できるように、らしい。
馬鹿馬鹿しいと思うだろうが実際に起こったことだ。
1984年、サバナクローから会議中に突然の奇襲攻撃を受けた〝ハンツファッシ会議攻撃事件〟があってからオクタヴィネルは会議中に座らなくなったのである。
集団で参加する場合に限りだが。
「……はぁ…」
エースはキャップを脱いで前髪をガサガサ手櫛で直し、ため息を吐いた。
フロイドが主催の会議は何が起こるかわからなくて面白そうだと思っていたが、流石にここまで予想外のことが連続して起こると最早冷静になってしまう。
と、ここで。
「…さて」
さて。とポムフィオーレ生が言った。
「じゃあ、」
じゃあ、とオクタヴィネル生が言った。
「始めよっか」
全員が集まったので、会議を始めようと言う具合になったのである。
エースはこれを受け、黙って席に座ったが…互いの寮の緊張感は肌に伝わってきた。
自分はほとんど部外者なので多少は気楽だが、当事者の2寮は顔がこわばっている。
まずオクタヴィネル生。
彼らこそ大変に強張っており、服の中には汗が伝うくらいだった。
というのも相対したポムフィオーレ生が、登場しただけで彼らオクタヴィネルの度肝を抜いた。
選び抜かれた学園きっての美男子たちはまず頭身から違っていて、体の8割が足なのではないかという程である。
それ程身長のない者でも上背が高く見え、背中の丸まっている男は1人もいない。美しく正しい姿勢というのはそれだけで迫力を出し、立っているだけで劇的な華やかさであった。
思わず笑ってしまうような古臭いブロンドの巻き髪を完璧に着こなして見せる姿は…憧れの時代から抜け出してきた貴公子様の如くであるのだ。
彼らはきっと馬車に乗ってやって来た。クラシックを貫いた紳士諸君はため息が出るほど美々しく、見つめているだけで夜が開けそうだ。
キラキラと音が鳴るような美男子達は皆ゆるりと微笑んでおり、乙女が夢見るロマンス時代にタイムスリップさせてくれる。宝石達の集合はギャング寮と言われた男達でさえとろかすようだった。
本当に、向かい合えただけで光栄だと思える美男ばかりである。
オクタヴィネルはこれに面喰らい、自分たちが田舎の不恰好なヤンキーにでもなってしまった気分になった。
映像のプロ、ご専門の方々に品定めされている気分になり、恥ずかしくってうまくシャンとしていられない。果たして上手くやれるのだろうか。
足を引っ張る予感しかしないし、自分たちの〝野良仕事〟が通用する気もしない。
だから上手くリラックスできなくて顔が強張り、弱い犬みたいに攻撃的な顔を作ってしまう。それは自信のなさの表れだった。…が。
「…………」
ゆるく微笑んでいる貴公子諸君に、ギャング寮の迫力は当然一歩も引いていない。
ハットを深く被り、長いコートを着た彼らは賢いフリをしたバケモノみたいに笑わなかった。
貴公子達はこの第五会議室にやって来た時、彼らがコチラを見ている立ち姿を見て…キン、とワイングラスを爪で弾かれたような音が聞こえた気がした。
真っ黒な工作員達はいくつもの、何かの線を超えてネジが飛んで神経が切れてしまっているように見える。
すごい緊張感なのだ。
頭を押さえ付けられている気分だ。
深海の重圧は並じゃない。
目が据わっている男をこんなに大量に見たのは初めてだ。
貴公子達はこれから売られる生娘の気分になった。豚みたいに注射を打たれて攫われる未来が見えたのだ。
ガイコツがコートを着て並んでいる。
かたや月の舞踏会、かたや廃サーカス小屋。
こうくると互いに緊張もするというものだ。
貴公子達は友好的なムードをなるべく崩さない為に微笑んではいるが、調子外れなことに変わりはなかった。
…ヴィルは、フロイドの言う通り目ぼしい男を集めた。フロイドが気にいるかどうかは分からないが、自分なりに精鋭チームを集めたつもりだ。
フロイドもまた、生粋のプロを集めた。
互いに7人の侍を集めてきたのだ。
人数は勿論それより多いが互いにやれることはやってきたというわけである。
貴公子達は「これだけ傑物がいれば良い作品ができるだろうな」と思い、ギャング集団は「これだけ人数がいれば諜報員が混ざっているだろうな」と思った。
オクタヴィネルとポムフィオーレは共に仕事をしたことがないのでこういう風にギクシャクしているのだ。
例えば他寮の寮長を攫ってきたり、重要人物を暗殺したり、誰ぞか好きな娘を飼い殺しにしたい時はきっとオクタヴィネルの戸を叩くだろうが、そんな仕事を大々的に依頼するのは権威主義のハーツラビュルくらいのものだ。
(殺人ピエロと王子様が怯え合ってる…)
エースはコーラ片手にこの面白い劇場を眺めていた。
疲労からスッカリ表情筋は死んでしまったが、なかなか良い役者が揃ったものである。
見物人として開き直った彼は特等席に座れたことを喜ぶことにし、取り敢えずとして一番隅っこを陣取った。
「えーっとぉ。オレ、こういうの初めてだから何から始めて良いのか分かんねーケド」
フロイドは首をさすりながらウーン、と目を閉じて首を傾けて悩んでから。
「取り敢えずウチのメンツから紹介すっかな…」
そう言って蓄音機に手をかけ、爆音のジャズをかけ始める。それはギョッとするような音量であり、思わずエースは一瞬目を閉じてしまった。
「コイ×は×××…。元々×目…爆……。アハハハ…」
「え?あ?え?」
ジャズにかき消されて、フロイドの声はほとんど聞こえなくなった。物凄く注意して聞けば聞き取れるけれど、あまりにうるさくて前のめりにならなければ難しかった。
貴公子達も面食らってから、キョロキョロ周囲と目を合わせたり、前のめりになって「え?え?」とフロイドの声をなんとか聞き取ろうとしている。
オクタヴィネル生達は慣れた様子だが…。
「フロイドさん。…スよ。あれ、」
「え?あ、」
が、そこで1人のオクタヴィネル生がフロイドの肩をつついて何かを言った。するとフロイドはパッと目を見開いてその男を見つめ、3度ほど頷いてから音楽を止めた。
一気に場は静まり返り、誰もが黙り込んでいた。
そんな中フロイドは恥ずかしそうに軽く笑って、
「盗聴対策しなくて良いんだった」
と後輩の肩に肘をついて愛嬌たっぷりにケラケラ笑うのだった。ウッカリドジ、恥ずかしいなぁという具合で。
…オクタヴィネルは普段からこうして爆音の中で静かに話す。これは盗聴対策らしい。必ず決まった音楽を流すのは、この曲はどんなに声だけを拾おうとしても拾えないようにできているからだそうだ。
エースは「うん、最悪の出だし」と深く頷いた。
もうなんだか、不味そうな料理を食べてみたら不味かったくらいの当たり前な気分であり、むしろそれでこそという感じですらあったのだ。
「んーとぉ。メンバー紹介だけど…コイツはヴァグラ。専門は隠しでぇ、元は施工屋なんだよね。物でも人でもなんでもスペース作って隠すよぉ。だからなんか危ないモン運ぶ時とか、急にお巡りさんに来た時とかにチョー便利…」
フロイドは片目の下に皺を作ってニコニコ笑った。紹介されたヴァグラという男は下唇に目玉のタトゥーを彫っている、死神みたいに陰気な細長い男である。
フロイドは今紹介した隠し屋ヴァグラの頭を掴んで、ニコニコしてから、
「この前ミスりやがったけど」
「ゴブっ」
「せっかく紹介してんだから頭下げろよ。オレがバカに見えンだろ…」
ガゴン!とテーブルに顔面を思い切り強打させた。
ポムフィオーレの前だぞ、と。
フロイドは隠し屋の頭を青筋の浮いた片手でギッチリ掴み、全員に頭を下げさせたのであった。
隠し屋はテーブルに片手をついてへばり付き、現場は静まり返った。が、
ぐぐ…とやがて彼は顔を上げ。
額からたいへんに血を流しながらも、ニコ!とフロイドにかわゆく笑顔を向けて、
「はい!ごめんなさい!」
と元気いっぱい、バカっぽく返事をした。
フロイドはこれを受けて、
「うん!いい子だね」
こちらも元気いっぱい返事をした。
……これはオクタヴィネルの習慣であり、先輩に叱られた時は笑顔で元気よく謝るというのが決められている。フロイドだって先輩や先代寮長に殴られた時はどんなに痛くてもハラワタが煮え繰り返っていても、「ごめんなさい!」と笑顔で謝ってきた。これが伝統である。
「ハハハハ」
「ハ、ハ、ハ」
「はは…は、ぁー、はは…」
工作員達は彼ら2人へパチ、パチ、パチ、とゆっくり拍手を送りながらドヨドヨ笑った。
先輩から指導が入り、反省した場合はこうしてみんなで褒めるのだ。低くてザリザリしたラジオの笑い声が室内に充満し、オクタヴィネル生だけが面白そうに笑っている。
そしてフロイドがスッと笑顔を止めると、拍手と笑いが突然に止まった。
これが停止の合図なのだ。
「……………」
氷水の空気。
静まり返った第5会議室。
エースはこれを受けてフッ…と微笑んで片目を閉じ、肩をすくめて。
「やれやれ、コイツはご機嫌なアフタヌーンになりそうだ」と我々に向かって言ってくれた。
我々とはつまり、読者諸兄である。
それからどうなったかといえば。
『どうなったかって…』
エースは珈琲片手にインタビューを受けてくれた。
右斜め上から降り注ぐライトを受けながら、ふかふかのソファに足を組んで座っている。
『まずはZの隠し屋から始まって、YがドライバーXは薬物バイヤー、Wの逃走ブローカーとVの仕入れ屋、UはプッシャーTが解体屋でSが人攫い、RとQはもう居なくて、PからLが諜報員。Kは殺し屋、Jが武器屋、Iは復讐代行人でHに参謀、GがドクターでFが……』
エースは話をやめた。
彼の目の前に座ったインタビュアーのスーツを着た女がメモを止め、フッと彼を見上げる。
「Fがフロイド。ゼロゼロナイン」
アハ。と第5会議室のフロイドが、皆の前で自己紹介をした。
これでオクタヴィネルの紹介は終わりだ。
『Fがコマンダー。フロイド・リーチ。ABCは忘れたよ』
エースは話の続きをした。
スーツを着た白人の女は頷き、インタビューを再開する。
『それで、皆はその紹介にどういう反応を?』
『別に?なんの反応もしなかった。つか、それが一番健全スよ。恐竜の前では動かない方がいいんでしょ?』
女は黙ってメモを取る。
次にポムフィオーレの紹介があった。それは本当に華やかで、舞台挨拶のようだったのだ。
『Aは撮影技師でBはスタイリスト。Cは芸術家でDは美術監督、Eは照明監督でFがサウンドデザイナー、Gは音楽家HはメイクアップアーティストIにヘアメイク、JからPが俳優で、Qが脚本Rが演出家、SがマーケターでTが編集で、Uが仕立て屋、Vが…』
エースが話をやめた。
「Vがヴィル。後家殺し(ごけごろし)」
ヴィルが胸に手を当てて自己紹介をする。
これがポムフィオーレだ。
『Vが総監督。ヴィル・シェーンハイト。アルファベットはこれでおしまい』
つまりこれは、ゼロゼロナインと後家殺しの共同制作となったのだ。
メンバーは上等。仕事の出来る者しか此処には居ない。
金より重い人材が揃っている。
ということは円滑に会議が進み、役割分担はスムーズに…とはいかなかった。
「このデカダン主義が脚本を書くのか?靴磨き屋に書かせた方がまだ現実的なホンが出るだろうよ。反対だ」
オクタヴィネル、Tの解体屋がワイシャツの首元に人差し指を引っ掛けて引っ張り、首とワイシャツの間に隙間を開けながら長い舌をベロッと出した。
首が窮屈な時にやる仕草だ。
これを聞いたポムフィオーレ、Qの脚本家が「ハン、ジュラ紀から来たんだな、コイツ。僕の脚本を読んだことがないの?」と鼻で笑おうとして…やめた。
グッと堪えて、「厳しいなぁ」と恥ずかしそうに首をさするだけだ。この男は本当に気位が高いけれど、なんとかプライドを押さえ込んだのだ。
他のポムフィオーレ生も同じだった。
ヴィルだって大人しく、キャスティングを進めるわけでもなく黙ってコーヒーを飲んでいる。
なんせ地下二階の秘密の続編に携われなくなったら、それこそ終わりだからだ。
彼らは大きな仕事を蹴ってこの場に来ている。貴重な数ヶ月を費やすつもりなのだ。
ポムフィオーレの男たちは揃いも揃って、「フロイド・リーチに嫌われたら終わりだ!」と思っていた。
フロイドが選んだ恐ろしい男たちに噛み付きでもしてプロジェクトから弾かれたりなんかしたら…。
そう思って大人しくしている他ない。
ヴィルも彼らに「利口にしてなさい」と言い含めてあるので、自分も同じように静かにしているのだ。
がしかしこれは裏目に出てしまう。
フロイド率いる怪魚たちは、「まるで相手にされてねぇ…」と改めて認識するだけだった。
噛み付いて見せてもバカにしても、美男子たちは微笑んだり困った顔をするだけなのだ。まるきり子供扱いどころか、会議の邪魔だから帰ってくれないかなとでも言いたげである。
作法を知らないオクタヴィネル生はだんだん恥ずかしくなってきてしまって、結局黙ってしまった。
これに対し貴公子たちは「あ…!やってしまった、気に触ることを言ってしまった!」と青ざめ、自分達も黙る。
というわけで結果的にこの会議、大失敗だった。
その後フロイドが何を言っても、ヴィルがうまく取り持とうとしても…互いに全く関心のないお見合いみたいに覇気のない返事ばかりが続き、どうにも回らなくなってしまったのである。
これ以上同じ場所に集まっていても仕方がないという判断をするまでに至り、最終的には微妙な空気のまま解散になってしまった。
つまり、ということは、
「退いてろフロイド。僕がやる!」
居ても立っても居られなくなったアズール・アーシェングロットが出るということだった。
■
「お前、大所帯での仕事にそもそも慣れてないだろ」
アズールはため息まじりに言った。
その通り、フロイドは少数精鋭の仕事ばかり担当してきた。メンバーも無口で実直な男ばかりで、統率に苦労した覚えもない。
そう言う風に躾けたからだ。
だからフロイドは外部の人間と仕事をしたことがそもそもなくて、どう扱うべきかも分からなかった。
「…せっかくポムフィオーレが来てくれたけどさぁ。オレらと合わなさそーなんだよね。どうやって仲良くなればいいのぉ?」
「は?何言ってるんです。仲良くする必要なんてないでしょう」
「え」
「競えばいいじゃないですか。お前の部下とポムフィオーレが仲良くなれるはずないんだから」
「競う…って。だってドッキリだよ?」
「はい。前半ポムフィオーレにして後半オクタヴィネルでやればいいじゃないですか。2部構成にすればいい」
「どうやって?」
「さぁ。前半と後半で分けられるような筋書きを脚本家に書いて貰ったらどうですか」
「…いや、できたとしてもさ。せっかくポムフィオーレが…」
「表向きは共同制作でいいでしょう。協力してもらいたい時は便利に使えばいい。ただ最初から最後まで一緒にやろうとするなと言ってるんです。お互い気を遣いあって良いものが生まれるはずもない」
「ドッキリで二幕構成…。…いや、分担したとしてもさ。オクタヴィネルに脚本家なんていねぇよ」
「いるじゃないですか」
「あ?」
「不気味くんが」
「ブッ」
フロイドは口に含んだ珈琲を思わずカップの中に戻してしまった。
不気味くん。本名ではないが、みんなは彼をそう呼んでいる。
不気味くんはオクタヴィネルの「嫌がらせクリエイティブ部門」で毎年金賞を受賞しており、滞納回収に大いに役立っている男だった。
小さな頃彼は、町では有名なイタズラっ子だった。
それだけにとどまらず、彼は町中のイタズラっ子達を集めて、イタズラ団を設立したことがある。
そのイタズラ団は今ではギャング集団に成長したようで、不気味くんは「手に負えなくなっちゃった」と笑っていた。イタズラ団は決して大人の考えるようなかわゆく微笑ましいものではなく、例えば墓を全部掘って…その〝中身”(亡骸)で教会を飾りつけたりしたことがある。
全部とは全部だ。文字通り全ての墓を掘り返し、棺桶を立てて教会をグルッと囲むようにして、棺桶の中身は飾り付けに使った。
そんな冒涜的な大事件を一晩で起こしておいてしかし、不気味くんは警察に捕まっていない。
イタズラ団の存在を大人達は知らなかったし、まさか子供がやっただなんて誰も思わなかったから。警察だって彼らがやったと見破れなかった。
不気味くんは小さな頃からそうやって沢山のちびっ子とイタズラをやってきたのだ。
例えばこれが映画であればそんな人を困らせるようなイタズラ団でも、最終的にはなんやかんやあって改心し、最後にたった一度だけ天使を微笑ませるようなイタズラをして見せるラストになるだろう。
しかし彼らは改心しなかった。だからギャング集団になった。
不気味くんは人を仰天させて、それを見て後ろでケタケタ笑うのが好きな…マなんというか、小悪魔みたいに醜悪な男であった。
「不気味くんならおあつらえ向きじゃないですか」
おあつらえ向きどころか、この日のための男である。
彼はジェイドの管理している「滞納回収センター」の代表者であり、滞納者にいかに嫌がらせをして自分から未納分を持って出向かせるかをいつも楽しそうに考えている。
不気味くんはジェイドの右腕なのだ。
マ最近では滞納者も根性がなく、拷問と殺人の様子を8時間収録しただけの「ビデオドローム」というタイトルのビデオを送り付けるだけで対価を持ってくるので退屈をしているそうだが、大型の滞納者は大抵彼に任せている。
公に回収作業ができない時は不気味くんに頼むのが一番なのだ。
…と言うわけで、あの男はジェイドのもの。
フロイドが管理しているのは「滞納者追跡委員会」なので、管轄外である。
委員会はジェイドとは全くタイプの異なる男達が揃っているのだ。フロイドのことを時折「委員長」と呼ぶ男がいるが、これはそのためである。
「でも不気味くんってさぁ、回収センターじゃん。口説いたところで来てくれねーよ」
「ジェイドに頼んでみては?」
「やだよ。回収センターから引き抜いたらジェイドに恨まれる。オレもウチの委員会から1人でも引き抜かれたらキレるし」
それに不気味くんは三年生で、あんまり話したことがない。ジェイドの友達は皆怖いやつばっかりだし、全員年上ばかりなのだ。
来てくれるなら嬉しいけれど。
それにウチの追跡委員会とジェイドの回収センターは仲が良くない。この辺を考えてもフロイドはなかなか微妙な立場である。
「不気味くんが来れば脚本は取り敢えず問題ありませんね。では次に演出家ですか」
「今これ何の話?」
「オクタヴィネルだけで全てを間に合わせる方法を考えています」
「思考ゲームとしては面白いね」
「面白いのであれば上等です。久しぶりに僕と遊びましょうか」
アズールはやっとPCから顔を上げてフロイドと本格的に話す姿勢を取った。
フロイドは窓際に立っていて、少し首を傾けている。
「演出は誰に頼みますか。誰でも良いとすれば」
「……ピラニアくん?」
「誰です?」
「ブギーマン」
「ああ、いいですね」
ブギーマンは「滞納者報復管理局」の局長である。
捕まった滞納者は見せしめに報復管理局へ連行される。報復管理局は凄惨を極めるが、その実態は連行された滞納者とオクタヴィネル当局の一部の幹部しか知らない。管理局の中身を少しでも話したらシベリア送りである。よって実情を知るものはいない。
そんな管理局局長であるブギーマンは管理局の全ての決定権を有しており、徹底的に冷徹な男である。
管理局に送られた人間は2度と滞納しない。
ドッキリの演出家としては素晴らしい働きをしてくれるだろう。
何故って、恐ろしことに、管理局は「一切の暴力が禁止」しているのだ。つまり暴力なしでこの世の地獄を演出している。管理局は精神的な攻撃のみで滞納者を教育しているのだ。
よってフロイドはブギーマンの名を挙げた。
「オレ管理局マジで行きたくねぇけどさぁ…」
「僕も近寄ったことありませんよ」
因みにジェイドの管轄である滞納回収センターも、フロイドの統治している滞納者追跡委員会も、滞納者報復管理局も、アズールは設立に携わっていない。
勝手にいつの間にかできていたのである。
それに許可も別に出していない。
驚くべきことにこれは民間組織なのである。
アズールは「何だか物騒なセンターと委員会と局ができていて嫌だな」と思っていたらそれはみるみる巨大な組織になっていき、「嫌な寮だな」と思っていたら自分の寮だったのだ。
アズールは被害者であり、そんなつもりはなかった。
「やめてね」とも言ってみたが、特に通じなかった。解体するためには本当に面倒な手続きを行わなければならず、面倒だなと思っているうちに彼らは権力を持ち過ぎて手がつけられなくなってしまったのだ。
マァ他寮生に限らず滞納者から完璧に対価を回収できるようになったのは良いことだが。
昔は他寮生から対価を回収することができずにいたのだ。
オクタヴィネル寮生がアズールと契約しておいて、対価を払わずに別の寮に転寮してしまうケース(通称高跳び)もあり、その場合転寮してしまった寮生は他寮生という扱いになってしまい、これもまた回収が難しくなる。滞納した寮生をオクタヴィネルへ返還する義務は他寮にない。
「滞納者引き渡し条約」を結べているのはスカラビアとハーツラビュルのみであるから、滞納者は基本的にこれ以外の寮へ逃げ込むのだ。
しかしこれに対しジェイドの「滞納回収センター」が他寮の寮長へ脱走した滞納者の身柄を引き渡すよう通知を送る。
それが無視されてしまった場合、フロイドの「滞納追跡委員会」が滞納者の身柄を確保しても良いか許可を得る通知を送る。
これも無視されてしまった場合、滞納追跡委員会と滞納報復管理局が他寮生の滞納者を堂々と連行できるようになるのである。
つまりこれだけ七面倒くさい手続きさえしてしまえばこっちのものであり、他寮の寮長達は基本的にこの通知を無視する。
「オクタヴィネルからの通知は全て無視をする」ように回収センターが働きかけているのだ。マこのへんは語るに長すぎるので割愛するが、とにかく。
脚本は「滞納回収センター」の不気味くんが。
演出は「滞納報復管理局」のブギーマンが良いのではないか、むしろあまりに適役ではないかという意見が2人の間で固まったのだ。
「でもウチにカメラマンなんていねぇよ。撮影クルーはどうすんの?」
「ナイトクローラーがいるでしょう」
「ウワッ。出たよ」
ナイトクローラーとは、オクタヴィネルの報道部である。
というか、潜入カメラマンたちだ。
オクタヴィネルの刺激的かつ恐ろしい実態を寮外へ報道する悪銭稼ぎ(あくせんかせぎ)連中だ。
内容は都市伝説的なものから、なかなか鋭い内部映像まである。
ナイトクローラーが勝手に学内の報道局にデータを売り付け、それが学内の話題を独占している。オクタヴィネル寮生ですら面白がってその番組を見るほどだ。
彼らはいつの間にかカメラを持って現場に立っており、報復管理局が滞納者を連行する様子から、フロイドが滞納追跡委員会の人間を教育するシーンまでバッチリ撮っている。
監視カメラを勝手に取り付けて内容をうまい具合に編集、そして報道局に売り付ける早業はさすがであり、侵入不可能と言われたオクタヴィネル第四地下室までの潜入に成功しているのだ。
そういうモグラ連中ならば刺激的な絵が撮れることであろうし、撮影班としてこれ程適した男達もいない。
編集技術も素晴らしいことであるし…いっそ編集も彼らに任せて仕舞えばいい。
ちなみにナイトクローラーたちの活動は、当然無許可である。
アズールは別に許可を出していないし、「嫌なニュースが出回っているな」と思えば彼らの仕業だった。
当然アズールは「やめてね」と言いに行ったがナイトクローラーたちには普通に無視されている。
「僕のことが嫌いなんですか?」と聞いてみたら、後日ファックスで「すき」とだけ送られてきたので、マァ取り敢えず許してやっているという具合だった。
「撮影はナイトクローラーがいいですね。その上管理局と回収センターのトップが協力すればオクタヴィネルだけで面白いドッキリは撮れますよ」
「確かにそぉかも」
「滞納追跡委員会はお前の管理下なので自動的に協力してくれるはずですし…マァ僕はお前の委員会活動を許可してませんけど。やめてね」
「やめないよん」
「はい」
アズールは分かり切っていた返答に、ズジジ、とコーヒーを啜ってため息をついた。
それから顎を撫で、「オクタヴィネル制作となると、僕の威信に関わりますね」と独り言みたいに言った。
「でもさぁ。オレ、管理局もセンターもナイトクローラーもツテねぇよ。引っ張り込めるかな」
「マ、なんとかしますよ」
アズールはぼんやり遠くを眺めながら、家事の手伝いを命じられた子供が「後でやる」と言う時みたいに適当で疲れた声を出した。
そして。
フロイドはこの会話を少し寝る前に思い出すくらいで、久々にアズールと遊んだなぁと思っていたのだが。
アズールは本当になんとかしたのである。
それは宣言通りのことであった。
なんと彼はこの会話があった2日後に、滞納回収センターと滞納報復管理局と滞納追跡委員会とナイトクローラー達に、解散命令を出したのである。
「はぁ?解散命令ッ?」
解散命令である。
四つの組織に対し、今まで再三に渡り「やめてね」と忠告したに関わらず停止の確認が取れなかったため、寮長命令違反とみなし強制解散とする、というような公式発表を出したのだ。
これに対しイグニハイド、スカラビア、ハーツラビュル三寮の寮長が承認。
オクタヴィネルの4組織は解散の憂き目にあったのである。
しかし当然彼らは引き下がらない。
解散命令が出た途端、一体どう言うことだと青ざめて支配人室…アズールの仕事場に詰め寄ったのである。
滞納回収センター代表:ジェイド・リーチ。
滞納追跡委員会委員長:フロイド・リーチ。
滞納報復管理局局長:チャッキー・ブギーマン。
ナイトクローラー代表:バッドエンド・エックス。
4名が一堂に会し、「どういう了見だ」とズズイと前に出て言ったのだ。
アズールはいつも通りデスクに座り、PCの相手をしている。全く表情を変えない彼は、シンとした目で数十秒経ってからやっと顔を上げ。
「解散したくないんですか?」
と、聞いてきた。
解散したくないか、だって?
そんなの当然だ。
ここまで組織を太らせるのに一体どれだけの苦労と金がかかったと思っている。自分の子供と同義なのだ。奪われてたまるものか!
と。彼らは一斉に言った。するとアズールはゆっくり2度頷いて、
「解散したくないんですね」
呑気に言った。
そして黙って煙草を咥えたので、咄嗟にジェイドが火をつける。
アズールは暫くゆっくり煙を吐き、そして咥え煙草の煙が目に染みないように片目をギュッと細めながら。
背もたれに寄りかかり、その調子のまま。
背後の壁に貼られた「対価」と書かれている紙を、コンコン。とノックしたのである。
つまり、解散したくなければ対価を払えということだ。
「…………」
4人は黙った。
アズールは煙をフッと上に吐き、「どうしました」と簡素に言う。
「慈悲ですよ。対価を払えば解散しなくて良いと言ってるんです。良い話じゃ、ないですか」
「…………」
良い話だ。確かにそうかもしれない。
しかし呪われている。
これだけ成長させた組織を解体せずに済む為の対価など途方もないに決まっている。
一体何を差し出せば許してもらえるのか皆目見当もつかなかった。だから彼らは一気に自信を失い、憤慨も残高尽きた。
悪銭稼ぎの悪魔どもがタジタジである。
アズールはこれに少しフッと蝋燭を吹き消すみたいに笑ってから、杖を出した。
出すなりガン!と。ナイトクローラー代表バッドエンドの胸をそれで打ったのだ。
バッドエンドはヨロ付き、アズールの目をまともに見る。
「対価に何を払う?」
アズールは物凄く硬い声で言った。
1人から出ているプレッシャーとは到底思えなかった。
アズールの白いまつ毛は雨粒の付いた蜘蛛の巣みたいにキラキラ光っていて、しかしその下の瞳は生贄を待っている祠みたいに真っ暗なのである。
室内は真空状態みたいになんの音もしなくなって、誰も口を開こうとしなかった。
全てを注ぎ込んだ自分の組織を取り上げられることは死を意味する。だが死を撤回する対価もまた強烈である。
どうすればいい。何を言えばいい。
バッドエンドは沈黙に蹴り飛ばされて体をギシギシ痛くした。腕が金属になってしまったみたいに動けなくなったのだ。
「………」
するとアズールは何も言わない彼に興味をなくし、次にフロイドの胸を杖で打った。
「お前は?何を差し出す?」
一瞬解放されたバッドエンドはフライパンで炒められたみたいにクタクタになって、泣きそうな顔をしていた。
誰もが。4名全員が目に涙を溜めていた。
絶対に許してもらえないことがわかっていたからだ。
あんまりじゃないかという言葉は飲み込んだ。状況もうまく把握できていないし。
「何を出す、フロイド」
「………」
「おい。会話じゃないぞ」
会話じゃない。
つまり答えしか必要ないと言うことだ。
これに対し4人は死に体で、最終的に。
「なにが欲しいですか、支配人」
とやつれて静かに聞いたのだ。
アズールはそれを聞いて、顎を上げるように頷いてから。
黙って椅子に座った。
そして、
「いいえ?なにも」
「は?」
「解散しなくてよし。命令は取り下げます。もう行っていいですよ」
と言ったのだ。
これには流石に彼らも唖然とした。
彼らは結局訳もわからないまま灰色の顔で帰っていったのである。
解散命令は本当に取り下げられた。
そして後日。
アズールは彼らに、「エイプリルフール実行委員会に協力するように」との命令を出した。
何故協力するべきなのかは特に記載されていない。
ただ、やれ。と。
…普段ならば彼らはこんな命令簡単に断っていた。
管理局の仕事が忙しいから、運営が大変だからと素っ気なく。
しかし前回のことがあってからは全く心持ちが変わっている。命令に背けばどんなことがあるかと恐ろしくなったのだ。
よって管理局、センター、ナイトクローラーはこれを受理。
返事は簡素に、
『承知』
と。
これにてフロイドは、たかがエイプリルフールの為だけにナイトクローラー、滞納報復管理局、滞納回収センターから無尽蔵に人材を確保することができるようになったのである。
三つの組織は今や寮長命令とあらばハラワタですら差し出すであろうから、優秀な人材が群をなしてやってくる。
こう言うことになった。
なのでフロイドはいよいよ。
「撮影、お願いしたいんだけど」
ナイトクローラー代表バッドエンドに、撮影依頼を正式に出すことができた。
アズールの協力によりあまりにも強大な権力を手にした瞬間だった。
アズールは執務室から一歩も出ずに三つの山を動かしたのだ。
全く、見事なものである。
■
「え、2寮同時製作になったのか?」
「らしいよ」
薬学の授業中。
今日は座学である。
生徒の1人が「今回のエイプリルフール、ポムフィオーレとオクタヴィネルでやるらしいよ」と暇そうにペンを回しながら言ってきたのだ。
クルーウェルは今回自分がターゲットであることを知っている。何故って、あんなに大々的に公募がされていれば嫌でも目につくと言うものだ。
今年はオレか…忘却薬があるからってちょっとは隠せよ…と気まずがっていたわけだ。
マしかし彼にはどんなドッキリが待っていようとそれほど驚かないでいられる自信があった。
というのも、そんなもの日常的にかけられているからだ。生徒たちのプロを雇ったとしか思えないドッキリは日常茶飯事であり、クルーウェルは目の前でなにがあってもマバタキすらしない自信があった。
うぬぼれや慢心ではない。事実だ。
例え目の前で愛犬を爆破されても「コラコラ…殺すぞ…」で済むだろう。
というか昔やられた。
結局本物の愛犬は別室で尻尾を振ってハフハフと嬉しそうにオヤツをもらって食べており、爆破された犬はイグニハイドのゴミ捨て場で拾ってきたロボットをかき集めて作ったものだった。
イグニハイドのゴミ捨て場は毎日大量の寿命を迎えた機材やロボットが廃棄に出されているのだ。
寿命を迎えたロボットは暴走するので、早めに処分しなければならない。
なのでリサイクルとしてクルーウェルへの嫌がらせに使われたのだ。
マそんなわけで驚きはいつも身近にあったので、いつも通りのドッキリくらいでは眉ひとつ動かさないだろう。
上手くリアクションが取れるかどうかが懸念点であるくらいだ。だから今まで生徒たちはエイプリルフールに教師を指名してこなかったのである。
が、しかし。
今回は少し毛色が変わっていた。
フロイド・リーチ主催だと聞いていたので、きっとジェイドあたりが流し打ち程度に協力する小規模なものだろうと思っていたのに。
ポムフィオーレとオクタヴィネルの2寮それぞれから一つずつ企画が立ち上がるらしいのだ。
ポムフィオーレとオクタヴィネルはこのドッキリのためにわざわざ「屋根裏部屋の秘密製作委員会」を立ち上げた。
委員長はフロイド・リーチとヴィル・シェーンハイト。委員長が2人いると言うことは、互いに独立して動くと言うことだ。
「マジ楽しみよな。主催フロイドだしどうせ完成しないと思ってたけど。フツーに製作過程見たいから協力したい」
「今からでも志願すればワンチャン入れるっぽいよ」
「や、ごめんやっぱ無理だわ。ポムフィガチ過ぎるしオクタの現場怖過ぎ」
生徒たちは自分の髪をチマチマセットしたり、オイルライターの手入れをしながらのんびり話していた。
エイプリルフールにはまだまだ日があるというのに、もうすでにこんな話題が出ているということはかなり期待値が高い。それに規模が大きいのだろう。
「今回はオクタヴィネルの全体が協力するのか?それとも一部か?」
クルーウェルは板書を消しながら振り返って言った。
生徒は「なんか、管理局とセンター協力するらしいよ。ナイトクローラーが撮影だって」「ガチ?絶対面白いじゃん」と昼の眠さと空腹を持て余しながら話す。
しかし クルーウェルはオクタヴィネルの機関を何も知らんので、「か、管理局?」と歯に何か挟まったみたいに微妙な顔で復唱した。
「ゴジラとガメラとモスラとエイリアンがいっぺんに協力するってことだよ。ちなみにコイツらマジで仲悪いから共同制作なんて2度とないよ、スゲーレア」
「オレのドッキリでゴジラとガメラとモスラとエイリアンが来るのか?」
「そうだよ」
「…なぜ?真面目に教師をやっているだけなのに?」
「自分でそう思ってるだけだからじゃない?」
「斬新な視点だな。お前は作家になれる」
「そうやって他人の意見を受け取れないからじゃない?」
「何故ポムフィオーレとオクタヴィネルの一部だけで共同制作をしないんだ。この2寮の僅かな人材のみで十分過ぎるほどだろう」
「ダメだったんだってさ」
「何がだ」
「花園出身とモルグ(死体安置所)生まれじゃ一緒に仕事できないでしょ」
「納得した。確かに仲良くはできんな…」
クルーウェルは嫌だなぁと思った。
何故2寮共同でドッキリを大々的に仕掛けられなきゃならんのだろう。
普通ドッキリっていうのはもっと簡易的で、内密で、いろんな人のリアクションを見て楽しむべきものだ。ちょっと脅かしてネタバラシが基本だというのに。
1人のターゲット相手に優秀な人材がこれほど集まるというのも…。
いや、マァ。
この学園は嫌がらせをするためならば三千里、三千世界のカラスを殺す鬼千匹の場所だ。
今更驚くことでもない。
しかし一体。単なるドッキリのために何をそんなに頑張っているのだろう、とは気になった。
リーチ弟がどういう風に働いているのだろうか…という具合には。
「どれだけ日常から離れさせないかだ」
一方その頃。
ポムフィオーレの脚本家が言った。
筋書きを決めるにあたって、すり合わせは必要である。2部構成ならば尚更必要だ。
ポムフィオーレの脚本家は当然、クルーウェルを罠に嵌めることが如何に難しいことか分かっていた。
どれだけ緻密な作戦を練っても見破られてしまう可能性がある。
だからこそ、あまりにも非日常過ぎるドッキリを仕掛けてはいけない。
普段と違うことが連続して起きれば、きっと彼は影で蠢いている我々の正体を勘ぐり始めるだろう。
誰かが脚本を書いていることを疑うだろう。
だから脚本家は「なるべく日常的な脚本を書かなければならない」と疲れた顔で言った。
「しかし、あまりにも日常的過ぎるとつまらないし、映画にもならない。一体どうしよう」
脚本家は参っていた。
あらゆることを考えたが、どうしてもクルーウェルに全て見抜かれる気がして二進も三進もいかなかったのだ。
非日常ではいけない。
日常すぎてもいけない。
その真ん中を考えると言っても、加減が難しくって頓挫してしまう。
どうにも先に進めないままでいるのだ。
「クルーウェルの常識から飛び出さないようにすると、ちっとも面白く書かれあしない。常識を辞めずに面白いホンは書けないよ」
ポムフィオーレは手詰まりのようだった。
あの男を騙すのがこれほど難しいとは思わなかった。
…前作の地下二階の秘密は非常に非現実的な話である。
何故鋭いハズのフロイドが最後までドッキリであることに気が付かなかったかといえば、彼がいつも非現実的な世界の中で生きているからだ。
オクタヴィネルは人攫いや暴力で満ちたデッドマン工場だったから、「教師が人殺しである」という嘘をすんなり信じ込んでしまった。
だがクルーウェルは日常の中を生きている大人だ。
だから難しいのだ、とポムフィオーレ生。
「こういう時、オクタヴィネルはどうするの。キミたちは人を騙すのがご専門だろう?」
脚本家が言った。
これに対し。
滞納回収センター員、報復管理局員、ナイトクローラー撮影班、追跡委員会の工作員たちは。
「は、
は、
は、
は、」
と、途切れ途切れに笑い始めたのである。
一つずつ息を吐き出すみたいに肩を揺らして、ゆっくりと誰もが笑い出した。
不気味に揺れる黒い男たちは、互いの顔を見合ったり、何故そんなことも分からないのだという具合に顔を背けて笑うのだ。
「そんなの、常識を変えてしまえばいい」
オクタヴィネル内の誰かが言った。
しかし誰が言ったかは分からなかった。
「マァ聞けよ」
「ヤツが冷静でいられなくなる状況を作ればいい」
「ヤツのトラウマを作れば良い」
「ヤツの過去を書き換えてしまえばいい」
「ポムフィオーレ。お前達は毒の制作がご専門だろ?」
「毒を盛れば良いのさ」
「そしてヤツの常識を変えるんだ」
「オレたちと一緒に記憶を書き換える毒薬を作ろう」
「ヤツはいつも通り眠る」
「そこにその毒をほんのひとたらし」
「ふたたらし」
「そのせいでヤツは不思議な夢を見る」
「自分の子供の頃の夢さ」
「怖い夢だ」
「長い夢だ」
「目覚めればヤツはこの夢を本物の記憶だと勘違いする」
「オレたちが作った偽りの夢とも知らずに」
「子供の頃にあったことだと誤認するさ」
「オレたちのシナリオとも知らずに」
「ヤツの常識は変わる」
「なんせ過去を変えられちまったんだからな」
「ヤツのトラウマをオレたちは知ってる」
「だってオレたちが作ったんだから」
「これで解決だ」
「悩むことなんてないさ」
「お前たちは夢の中の脚本を書け」
「オレたちはその後の脚本を書く」
「共同制作ってつまりそういうことだ」
「仲良くやろうぜポムフィオーレ」
「これで解決だよポムフィオーレ」
「はは、は、は…」
「ゲラゲラゲラ」
その声は上から下から、左右から聞こえた。
つまり特定の人間が話したわけではなく、全員でひとセリフずつ話しているのだ。熱帯の人魚はこんなヤツばかりなのである。
ポムフィオーレ生たちは当然ムム…と黙り込み、学校通うのやめようかな?と考える。怖すぎるし嫌過ぎるからだ。
マしかし、彼らの主張は面白いものだった。
つまりクルーウェルに偽りの過去の記憶を植え付けてしまえば、確かに常識も書き換えられるし、トラウマだって簡単に作り上げてしまえる。
夢の中で起きたことを実際に過去に起きたことだと思い込ませて操作すればなるほど簡単だ。
その偽りの過去の捏造をポムフィオーレが担当しろ、と言われ、しかし脚本家は首を傾げる。
「やり方は分かったし賛成だけど…なんでウチが夢の中担当なんだ。トラウマを作るならオクタヴィネルの方が上手なんじゃないの」
「何言ってんだよ。オレたちは人魚だぜ?」
「陸の生活なんてここ以外で知らない」
「ヒューマンのトラウマなんてわからない」
「やってもいいが、クルーウェルは人魚の夢を見ることになるぜ」
「確かにそりゃトラウマもんだ」
「だがヤツは自分を人魚だと勘違いするだろうな」
「そうするとどうなる?」
「海にドボンだ。溺死してドザエモンの完成だよ」
「間抜けなブリーダー」
「バカな調教師」
「可哀想な三色旗!」
「…なるほど」
やりとりをしただけで疲れた脚本家は目を逸らしてコーヒーを飲んだ。
確かに人魚に人間の過去を作らせるのは無理があるだろう。人間は人間が担当するべきだ。
ポムフィオーレは頷いて、それならば確かに恐ろしい夢を我々で制作した方が良さそうだ…と考えた。
それに、夢の中の物語としてクルーウェルの脳内に流す映像を造る…というのなら得意分野である。
ウチは俳優ならいくらでもいるし、本物の演出家やデザイナーが揃っている。
我々でキッチリクルーウェルの過去編の映像を作っておいて、それをクルーウェルの脳内で流して偽りの記憶を植え付ける。
そんな風に洗脳されたクルーウェルをオクタヴィネルが料理する…、か。
「うん。確かに。その方がいいわね」
オクタヴィネルのカメラマンはナイトクローラー。
彼らはリアル主義で、過激な映像を生っぽく撮る方が得意だ。それにオクタヴィネルは俳優ではなく工作員の集まりだ。
現場向きだし、リアルタイムで行う本番1発のドッキリなら彼らの方がよほど得意だろう。
これなら互いの得意分野で思いきり活躍できる。
バイオレンス工場にはバイオレンス工場なりのやり方があるというわけだ。
伝え方が凄く嫌だけど…。
「でも、そんな薬本当に作れるのかしら」
ヴィルは現実的なのかどうなのかが分からず、流石に首を傾げた。映像と薬品がどうしても結び付かなかったのだ。
しかしここで管理局の人魚たちが笑った。
「おやおや、まさかそちらではできないと?」
「できるさ」
「できる」
「ウチは実際にやってる」
「夢の中は証拠が残らないからやりたい放題」
「夢の中は治外法権」
「人魚の夢を見たことはないか?」
「あるなら経験者だ」
「犠牲者だ」
「実験体だ」
「ちなみに学園の4分の1は経験者だぜ」
「ふふ、ウチのは薬品じゃなくて毒電波ですけどね」
「安定性はまだねぇン、だよなぁ。開発段階だからネ。マァダメなら普通に殴りますが…」
「薬品と映像なんて簡単に結びつけられるだろ」
「幻覚作用を利用するんだ」
「見せたい幻覚を見せる方法なんていくらでもある」
「マジカルデザイナードラッグだよ」
「オレは自分で作って自分で飲んでいつもハイです!」
「できないならウチから技術者派遣してやろうか?」
「破産するけどねぇ。あは」
「んと、フロイドくんからリストを貰うといいよ。きっといい人を紹介してくれるから」
「半分は蒸発したけどな」
「この前なんて5枚分消えてた」
「行方を追ってみるか?面白いぜ」
「…もう結構。分かったわ」
ヴィルはシッシと追い払うように手を払って会話を打ち切った。オクタヴィネルはこういう会話の仕方しかできないらしい。
全員が隙間なく交代交代で話し、こちらが話す隙を与えない。大勢で歌っているみたいなのだ。
ヴィルはしかし、やっと形になって来たわねと思った。
この前の顔合わせでは緊張しすぎたし、向こうも警戒心丸出しだったが…。今は随分リラックスしている。
特にオクタヴィネル生たちの警戒心が解けたおかげでこちらも緊張しなくなった。
これはヴィルの手腕である。意図的に彼らの心を解きほぐしたのだ。
どうしたかというと…。
女である。
今彼らは会議室にいるのだが、ヴィルは金で雇ったかわゆい真っ白ヤギの獣人の娘たちを連れてきて、適当にオクタヴィネル生の側に散りばめて座らせておいたのだ。
ちまこいヤギたちは一生懸命給仕する…でもなく。
白い顔でコチコチに固まって、あるいはビビビ…と震えながらオクタヴィネル生に挟まって大人しく座っていた。彼らが怖くて怯えているのだ。
モコモコの白いショートカットを撫でられながら、ひたすらに困っている。
マしかしオクタヴィネル生としてはこんなちまこい素人娘を怯えさせる気もない。何をしても絶対に怒らないし、年若いヤギの娘が喜ぶサラダなんかを取り寄せてちょっとずつ与えてやっている。
震える彼女たちに各々「さむい?暖房上げるぅ?」「膝掛け、お使いになりますか?」「眠かったら寝ていいぜ」「ケーキ食べる?」などと気遣ったり適当に撫でたりしているので問題ない。ちまいヤギたちはたまに「メ…」と鳴いたり、温まってきてだんだんゆるまったりして来ていて…そんなもちもちの娘たちが間に挟まっているのでオクタヴィネルも柔和にならざるを得なかった。
やはり人を和ませるのはちまこくて一生懸命な命だ。か弱い娘ならば尚更気を使われる。
この試みは成功したらしく、オクタヴィネルも加害的な目を辞めた。
「DAY2からはオレたちが請け負うよぉ」
フロイドがピンッとブルーベリーを指先で弾いてヤギ娘の口の中に入れながらヴィルへ笑った。ヤギはちゃむちゃむそれを食べながら次のブルーベリーをワクワク待っている。
既に彼女は貰い過ぎて舌を紫色に染めていた。
「常識を変える一晩を頼んだぞポムフィオーレ」
「よかったわ。ウチにはちょうど人生を変えるいい男しかいないから」
というわけで、一方ではこんな会議が開かれていた。
何も知らされていないクルーウェルは授業をしながら…マなんだかよく知らんが、せいぜい頑張ってもらおうと思う。
大人を騙すのはなかなか難しいことだ。
適当なことをやられてはこちらもリアクションが取れないし、「あッ」と言わせてもらわなければ困る。…と。
来年、クルーウェルが真っ赤になって次のターゲットにフロイド・リーチを指名することを知らず、呑気にコーヒーを飲むのだった。
■
とはいえ、あまりに奇想天外な話にしてもいけなかった。
夢の中は荒唐無稽にし放題ではあるのだが、その後現実と地続きにしなければならない。
夢の中でのトラウマを現実で再現しなければならないので、あんまり奇ッ怪なモンスターを出すわけにもいかないのだ。
前年度の地下二階の秘密では仕掛け人のデイヴィス・クルーウェルが敵役だった。シリアルキラー役を完璧に仕上げ、あの閉鎖的な別荘を惨劇の舞台に変えてくれた。
…今回のターゲットはフロイド・リーチ。
ならばフロイドをクルーウェルの敵役とするのが順当…だが…。
「無理ね」
「無理だな」
ポムフィオーレ、白薔薇のサロン。
脚本家は紅茶を飲みながら首を傾け、脚本家の頭の上に肘を付いたヴィルは首を振った。
「一級魔法士のクルーウェルにフロイドが敵うわけがない。物理的にも立場的にも無理だ」
「そうね…どうしたって彼の目にはフロイドが保護対象として映るわ。でもメインの仕掛け人はフロイドなのよね」
「夢の中でフロイドを脅威にしても…DAY2からは現実のフロイドに会うことになる。そこをちゃんと考えないと」
「彼の立ち位置をうまく利用して組み立てないとね」
「…待てよ。夢の中にフロイドは出すんだよね?」
「?ええ。仕掛け人ですもの」
「夢の中って言ったって、映像を作るなら実際の役者が演じることになるわけだし…。そうなったら、メインでフロイドにこっちにも出演してもらうことになるけど。アイツ、演技なんてできるの?」
「……あっ」
「しかも多分、助演だぜ。そんな大事な場所に素人なんか…」
「……忘れてた…」
そうなのだ。
メインの仕掛け人はフロイドになるわけなので、夢の中にも当然出演してもらうことになるが…それはつまり、キーパーソンを素人に演じてもらうことになる。
前回のクルーウェルは彼が権威ある教師だったという元々の立場が功を奏したが、フロイドは単なる学生だ。
それに彼はDAY2からも活躍してもらうことになるし、これ以上仕事量を増やすわけにもいかない。
大事な役を彼に任せるのはなかなか…というか、結構リスキーだ。
ならば代役を立てるしかない。
「フロイド役」をやってくれる男を探すしかないが…。
…一番良いのはジェイドに頼むことだが、ジェイドはあの通りチームDAY2なので。労働量的に却下だ。
「…フロイド役の男、ね」
フロイドに成り切ってくれる役者。
腕のある役者はいるが、この短期間で化けさせるのはかなり無理のある話だ。
普段から人間の観察が変態的なまでに好きで、病的なまでに観察眼が優れていて、プロファイリングを愛し、芝居というものを知っている男。この際役者でなくてもいいから、再現を完璧にしてくれる人間がいい。
しかしそんな恐怖人間がNRCにいるわけ…。
「あっ、居たわ」
「う?」
ヴィルはうーんと束の間悩んでから、ハッとした顔で遠くを指さした。
そこに居たのは、薔薇の香りを嗅いでいたルーク・ハントである。適任はスグ側にいた。窓の外、太い木の枝上に腰掛けて。
ルークは「なに?」という無邪気な顔をこちらに向けてちょっと微笑んでいる。
考えてみればこの男は人間プロファイラーであり、知らぬということがない。多分フロイドの下まつ毛の本数から、フロイドの初体験の女の飼っている犬の誕生日まで知っていることだろう。
「?…84本と4月7日だよ」
終いには言った。
聞いてないのに。
「私がムシュー愉快犯のようになれるかは分からないが…キミの命令ならば全てを尽くそう。毒の君よ」
頼んでないのに頷いた。
因みにこれは電話越しの会話である。ヴィルが指を差した瞬間電話が鳴り響き、出れば彼からこの二言を言われたのだ。
ルークは木の上からこちらに手を振ってニコニコと…嬉しそうである。何も答えずに電話を切ったヴィルはちょっと考えてから「マ人間じゃないけど良いか」と頷いた。ルークは多分人間じゃないしいるだけで怖いので結構迷惑だが、今回は必要だ。
「私は愉快犯をクルーウェル先生の脅威にするのは反対だな。むしろ彼の教師という立場を利用していくべきだと思う。愉快犯は保護対象であり、守るべき児童だ。ここを強調するのさ。我々は普段の姿ばかり見ているから忘れがちだが、彼はまだ17歳の子供だよ。大人は子供を守るもの。ならこれを利用しない手はない」
ルークは多分人間ではないので、いつの間にかサロンにやってきて、いつの間にかヴィルの隣に座って話し始めた。
怖いので無視をしていたが、しかし彼の話す内容はなかなか的を得ている。ルークの嫌なところは、あんまり無視もできないところだった。
「クルーウェル先生は愉快犯を立場上無視できないし、守らなければならない。これはとても使えることだと思う。私はね、いくら夢を…偽りの記憶をすりこんだところで、あまりに大きな異変が起きては寧ろ先生を冷静にしてしまうと思うんだよ。だが自分ではなく、愉快犯に恐ろしいことが起こったとすれば?…」
「………」
「先生は当然愉快犯を守ろうとするだろう?冷静ではいられないし、生徒を守ろうと必死になるだろう。もしドッキリかもしれないという可能性がチラついたとしても、本当かもしれないという可能性がある限り先生は愉快犯を諦めることはできない。我々の脚本通り動いてくれるだろう。だから愉快犯は、保護対象として描くべきだ。ここまではいいかい?」
「…ええ」
ルークは会議の内容を知らないはずだった。
ヴィルは一度もルークにこのドッキリのことを話していないし、聞かせてもいない。なので彼が知らないはずの情報を彼は話していた。
本当に怖いので出ていって欲しいが、それからもルークは嬉しそうにズンズン対処法や解決法を探偵のように話すのである。
しかも頷けるので、もう放置しておくことにした。
さてルークの語った内容はこうである。
DAY1では、…つまり夢の中では…クルーウェルの中でフロイドの好感度をこれ以上なく上げておく必要がある。
理由はDAY2以降、フロイドが何らかの事件に巻き込まれた際クルーウェルが率先して彼を救出するよう仕向けるためである。
自分の生徒を教師が助けるのは当然だが、気にかけている生徒ならば尚更助けようとするだろう。さすがに彼も人間であるから、生徒だという理由だけで火の中にでも突っ込んでいくとは考えづらい。
マァこれは保険だ。
間違ってもフロイドを最後まで見捨てないようできる限りの細工は必要である。
次にすべきなのは、彼のトラウマを意図的に作り出すこと。
クルーウェルが恐れるようなモンスターを作り出し、DAY1でそれと戦わせる。ここでしっかりと象徴的な恐ろしいものを作っておくのだ。
DAY1でする下準備は以上。
では次に、DAY2ですること。
それはフロイドが、DAY1で我々が作った「トラウマモンスター」に襲われることだ。
クルーウェルは幼少期の恐ろしいトラウマと再びカチ会うことになる。しかもそのトラウマが、今度は自分の生徒に襲いかかっている。
彼はフロイドを助けるために、再びあの悪夢へと立ち向かわなければならない。そうすれば後はコチラの思うツボだ。
煮ようが、焼こうが。
好きにできるというわけだ。
「…アンタってどうしてそう相手の嫌がることが思いつくの?」
「ハンターだからね。弱点を見つけるのが得意なだけさ」
ルークはパチン!とウィンクして笑った。
ポムフィオーレはこれで何歩も前進し、脚本の筋を決めることができたのである。あの醜悪な脚本は、ルークが不気味過ぎるが故に完成したのだ。
イデアの脚本の内容は基本的に「誰だってこんな目にあったら嫌だろう」というのを想定しているものだ。
しかしルークは「彼ならこれを嫌がるだろう」というものを引っ張り出して並べるのである。
両者とも個性豊かで最悪であるが、ことドッキリではルークの方が役立った。
「…好感度を上げるだなんて、どうするの?もしクルーウェルがフロイドに惚れたらどうするのよ。淫行教師の出来上がりだわ」
「そこは勿論。愛には種類があるからね。敬愛や友愛も立派な愛の形じゃないか」
「クルーウェルがフロイドに敬愛?」
「ヴィル。任せてくれないか」
ルークは脚本家の肩を抱いて微笑んだ。
この男が何かを企むと、銃取引の現場みたいに場が引き締まる。ヴィルは目を半分にして「アタシが納得できる出来にするなら」と結局許可を出した。
彼は約束した。
完璧なフロイドになると。
誰もが愛するような男になってみせると。
「一夜で彼の運命を変えてみせるよ」
■
「………」
クルーウェルは口を開けたまま暫く突っ立ったままだった。やがて歩き出したが、表情はほとんど変わらない。
彼は今、生徒に言われて「屋根裏部屋の秘密製作委員会」の偵察に漕ぎ出した。マァ偵察と言っても記憶は全て抜き取られるので特に意味はないのだが…そのおかげもあってか此処には本人だけ立ち入り自由である。
外部の人間は立ち入れないよう徹底されている。
本番で足を引っ張る人間が出てはたまらないからだ。
クルーウェルはあんまり生徒が楽しみにしている上、今回はすごく気合が入っているというので…面白がって見に来たのだが。
まさか、ここまで本格的だとは思わなかった。
「どうやっても定着しないぞ。夢の中で映像を見せることはできても記憶に残らない。常識を変えるなんてまず無理だ」
「オクタヴィネルはできるってさ」
「できるんじゃなくて出来たって言わなきゃ上に殺されるんだろ」
「技術提供してもらうか?」
「いくら請求されるかわかったもんじゃねぇよ」
最近薬学の授業をサボっている優秀な少年たちが疲れ切った顔でコーヒーメーカーの前に屯していた。
全員が実験着を着てクマを作り、ポムフィオーレ生だというのに化粧をしていない。
ラボに篭りっきりなのだろう。白衣にコーヒーのシミを作って諦念の滲みた薄ら笑いを浮かべている。
彼らはNRC随一の魔法薬学士である。
学園の授業内容などエレメンタリースクールで終わらせた少年たちばかりなので、サボろうが構わなかったが…どうやら彼らは新薬開発のために寮内から出られなくなってしまったらしい。
「デザイナー逃げた?」
「逃げたっていうか、気絶してた。個展の準備もあるからさ」
「電気流せば起きるよ」
次に前を通り過ぎたのはアトリエの少年たちだ。
いつも首から眼鏡とメジャーを下げている美男たちである。服飾のデザイナー達は何百メートル離れていてもその男と分かるほど派手な格好をしているが、建築やら空間、画家は時代遅れにクラシカルな格好をしている奴が多い。
今回はその混合型集団と言ったところで、アパレルと大道具、画家連中が歩いていた。
今はどうやら休憩時間らしく、ポムフィオーレ内は少し砕けた雰囲気だ。
「アトリエ部どう?」
「過労で2人倒れたけどなんとかやってるよ。自分のショーも抱えてる奴らばっかりだから」
「この時期やっばいよな…。個展準備間に合わないって泣いてるやついたよ」
「デイヴィスの部屋はできたのか?」
「さぁね…再現班が寝ないでやってるよ」
アトリエ再現部。
クルーウェルはカラフルなスタッフと美しい俳優たち、衣装を大量にラックにかけてガラガラ運ぶ少年や作曲家がワイン片手に胡乱な目で歩いている廊下を当てどもなく歩き…。
「再現部1」と書かれたドアを開けた。
「、」
開けて驚いた。
ここは大量のセットが作れられた巨大な空間だ。
ドラマや映画でよく見る、たくさんの小部屋が作られた場所だ。クルーウェルはこれを見て、「う」と思わず声が出る。
「……嘘だろ?」
そこで、自分が昔使っていた子供部屋が完璧に再現されていたからだ。自分でも忘れていたような、懐かしい物が散乱している。使い古した学習机も、窓に貼ったシールの位置も、大好きなポスターも全てが再現されている。
実家のリビングルームも、屋根裏部屋も…実家を分解して持って来たみたいにその通りだ。
「写真の加工終わりました」
「そこ貼っとけ。マーク書いてるからその通りに」
そこを再現班が走り回って細かな細工をしている。
作業机が散乱するように並んでいて、そこで過去のクルーウェルの写真を古く加工しているもの、小さな自転車に傷をつけているもの、マットに土埃をつけているもの、クルーウェルが昔描いた無邪気な絵をクレヨンでタバコ片手に描いている者…。
ストローでコーラを飲みながらキャスターを回転させて椅子ごとガーっと移動し、机と机を渡り歩いている美術班の男が写真と実際に加工されたものを見比べてGOを出す。それをハリボテの部屋に飾る。
そういう風に彼の「過去」を再現していた。
「どう?本物だろ」
「、」
かつての子供部屋の前に立ち尽くしていると、後ろから声をかけられた。サイダーをストローでズコーッと飲みながら立っている、目が半分しか空いていない高身長の男だ。疲れて目を半開きにしているというより、やる気がないからそうしているという顔だ。
後で知ったのだが、彼はナイトクローラーである。オクタヴィネル協力のおかげでこれ程精密な個人情報の吸い上げに成功したのだ。
「子供の頃に戻れたら何をする?」
ナイトクローラーは少し笑った。
ギザギザの歯が見え隠れし、彼が人魚だとわかる。
この歯は多分…サメだ。嗅覚の優れている嫌なヤツ。
「オレならもう会えない人に愛してるって伝えに行くよアハハ…」
ナイトクローラーはそれだけ言って去って行った。
こうして見るとオクタヴィネル生はかなり浮いている。タトゥーが入っているし、全体的にガチャガチャしたデザインの少年ばかりで、身長が変な風に高いのだ。
『こら、課題はやったの?』
「…!…」
すると突然、母の声が聞こえた。
振り返れば巨大なモニタの前を占領している男がマウス片手に「いいね。本人が反応した」とモニタから顔を上げずに言う。
ガラスの壁に貼られた写真はクルーウェルが昔住んでいた町。しかも当時のままだ。今では無くなってしまった街まで再現されていて、それをCGで作っている少年がいた。
…再現部は文字通りだった。
何をする気なのかは知らないが、完璧に過去を作り上げる気だ。
「…何を…」
何をするのだろう。
脚本を知らないクルーウェルの胸には嫌な予感だけが西日のように差し込んで、いっぱいになった。
再現部を出れば、他の部屋では町のサウンドを作っている少年がいて、映画音楽を作っている男がどこかへ電話をしている。
俳優たちは再現班から演技指導を受けているところで、側から見ても何をしているのか分からない。
忙し過ぎて走って移動しているヴィルには声をかけられなかった。
…クルーウェルは、人の過去をここまで再現して一体何をする気なのだとゾッとした。
衣装担当も当時の人々の服装を再現しているようで、俳優連中がサンプルを着させられている。
その徹底ぶりは結構なもので、神経質なものだった。
「…ワニ?」
コン、とかかとに何かが当たったと思えば、それは粘土か何かで作られたらしい青いワニだった。
クルーウェルは首を傾げてそれを眺め、触ろうとした時。
「ムシュー!」
「ッ」
背後から声をかけられた。
驚いて振り返れば、立っていたのは…フロイド・リーチだ。しかしいつもと様子は違う。ハンサムに笑う笑顔に影がさしていないのだ。体を変な風に傾けてもいないし…つまり不気味さがないのだ。
「やぁ、見学かい?会えて嬉しいよ」
「お前…」
「すまない、ワニには触らないでくれたまえ。彼は恥ずかしがり屋なんだ」
フロイドはニコニコ笑ってワニにカバーをかけた。
クルーウェルは訝しげに彼を見たまま首を傾げ、「なんだって?」とほとんど反射で声を出す。
「良かったら中を案内するよ。私について来ておくれ。ここは裁縫部で…」
「待て。待て、仔犬。お前、どうした?…その…。いつもと様子が違う」
「え?」
「なんていうか、別人だ」
「?私はいつも通りだよ。…ああ!ははは。失念していた。この格好のまま来てしまったね」
「お前。…ルーク・ハントか?もしかして」
「ご明察!あなたの狩人だ」
彼は派手に笑って、自分を披露するように両手を広げた。
「見事なものだろう?私も再現部なんだ。他人になったのは初めてでワクワクするね…」
「ルーク!」
「おや、すまない。呼ばれてしまった。また改めて案内するよ。楽しんで!」
フロイドの格好をしたルークは満天の笑みを向けて手を上げ、「ヴィクター!驚いたよ、キミの個展を昨日見に行ったばかりだ…」と、他所の会話に混ざっていった。他の男達は彼の様子を見慣れているようで、誰も驚いていない。
驚いていたのでしばらく眺めていると、脚本を渡されたルークが、カクン。と首を傾けて、「アハハ」と自分の首を片手で締めるように緩く握って不気味に笑った。
「お、」
それがあまりにフロイド・リーチに酷似していたもので、背筋に冷たいものが走る。
再現部の仕事は正直言って完璧だ。
これほど精巧に何かを模している集団は初めて見る。まるでこれから何かに乗り移るみたいだ。
「───………」
これ、は。
ちょっと、怖いかもしれない。
クルーウェルは認識を改めた。周囲は楽しそうに作業を進めているから、自分だけがゾッとしていた。
自分だけにしか見えない存在と目が合ったみたいな、特別に嫌な気分だ。
「あの、」
「?なんだ」
突然、通り過ぎる少年にツン、と肩を触られた。
彼は内気な少年で、クルーウェルに自ら話しかけるなんて今までならありえないような子供だ。
だから驚いて、思ったよりも優しい声が出る。
珍しい。一体どうしたのだろうと思ったが…。
内気な少年はズレた眼鏡を直しながら、「あ、ああ、」と不明瞭な声を出してからスグに彼から目を逸らした。
「なんだ、本物か。いつもの再現部の人かと思った」
■
ポムフィオーレがインベーダーとなってクルーウェルを乗っ取り始めた。
これは全て、裏でアズールが糸を引いていた。
今までオクタヴィネルとポムフィオーレが共に仕事をしたことは一度もない。多少の小さなやり取りはあったが、ここまで大掛かりなプロジェクトに共同で取り組んだことはなかった。
ならばオクタヴィネルの威信にかけて…この2寮を最も輝かせる方法を模索すべきである。
アズールはフロイドを勝たせなければならなかったのだ。
よって彼はまず、ポムフィオーレの得意科目とオクタヴィネルの得意科目をまとめた。
簡単にまとめると、ポムフィオーレは創造が得意。
彼らはエンターテイナーであり、映像や体験を提供するのを生きがいとしている。ファッションや空間デザイン、芝居や映像制作、舞台やミュージカル、美容と見栄と提供こそが彼らの生業だ。
対して、オクタヴィネルは破壊が得意。
裏稼業集団の彼らは如何にあくどいやり方で金を稼ぐかばかりを考えている。法外な値段で商品を売り付け、必ず回収する。見事なことに回収率は100%、つまり実行力があるということだ。実現性のある仕組みを作り、実際に行う胆力がある。
ポムフィオーレは表舞台の人間、オクタヴィネルは裏稼業の人間。
ならば派手な人の目を引く作業をポムフィオーレに任せ、名前も個性も必要ない裏仕事をオクタヴィネルが補えば良いのだ。
常に法の抜け穴を探して書類と睨めっこしているオクタヴィネル生は事務作業が大得意。人間心理を操作しラブリーなメッキで人を騙す集団だ。
ならば作業の分担を考えるのは簡単である。
表と裏の専門が揃ったのだから、後はその通り起動するように整えるだけだ。
再現部のあの仕上がりは滞納回収センターにやらせたのだ。
クルーウェルの過去を洗いざらい調べ上げ、徹底的な情報提供をさせた。後はポムフィオーレの技術部がなんとかしてくれるだろうと。
手配は全てアズールが行なっている。オクタヴィネルの優秀かつ最悪な人材派遣をしているのだ。ポムフィオーレはこの人材を完璧に使いこなし、華やかな仕事をこなしている。
マしかしそれだけとはいかない。
他にも何か、オクタヴィネルでやれることはないか…と。アズールはみかんをちゃむちゃむ食べながら、野球中継なんかを観つつ考えていた。側から見れば完全に呆けているように見えるが、彼が仕事をしていない時間はない。
仕事中毒者なので休日が嫌いなのだ。
「仕事をしていない時の何が楽しいのかわからない」
というのが彼の口癖で、嫌いな言葉は「贅沢時間」だった。休憩も仕事のうちだが、つまらないのでPCを開いていたい。
そういうわけで、リーチ兄弟はマヌケそのものな彼の姿を見ても、基本的には絶対に話しかけないようにしている。
邪魔をすると左遷されるからだ。
「………フロイド」
「ん、なに?」
「ちょっと、しばらく僕の隣にいてください。携帯をいじっていて構わないので」
「え。なぁに」
「思考に必要なので来て欲しいんです。たまに質問をするので、答えてください」
「?おっけぇ」
アズールは口を開けてみかんのスジをちみちみ取りながら、フロイドを呼んだ。
そしてフロイドをボケラ…と口を開けて眺めながら、完璧に黙ってしまう。
フロイドは「?」「??」と困りつつ、なんとなく自分の髪を直したり、座り直したりと落ち着きなく黙って座っておく。
取り敢えず言う通りにしておこうと、美男に見つめられるのを耐えたのだ。
「…お前達委員会の得意は裏工作ですね?」
「え、うん」
「どこまでできますか?」
「そりゃ…どこまでも」
「人間を1人作ることは?」
「できるよ。必要書類集めるだけだもん」
「物件を確保することは?」
「不動産?できるよ」
「車の手配は?」
「当然」
「警察に捕まったらどうします?」
「ありえない」
「なぜ?」
「バカが警察に通報したらまずオレの委員会に通知が来る。あとは部下が対処するよ」
「ふむ。その辺の細工もしているんですね」
「大前提じゃね?」
「警察のふりをすることは?」
「うちの工作員に頼めばできるよ」
「カメラやマイクを隠すことは?」
「大量のドラッグ持って国境越えるヤツらだよぉ?カメラくらい簡単にどこにでも仕込めるよ」
「なるほど。オクタヴィネルは史上最大のドッキリができると言うわけだ」
「マァね」
「しかし華やかさに欠ける」
「クリエイティブはねぇもん。そりゃそうだよ」
「ポムフィオーレが協力すればそれも克服できる、か…」
「ウン」
「クオリティは保証されているというわけですね」
アズールは今までの復習を行い、なるほどと頷く。
「問題なく企画は動いていますか?」
「ウン。今んとこ何も問題ねぇよ。資金繰りもうまくいってるし…」
「では、うまくいっていないのはお前だけですね」
「え」
そう言われて、フロイドはドキッとした。
そうなのだ。
フロイドは今、大した仕事をしていないし与えられてもいない。
自分で仕事を見つけようにも、周囲があまりにデキる人間ばかりで仕事を没収されてしまう。
彼は精鋭部隊の中で唯一暇をしているのだ。
だから視察に来たエイプリルフール実行委員会のエースとちょっとお茶をしたり、お茶をしたからには結構仲良くなったり、そうすると前年度エイプリルフール実行者であるリドルともお茶をしたり、その流れでハーツラビュルのお茶会に「遊びに来たら?」と誘われたり…と。
フラミンゴを間近でぼんやり眺めながら薔薇園でお茶をし、退屈をしていると言うわけだった。
『キミ、今は暇なんだね。休暇中なの?』
リドルにはそう言われた。
彼は渦中に居るフロイドがまさか暇をしているとは思いもしていないので、これは皮肉ではない。
フロイドはその純粋な疑問にグッと喉を詰まらせながら、煮え切らない返事をすることしかできなかった。
リドルの認識は周囲の共通認識でもあった。
実はオクタヴィネルの工作員たちも、ポムフィオーレもまさかフロイドが何の仕事も与えられていないとは思っていない。全員が全員勝手に「彼は忙しいだろう」と想像して、何の仕事も回していないのだ。
フロイドは普段している仕事さえ奪われ、部活は強制的に休まされているのに。
彼はプロジェクトが始まったら本当に忙しいだろうなと思ってわざわざラウンジの仕事も引き継ぎをして長期休暇を取っていた、のに。蓋を開ければこのざまだ。
なのでフロイドはあまりにも…普段の学園生活よりも退屈になってしまい。ケイトとリドルが海上スキーをしているのを浜辺でサングラス越しにボケーッと眺めることしかしていなかった。
一夏の恋人を作ってイチャイチャする暇さえあると言うのだから深刻だ。
渦中の人間は案外暇なのだ。
フロイドは実働部隊なので、実働する瞬間にならなければ退屈だと言うわけだ。
「お前今暇でしょう」
アズールにそれを言い当てられたので。
フロイドはなんとも回答せず、少し気まずそうに目を遠くに向けるだけだった。
しかしアズールはこれに少し笑う。それは面白がるような目つきだった。
「良かったじゃないですか」
「は?」
「優秀な人材が揃っているということです。人手不足でもないのにトップが一番忙しい組織なんてほとんどうまくいきません。ボスのお前は決定することが仕事なんですから、暇で結構」
「……マジ?でもオレマジでなんもしてねぇよ」
「現場から確認は来るでしょう?」
「マァ、」
「なら問題ありませんよ」
アズールは頷いた。
「僕が普段忙しいのは、忙しくしているのが好きだからです。やろうと思えば全ての仕事を人に任せて寝ることだってできます。けど、自分でやるのが好きな性分なもので。そうでないならお前はそうやって座ってればいいんですよ」
フロイドはしかし、こう言われてもなかなか落ち着けない。とことんボスが向いていない性質なのだ。動いていないと気持ち悪いし、誰かの言うことを聞く方が案外落ち着くのである。
だって責任を取らなくていいから。自由人こそ、頭上に人がいた方が活躍できるのだ。
「どうしても落ち着かないなら、お前が脚本を書けばいい」
「ハッ?」
「得意でしょう。作戦を考えるのは」
「そりゃ…逃走ルートとか考えんのは好きだけどさぁ。脚本なんて無理だって」
「そうですか?お前人の嫌がること考えるの好きでしょう」
「好きだけどクリエイターの仕事はクリエイターがするべきだろ、」
「お前」
「何」
「ポムフィオーレが書いた脚本は読みましたか?」
「…読んだ」
「そうですか。確認しますが、その脚本の内容は実際に起こった過去として先生の記憶に刻まれるんですよね?」
「…ウン」
「と言うことは…お前は、先生の弱みやトラウマを丸々知っているということになりますね?」
「そうだけど…」
「ではもし、クルーウェル先生がウチと契約して滞納したとしたらどうします?回収方法を考えるのはお前の仕事でしょう?」
「…マァ、回収センターが回収できなかったらね」
「もう一度聞きます。貴方はクルーウェル先生のプロファイルを読んでいる。その上で彼が滞納者だったら、どうします?」
「………。普段オレがやってる通りでいいの?」
「はい」
「普段だったら…えっとぉ…イシダイ先生だったら…トラウマ通りのこと目の前でやってぇ、超怖がらせてぇ…精神がむぼーびになったとこ絞めて、今の死ぬまでやるぞって脅すかなぁ」
「具体的にはどう怖がらせます?」
アズールは前のめりになって聞いた。
フロイドはこれに対し無責任に、簡単に考えて答えてみる。最もクルーウェルが嫌がる方法や、怖がる方法を考えて話す。それをどう利用するかも提案し、実際に誰を使って追い詰めるかも言ってみせた。
アズールはそれを聞いて満足げに頷き…。
「やはりお前はクリエイターだな」
そう言ってフロイドに白紙の自由帳を渡した。エレメンタリースクールの子供が使うような、かわゆいピンクの女児向け自由帳である。
表紙にキラキラした目の大きい魔女っ子が描かれている…思春期の男子高校生が持っているのも恥ずかしくなるようなデザインだった。
アズールはこれを大量にストックしていて、メモを取る時はこれを使っている。何故なら安いからだ。
とにかく膨大なメモ量なので、いつもこれをまとめ買いしては使い切って捨てているのである。
「これにDAY2以降の脚本を書いてこい。書き終わったら僕に見せるように」
「は?絶対やだ。オレものなんて書いたことねーもん」
「やれ」
「やだ」
「なら仕方がない。委員会を解散させるしかないか…」
「!なっ、あ、がっ、」
「やれ。ゼロゼロナイン」
フロイドはその自由帳を、喉仏にガツッ!と押し付けられた。故に背中を逸らし、刃物を突きつけられているみたいな顔をして絶句する。
「暇で良かったな?」
「……ッ」
トドメを刺された。
というわけで。
フロイドはアズールの命令により、仕方なく脚本を描く羽目になってしまったのである。
■
「うー…」
マしかし。
フロイドは脚本どころか、創作自体をしたことがない。
作り話は腐るほどしてきたし、聞いた者が震え上がるような嘘っぱちやハッタリはしてきたが…それは全て相手から滞納分を回収するためであり、人を喜ばせる物語ではない。
よって書いては消しを繰り返し、文章など書けるものかと何度も投げ出した。
がしかし牢屋に入れられた人間が狂い死にをしそうな退屈やストレスから逃避するためしばしば物を書くように。フロイドは退屈に押しつぶされて、仕方なく机に向かっていた。
事情を知らないジェイドはそれを見て、ラブレターでも書いているのかしらと放置していたが。
フロイドは結局頭を掻いたりのけぞって「あー」とか「うー」とか言いながら脚本を書く作業ばかりやっていたのである。
いつもは、作戦を立てる時にこんなに悩まない。
だからいつも通りの作戦を立てるにしても…それが映像映えするのかもわからないし、客観的に見て面白いかもわからない。
当然だ。
今まで自分はエンターテイメントとして作戦を練っていたわけではなく、自分が笑えるようにやってきたのだ。
だから大衆向けでもなんでもないし…しかも。DAY1を担当しているポムフィオーレの脚本家はそもそもプロとして活躍している男である。
その上「地下二階の秘密」の脚本はイデアが担当しているのだ。
そんな化け物たちが担当している仕事を自分がやるなんてありえない。本来なら不気味くんが書くのだし、自分なんぞが書いて出せるような現場でもない…。
「うー」
というわけでフロイドは追い詰められた。
いつもの何倍も頭を使ったし、どんなに工夫をしても面白いとは思えないものばかりが出来上がる現状に嫌気がさした。
その上脚本の書き方なんて知らないし、上手い文章の書き方もわからない。
なので結局、文章で上手く表現できない部分は図解したり絵を描いたりして説明し、ほとんどの文章をプロット的に書いた。
細かく詳細は書いているが、文章というか、まるきり説明文である。
整理するために箇条書きにした部分もあるし、実現化するために使う道具や物件、使うべき人材なども付箋を貼って追加事項として記載した。
故に。
出来上がり始めたものは脚本とは呼べない、どちらかといえば設計図に近い代物だった。
読みやすいしわかりやすいが、フロイドの目から見てコレはどうしようもなく稚拙なものに見えてしまう。
そもそもプロの仕事を間近で見る機会が多いNRCだ。自分の書いたものなど間違っても見せられるものではない。
プレゼン資料っぽいし、クリエイターたちの柔軟な発想力もない。
しかも恐ろしいことに、この脚本の主人公は自分なのだ。
フロイドは初めての創作で、自分が主人公の物語を書く羽目になってしまった。否、正確にはクルーウェルが主人公なのだが…主として動く仕掛け人の自分が活躍する部分が多いため、どうしても主人公が自分になってしまうのである。
これがフロイドにとってどれだけ小っ恥ずかしい創作物であったのか。それは想像を絶するものだろう。
誰にも見せないことを前提としても、書いているだけで恥ずかしくなるような代物だ。
しかも自由帳にボールペンで書いたもの。
……一応自分なりに工夫して書いてみたり、面白いと思ったアイディアを出してはみたが。
フロイドは出来上がった途端、「うん」と言ってそれをゴミ箱に捨てた。
黒歴史を作って、黒歴史を捨てたのだ。
努力したし本気で取り組んだが、こんなものを人に見せるくらいだったら自殺を選ぶ。
ダメだ。アズールにはやったけどダメだったと言おう、と思い。
ゴミ箱を蹴ってその日は眠ったのだ。
しかし。
「ふふ、」
「……あ?」
朝方。
隣のベッドからクスクス笑う声が聞こえて目が覚めた。寝ぼけた目で隣を見ると、ジェイドが薄い電気をつけて何か読んでいたので。
ああ、本でも読んでいるのかと思って布団を被りなおした、のだが。
「………」
表紙に見覚えがあった。
ピンク色に、魔女っ子がいたような。
物凄く嫌な予感がしたのである。
なのでフロイドは少しの時間固まってから、いきなりガバッ!と起き上がってジェイドの方を見たのだ。
「ッお、やおや。驚いた。どうしました?」
「今何読んでんの」
「はい?」
「何読んでんの」
「何って…」
視認。
そして絶望。
ジェイドが読んでいたのは、やはりフロイドの書いた脚本であったのだ。
フロイドは悲鳴をあげた。声にならない声だった。なのでつまり、無音である。ジェイドはフロイドの動揺に気が付かなかった。
当然フロイドはジェイドから自由帳をひったくって、尋常でなく赤面をした。
「っ、っ、ッ」
目に涙を一気に溜め、胸まで真っ赤になって息も絶え絶えである。これ以上の羞恥は感じたことがない。何も言えなかったし、なんの声も出せなかった。
しかし暗くてジェイドには赤面がわからなかった。
「見っ、読んっ、」
「読みました。途中なので返してください」
「よ、」
「もしかして機密事項でした?外部に漏らさないので返してください。まだ続きです」
「、ッ、き。そ、そぉ、機密事項…」
「ああ、やっぱり。ダメじゃないですか。機密書類を放置しちゃ」
「あ、う」
「……?寝ぼけてます?返してください。いいでしょう最後まで読んでも。不気味くんには僕から後で許可をとりますから」
「?、あ?は?不気味くん?」
「?それ、不気味くんの私物でしょう?」
「は」
ジェイドはキョトンとした顔で言った。
これにはフロイドも驚いた。
まさか勘違いされるとは思わなかったのだ。
「不気味くんは僕の部下です。僕が言えば彼も納得しますよ」
…どうやら彼は。
これを不気味くんの書いた脚本だと勘違いしているらしい。その素晴らしき勘違いは、フロイドをしばらく停止させた後。
「…そ、そぉ。不気味くんの書いたやつ…」
滝汗をかきながら言い訳を言えるに至った。
ジェイドはまさかフロイドの書いたものだとは思わなかったのだろう。
なのでフロイドはそれに乗っかって、少し黙ってから。目を限界まで逸らして。
「オレ、まだソレ読んでねぇんだけど。…おも…しろかった?」
「はい。返してください。読み終わったら貸しますんで」
「………アソ」
面白いらしい。
面白いというのは、内容が、だろうか?
それとも稚拙過ぎて面白いという意味?
いや、わからないが。これ以上は変に思われるので。
フロイドはドキドキズキズキしながら、赤面のままジェイドに自由帳を渡した。そして人類史上最大にソワソワしながら、彼が読み終わるのを待ったのである。
何度も頭や首をさすったり、落ち着きなく普段やらない片付けを始めたり、何度も水を飲んだりして…。ジェイドがたまに笑えば、どこで笑ったのか気になり、笑えるシーンなんてあったかなと不安になりながら。
尋常でない貧乏ゆすりをしながら、死刑囚の気持ちを味わったのだ。自分の創作物を見られるというのはそれほど恥ずかしく、恐ろしいものなのである。
マしかしジェイドはあっさりしたもので、ヘラヘラ笑いながら何度か寝返りを打ち、ひとしきり楽しんでから。
笑いを引きずった声で、多少だらしなく「どうぞ」と自由帳を手放した。
「読んだ方がいいですよ」
とも、言い残して。
フロイドは恐る恐るコレを受け取り、スマホをいじり始めたジェイドをソッと見つめて。
「え、笑える脚本なの?」
と聞いた。
ジェイドはスマホ片手に「はい」とだけ言ったのだ。
フロイドはこれに少し考えてから、ソワソワ自分の手をさすり、「読みやすかった?」と聞く。
「え?はい」
リアクションはこざっぱりとしている。
そして最後に彼は、
「いやぁ、映像化するのが楽しみですね」
と言って満足そうに眠ったのであった。
「………」
というわけでフロイドは事なきを得たわけであるが。しかしこの嘘、ついてはいけない嘘だった。
というのもジェイドはこの自由帳を持って、映像監督を担うナイトクローラーの元に訪れたのである。
「このシーン、どうやって撮るんですか?」などと言って。
ナイトクローラーは当然この脚本を初めて見るので、「いや、読むから待ってくれ」と言って自由帳にコピー魔法をかけ…自由帳を部下の人数だけ増やし、読み始めたのである。
その時フロイドは気絶する寸前に追い込まれた。しかしここで嘘だとバラすのは自分を殺すことに直結するので、汗だくになりながらも結局黙っていた。
ナイトクローラーたちは真剣にこの脚本を読み、ふむふむ頷いてから。
なんのリアクションもせず、「このシーンは車で撮る」などと仕事の話をし始めたのである。
ジェイドは真剣な顔をしてその話を聞き、結局ナイトクローラーたちは最後まで何も気付かなかった。
さてこうなると、ナイトクローラーたちは自由帳を片手に他の工作員へ別の仕事の話をし、工作員たちも「あ、脚本できたの?見せて」なんぞと言っては読み始める。
つまり、フロイドの意図せぬ所でその自由帳が「不気味くんの書いた本物の脚本」として出回り始めたのだ。
悪夢以外の何物でもなかった。
読んだ人間の反応は、多少笑うか全くの無反応。
どう思ってくれているかもわからないリアクションばかりだったのだ。
フロイドは死にそうだったし、何度も言い訳を考える羽目となる。がしかし、最早取り返しは付かなかった。
その自由帳は結局委員会、管理局の全てが共有してしまい、最終的にはポムフィオーレ生まで自由帳を読んでいた。
授業中にヴィルがコーヒー片手にピンクの自由帳を読んでいるところを見た時なんて、もう、窓から飛び降りなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。
そして結局ポムフィオーレ生たちも、読んでニヤッとするか、全くの無反応かどちらかだった…。
「、」
それから、フロイドが最も恐れていたことが起こる。というのも、オクタヴィネル生たちが不気味くんに「脚本読んだよ〜」と言い始めたのだ。
ピンクの自由帳をヒラヒラさせて。
「あのさ、ここなんだけど。これこの物件の方が良くない?」
なんて質問までする始末だ。
不気味くんはそう言われて自由帳を覗き込んで、不思議そうな顔をして。
「いや、オレこれ知らねーんだけど。何コレ」
と。
言ってしまったのだ。
ラウンジのカウンターでコレを背中で聞いていたフロイドの顔色は土気色だった。本当にもうおしまいだと思ったし、羞恥心よりまず先に絶望が襲った。
体は金属みたいに動かなくなったし、キーン…と耳鳴りがして血の気が引いたのである。
コレはあれだ。親父が本気で怒っている時になる感覚に似ている。
世界で一番顔色が白くなっているのが、もう感覚だけでわかるのだ…。
「え。この脚本お前のでしょ?」
「は?オレまだ脚本着手してねーよ。ポムフィオーレの作業が終わってから始めんだろ?」
「…?じゃあこの脚本何?」
「知らねぇって。誰書いたの?見して」
そして。
なんたることか、不気味くんはその脚本をひったくってフロイドの隣に座って読み始めたのである。
ガタン、とカウンターに座ったのだ。
…フロイドの心境は割愛させていただく。
不気味くんは黙々と自由帳を黙ってめくっていた。そしてたまにニヤッとしたり、無表情になったりして。
たっぷり時間を使って読み、何度か前のページに戻ったりして読み直したり、「うん」と言ったり、「うーん」とゴロゴロした声を出してから。
「これ書いたやつ誰?」
と言いながら、ピンクの自由帳を頭の上に掲げたのである。
フロイドは指先の感覚がなかった。足の先はこれ以上ないほど冷えていて、息すらまともにできなかった。心臓の音で自分が犯人だとバレてしまうのではないかとも本気で思うほどだったのだ。
マしかし、こうくれば死ぬまで黙秘を貫くだけである。墓まで持っていくつもりで黙っていた。
周囲は「知らん」とか「回収センターの誰かじゃないの?」だとか、好き勝手に発言していく。
そんな時。
「あ、それ書いたのフロイドですよ。僕まだ読んでません」
と。
通りすがりのアズールが言った。
フロイドがアズールと絶交すると決めた瞬間である。
アズールは不気味くんがヒョロッと腕を伸ばして掲げた自由帳を背伸びして取ろうとしながら、「お前、書き終わったのに何故言わないんですか」とこちらに話しかけた。
「…えっ。これフロイドが書いたの?」
「ガチ?」
周囲はバッチリこれを聞いていて、当然フロイドを振り返る。全員の視線が彼に集まった。
しかしフロイドはカウンターでコーヒー片手に全く動かないので。不気味くんが「寝てんの?」と無遠慮にグイッ!とフロイドの肩を掴んで振り返らせた時。
ラウンジの、時が止まった。
「………、」
フロイドは目を見開き、目線を下に向け。
物凄く浅い呼吸を繰り返しながら、顔を真っ赤にして音もなく涙を流していた。
薄く口を開けたまま、ヒュ、ヒュ、と息をしながら。
──それは、人が人智を越える前代未聞の羞恥が直撃した瞬間の表情だった。
これは絶望的な羞恥だ。
周囲もそれは分かった。
彼の顔を見て気付かない間抜けはいなかった…。
「………」
フロイドは目を泳がせ、手を震わせていた。
アズールはフロイドが本気で泣いている姿を生まれて初めて見たし、ジェイドは人前で彼が泣くだなんて信じられなかった。
うえーん!と派手に泣いているところは見たことがあるが、しかし。こんな風に本気の涙が伝っているところは初めて見た。彼は本当に人前で泣かない男だったから。
「フロ……」
「……」
フロイドは結局、顔をハットで隠してフラッとラウンジから消えた。
自分の部屋に帰って、引きこもったのだ。
それからジェイドは物理的にドアが開かないので自室に帰ることができなくなる。
フロイドは二週間部屋から出てこなかった。
が、しかし。
幸運なことに、この脚本はハッキリ言って素晴らしい出来だったのである。
■
「これ、フロイドが書いたの?」
「そうなんですよ。良い出来なんですけど、自分が書いたとバレたのが恥ずかしかったらしくて。部屋に引きこもってしまいました。おかげで寝る場所がありません。しくしく…」
「へぇ…」
リドルはペラペラ自由帳をめくり、内容を見てたまにニヤッとしてから…「どうして恥ずかしいの?」と自由帳から顔を上げずに言う。
「さぁ。こう言ったものを彼が書くのは初めてですし…。見られなくなかったんじゃないですかねぇ」
「そうなの?変な所で恥ずかしがるんだね」
「ええ。変ですよね」
ジェイドはどこまでも他人事だった。
というのも、脚本は非常に悪辣で面白い。多少変更する部分はあるだろうが、ほぼこのまま使って問題のない出来だった。
追加のアイディアがカラフルな付箋でベタベタ貼ってあるのも面白いし、「この辺は再現がムズイかも〜」と不思議な海洋生物がコメントしているラクガキも彼らしい。
単純に読んでいて面白い読み物なのだ。内容は緻密に練られているし…フロイドは人で遊ぶ天才なので非常に完成度が高く、残酷で、なおかつ実現可能であるというのが素晴らしい点だった。
『ドライブはヴィーンとガルが担当』と書かれているページには、ヴィーンとガルという男がデフォルメ化されて車に乗っている図が描かれている。その絵の不気味なこと、かわゆいこと、面白いこと。
悪魔の書いた設計図みたいで、だから不気味くんは何度も前のページに戻っては面白そうに読んでいたのだ。
みんながニヤッとしたのは、発想の面白さとアイディアの斬新さ。そしてこの奇妙とも言える不気味な絵が愉快でニヤリとしていたのだ。
「よく思い付いたな」「うまい!」と思って上機嫌になって笑ったという点もある。
では何のリアクションもしなかった男たちは何故かといえば、真剣に読んでいるからに他ならない。あとは本物の脚本家が遊びながら書いた原稿だと信じて疑わなかったが故に無反応だったのだ。
人は美味しいものを食べた時、それほどリアクションをしない。黙って黙々と食べる。
それと同じで、彼らは無反応だった。
フロイドにとってこれは非常な不安材料だったが、実際のところはこんなものである。
人をオモチャにすればピカイチのこの男、そもそも今回の脚本を書いてコケる訳がなかった。
だが処女作を周りに回し読みされて平気でいられるメンタルは持ち合わせていない。
あんなクタクタの、女児向けの自由帳に書いた落書きを皆で寄って集って読まれたのだ。
マしかし、周囲はフロイドが恥ずかしがっている意味がわからなかった。
出来が良かったから不気味くんも脚本家と話したくなって作者を探したし、周囲も出来が良かったからこそ感想も言わなかった。文句の付け所がなかったから、この脚本で実際にやろうとして「このシーンはどう撮る?」と具体的な話を進めようとしていたわけだ。
アズールも読んで驚いた。良い作品だった。本当に彼が手掛けたのかと疑うほどだった。
やっぱアイツセンスあるなーと感心したのだが…この通りである。フロイドは塞ぎ込んでしまった。
周囲としては単純に迷惑だった。
この脚本でやることはもう決まったのだから、質問したいことがたくさんある。具体的な仕事の話をしたかったし、実現に向けて人員も揃えたかった。委員会の工作員はフロイドが号令をかけなければ動かないのだ。
なのでとっとと立ち直って欲しかった。
羞恥心なんぞでプロジェクトが止まっては仕方がないのである。
よってオクタヴィネル生は「アイツなんで恥ずかしがってんの」「繊細なんじゃない。あと二日で戻ってきてくれなきゃ困るけど」「意外とめんどくせーな…」と彼の感情に付き合わない。
不気味くんなんかは脚本助手として協力する気だったし、このクソ忙しい状況で引き篭もれる神経が理解できなかった。オクタヴィネル生というのは基本的に人の心がないので仕方がない。
「責任感じてるんですよね…」
アズールはため息をついた。
あのまま誰が書いたものか言わなければよかったのだ。フロイドがそんな、人生を賭けて隠し通したかった案件とは知らず。
しかしリドルは焼きたてほかほかのチョコケーキを口の周りを汚しながら食べ、「別に僕は日記を見られても恥ずかしくないけど?」と理解を示さない。
「何故恥ずかしいんだい?理解ができない」
「はい僕もわからないのですが…まずいことをしたなという自覚はあるので対策してます」
「対策?」
「ポムフィオーレの方々に相談しまして。今ポムフィオーレ生が彼の部屋に通っています。彼らはフロイドに共感しているらしくて」
「そうなの?共感するポイントがあるんだ…」
ある。
ポムフィオーレ生たちの過半数は表現者であり、クリエイター集団だ。彼らは自分の処女作を恥じているし、舞台で全くの棒演技を披露したこともある。初めて歌手デビューした日に緊張しすぎて楽屋で泣いてしまったこともあるし、自分の執筆した脚本が大コケしたことだってあるのだ。
クリエイターという生き物は非常に繊細な生物であり、公表するつもりのなかった作品を回し読みされる屈辱をよく知っている。
よって彼らはフロイドが受けた仕打ちを聞いて青ざめた。ポムフィオーレからの見解としては、「彼は失踪していないだけまだマシ」ということらしい。
よって貴公子たちはフロイドの部屋に行き…。
「アタシを殺して!!」
大失敗した舞台のDVDをフロイドに見せた。
フロイドは布団に包まって目以外の部分を出していなかったが、ヴィルは床に蹲って顔を真っ赤にしていた。
彼らはフロイドに自分が失敗した作品や処女作を見せることで心を癒してやろうと考えたのだ。
フロイドはジッと黙っていて、布団からメッシュと目だけを出して静まり返っている。ずっとこんな調子なのだ。だが彼らは「気持ちはよくわかるわ」「さぞ恐ろしい日だったろう」「眠れなかったでしょう」「僕たちも眠れない日があった」「今から僕たちの失敗も見せるよ」と優しく、暖かく共感して鑑賞会を始めたというわけである。
フロイドは最初「みんなにオレの気持ちなんてわかんないや」といじけていたのだが。
…彼らの処女作は酷いものだった。観ているこっちが恥ずかしくなるような出来で、あまりに稚拙だ。今ではベテランの映像監督も学園で名前を知らぬ者はいない脚本家も小説家も、最初は本当に酷いものだったのだ。
彼らは震える手でこれを見せてくれたが、読まれている間は吐血したり悲鳴をあげたり、頭を掻きむしったりして恥辱に耐えていた。美男子が恥にもがき苦しんでいる様子はなかなか見応えがあったし、全員がまずはこうして羞恥に苦しむところから始めたのだということがよく理解できた。
オクタヴィネル生にクリエイターはほとんどいない。素晴らしい創造をするマーケターの人間や発想力のあるアイディアマンは存在するが、結局彼らは根っからのエリートであり、作品を作ったことはないのだ。
だからこの鑑賞会は有難いものだったし、勇気づけられたフロイドの布団はだんだん剥がれていった。最初は布団を5枚重ねて被り、大きなカマクラになっていたフロイドも顔を出し始め、メッシュ以外の部分も出てきた。最終的には布団一枚になって、最後は布団を取ることもできた。
「それに比べてアンタの処女作は良かった」
「ほんと、神に感謝した方がいいよ。最初に書いた脚本が採用されるなんてありえないんだからさ」
「アタシはアンタが手がけたって思わなかったわ。脚本家が書いてるんだと思った」
「自由帳に書くクオリティじゃなかったよ。自信持っていい。俺たちはアレで一本撮るつもりだよ」
キラキラの貴公子やヴィルは、狭いフロイドの部屋にギチッと溜まって口々話した。
彼らは本気で彼を励ましてくれたのだ。
フロイドは最後まで黙っていたが、最後、あたたかいかぼちゃのスープを飲まされたところで無音で泣いてしまった。何故泣いたかといえば、ポムフィオーレの共感力の高さに感動したのだ。
オクタヴィネルにはサイコパスしかいないので共感性が皆無である。どんな相談も「ふーん。そんな困ってんだ。オレだったら死んでるね。死ねば?」という回答以外返ってこない。
なのでフロイドは生まれて初めて人の温かみに音もなく泣いた。
そんなフロイドのそばに、おとぎ話みたいな美男子が隣に座って一緒に目を閉じてくれた。
同じ傷を負ったみたいにジッとして。
「現場に行くのが怖いなら、一緒に行ってあげる」
美男子は言った。
羽根のように膨らんだ赤い髪を腰まで垂らした彼はどこまでも中性的な顔立ちをしていて、見ているだけで頭が痛くなるような美貌だった。
ガブリエルという名の彼は格好いい女性の声を低くしたようなテノールで、美女が男装しているようにも見える。
彼のような人間のことを「ポムフィオーレ性」というのだが、フロイドは彼のおかげで随分癒されたのである。
さて、ガブリエルは次の日。
本当にフロイドと手を繋いでくれて、現場まで連れて行ってくれた。
忙しいオクタヴィネル生は天使のような背の高いお兄さんと、石のような無表情のフロイドが手を繋いでヨレヨレやってきたのを見て。
まずは何事もなかったかのように、「おはよう!」と…言うでもなく。
「は?テメェ謝罪はどうしたんだよ」
「ポムフィオーレの天使様におんぶに抱っこかみっともねぇ」
「このクソ忙しい時にお気持ち引きこもりしてんじゃねぇよいい加減にしろ。賠償金払え。今日で辞めるか?この仕事」
「傷とちんぽ舐めてもらって満足か?ご満足頂けたなら大変お忙しいところ恐縮なんだが仕事して貰えませんか?」
「意識が低すぎて冗談でもドン引きだよ。オレが社長ならクビにしてる」
「長いマスかき(引きこもり)だったな子猫ちゃん」
「バカな深海魚」
「間抜けなシーフード」
「ウツボのジャンク品の方!」
このように罵倒した。
オクタヴィネル生は〝こう〟なのだ。
ガブリエルは顔を青ざめさせてよろめいた。ドン引きしているのである。こんな奴らに処女作を見られたら、そりゃ泣くし、オレだったらヘソを噛んで死んでいる…とショックに息を詰めたが。
「………」
隣に立っていたフロイドは人差し指を立て、今文句を言った全員をスッとスライドするように指さした。
するとその瞬間、どこからともなく彼らの額に赤いレーザービームが当てられる。
銃で狙われているみたいに、赤く細い光が差したのだ。
「おはよう!」
そして。フロイドはまずは何事もなかったかのように挨拶して、片手で銃のハンドサインを作って、ドンッと撃つ真似をした。
するとレーザービームが当てられた人間は血飛沫を当てて倒れていき、硝煙の香りが立ち上る。
目を見開いたまま倒れた彼ら。の、中を、フロイドは歩いていき。
自分だけが真ん中に立って、
「今日もお仕事頑張ろうね…♡」
と。
物凄く低い声で囁いたのであった。
考えてみればこの男は、この寮で最も人の心というものがない男だったのだ。
というわけで。
DAY2以降の脚本家に、フロイド・リーチが誇りを持って着任した。
■
「はいできた」
「貴様には調理という概念がないのか!」
今日の調理実習は、果物を使ったスイーツ作りだった。
因みにこれは必修で、NRC生達は舌打ちをしながらやらなければならなかった。マしかし真面目に取り組む人間など此処にはいないので、全員がキッチンにてコーヒーショップで買ったフラペチーノ片手に薄いノートパソコンを開いてネットサーフィンをしたり、仕事をしたりしていた。
授業中に別次元のくつろぎを見せるのがNRCスタイルである。
そういうわけで審査員のクルーウェルは異次元の待ち時間を経て、やっと一皿出てきたのだが。
疲れた顔のヴィルが出したのはバスケットから掴んで皿に乗せただけのリンゴ一つだった。
「仕方ないでしょ…疲れてるんだから」
「オレはこれを食べて何を評価すればいいんだ?産地の企業努力か?輸送の丁寧さか?糖度の確認か?」
「料理の腕前よ。これは元がオレンジなの」
「オレンジをリンゴに…」
「苦労したわ」
「最低評価を下しておく。学園を辞めろ」
「コッチのセリフよ」
「コッチのセリフだろ」
クルーウェルが本気のため息を吐けば、ヴィルも本気のため息を吐いた。「納得しなさいよ…アタシが悪いみたいじゃない…」と、お前が悪いのに疲れた顔をして見せるのだ。
「他の駄犬は何をしているんだ」
クルーウェルはイライラと立ち上がり、キッチンへ向かう。そしてキッチン内で前人未到のくつろぎを見せる生徒達を見て、「やはり一斉駆除が必要か…」と辟易するのであった。
特にエイプリルフール進行役員のなりふり構わなさが酷い。彼らはどんな授業でもPCを手放さず、水分補給を全てエナジードリンクで補っている。気高いポムフィオーレ生でさえ化粧もせずに髪を引っ詰め、サンダルで歩いているのだから余程の事態だ。
側から見ても彼らの有り様は異常だった。
他の生徒達は彼らの鬼気迫る様子を眺めて眉を顰めている。
ヴィルはギリギリまで映像のチェックをしていたし、再現部はわずかなズレを神経質に修正している。撮影班はデザイナー部に駆り出され、アトリエの少年たちはDAY2以降の仕事に取り掛かり始めていた。
フロイドは脚本家としてデイヴィスが思い通り動かなかった場合のプランBを不気味くんと書き始めている。ジェイドは当日動かさなければならない人員の確認、欠員が出た場合の補充要員を配置する場所の確保作業に没頭していて、アズールは暇なのでねるねるねるねを作っていた。
「……一応言っておくが。学生の本分は勉学だぞ」
「スイーツの作り方ひとつ覚えて将来何に役立つんです?それくらいなら将来パティシエを雇う金を稼ぐ方法をお教えいただきたい!」
「グゥの音も出んな」
「自分でなんでもかんでも出来るようになった方がいいなんて貧乏人の発想だ。この学園は低所得育成専門学校か?仕事の邪魔だからアッチ行ってろ」
「なら仕方ない。サイコロで出た数だけ貴様の単位を剥奪する遊びでもして大人しくしているよ」
「ご自由にどうぞ!」
PCから顔を逸らさず怒鳴る様子は本当に余裕がないようだ。マ確かに、スイーツひとつ作るより…ドリルをひとつやり遂げるより仕事をさせておいた方が将来役に立つだろう。
NRCの問題解決能力と状況把握能力と処理能力はズバ抜けている。彼らは結局いつもこうしてなんらかの仕事を抱えているから、社会に出てから強いのだ。
「リーチ弟。何をしている」
「脚本修正してる。話しかけないで」
「貴様このままだと教師をおちょくる脚本を書いたことがガクチカになるぞ。マトモな企業が雇うとは思わんが」
「オレがマトモな企業に就職すると思ってんのイシダイ先生だけだよ」
「それもそうか。将来捕まるならせめて新聞に載れよ。晴れた日に公園で読むから」
仕方ない。
生徒達は目の前の仕事に夢中だ。
あとで全員の単位を好きな数だけ没収しておくとして、野放しにしておくことに決めた。
躾の間に合う1年生と違って、2年生と3年生はもう躾のしようがない。彼らはどんなにキツく締め上げても最早意味がないのだ。
なのでヴィルにもらったリンゴをシャリシャリ食べながら、結局は彼らの仕事をぼんやり後ろで眺めることにした。
マ見ていても何をしているのかはサッパリ分からないが、ポムフィオーレとオクタヴィネルが案外良い連携ができていることは確かだった。マフィアと貴公子は良いビジネスパートナーとなったらしい。
ポムフィオーレの選民思想とオクタヴィネルのエリート思考が上手く噛み合ったというところか。
エスティシズムとフィロバットが仲良く出来るとは思わなかったが。
「……ん」
そうこうしているうちに、チャイムが鳴った。
その瞬間、大半の生徒達は目にも止まらぬ速度で走って教室から出て行った。目的地は多分喫煙室だろう。
しかし製作委員会たちは全く動かず、チャイムにも気付かずに仕事を続けていた。
彼らがこれほどまでにしつこく仕事をする理由はひとつ。クルーウェルが手強い相手だからだ。そのひとつに限る。
「……根を詰めすぎないように」
詰めるだろうが。
人を追い詰めるためならば何でもする習性なので。
…クルーウェルは見ているのに飽きたので退散することにした。悪人達の仕事というのは案外事務作業が多くてつまらないのだ。
彼は残った仕事を職員室で溶かし、さてと早めに職員棟に戻った。
今夜は家に帰る気力がなかったのだ。
睡魔に負けたのである。
「クア、」
あくびが止まらない。
クルーウェルは気合いだけで化粧を落とし、食事もそこそこに今夜は眠ることにした。
犬を撫でて「おやすみ」を言って…電気を消した時。
───はて、と思う。
今夜は何故こうまで眠いのだろうか。
今日は別段忙しいわけでもなかったし、なんなら退屈な日だった。仔犬の指導もしなかったし。ここまでの睡魔が襲ったのは一体いつぶりだろうか。泥のように体が疲れていて、体がシーツに沈んでいくお感覚に違和感を覚える。
マラソンでもしたみたいだ。夜に押しつぶされているみたいに、眠いのだ。
「………」
クルーウェルは働かない頭で心当たりを探した。
日頃の疲れが溜まっているとも思えない。それに今日起きたのは昼の13時だ。
今月は「教師のんびり月間」なので、学校の始まる時間が14時からなのだ。その分終わる時間も遅いが、とはいえまだ21時ではないか。
コーヒーだって飲んでいたのに。
何か変なものでも口にしただろうか。いや、薬学ではきちんとマスクを付けたし、煙も吸い込んでいない…。
……ん?
変なもの?
「…あ」
眠気が襲ったのは、リンゴを食べてからだ。
そうだ。
…何故今日、バカ犬達が授業を放り出して好き勝手しているのに指導ひとつしなかった?言っても無駄だと蓋をしたが、普段ならあり得ない。
疲れていたから野放しにした。
疲れたのはリンゴを食べてからだ。
そうだ。考えてみればわかるではないか。
教師のんびり月間は必ず3月に始まる。つまり今日はエイプリルフール当日の1ヶ月前だ。
それなのにオレはリンゴを食べた。
しかも、ヴィル・シェーンハイトが差し出したリンゴを!
「………、」
…気づいてももう遅い。
随分時間が経っているし、体は少しも動かないのだ。
「く、そ」
クルーウェルはそれだけ言って、撃ち殺されたように眠った。毒には抗えなかったのである。
遅効性とは恐れ入った。
自分がこんなに簡単な罠にひっかかるとは、思いもよらない。
「…………」
月明かりの差すクルーウェルの寝室。
そこで、人の気配に気がついた犬の目だけがピカピカ光っていた。犬は起き上がってドアの方向に牙を剥き、グルグル唸る。
誰かがドアの向こうにいるのだ。その勘の鋭さはあっぱれである。
「…………」
がしかし。
キィ、とドアが開いて、真四角の光が差し込んだ時。その犬はアッという顔をして、スグに尻尾を振ったのだ。
「ジン。オレだよ」
フロイドだ。
彼が顔を出してニコ…と微笑み、大きな手でジンを撫でた。そしてシー…と人差し指を立ててジンを静かにさせ、人差し指を眠っているクルーウェルに向ける。
その瞬間、フロイドの〝影の中〟に潜んでいたナイトクローラーたちがヌルッと這い出してきた。
彼らはカメラを片手にクルーウェルを囲み、全員が目で合図をしてから。
カチンコを持って、フロイドが頷く。
ナイトクローラー達は顔だけで笑っていた。
本番三秒前。
3、
2、
1、
「アクション。」
DAY1が開始した。
続く
今回はターゲットがクルーウェルですが、その制作過程を書いています。
オクタヴィネルとポムフィオーレが協力してエイプリルフールにクルーウェルを騙す話。
何故かフロイドが一年経ったのに2年生のままだったりと時系列がメチャクチャですが、お楽しみください
捏造過多
暴力描写
なんでも許せる人向け
なんにも許せない人は読まないことをお勧めします