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NRCは男子校である。健全な心を持つ、男子高校生の為の学校である。ついでに言えば、魔法士養成学校の中でも名門と呼ばれる部類である。
男子高校生とは、いや、高校生とは阿保である。1人ですら手に負えないこともあるのに、集団となると輪をかけて箍が外れてしまう。そういう生き物なのである。それは、名門と名高いNRCの生徒も例外ではない。寧ろ、魔法士として優れているため、無駄に想像力も創造力もあり、殊更厄介なのである。
「女子高生とイチャコラしたい」
健全な男子高生なら、抱いてもなんらおかしくない欲求である。しかし、ここは全寮制の男子校。女子高生と気軽に交流出来る環境ではない。
ならば、どうするか。
一般の高校生であれば、諦めるなり友人の伝を頼るなりSNSで交流を図るなり、そんなところが精々であろう。しかし、ここはNRC。ちょっとヤンチャな男子高生の多い、名門校。
「女子高生、つくらないか?」
発想は斜め上に飛んでいくのである。
「ポリジュース薬でいいんじゃね?可愛い子の髪の毛でも手に入れば一発で変身できる」
「その髪の毛すら手に入らないんだよいい加減にしろ」
「小人薬薄めて、髪伸ばせば?」
「小柄なロン毛男子が出来上がるに一票」
「はー、身体退行薬で二次成長前に戻してヅラ」
「やめろよ、ショタに目覚めさせる気か」
「それじゃあ胸ないしさ」
「いや、胸いらなくね?」
「いるだろ。あるならあるだけいい」
「ふざけんな。微乳こそ至高だろ」
「お前がふざけんな」
放課後の部活、しかも上級生も顧問も不在となると、本来の活動からは逸れて行きがちである。サイエンス部もその例に漏れず、2年生部員は己の理想について語り始めていた。
「そもそもさ、顔も大事じゃん」
「魔法薬でそんな作り込めるかよ。変身魔法習得が一番の近道なんじゃね?」
「だって俺らサイエンス部だぜ? サイエンスしよう」
(その前に部活しましょう、先輩)
こんな会話、3年生はともかく顧問に見つかったら何を言われるかわかったもんじゃない、と1年生は冷や汗をかいていた。因みに今日の予定は、この度行われる『サイエンス研究発表会高校生の部』の研究対象を決めることである。1年生と2年生でグループを作り、内容を決めるまで帰るな、とのお達しだ。
「よし。じゃあ、こうしよう。お前は髪を伸ばす魔法薬を作れ」
「は?だから、それじゃロン毛の男子高生じゃん」
「聞け。他にも、なんか、こう……なぁ、男を女にするってどこ変えりゃいいんだ?」
「筋肉?」
「骨格?」
「ホルモン?」
「胸」
「OK,とにかく、そこら辺の大きさ、か? 質か? を変える薬作ろう。グループは、5つだな」
なんて。あれよあれよと言う間にグループ分けがなされ、作製する魔法薬も振り分けられてしまった。気がつけば、グループの2年生は研究目的の捏造に取り掛かっている。
「美しさの追求……ポム生じゃないから怪しまれそうだな」
「ではそれは僕が使おう。うーん……効率的な肉体強化、はどうだろう」
「いただき」
こうして、部活動との名目で、女子高生の製作が始まったのである。
「最近、やたら部活の出席率がよくないか?」
自分の大釜の水面を見ながら、近くの実験机で何やら書き物をしているルークに話しかける。
「そうだね、薔薇の騎士。皆、以前にも増してやる気に満ち溢れているよ! ボーテ!!」
「うん。それはやめてくれ。いや、やる気があるのはいいことなんだが……おっと」
ふつり、と水面が揺れたのを感じて、刻んでおいたカミツレを根ごと入れる。ゆっくりと沈んでいったのを確認して、夜光貝の粉末とナマケモノの肝臓の干物を一欠片投入した。
「ふふふ。研究発表の場も近いし、みんな張り切っているんだろうね! 私も負けていられないな!」
普段は大袈裟なほどの身振りとともに話すルークも、今は動きは大人しい。視線はずっとノート上から離れない。彼の今年の研究は、効率の良い魔法陣の素材について、だ。利便性からチョークやインク、又は空間に魔力を固定して描かれることが多い魔法陣。だが、同じ者が使用しても僅かに効果に差がある事にルークは気がついたらしい。観察眼の鋭いルークだから見つけられたネタであろう。
一方トレイは、なるべく安価な素材で調合できるストレス軽減薬についての研究だ。一見簡単そうだが、安価な素材は成分のバラつきが大きく、安定した魔法薬を作ることが難しい。そこの見極めをケーキ作りで培った感覚で分析しよう、という試みである。
「負けてられないも何も、器具も使わずに魔力量の僅かな差を見極められるのは、ルークぐらいだからな。測定は最低限必要だけど、試行回数が多く取れるのはいい。今だって、小規模な召喚で確認しているんだろう?」
底を刮ぐようにかき混ぜながら、ルークのノートを眺めながら言うと、そうだけれど、と楽しそうな口調で返してくる」
「そういうトレイ君だって、手元を見ずとも薬草を入れるタイミングがわかるだろう? 私と負けず劣らず、君の感覚は鋭く研ぎ澄まされているね! 素晴らしいよ!」
ふふふ、ははは、と笑い合いながらも、こっそりと1、2年グループを観察する。実は、部活の出席率が高いのは珍しいことではない。それは、トレイがお菓子を作ると予告したり、昼休みにジビエを担ぐルークを目撃したり、温室のフルーツが食べごろだったり、そんな時には出席率が高くなる。逆に、顧問のクルーウェル先生の機嫌が悪そうだったり、授業の課題がたんまり出されたり、最後の授業が体力育成だったりすると出席率は下がる。サイエンス部は『なんでも部』とも呼ばれているため、いつでも何かしらの活動をしていると思われがちだ。だが、出席するもしないも活動内容も、とても自由度が高いため、ここ1週間のように殆どの部員がいる、なんてことは珍しい。自分達3年生が居ない間に、何か興味を惹かれることがあったのではないか、と考えるのが妥当だろう。なんせ、此処はNRCなので。多少のことで一致団結はしないのだ。
(面倒な事じゃなければいいんだが……ちょっと心配だな)
なにせ、サイエンス部なので。自分の興味がある事に没頭してうっかり爆発、なんて無きにしも非ず。それに巻き込まれるのはごめんだ。しかも、今日は3年生がトレイとルークの2人だけ。“何か”の後始末を任されるのは目に見えている。
鍋をかき混ぜるヘラが重たくなってくる。そろそろ煮詰まる頃合いだ。仕上げの蜂蜜を入れなければ。
「ねぇ、トレイ君」
手を完全に止めて、ルークが下級生たちを眺めている。他グループの実験にも首を突っ込む2年生。肉体強化の為の薬、と言いつつも効果の減弱が期待される材料ばかり手に持つ1年生。毛生え薬は、まぁ、ちゃんとやってそうな雰囲気だ。ただ、あの材料では伸びるだけなんだけれど。去年、先輩が長さの調整に失敗してえらい事になっていた薬と似た材料だ。なんて、一瞬考えて。
「何が気になる?」
ルークは狩人だ。獲物を影から観察し、気取られる事なく近づいて、獲物自身も気が付かないうちに仕留めてしまう。そんな優秀な狩人だ。その狩人が、わかりやすく獲物を見ている。隠す様子もない。何か危険な兆候があるのではないかと考えた。
「火急の危険はないよ。ただ、混ざってしまったらどうなるか。被害は検討がつかない」
「……薬の作用的な意味合いで?」
「ノン。爆発範囲的な意味合いで」
言われてから、使用希望の出ていた材料を思い出す。そう、だ。サラマンダーの尻尾と氷輪草の相性はすこぶる悪い。単体ではじんわりあったかい、もしくは冷たい、ぐらいの感覚なのに、混ぜるといきなりバン!だ。両方とも一気に温度が上下して、水蒸気爆発を起こすのだ。作りかけの薬を見る限り、両方ともそこそこ濃度の高い溶液を使用している。たしかに、混ざったらことである。
「場所移動させるか」
「ウィ。でも」
「ああ。今の反応が終わったら、だな」
「そう、だね……無事に終わるか、わからないけれど」
「え?」
ルークは、未だに下級生たちの実験テーブルを凝視している。しかし、視線の先はトレイの考えていた、サラマンダーや氷輪草の使われているテーブルではなかった。一見、何の変哲もない淡いピンクの液体に満たされたビーカー。沸騰石も入っているし、一定量の魔力を常に放出し続ける為の魔法石も入っている。トレイの目には、何も問題がないように見えた。
「魔力の充填が不十分なのか、加熱温度が正しくないのだろうね。あのビーカーの中は、とても不安定だよ。魔力が液体の中で偏っているんだ。溶液の色が均一じゃない」
いつ爆発するかわからない爆弾のようだよ、なんて。口角がほんの少しだけ上がっている。ルークはそういう奴だ。危険なことだろうが、大変なことだろうが、自ら飛び込んで楽しそうにしている。ルーク一人で完結するのならば放って置くのだが、今回はどうも怪しい。あの薬がどれ程不安定なのか、落ち着いてくれるのか、ルーク程目の良くないトレイにはわからない。しかし。
「ダメだ。実験の中断と避難準備を」
「何故?」
「あっちの奥の薬。劣化が始まってる。封印が甘かったんだ」
やたら他のグループにちょっかいをかけていた2年生達の作った魔法薬は、既に完成していたようだった。フラスコに詰められ、コルク栓の上から封印魔法のシールが貼ってあったからだ。しかし、そのフラスコの中が静かに泡立っている。封印魔法のキチンと施された物体に、なんらかの変化が起こることはあり得ない。ならば考えられるのは、封印魔法が機能していない、ということだ。封印魔法を魔法薬に使うことは実はあまり無い。そこまで急に変質するものではないからだ。逆に言えば、変質変化しやすい魔法薬だからこそ封印魔法何施される訳で。そこまで急速に変化する魔法が危なくない訳がない。
それを把握したルークも、トレイに続いてマジカルペンを構えた。視線を合わせて、頷く。フラスコからぴしりぴしりと音がする。劣化のスピードが思ったより早い。ピンクの魔法薬も、魔力が一向に安定しないようだ。あまり、時間がない。
「1、2年! 今すぐ作業を止めて、防護魔法を張れ!!」
「さあ、来るよ!!」
パンッという破裂音が一発。バリン、ともバンとも言い難い硝子の割れる音がそれに続き、破片と薬がそこら中に飛び散った。終わりか、と咄嗟に閉じていた目を開けたとき、白い光と共に3度目の音が鳴った。それは、これまでで最も大きく、衝撃も伴った爆発であった。防護魔法をかけていても飛ばされた上、風圧を感じたあたり相当の衝撃であったと考える間もなく、サイエンス部員達の意識は落ちていった。
それは、自室で小テストの採点を行なっている時であった。ドン! という爆発音と共に、下から突き上げるように部屋が揺れた。
優秀な魔法士の卵達が学ぶこの学校は、建物自体に防護魔法や魔法無効化等の補強魔法が施されている。それは、日々の授業でうっかり魔法を暴発させたりうっかり妙なものを召喚してしまったとしても、被害が最小限に収まるように、と幾重にも厳重に施されている。なので、ちょっとやそっとのことでは、揺れるということがないのだ。それにもかかわらず、大層な揺れが起こった。
考えられる原因かは複数あるが、放課後の校舎で起こるとすれば、自然と絞られてくる。最も可能性が高いのは、クルーウェルが顧問を務めるサイエンス部だ。植物園で果物を育てたり、映画の小道具を開発したり、アフターヌーンティーを始めたりと、サイエンス部らしい活動をしないことも多い。が、しかし。幾度となく校庭にクレーターを作り、実験室の器具を粉砕し、マジフト部に次いで保健室の利用率が高い事もまた事実なのである。マッドサイエンス部にでも改名しろ、と揶揄されているとかいないとか。
そんな訳で、爆心地はどうせ実験室であろう、と考えたクルーウェルは、舌打ちをしながらもそこへ向かう。今日の部活にはトレイとルークも出席しているのは、部活の始まりに顔を出したので知っている。だから、そこまで手に負えない自体にはなっていないだろう。そう、たかを括っていた。
「これは一体どういうことだ!!」
実験室に駆け込んだクルーウェルの目には、想像だにしなかった光景が飛び込んできた。水浸しの床と、未だ熱を孕んだ空気。キラキラと降りてく光は、硝子なのか魔力の残滓なのかわからない。何せ、実験室自体に魔力が充満しすぎているのだ。咄嗟に、防護魔法を自身に施す。光は見えない境界線に当たると、更に眩い光となって燃え尽きていく。これは魔力の方だと判断して、1人2人と入り口に集まる野次馬達が入って来ぬよう、実験室の扉を閉め、施錠した。
奥の方で、自分の周りと同じように発光している場所がある。耳をすませば、グスグスと洟をすする音もする。近づけば、やはりそこには泣き腫らした目の駄犬等が団子になっていた。なんだか、全体的にひと回り縮んだ気がするのは気のせいだろうか。いや、寧ろ大きくなっている仔犬もいる。髪がのびてボサボサになっている仔犬もちらほら。
「……状況を説明しろ。3年はどうした」
グッと眉間に皺を寄せて、団子になった仔犬達に問う。ビクリと身を震わせた1年生は、ボタボタと涙を落としながら、弱々しい声で答えた。
「目を、覚ましません……」
「爆発でみんな吹っ飛ばされて……」
「起きたら、こんな……」
よくよく見れば、団子の外側が2年生で内側には1年生が固まっていた。そして、その中心には横たわる人影が2人いる。緑と金の髪から、ルークとトレイであることは判断がつく。しかし、その2人は1年生の説明通り、起きる気配が全くない。起きていれば、クルーウェルが到着するまでに、実験室の魔力濃度の調節くらいはしていただろうに、こうして防御魔法を施さなければならない程には高濃度のままだ。爆発とほぼ同時に意識を失ったと考えられる。
「……成る程。躾よりも、掃除が先だな」
魔力を込めて、バシンと鞭を振う。床の水は教卓裏の廃液タンクへ、割れたガラス片はゴミ箱へ向かっていく。もう1つ振るって、棚の鍵を開け、魔法石を浮かせる。漂う魔力をそこに吸収させれば、とりあえずの片付けは終了だ。防御魔法を解いて見せれば、仔犬達も続けて解いた。安心したのか脱力する仔犬もいれば、未だ目を覚さない3年生に取り縋って泣く仔犬もいる。どうにか取り繕おうとマジカルペンを出す駄犬もいれば、逃げようと扉をチラチラ見ている駄犬もいる。
「3年以外は立てるな? 魔法薬で変化している者も、魔力で火傷した者も一度保健室に行く。そうだ、つまり、全員だ」
3度、鞭が振われる。そこから赤い魔力が紐状に伸びて、仔犬達の首に巻きつく。さながら、リードに繋がれた犬である。3年は流石に引きずるわけにもいかないので、浮遊の魔法もかけてやった。
「詳しい話は治療の後だ。野次馬が少ないうちに移動した方が、身のためだぞ?」
グッと引っ張れば、反抗の意思のある生徒の首が絞まる。観念したように立ち上がり、先を行くクルーウェルの後をトボトボとついてくる。浮遊魔法を施されたルークとトレイは、その集団の真ん中に居るように調節してやる。後輩達の面倒を見切れなかったとはいえ、意識の無い中晒される程の事はしていないだろう、という判断だ。
好奇の目を向けられた1、2年は、俯きながらも大人しく保健室に連れられていく。NRC生に珍しく、「サ部はまた何がやったのかよ」だの「涙目じゃん。ダッセー」だの野次を飛ばされても反論も反撃もしない。いや、出来ないのだ。反論すれば、自分達の現状を晒すことになってしまう。さっさと保健室で手当してもらい、魔法薬の効果が切れてから反撃するのがこちらにとって1番良い、という事はわかるくらいには落ち着いてきていた。
彼らの浴びた魔法薬の効果とは、凡そ期待していた通りのものである。髪が伸びたり、筋肉が落ちて細くなったり、重心が下がったり、体つきが丸くなったり、といったものだ。その効果が、いくつか現れたり1つが顕著に現れたり、たまに逆の効果が現れたりしている。即ち、髪が床に付くほど伸びた者、ころころした幼児になった者、ボディビルダーもかくやというほどの筋肉に髪が抜け落ちた者。いやもう、目も当てられない。全ては、爆発により各魔法薬が偶然混ざり合い、反応し、飛び散った魔力により効果が強まったり逆ベクトルに強まったりしたせいである。爆発の中心にいた1、2年生にはその偏りが激しく現れて、なんとも悲惨な結果となってしまったのだった。
そんな悲惨な生徒達を見て、流石のクルーウェルも治療を優先した。という訳ではなく。確かに、生徒のあまりにもあれな姿に、内心驚愕したし頭を抱えたくなってはいた。しかし、提出された実験ノートを思い出せば、命に別状は無い事は確実。だから、それ以上に込み上げてくる笑いを必死に堪えてもいたのである。ここで笑ったら自業自得とはいえ流石に可哀想だし、何より自分がこれまで気付き上げてきた威厳とかキャラとかが吹っ飛んでしまう程笑い転げる自信がある。保身のためである。流石NRCのOBである。
そうして、保健室までお散歩してきたサイエンス部は、保健医の溜息に出迎えられた。曰く、去年より人数が多い。曰く、個人で効果が違うため、治療薬も個人で調合しなければならず面倒くさい。曰く、面倒だから魔力火傷の治療だけでいいか。クルーウェル的には、罰則の意味も込めてそれもアリかと思ったのだが、授業に支障を来す可能性があるので、早々に却下された。
「いやはや。サイエンス部はまた面白いことをしますねぇ」
いつの間にか現れたクロウリーは、手伝う訳でも無いのに仔犬達を眺め倒している。物凄く居心地が悪そうだが、自業自得なので諦めるしかないだろう。
「次の研究発表の成果ですよ。見ての通りの結果ですが」
保健医を助手にしながら解毒薬を作っているため、あまり相手をする気はない。いつもなら、こんな些末な事故に首を突っ込む事も無いだろうに、珍しい事もあるものだ、とは思うが。
「ふむ。1、2年生は見るからに失敗ですねぇ。発表も近いというのに、なんと嘆かわしい! しかし、流石に3年生は成功しているのでしょう?」
「それは分かりかねますね。今日で実験を終わらせて、後日データ解析と考察を行う予定でしたが、この有様ではまだ時間がかかるかと」
ルークに至っては、まだ仮実験の段階であったと記憶している。何事もなければ発表の場に間に合っただろうが、今日の結果や考察の記録が飛んだとなると、厳しいかもしれない。実験室は最低限しか片付けていない為、実験ノートがどうなったかまで確認していないのだ。
「おやおや。それは困りましたねぇ。目覚めさえすれば、2人とも素晴らしい結果でしょうに」
チラリ、と2人だけ隔離されたベッドを見やる。意識が戻らない上、魔法薬の効果が期待通りに出てしまった為、あまり人目に晒したくないクルーウェルである。えこ贔屓? なんとでも言うがいい。問題児であることは否定できないが、それに釣り合う結果なり労力なりをもたらす彼らを、他の生徒と同じ扱いをするには些か抵抗があるのだ。
「まぁ、確かに彼等の実験が成功してさえいれば、なんらかの賞に食い込んだ可能性はありますが……こうなってしまってはなんとも」
「そぉおですか。それは困りましたねぇ」
あぁどうしましょう、と大袈裟に頭を抱えてチラッチラッとこちらを見てくる鴉。きっとまた碌な事を考えていないのだろう、と想像がつく為先を促したくない。しかし、解毒薬の作成を滞らせたくもない。深い深い溜息を吐いて、何かありましたか、と聞いてやった。
「いえね、先程までRSAで魔法士養成学校の学園長会議というか、お茶会というか、そういうのがあったのですが……」
要約すれば『RSAの校長に煽られて悔しいから、直近の大会で打ち負かしたい。そうだサイエンス部の研究発表会があったわ。やっておしまい』とまぁそういう訳である。いつものことである。
「で、3年には何がなんでも入賞して欲しい、と」
「まぁ、有り体に言えばそうですねぇ。下級生達の結果がコレでは、3年生に期待せざるを得ないでしょう?」
確かに、入賞を狙うならば、3年生の研究が1番確率が高い。正直、学生研究の域を超えてるのでは、とも思う。しかし、RSAも参加となるとどうなるかはわからない。何せ、向こうも名門校に変わりはないのだ。
「そういったわけですので、3年生にはしっかり研究させてくださいね。内容によりますが、協力は惜しみませんよ。私、優しいので」
「では、早急に実験材料の購入許可をお願いします。今日の爆発で必要なものが足りなくなったでしょうから」
実験ノートはびしょ濡れの上に魔力で焼け焦げ。薬の方も、余計な魔力のせいで欲しい結果は得られていない。ついでに、下級生が爆発させた薬品も請求しておこう、と申請されていた薬品や植物を思い出す。結構高価なものが多かったので、部費での補填は痛いと思っていた為丁度いい。そうだ、割れた実験器具も買ってしまおう。
「ええ、勿論です。では後で、領収証をお願いしますね。楽しみにしていますよぉ。新しい性別転換薬の開発実験」
「……はぁ?」
この惨状を目にして何を言い出すのか、と保健医は鴉を睨む。クルーウェルも、思った以上に面倒な事になった、と空を仰いだ。
「学園長。3年の研究はコレではありません」
「おや、そうなんですか?けれど、こちらも面白そうなので、変身薬でいいと思うんですよねぇ」
「そもそも、変身薬は変身薬でも、性別を変える予定は無かったんですよ。各グループが作っていた魔法薬が混じってこうなっただけで、もっと局所的な効果しか考えていませんでした」
建前上は、という言葉は勿論言わない。男子高生の考えることなど、ある程度はわかっている。どんな効果の薬をどう誤魔化して作るのか、毎年毎年見ていればある程度予想はできるというものだ。今年は結構わかりやすい方であったが、建前を気にしすぎて最後に1つの薬にするところまでは考えていない、と見た。だから、こんな爆発が起きるのだ。
気まずそうな2年生の首輪を絞めて、余計なことは言わぬ様牽制する。鴉に過剰な情報は与えない方がいい。
「なる程……下級生の失敗した研究を、上級生がカバーし入賞! という筋書きは、とても好感度が上がるストーリーだと思うのですよ。ええ。それでいきましょう!」
キラリ、と仮面の奥の目が光ったように見える。嗚呼、鴉は入賞だけでは飽き足らず、御涙頂戴のストーリーまで御所望の様だ。しかも、こちらの話を聞く気は一切無い。いつものことだが。
「部員全員が団結し1つのことを成し遂げる。そこに結果もついてくる。実に教師受けしそうなストーリーですし、我が校の生徒に足りないことです。嗚呼、素晴らしい!私、とってもいい助言をしたんじゃないですかね?」
ではそんな感じで頑張ってくださいね! と言い残して、鴉は去っていった。手元が一瞬光り解毒薬が1つ出来上がったが、それに気がつく者はいなかった。
真っ白な天井に、真っ白なカーテン。ついでにシーツも枕も真っ白だ。明らかに自室のベッドでは無い場所で目を覚ましたトレイは、とりあえず眼鏡を探した。ベッドボードには置く場所が無い。サイドテーブルに手を這わせると、それらしき物を掴めた。うっかりレンズに触ってしまったので後で拭かなければ、と思いながら身を起こし眼鏡を掛ける。すると、何故か眼鏡がズレてくる。度は合っているし、見た感じも自分の眼鏡なのに何故、と考えた所でまた気がつく。体が軽いのに重い。ズレる眼鏡を押さえている手は華奢になった気がするし、胸に余計な重りがついている。頭を動かせば、視界に入る筈のない己のアイビーグリーンが目に入る。
「これは……おっと、声もか」
ここでは中々聞くことのない、柔らかな声。一体何があったのか、と首を捻った。
と、その時だ。
「やあ、薔薇の騎士! お目覚めの様だね!!」
シャッ、と勢いよくカーテンが開かれた。そこに立つのは、腰まで綺麗に伸びたカナリアゴールドの髪とハンターグリーンの目を持つ美女だった。男物のワイシャツとスラックス姿も相まって学友を思い出すが、性別が違う。ニコニコと満面の笑みを浮かべて駆け寄る後ろから、静止の声をかけるクルーウェルの声がするが、気にした様子は無い。
「マーヴェラス! 女性になった薔薇の騎士は、なんて美しいんだい? おっと。女性なのだから、プリンセスと呼んだ方がいいかな?」
「どっちもやめてくれ……いやそれより、その呼び方からすると、ルークなんだな?」
「ウィ!」
そう言って浮かべる笑みは、いつも通りのものなのだろう。しかし、長く伸びた髪と丸くなった体のせいか、どこか艶っぽく見えてしまう。ドキリとするも、中身はルークだと思い出す。学友相手に何を、と煩悶としていると、カーテンの向こうから咳払いが聞こえた。クルーウェルだ。
「入って頂いても大丈夫ですよ?」
声を掛ければ、眉間に皺を寄せたクルーウェルが入ってくる。入ってくるなり、深い深い溜息を吐いた。
「何が大丈夫だ。自分の格好を……いや、お互い指摘してみろ。終わったら呼べ」
そう言ってまたカーテンの向こうに引っ込んでしまった。ルークと顔を見合わせる。一体何だと言うんだ。
「うーん……何がいけなかったのだろうね? 確かに、寝起きといった感じのトレイ君は刺激的だけれども」
「は? いや男子高生の寝起きなんて……あぁ、そういうことか?」
寝ている間に3つは緩められていたシャツのボタンのことか、と思い至る。中身は男子高生でも見た目は女性になっていることは、ルークの呼称からも察せられる。ボタンを留めて見せれば、ルークも得心がいった様だった。
「トレイ君。髪はどうする?」
見事なサラサラストレートのルークと違い、癖毛では無いにしろまとまりの無い髪もクルーウェルのお気に召さなかったのだろう。ルークが何故か持っていたヘアゴムで括ることで、勘弁してもらいたい。妹の髪の面倒を見ていたので、手櫛で低く纏める位はできる。
「さて、こんな物かな。待たせたね、ムシュー」
「女は男を待たせるものだと相場は決まっている。気にするな」
少し顔を顰めたが、今度はカーテンから出て行かないので、及第点は貰えたのだろう。どこかに横に置かれていた丸椅子を2つ呼び寄せて、枕側にクルーウェルが、足側にルークが座った。トレイはそのまま、ベッドが椅子代わりだ。
「話さなければいけないことが沢山ある。先ず、お前達は何を覚えていて、どこまで理解している?」
お前達、と言いつつも目はトレイの方を向いていた。後から起き、あまり思考がまとまっていないであろう自分に合わせて話してくれるのだと判断する。
「実験室で爆発した魔法薬を浴びた事は、覚えていますよ。その薬のせいで、身体が女性になってしまった、と考えています。少なくとも、ルークを見る限りは」
トレイのベッドに腰掛けるルークをもう一度観察する。身長も縮んでいるし、手も小さくなっている。筋肉も薄くなり、曲線的な身体付きになっている。顔のパーツも全体的に丸くなっているし、声もオクターブは高い。正直『薔薇の騎士』と呼ばれなければ、ルークだとは気が付かなかったであろう変貌ぶりである。いや、パーツはルークなので「兄弟か親戚かな?」位には辿り着いたかもしれないが。
「そうだな。とりあえず、見た目はレディになっている。確認するか?」
渡された手鏡に、自分を写す。キツめのマスタードの眼、さっきまとめたアイビーグリーンに、大きめの黒縁眼鏡。喉仏は消えて、第一ボタンを開けたワイシャツから見える鎖骨は細い。これは認めるしかないな、と理解した。
「妹が大きくなって眼鏡をかけたら、こんな風になるかもしれませんね」
いやもっと可愛くなっているか、と思うがそこは言わずに留める。シスコンの自覚はあるが、それを主張していく気は無いのだ。
「成程。トレイ君の妹君は大層美人なのだね」
「うん?確かに妹は可愛く育っているが、身内だからな。贔屓目で見ている所もある……いや、そうじゃないな。美人と言うならルークだろう?」
「おや、どうして?」
「そんなに綺麗なストレートヘア、見たことないぞ。普段もそうだが、腰まで伸びているのに艶も綺麗で枝毛もない。目も、森の木の葉みたいにキラキラ光って……あぁ、こういうのは苦手なんだ。知ってるだろう?とにかく、ルーク。今のお前はすごく綺麗だよ」
「オー・ラ・ラー……」
素の表情を滅多に出さないルークには珍しく、頬が僅かに赤く染まる。それをトレイに見られることが恥ずかしいのか、気まず気に視線が彷徨いだ。だが、何かを思いついたかの様に、ルークの口角がきゅっと上がると、トレイの左側に座って手を取った。
「トレイ君。今の君だってとても美しい。女性らしく柔らかなアイビーの髪と、勝ち気なマスタードの瞳のコントラストが、君の優しさと芯の強さを表しているかの様だよ。髪をまとめる仕草も色っぽいし、ああ、手だってほら。爪も切り揃えて磨いてある。普段から気を使っているんだね。素晴らしいよ」
「え、あ……ありがとう……」
爪はケーキを作るから短く整えているだけで褒められる程じゃないし、色っぽいだなんてそんなのルークの髪が流れた時の方がずっと色っぽいし、そんな手を握られて真剣に言われる様なことじゃ無い。普段からルークは細かい所を観察して、事あるごとに褒めてくれるが、今のはいつもの少し演技がかった大仰な褒め方とは違った。真剣にトレイの目を見て、訴える様に告げられたそれはまるでーー。
「……口説き合いが終わったなら、話を進めるぞ」
クルーウェルの声で、握られていた手が離れていく。口説かれた、だなんてはっきり言われれば恥ずかしくて、顔に熱が集まった。ルークは椅子に戻ったが、お互いに顔が見られない。クルーウェルが意地の悪い笑みを浮かべているのがわかる。
「まだまだ仔犬だな。さて、順を追って話そう……」
クルーウェルが駆けつけた時には、部員全員が魔法薬をかぶっていたこと。それを保健室でクロウリーに見られ、研究発表会の題材はこの魔法薬にして入賞するよう言われた事。2人の解毒薬は作れるが、あまりにも大きな変化故に体に負担が大きい為、1週間はこのままである事。それに伴い、授業は免除されレポートが課されるか後日補習がある事。ただし、クルーウェル担当の授業は、今回の研究の成果が反映される事。2人が魔法薬を浴びてしまった事は各寮に伝わっているが、どう変化が起きたのかは伝えていない為、どこまで伝えるかは各自の判断に任される事。などなど。
「うーん……リドルには正直に言うとして、ケイト達は……」
「ヴィルには報告しなければならないだろうね。ムシュー、スマホを使っても?」
「勿論。と、言いたいところだが。今は無理のようだな」
煩いから預かっていた、と言われて手渡されたスマホは電源が落とされていた。いや、電源が入らなかった。
「昨日、部員を帰した後からひっきりなしでな。やっと静かになったと思ったら、コレか。寮長には俺から連絡しておいてやろう」
「昨日?」
そういえば今は何時なんだ、と思って時計を探すも、ベッドの上からは見えない。
「今は午後三時。ティータイムだな。食欲はあるか?」
パチン、と指を鳴らすと、サイドボードの上に3段のティースタンドとティーセットが現れた。スタンドの上には、勿論ケーキやスコーン、サンドイッチが乗っている。温められていたティーポットには茶葉がクルーウェルの手ずから入れられ湯を注がれる。三分計の砂時計が倒されて、準備が終わった。
「寝起きにアフターヌーンティーは重いのでは?」
「ティーンが何を言っている。好きだろう、ローストビーフサンド」
「ええ、勿論。……先生、一体いつ用意したんですか」
トレイは、ケーキに乗るピックに書いてある店名を目敏く見つけた。それは、薔薇の国の老舗ホテルが最近始めた宅配サービスのものに間違いない。ホテルで食べるよりは手軽に楽しめるが、毎日数量限定で中々購入出来ない、と話題のセットである。トレイも食べてみたい、と常々思っていたが、販売開始が授業と被る為諦めていたセットである。
「今朝だな。学園長に報告に行ったら、丁度届いた所で、有り難く頂いてきた」
協力は惜しまないらしいからな。クハハ、と笑う姿は、まるで悪の親玉である。大分お疲れなんだな、トレイとルークは察した。
「因みに、ムシューの授業はどうしてるんだい?」
「今日は自習だ。昨日の始末書と、備品の注文書と、お前達の研究に必要なデータをまとめるのに忙しくてな」
使い熟せるかはお前達次第だ、と個人の解毒薬の調合レシピを渡された。
「え、コレ使えって……」
「私達が浴びた分を逆算して変身薬のレシピを探れ、と?」
「さてな?ああ、紅茶が飲み頃だ」
楽しそうなクルーウェルの目の下には、メイクで隠してあるが薄ら隈が見える。それが申し訳ないと思わないでもないが、それよりも『あのクルーウェル先生がここまでしてくれた』という喜びの方が勝る。ならば、その期待に応えてやろうじゃないか。
「ムシュー手ずからの紅茶とは、嬉しくて涙が出そうだよ」
「そうだな。心して飲まなきゃな」
しかし今は、授業も研究も報告も全部忘れて、美味しいティータイムを楽しむことにした。
楽しいティータイムの後、クルーウェルはヴィルとリドルを呼び出した。丁度午後の授業が終わった時間だった為、校内にいた2人はものの数分で保健室にやってきた。
「お呼びですか、クルーウェル先生」
呼び出された理由はわかっている。昨日は帰ってこなかった副寮長の容体を聞く為だ。自寮のサイエンス部員に聞いても『自分が帰る時にはまだ意識が戻っていなかった』『命に別状は無いらしい』『今日は帰寮できそうに無い』としか情報が無かった。本人達に連絡を取ろうにも、当然電話やメールに応答は無く、今の今までやきもきしていたのである。
「来たな。わかっているだろうが、お前達を呼び出したのはハントとクローバーの件についてだ」
「わかっているわ。早くルークに会わせて頂戴」
部活でしくじって保健室にお泊まりだなんて、なんて不様なの、とお小言の1つや2つ言ってやりたい。
「そうですね。トレイの回復次第では、週末のなんでもない日のパーティーについて話し合わなければなりませんし」
「慌てるな仔犬共。ハントとクローバーの意識は今日戻った。ただ、1週間は帰寮させない。理由は会えばわかる」
何故、と問おうとした口が不満気に結ばれる。『納得できない理由ならば、例えクルーウェルが相手であろうが連れ帰ってやる』同じ事を考えているとは、互いに気付いていない。
クルーウェルは保健室の最奥の、ベッドが2つ並んでカーテンで囲われている場所に立つと、カーテンに手を翳した。続いて浮かんだ魔法陣に魔力を流すと、先に入れ、と2人を呼ぶ。
「魔力を鍵にした防護魔法、ですか?随分厳重ですね」
「キングスカラーの言葉を借りれば、今の2人は肉食獣の縄張りに迷い込んだ草食動物だからな。これぐらいするさ。おい、入るぞ」
もう一重吊るされていたカーテン越しに声をかけると、中から「どうぞ」と2人分、声がした。しかし、それは見知った声ではない。ここNRCでは聞くことのない、ハスキーと形容される女性の声だ。
「出向いてもらって申し訳ないね、ヴィル」
「この格好で出歩くな、と言われてしまって。わざわざすまないな、リドル」
ベッドに座っている2人は、確かにNRCの制服を着ていた。それぞれ紫と真紅のベストを着て、腕章もポムフィオーレとハーツラビュルのもので間違いない。膝に置かれた羽根付きの帽子も、頬に描かれたクローバーのスートも、見知った副寮長のものである。しかし、2人は自分の片腕である筈の彼らに声をかけられなかった。
「いやぁ、そんなに驚かれるとはなぁ」
カラカラとトレイが笑う。それにハッとして、漸くリドルは口を開いた。
「トレイ、なのかい?」
「ああ、そうだ」
「じゃあ、貴方はルークだって言うの……?」
「ウィ。驚いた君の顔も実に美しいね!」
「嗚呼、本当にルークだわ」
寮長は揃って頭を抱えてしまう。副寮長達は自分達の性別が変わってしまった事を、まるで気にしていないかのように笑っている。それが信じられないし、些か腹立たしい。
「こういう訳だ。2人が元に戻る1週間、寮には戻せない。わかったな」
「えっ。聞いてません」
驚くトレイと、何か訳が?と首を傾げるルーク。成程、彼等はこの事態を少し楽観的に見ているらしい。クルーウェル、ヴィル、リドルの視線がぶつかる。
「いいか、仔犬。お前達は今女性で、ここは男子校だ」
「しかも、貴方達は魅力的なのに全くその自覚が無い。これがどれだけ危険かわかる?」
「僕達といえども、常に君を見守ることはできない。飢えた獣は、いつ襲いかかってくるかわからないんだ」
おわかりだね?と、リドルが問いかけても、2人はキョトンとしている。
「魅力的?俺が?」
「自分を守る術なら、心得ているよ?」
「「「……っはぁーーーー」」」
綺麗に重なる長い長い溜息。クルーウェルは肩を落とし、女王2人は眦を釣り上げた。
「ダメよ、この2人。クルーウェル、鏡は見せたの?」
「先生をつけろ。勿論見せたさ。それでもコレだ」
「絶対保健室から、いやこのカーテンから出てはいけないよ。守らなければ、首を刎ねてしまうからね」
「リドル、流石に1週間ここだけは……なんでもない日のケーキも作らなきゃいけないだろう?」
「パーティーは1週間ぐらいどうにかしてみせるさ。あぁ、ケイトにも理由を話して手伝ってもらわなきゃ」
「えっと……女性になってしまったことは黙っていてくれないか?」
「ルーク。アンタも、その体でいつものようにフィールドワークなんて行ってみなさい? 2度とその脚で駆け回れないようにしてあげるわ」
「オー・ラ・ラー……それは手厳しいね」
2人の女王は静かに怒っていた。己が右腕は、主人のことに関してはこと大事に考えるのに、自分のことは全くと言っていい程顧みない。実力があるのは理解しているが、しかし、数の力はどうにもならないし、単純な腕力だって今の体では当てにならない。彼等の見た目からしても、よからぬ事を考える輩は大勢いるであろう。中身を知った上でもそう考える者は当然いるだろうし、本人に恨みは無くとも、寮長に恨みある者が代わりにと襲って来ることが、ないとは言えない。NRCとは、そういう学校である。だから、今は殊更用心しなければならないというのに!
「大丈夫だよ、リドル。キッチンなんて誰も来ないさ」
「心配しないでおくれ。いつものように追いかけたりはしない。観察だけにするよ。だから、許しておくれ」
まったくもって危機感が足りていない。どうすれば理解できるのか、とリドルは唇を噛み締める。なんでもない日のパーティーのことなんて、何処かへ飛んでいってしまった。そんな時、同じように考え込んでいたヴィルが、口を開いた。
「……アンタ達、ちょっとこっち向きなさい」
手はここ。目線はこっち。ルーク、ニヤニヤしない。トレイは指先揃えて。足は閉じなさい。トレイ、顔を顰めない!
指示されるままにポージングさせられ、数枚、スマホで写真が撮られる。皆見て、と言われたので、全員でスマホの画面を覗き込んだ。
「これを今からマネージャーに送るわ」
「えっ……」
トレイが絶句する。元々写真はあまり好きではない上に、女性となった写真が流出するなんて、考えてもみなかったのだろう。ニコニコしているルークの方がおかしいのである。クルーウェルも眉を顰めているが、まだ止めない。
「今度、とある会社が新しいコスメブランドを立ち上げる事になったの。それのモデルに私が起用されたのだけど、サブでも数人欲しいって言っていたから、アンタ達を推薦する。コンセプトからも、そうズレてはいないみたいだから。通るかはわからないけれど、プロの客観的な意見が聞ける筈よ。アンタ達が世間一般から見て可愛いか、可愛くないのか」
悪い顔で笑うヴィルに、クルーウェルは1つ聞くが、と腕を組んだ。
「仮に通ったらどうするつもりだ」
「あら、決まってるじゃない。勿論、撮影に参加してもらうわ。撮影は来週末だし、1日で終わるわよ。それに、校内に居るより安全じゃない?」
外に出れば、ただの女子高生。学内より、何かあっても助けてくれる手は多いし、中身はNRCの優秀な生徒だ。どうにかなるだろう。
「……まあ、気分転換にもなるか」
校内では保健室と実験室にしか行かせる気のないクルーウェルは、あっさり許可を出す。対して、トレイとリドルは消極的だ。
「先生、無理です。女性のフリをしてモデルだなんて……元のままでも無理なのに……!!」
「女性の格好で学外だなんて賛成できません! 何かあっても対処が遅れてしまう」
トレイの手が、無意識にシーツを握り締める。本当に嫌がっているのだな、とはわかるが、現状を理解してもらう為だ。容赦はしない。リドルもそれはわかっているが、もしも、を考えてしまう。
「仮に、の話だ。今からそんなに興奮するな」
ステイ、と手をヒラヒラさせるが、あまり効かない。
「でも……そうだ、気分転換なら、お菓子を作らせてください。寮がダメなら調理室でも、なんなら先生の部屋でもいいんです」
「いや、教師の家にその状態のお前を連れて行く方が問題だろう。2人一緒にでもダメだ。バレたら俺の首が飛ぶ」
「何故、自宅に呼ぶ事前提なんですか。学校の私室でいいのでは?いや、それもどうかと思いますが」
「クローバーの気分転換が、シンクとコンロ一口しかないキッチンでできると思っているのか?」
「成程、無理ですね」
魔法を使っても、冷蔵庫とオーブンが無ければケーキ作りが大変な事をリドルは身を持って体験している。同時に作業することが多いし、均一に仕上げなければならないので、それらの調理器具があった方が断然作りやすいのだ。
「兎に角、2人は保健室と実験室以外立ち入り禁止だ」
わかったな、と念を押す。トレイもルークも不満気ではあるが、わかりましたと返した。
その後、寮から持ってきてもらう物の事、寮長以外のお見舞いは遠慮してもらう事、副寮長不在の間のあれこれを各寮話し合った。
「まったく、アンタ達も厄介な事に巻き込まれたものね」
ひと段落ついたヴィルが、やれやれと首を振った。
「確かに、厄介ではあるね。けれど、私はこの状況が楽しくもあるんだ。いつもと違う目線で眺める君は、やはり美しいとよくよくわかった。薔薇の君も薔薇の騎士も、とても可愛らしい。全てがキラキラと輝いて見えるよ!」
そこで、けれどと言葉を切った。俯くと、素晴らしく真っ直ぐなカナリアゴールドがさらさらと重力に従って流れた。
「1週間も君の隣を空けなければならない事が、なによりも申し訳ないよ。勿論、君は1人で何でも完璧に熟してしまうだろう。けれど、君が美しく成長していく日々を、一瞬たりとも見逃すまいと思っていたし、その手伝いをほんの少しでもできるなら、それ以上の事は無いと思っていた。それがまさか、こんな形でそれができなくなってしまうだなんて……」
俯くルークの表情は読めないが、常の様に大袈裟な程の身振り手振りが無くなっているのを見ると、どうも本当に落ち込んでいるらしいのがわかる。それに加えて、この美しい女性がサイズの違う男子高生の制服を来ている姿というのは、どうにもアンバランスで儚げに見えてしまうのだ。だから、最初は少しは吐いてやろうと思っていた毒をしまい込んで、優しく触れてやるのだ。
「ルーク。1週間ぐらいどうって事ないわ。アナタだって、私が撮影で不在の間1人で寮を切り盛りする事だってあるでしょう? 大丈夫よ。また顔を出しに来るわ。このアタシが、よ? 光栄に思いなさい」
頬を撫でながら顔を上げさせると、そこにはもう満面の笑みを浮かべたルークがいた。
「勿論、とても光栄だとも! 嗚呼、毒の君。君からの信頼を得る事がどれだけ素晴らしいことか、どれだけ名誉な事か、わからない筈が無い!! ねぇ、毒の君。ヴィル。私がそんなに愚かに見えるかい? 私は何を君に捧げよう?」
「嫌だわ、ルーク。大袈裟よ。アタシはただ、優秀で気の毒な副官に当然のお見舞いを与えているだけ。アンタは、1週間経ったらまた、私の隣に相応しい姿で立てばいい。それで十分よ」
わかったわね、そう言って抱き締めた。そうすると、ルークが女性の身体になったのだと実感せざるを得なかった。いつものルークにする様に抱き締めれば折れてしまいそうだし、驚きながらも返してきたルークの力がいつもよりも軽いことがよくわかる。やはり、帰寮させるべきではない、と唇をそっと噛んだ。
「くれぐれも、保健室から出ることの無いように」
再三言い含めて、クルーウェル達は保健室から出て行った。すると、寮長達が帰寮したかしないかの頃合いで、自室から必要な物が転送されてきた。クルーウェルからは、ブラトップのキャミソールが送られてきて、2人で目が点になった。及第点をもらえた訳ではなく、言うのも憚られただけかと頭を抱えた。寮長を呼ぶ前にブレザーを勧められた訳も納得だ。
「確かに、隙があると言わざるを得ないね」
私としたことが、と頭を振るルークだが、男子高生が気がつく事ではないと思う。まして、当事者ではわかるまい。
「過ぎた事は仕方ないさ。でも……抵抗があるな」
「だからこその一体型なのだと思うよ。その……ちゃんとした物を持ってこられても、よくわからないしね」
言い淀むルークは珍しいな、なんて現実逃避をしながら、其々のベッドで着替える。クルーウェルからは、他にもひと回り小さい体育着や制服、靴が送られてきていた。パジャマはともかく、実験室に行くのにサイズの合わない服では危険極まりない。実験室には鍵をかけるとはいえ、万が一誰かに見られた時の事を考えれば、制服でいた方が誤魔化しもきくだろう。成程、よく気の利く男である。
「サイズ、ピッタリなんだが……」
「トレビアン! 流石ムシューだね!」
「流石、なのか……?」
顧問に一抹の不安を覚えたが、頭の隅に追いやった。世話をかけているし、大変助かっている事も事実なのである。ここで下手に男物だろうが女物だろうがユニセックスだろうが、普段着なんて送られてきたら凹んでいたかもしれない。着慣れた服というのは、案外大事なのだとわかった。とりあえず、消灯もまだまだ先なので制服に着替えることにした。
「どうする、ルーク。データの計算、もう手をつけてしまおうか」
「ウィ。早く終わらせてしまおう。時間が余れば、好きに実験室を使わせてくれるかもしれないよ」
「ははっ。だといいな」
今現在、保健室のベッドは2人しか使っていない。しかし、部活が行われている以上いつ怪我人が来るかわからない。防護魔法や空間遮断の魔法が張られているとはいえ、あまり騒ぐ気にもならず、黙々と2人は手を動かした。
一息つこうと顔を上げた時、丁度チャイムが鳴った。これで殆どの部活は終了し、保健室の使用率はグッと減る。怪我人は数人来たが、お泊まりの生徒はルークとトレイの2人だけのようで、気を使わなくて良いと安心した。トイレとシャワーが保健室内にもあるのだが、そこに行くにも人がいるなら認識阻害のタリスマンを持つよう言い含められているので、お泊まりの生徒は居ないに越した事はないのだ。
夕食はゴーストが運んでくれるし、課題を教えてくれとせがむ後輩は居ない。明日のなんでもない日のパーティーの仕込みはしなくていいし、寮長の機嫌を窺う必要はない。久しぶりに静かで穏やかな夜が過ごせそうだな、と思う。そんな時、充電器に挿しっぱなしにしていたスマホが鳴った。寮のグループトークだ。お見舞いも通話も禁止してもらったので、何事かと皆興味津々なのだろう。
『魔法薬をかぶってしまって、人前に出られる姿じゃないんだ。1週間位で戻るから、それまでよろしく』そう送れば『お大事に』だとか『巫山戯んな見せろ』だとか『早く戻ってきてください』だとかメッセージが流れる。ケイトからは個別でメッセージが飛んできて『とりま、次のパーティーのアテある?』と聞かれた。やはりケーキは心配だが、作ってやれないのは仕方ない。誰も指導する者がいない中でお茶会のケーキを作るのは無理だと判断して、配達も扱っているケーキ屋のホームページを数件送る。トレイ達が入学したばかりの頃はそれらの店で買っていた事もあるので、大丈夫だろう。苺のタルトがホールで有るかは覚えていないが。
「薔薇の騎士、まだ起きているかい」
夕食も終えたしシャワーも浴びた。パーティーの指示も思いつくだけは出したし、いつもより少し早いがあとは寝るだけ。そんな時間だった。カーテン1枚で仕切られた向こうから、ルークが抑えた声で話しかけてきた。狩人の前で寝たふりは通じないし、誤魔化す理由もないのでうつ伏せでいた身を起こして返事をする。
「ああ。起きているぞ」
「入っても?」
「ああ、構わない」
「メルシー」
滑るように入ってきたルークは、枕を抱えていた。どこか楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
「折角だし、一緒に寝ないかい?合宿の様で楽しいと思うんだ」
いいだろう?と首を傾げると、サラサラと髪が流れる。女性と同衾はちょっと、あ、これルークだったわ。自分も女性だったわ。思い直して、横にずれる。
「ベッド広げるか?」
「ノン! 狭いベッドで一緒に寝るのが合宿の醍醐味じゃないかい?」
「そういうものか?」
「そうさ!」
持ってきた枕をトレイのそれの横に並べると、するりと布団の中に入り込んでくる。チェーニャみたいだな、と思わず笑ってしまった。
「擽ったいかい?」
「いいや。幼馴染を思い出して。猫の獣人なんだが、お前の身のこなしがそっくりだったから」
「おや。それは、この身体のおかげかもしれないね」
ルークは、シャワーを浴びる前に自分の身体の変化を観察していたらしい。身長、体重の変化は勿論、柔軟性や敏捷性など、保健室の中でわかりそうなことは測定してみたのだという。
「関節の可動域が広いし、筋肉は減ってしまったけれど柔らかい。持久力は落ちているだろうけど、敏捷性は問題無さそうだ。この身体で狩りをしたら面白いと思うけれど、ヴィルに念を押されてしまったからね。諦めるよ」
「賢明な判断だな。バレたら……ヴィルのことだ、新しい毒を作ってくるんじゃないか?」
「ボーテ! 私の為にヴィル自ら調合してくれるのなら、どんな毒も甘露となるだろう。喜んで飲み干そうじゃないか!」
「いや、それはダメだろう?」
「ふふ。わかっているさ」
そうして暫く、取り留めのないことを話していた。ハーツラビュルのお茶会の話、ポムフィオーレのマナーレッスンの話、後輩のこと、寮長のこと、顧問のこと。いくら話しても話題が尽きることは無さそうだった。同じ学年で、部活も一緒で、2人とも副寮長なのに、あれも話したことがなかった、コレもそうだ、と次々溢れてくる。自寮にいない2人には、ハートの女王の法律も、美のゴールデンタイムも関係なかった。
「いいのか?ヴィルに怒られるぞ?」
「トレイくんこそ。薔薇の君のご機嫌を損ねてしまうよ?」
「はは。バレなきゃいいんだよ。そうだろう?」
「その通りさ!」
そうして、2人の夜は更けていくのだった。
勢いに任せて書いたので中途半端に終わってしまいましたね。続くかはわかりません。
同一生産ラインで発酵していますので、匂うかもしれません。ご自衛ください。