社会学総論20110701前半(トマスとズナニエツキ『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』)
7月1日の社会学総論(前半)は、ドキュメント分析という観点から、トマスとズナニエツキ『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』(1918-20年)を紹介しました。社会調査法の授業ということもあるので、「ドキュメント」の説明をしたり、トマスとズナニエツキの調査のねらいを説明するために、シカゴやシカゴ学派の成り立ちについて話したりしていたら、肝心の『ポーランド農民』を説明する時間が足りなくなってしまいました。せっかく、『ポーランド農民』に収録されている手紙を翻訳して配布したのに、「授業後に読んでおいてください」になってしまいました。話したいことは盛りだくさんだったのに、残念です。
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講義ノートテキスト版
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2011070101社会学総論(トマスとズナニエツキ)
トマスとズナニエツキ『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』1918-20年──ドキュメント分析
ドキュメント分析
ドキュメントの訳語
文書, 書類, 記録, 文献, 証書
ドキュメントの定義
「第3者によって既に記録され、物理的な媒体によって保存・表示されているもの」
(ア) 「第3者」による記録
サーベイ、インタビュー、参与観察では、調査者(たち)がデータを作成するのに対し、ドキュメント調査では、調査者以外の第3者が作成したものをデータとして用いている
第3者によって作成されているので、データとしての「ドキュメントの質」(信頼性や信憑性など)を、調査者が独自に見極めることが重要。
(イ) 「過去」の記録
サーベイ、インタビュー、参与観察では、データのほとんどは、「現在」に近い時点で作成されるが、ドキュメントは、「過去」のある時点で作成されたデータが多い。過去の社会状況を知ることができる。
時間だけでなく「空間的な限界」も乗りこえられる
(ウ) 「物理的媒体」による記録
「紙」が多い
最近では、「コンピュータ」を利用したドキュメントが増えている
過去のドキュメントには、羊皮紙や石などに記録したものもある
ドキュメントの例
テクスト文書、公式統計、視覚データ(絵、写真)、音声データ、電子ファイルなど、たいへん幅広い。多様なドキュメントが社会調査のデータになり得る。
ドキュメント分析の方法は発展途上
ドキュメント分析は、古くからある
ドキュメントというデータは、コンピュータとインターネットの時代になって、爆発的に増えている
しかし、ドキュメント分析の方法が確立しているとは言いがたい
その分析は、名人芸や職人技になりがち
調査企画──調査の動機と社会的意義
『ポーランド農民』における調査のねらい
異質で流動的な大量の人びとからなる都市的な社会の誕生という社会変動と、それにともなう個人の態度変容をとらえる
『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』の概要
『ポーランド農民』と略称される
『ポーランド農民』の内容
19世紀末から20世紀初頭のポーランドにおける伝統的な農民社会の解体と再組織化、および、そのポーランドからアメリカに渡った移民の適応と不適応
2250頁全5巻
第1巻と第2巻:冒頭の「方法論ノート」に続いて、農民の手紙を資料に、家族や共同体など第一次集団の組織形態と変容が検討される
第3巻:元農民の自伝を資料に、社会変動期におけるパーソナリティ形成が検討される
第4巻:ポーランドの新聞記事を資料に、ポーランドにおける第一次集団の解体と、新たな合理的な協同組合を基礎にしたポーランド農民社会の再組織化が扱われる
第5巻:舞台がアメリカに移り、慈善団体や裁判所などの記録を資料に、母国ともアメリカ社会とも異なる独特なポーランド移民社会の再組織化と、移民の不適応が明らかにされる
1927年、初版の第3巻が最後に移動されて、全2巻で再版される。
シカゴ学派社会学のモデルとしての『ポーランド農民』
『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』は、アメリカ社会学の記念碑的業績と言われ、「シカゴ学派社会学のモデル」となった
シカゴ学派とは
1920年代に、シカゴ大学社会学科に集う教員・大学院生の総称
シカゴ大学に、世界で初めての社会学の大学院が置かれた
その後のアメリカ社会学に大きな影響をあたえた
シカゴ学派の研究テーマ
人口が急増した大都市シカゴの諸問題を探求
西部開拓にともなうシカゴの人口の急増
1840年5000人→1920年280万人
シカゴ学派が探究した諸問題
移民、売春、組織犯罪、少年非行、自殺、精神疾患など
都市社会学の原型を作る
都市とは、によって成り立っている社会
そうした都市的な社会を、さまざまな角度から多面的に調査した
調査設計──調査の段取り
方法論のまとめ
ポーランド社会の解体と再組織化
アメリカにおけるポーランド移民社会の解体と再組織化
データの収集──ヒューマン・ドキュメント
ヒューマン・ドキュメント
実際に暮らす人びとが「何を考え、どのように行動し、その結果、何が起きたのか」がわかる文書資料。
当時のシカゴ学派の人びとはこのように呼んだが、最近はこの呼び方は使わない
手紙
ポーランドに住む家族からアメリカへ送られてきた手紙
トマスがポーランド人街を歩いていると、2階の窓から、ゴミが落ちてくる。それは、故郷からの手紙。読むと、病院で訓練中の若い女性が父親に宛てた手紙で、仲たがいする家族の様子が興味深く鮮明に書かれていた。
トマスは、移民たちの手紙が、ポーランド移民たちの考えや生活を明らかにするのに利用できると考えた
ポーランド移民向けの新聞に広告を出し、手紙1通につき10から20セントで買い取る
ポーランド語で書かれた手紙をズナニエツキが英語に翻訳
約800頁にわたって、764通の手紙が、50の家族ごとに分類されて収録
ワルシャワの移民保護協会に送られた手紙
ズナニエツキが収集
新聞記事
ポーランドの農民向け日曜新聞の記事。読者投稿など。
自伝
ウラデクという30歳の青年が、ズナニエツキの依頼で、200枚につき30ドルという報酬で書く
312頁にわたって収録
教区の記念アルバム
10周年記念などに刊行され、シカゴのカトリック教区の歴史を記す
広域組織の記録
ポーランド国民同盟など
不適応を起こした移民を処遇する社会的機関
慈善協会、法律扶助協会、クック郡刑事裁判所、シカゴ検死官事務所、クック郡少年裁判所など
データ分析──手紙を用いたドキュメント分析を例に
分析の枠組み
伝統的な農民家族が解体する過程を、態度と価値の枠組みから分析
伝統的な農民家族を維持していた家族的連帯という規則(=価値)が解体する過程
「態度」と「価値」の相互作用
態度(attitude)
定義:「社会的世界において、実際のあるいは可能な個人の活動を決定する個人の意識の過程」(p.22)
例:「食物を食べることを強いる空腹」「道具を使うという職人の決定」「お金を費やすという浪費家の傾向」「詩に表現された詩人の感情や思考」「その詩を読んだ人の共感や賞賛」「制度が満たそうとする要求やその制度が引き起こす反応」「神の崇拝において表出される畏れと傾倒」「科学的理論を創造し理解し応用しようとする関心」
態度は、個人の外部にある対象に向けられた意識過程
価値(value)
態度の対象
定義:「ある社会集団の成員たちが接近できる経験的な内容を持ち、実際の活動あるいは可能な活動の対象との関連から意味を持つあらゆるもの」(p.21)
例:食物、道具、お金、詩、神話、科学的理論など
態度と価値はペア
あるものが価値として存在するには、物質的に存在するだけでは不十分で、必ず、人びとの態度が向けられる必要がある
「価値は、態度によって象徴化されたもの」
態度と価値は、互いに強め合ったり、弱め合ったりする
現象学の「志向性」(intention)に似ている
「家族的連帯」(familial solidarity) =伝統的な農民家族を維持していた規則
家族全体の存続と成員の生存のために無償の援助を全家族員に義務づける
家族全体と家族員は、「一心同体」で、家族員の評価は、家族全体の評価と一致し、個人という観念はない
日本のイエ制度に類似
Markiewicz家の事例
収録されている50家族中最大の72頁
家族的連帯を重んじる親世代の伝統的な農民態度と、個人の立身出世を重んじる子世代の新しい中流階級態度の対照
居住地:ワルシャワ州Vistulaの近隣
新興の家族が多く、産業はほとんどないが、文化的影響を強く受け、知的運動の中心地
家業:農業。牛・馬・豚・家禽類などを飼い、小麦・ライ麦などの穀物の他、エンドウ豆・ジャガイモ・果物なども栽培
階層:かなり裕福。収穫した麦を粉にひく風車小屋や小さな商店を所有
Markiewicz家の手紙の分析
子世代に対する親世代の期待と失望
1907年から1910年の4年間に、ポーランドにいる父親Jozefと母親Annaから渡米した息子Waclawに送られた手紙
手紙144番、147番、148番、153番
伝統的な農民態度を持つJozefは、家族の地位上昇のために、可能な限り倹約し、あらゆるところから利益を得ようとする。自分の稼いだお金と子どものお金を区別せず、貯めたお金で、家族の社会的地位を象徴する土地を購入しようとする
Waclawも、渡米した当初は、家族的連帯の態度からポーランドへ送金し、親の期待に応えていた。しかし、アメリカの生活が長くなるにつれて、Waclawは、中流階級態度を帯び、結婚してアメリカに永住しようと考える。
JozefとAnnaは、Waclawに再三ポーランドへ帰国を促す。だが、両親は、子どもとの間にある修復不可能な亀裂に気づき、次第に、子どもを自分たちの意志に従わせることを諦める。
親世代に対する子世代の不満
ポーランドに残っている子世代が、親の無理解を初めとする不平不満を、渡米した兄Waclawへ綴った手紙
手紙176番、184番
親との態度の相違からポーランドに自分の居場所がないと感じている。
この所在のなさという感覚が、渡米の原動力となり、家族的連帯に基づく伝統的な家族形態の崩壊を早めているように見える。
親世代の束縛から抜け出た子世代の生活
アメリカに移民した子世代の態度を、Janの長男Maksが、従兄のWaclawに宛てた手紙
手紙201番、202番、204番
二人は、渡米後、家族的なつながりを求めている。だが、それは、ポーランドのものとは全く異質
アメリカで求めた家族的つながりは、個人の必要性を満たすために結ばれる。こうした人間関係は、経済的自活に関する情報ネットワークであり、一時的な援助を頼む保険であり、寂しさを慰め合う情緒的な支え
伝統的な農民家族の解体──社会解体の分析例
家族=社会制度の一つ
方法
新しい価値に対応して発達した新しい態度が、既存の規則という従来の価値に破壊的影響力を与える過程を、資料から具体的に読みとる
(1)新しい価値との出会い
伝統的な農民の生活は、共同体の内部で完結しており、新しい価値に出会うことはまれであった。しかし、鉄道など交通手段の発達にともない、農民が容易に共同体の外部に出られるようになると、農民は、初めて出会った価値に対応して新しい態度を発達させる
出稼ぎ先で酒やタバコ
これらの嗜好品は、農民のもともと持っていた快楽主義的欲望に火をつけ、家族には内緒で、出稼ぎの賃金を自分だけのために使おうとする態度を身につける
流行の服や宝石
故郷の人びとから羨望のまなざしで見られ、家族とは無関係に一個人として社会的承認を求める欲求を満たせるようになり、家族的連帯のもとで家族と個人の評価が一致する現状に満足できなくなる
個人単位で収入を得る経済の仕組み
農民のもともと持っていた経済的な安定と向上を求める欲求をお金の私的所有を求める貪欲さという態度へと変質させる
(2)新しい価値による態度変容
「われわれ態度」("we"-attitudes)から「わたくし態度」("I"-attitudes)へ
われわれ態度:自分と他の家族員のニーズをまったく区別しない
集団主義的な態度
わたくし態度:自分と他の家族員のニーズを意識の上で区別する
個人主義的な態度
(3)社会解体:家族的連帯とわたくし態度の対立
「わたくし態度」は、家族全体の存続と成員の生存のために無償の援助を全家族員に義務づける「家族的連帯」という規則(価値)を支持しない。
したがって、家族的連帯という規則は、有名無実となり、家族成員に影響力をおよぼすことができなくなる(=社会解体)
手紙の分析における例
アメリカに移民してしばらく経ったら、ポーランドの家族に送金しなくなったWaclaw
家族で経営している雑貨屋で、働いても賃金がもらえずに不満を感じるStanislawとElizbieta
(4)新しい態度による価値変容
社会解体の状態では、家族成員は、うまくやりとりができない
やりとりをうまく行うためには、規則が必要
(5)社会再組織化:新しい家族の規則とわたくし態度との調和
新しい「わたくし態度」に見合った規則(価値)が形成される
手紙の分析における例
MaksがWaclawに感じた親近感は、癒しとしての家族のあり方かもしれない。伝統的な農民家族のような経済的主体としての家族という考え方はない
まとめ
農民が共同体の外で出会った新しい価値により、農民の態度が「われわれ態度」から「わたくし態度」に変容し、その結果、「わたくし態度」と対立する家族的連帯という従来の価値が崩壊して、伝統的な農民家族が解体した
調査結果の公表
紆余曲折の出版
スキャンダルによるトマスのシカゴ大学教授辞任の影響により、出版が、当初のシカゴ大学出版局(1巻と2巻)から別の出版社(3巻から5巻)へ移る
ポーランド系移民からは評判が悪かったと言われる
ポーランド移民の悪い側面も描いていたため、当のポーランド移民社会の人からは好意的に受け止められたとは言いがたい面がある
意図的ではなかったにせよ、「調査対象者に害悪をおよぼさない」という調査倫理の面で失敗している。
アメリカの社会科学調査研究評議会が、『ポーランド農民』を、第一次世界大戦以降のアメリカで公刊された研究のなかで、もっとも優れた業績の一つに挙げた
『ポーランド農民』の評価
H.ブルーマーの評価(中野 1989: 246-9)
上記の社会科学調査研究評議会の依頼を受けて、ブルーマーが評価
科学的な社会調査と社会理論の基礎を築く
ブルーマーは『ポーランド農民』を「単なるモノグラフではなく、それは何よりも科学的な社会調査と社会理論のための基礎を築こうとする試みだ」と評価
ドキュメントが理論的解釈の例示にとどまっている
ブルーマーは「資料が理論的解釈の決定的な検証になっていない」と問題点を指摘
ヒューマン・ドキュメントが科学的道具として期待される水準
代表性
そのデータは、調査対象を代表しているか
適合性
そのデータは、調査の目的に照らして適切な情報をもっているか
信頼性
そのデータは、誤りや偽りなどを含んでいないか、
解釈の妥当性
そのデータをもちいて他の人が解釈しても、同じ解釈が導けるか。=検証可能性
ブルーマーによれば、上記の4点について、『ポーランド農民』を読んだ人は何とも判断できない
今日的な評価(宝月 2011: 153-5)
『ポーランド農民』で使われた一連の概念は、その後も活用されて、社会学の共通財産となったものも多い。
「状況の定義」「社会解体」など
ドキュメントなどの質的なデータの活用法を先導した
完璧な社会学的資料としての個人の記録
「個人の生活記録をできるだけ揃えれば、それは完璧な社会学的資料となるといえよう。だから社会科学がやむをえず他の資料を使わざるを得ないのは、社会学的問題の総体を覆いつくすことができるような記録を、その時々に実際問題として十分入手できないという理由と、社会集団の生活の特徴づけに必要な個人的な資料をすべて適切に分析するには莫大な労力が必要だという理由があるために他ならない。仮に大量現象を資料として、またある出来事をそこに参加した諸個人の生活史と関係なくやむをえず使っているとすれば、そのことは現在の社会学的方法の欠点であっても利点ではない」(トマスとズナニエツキ 1983: 88-9)
特定のテーマにもとづくスケールの大きいモノグラフを書くことを、社会学の王道として示した。
原典
W.I.トーマス・F.ズナニエツキ(桜井厚抄訳), 1983, 『生活史の社会学──ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』御茶の水書房
参考文献
宝月誠, 2011, 「質的データの活用──トマス/ズナニエツキ『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』」『社会学的思考(社会学ベーシックス別巻)』世界思想社, 147-156.
中野正大, 1989, 「ドキュメントを用いた調査の事例──『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』」宝月誠他, 『社会調査』有斐閣(有斐閣Sシリーズ), 227-249.
Madge, John, 1962, "3 Peasants and Workers," The Origins of Scientific Sociology, New York: Free Press, 52-87.
藤澤三佳, 1997, 「社会と個人──その解体と組織化──W.I.トマス、F.ズナニエツキ『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』」宝月誠・中野正大編『シカゴ社会学の研究』, 133-170.
高山龍太郎, 2003, 「範例としての『ポーランド農民』」中野正大・宝月誠編, 2003, 『シカゴ学派の社会学』 世界思想社, 90-102.
桜井厚, 1998,「トマス、ズナニエツキ『生活史の社会学』」『社会学文献事典』弘文堂, 46-47.
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2011070101社会学総論(トマスとズナニエツキ)
トマスとズナニエツキ『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』1918-20年──ドキュメント分析
ドキュメント分析
ドキュメントの訳語
文書, 書類, 記録, 文献, 証書
ドキュメントの定義
「第3者によって既に記録され、物理的な媒体によって保存・表示されているもの」
(ア) 「第3者」による記録
サーベイ、インタビュー、参与観察では、調査者(たち)がデータを作成するのに対し、ドキュメント調査では、調査者以外の第3者が作成したものをデータとして用いている
第3者によって作成されているので、データとしての「ドキュメントの質」(信頼性や信憑性など)を、調査者が独自に見極めることが重要。
(イ) 「過去」の記録
サーベイ、インタビュー、参与観察では、データのほとんどは、「現在」に近い時点で作成されるが、ドキュメントは、「過去」のある時点で作成されたデータが多い。過去の社会状況を知ることができる。
時間だけでなく「空間的な限界」も乗りこえられる
(ウ) 「物理的媒体」による記録
「紙」が多い
最近では、「コンピュータ」を利用したドキュメントが増えている
過去のドキュメントには、羊皮紙や石などに記録したものもある
ドキュメントの例
テクスト文書、公式統計、視覚データ(絵、写真)、音声データ、電子ファイルなど、たいへん幅広い。多様なドキュメントが社会調査のデータになり得る。
ドキュメント分析の方法は発展途上
ドキュメント分析は、古くからある
ドキュメントというデータは、コンピュータとインターネットの時代になって、爆発的に増えている
しかし、ドキュメント分析の方法が確立しているとは言いがたい
その分析は、名人芸や職人技になりがち
調査企画──調査の動機と社会的意義
『ポーランド農民』における調査のねらい
異質で流動的な大量の人びとからなる都市的な社会の誕生という社会変動と、それにともなう個人の態度変容をとらえる
『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』の概要
『ポーランド農民』と略称される
『ポーランド農民』の内容
19世紀末から20世紀初頭のポーランドにおける伝統的な農民社会の解体と再組織化、および、そのポーランドからアメリカに渡った移民の適応と不適応
2250頁全5巻
第1巻と第2巻:冒頭の「方法論ノート」に続いて、農民の手紙を資料に、家族や共同体など第一次集団の組織形態と変容が検討される
第3巻:元農民の自伝を資料に、社会変動期におけるパーソナリティ形成が検討される
第4巻:ポーランドの新聞記事を資料に、ポーランドにおける第一次集団の解体と、新たな合理的な協同組合を基礎にしたポーランド農民社会の再組織化が扱われる
第5巻:舞台がアメリカに移り、慈善団体や裁判所などの記録を資料に、母国ともアメリカ社会とも異なる独特なポーランド移民社会の再組織化と、移民の不適応が明らかにされる
1927年、初版の第3巻が最後に移動されて、全2巻で再版される。
シカゴ学派社会学のモデルとしての『ポーランド農民』
『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』は、アメリカ社会学の記念碑的業績と言われ、「シカゴ学派社会学のモデル」となった
シカゴ学派とは
1920年代に、シカゴ大学社会学科に集う教員・大学院生の総称
シカゴ大学に、世界で初めての社会学の大学院が置かれた
その後のアメリカ社会学に大きな影響をあたえた
シカゴ学派の研究テーマ
人口が急増した大都市シカゴの諸問題を探求
西部開拓にともなうシカゴの人口の急増
1840年5000人→1920年280万人
シカゴ学派が探究した諸問題
移民、売春、組織犯罪、少年非行、自殺、精神疾患など
都市社会学の原型を作る
都市とは、によって成り立っている社会
そうした都市的な社会を、さまざまな角度から多面的に調査した
調査設計──調査の段取り
方法論のまとめ
ポーランド社会の解体と再組織化
アメリカにおけるポーランド移民社会の解体と再組織化
データの収集──ヒューマン・ドキュメント
ヒューマン・ドキュメント
実際に暮らす人びとが「何を考え、どのように行動し、その結果、何が起きたのか」がわかる文書資料。
当時のシカゴ学派の人びとはこのように呼んだが、最近はこの呼び方は使わない
手紙
ポーランドに住む家族からアメリカへ送られてきた手紙
トマスがポーランド人街を歩いていると、2階の窓から、ゴミが落ちてくる。それは、故郷からの手紙。読むと、病院で訓練中の若い女性が父親に宛てた手紙で、仲たがいする家族の様子が興味深く鮮明に書かれていた。
トマスは、移民たちの手紙が、ポーランド移民たちの考えや生活を明らかにするのに利用できると考えた
ポーランド移民向けの新聞に広告を出し、手紙1通につき10から20セントで買い取る
ポーランド語で書かれた手紙をズナニエツキが英語に翻訳
約800頁にわたって、764通の手紙が、50の家族ごとに分類されて収録
ワルシャワの移民保護協会に送られた手紙
ズナニエツキが収集
新聞記事
ポーランドの農民向け日曜新聞の記事。読者投稿など。
自伝
ウラデクという30歳の青年が、ズナニエツキの依頼で、200枚につき30ドルという報酬で書く
312頁にわたって収録
教区の記念アルバム
10周年記念などに刊行され、シカゴのカトリック教区の歴史を記す
広域組織の記録
ポーランド国民同盟など
不適応を起こした移民を処遇する社会的機関
慈善協会、法律扶助協会、クック郡刑事裁判所、シカゴ検死官事務所、クック郡少年裁判所など
データ分析──手紙を用いたドキュメント分析を例に
分析の枠組み
伝統的な農民家族が解体する過程を、態度と価値の枠組みから分析
伝統的な農民家族を維持していた家族的連帯という規則(=価値)が解体する過程
「態度」と「価値」の相互作用
態度(attitude)
定義:「社会的世界において、実際のあるいは可能な個人の活動を決定する個人の意識の過程」(p.22)
例:「食物を食べることを強いる空腹」「道具を使うという職人の決定」「お金を費やすという浪費家の傾向」「詩に表現された詩人の感情や思考」「その詩を読んだ人の共感や賞賛」「制度が満たそうとする要求やその制度が引き起こす反応」「神の崇拝において表出される畏れと傾倒」「科学的理論を創造し理解し応用しようとする関心」
態度は、個人の外部にある対象に向けられた意識過程
価値(value)
態度の対象
定義:「ある社会集団の成員たちが接近できる経験的な内容を持ち、実際の活動あるいは可能な活動の対象との関連から意味を持つあらゆるもの」(p.21)
例:食物、道具、お金、詩、神話、科学的理論など
態度と価値はペア
あるものが価値として存在するには、物質的に存在するだけでは不十分で、必ず、人びとの態度が向けられる必要がある
「価値は、態度によって象徴化されたもの」
態度と価値は、互いに強め合ったり、弱め合ったりする
現象学の「志向性」(intention)に似ている
「家族的連帯」(familial solidarity) =伝統的な農民家族を維持していた規則
家族全体の存続と成員の生存のために無償の援助を全家族員に義務づける
家族全体と家族員は、「一心同体」で、家族員の評価は、家族全体の評価と一致し、個人という観念はない
日本のイエ制度に類似
Markiewicz家の事例
収録されている50家族中最大の72頁
家族的連帯を重んじる親世代の伝統的な農民態度と、個人の立身出世を重んじる子世代の新しい中流階級態度の対照
居住地:ワルシャワ州Vistulaの近隣
新興の家族が多く、産業はほとんどないが、文化的影響を強く受け、知的運動の中心地
家業:農業。牛・馬・豚・家禽類などを飼い、小麦・ライ麦などの穀物の他、エンドウ豆・ジャガイモ・果物なども栽培
階層:かなり裕福。収穫した麦を粉にひく風車小屋や小さな商店を所有
Markiewicz家の手紙の分析
子世代に対する親世代の期待と失望
1907年から1910年の4年間に、ポーランドにいる父親Jozefと母親Annaから渡米した息子Waclawに送られた手紙
手紙144番、147番、148番、153番
伝統的な農民態度を持つJozefは、家族の地位上昇のために、可能な限り倹約し、あらゆるところから利益を得ようとする。自分の稼いだお金と子どものお金を区別せず、貯めたお金で、家族の社会的地位を象徴する土地を購入しようとする
Waclawも、渡米した当初は、家族的連帯の態度からポーランドへ送金し、親の期待に応えていた。しかし、アメリカの生活が長くなるにつれて、Waclawは、中流階級態度を帯び、結婚してアメリカに永住しようと考える。
JozefとAnnaは、Waclawに再三ポーランドへ帰国を促す。だが、両親は、子どもとの間にある修復不可能な亀裂に気づき、次第に、子どもを自分たちの意志に従わせることを諦める。
親世代に対する子世代の不満
ポーランドに残っている子世代が、親の無理解を初めとする不平不満を、渡米した兄Waclawへ綴った手紙
手紙176番、184番
親との態度の相違からポーランドに自分の居場所がないと感じている。
この所在のなさという感覚が、渡米の原動力となり、家族的連帯に基づく伝統的な家族形態の崩壊を早めているように見える。
親世代の束縛から抜け出た子世代の生活
アメリカに移民した子世代の態度を、Janの長男Maksが、従兄のWaclawに宛てた手紙
手紙201番、202番、204番
二人は、渡米後、家族的なつながりを求めている。だが、それは、ポーランドのものとは全く異質
アメリカで求めた家族的つながりは、個人の必要性を満たすために結ばれる。こうした人間関係は、経済的自活に関する情報ネットワークであり、一時的な援助を頼む保険であり、寂しさを慰め合う情緒的な支え
伝統的な農民家族の解体──社会解体の分析例
家族=社会制度の一つ
方法
新しい価値に対応して発達した新しい態度が、既存の規則という従来の価値に破壊的影響力を与える過程を、資料から具体的に読みとる
(1)新しい価値との出会い
伝統的な農民の生活は、共同体の内部で完結しており、新しい価値に出会うことはまれであった。しかし、鉄道など交通手段の発達にともない、農民が容易に共同体の外部に出られるようになると、農民は、初めて出会った価値に対応して新しい態度を発達させる
出稼ぎ先で酒やタバコ
これらの嗜好品は、農民のもともと持っていた快楽主義的欲望に火をつけ、家族には内緒で、出稼ぎの賃金を自分だけのために使おうとする態度を身につける
流行の服や宝石
故郷の人びとから羨望のまなざしで見られ、家族とは無関係に一個人として社会的承認を求める欲求を満たせるようになり、家族的連帯のもとで家族と個人の評価が一致する現状に満足できなくなる
個人単位で収入を得る経済の仕組み
農民のもともと持っていた経済的な安定と向上を求める欲求をお金の私的所有を求める貪欲さという態度へと変質させる
(2)新しい価値による態度変容
「われわれ態度」("we"-attitudes)から「わたくし態度」("I"-attitudes)へ
われわれ態度:自分と他の家族員のニーズをまったく区別しない
集団主義的な態度
わたくし態度:自分と他の家族員のニーズを意識の上で区別する
個人主義的な態度
(3)社会解体:家族的連帯とわたくし態度の対立
「わたくし態度」は、家族全体の存続と成員の生存のために無償の援助を全家族員に義務づける「家族的連帯」という規則(価値)を支持しない。
したがって、家族的連帯という規則は、有名無実となり、家族成員に影響力をおよぼすことができなくなる(=社会解体)
手紙の分析における例
アメリカに移民してしばらく経ったら、ポーランドの家族に送金しなくなったWaclaw
家族で経営している雑貨屋で、働いても賃金がもらえずに不満を感じるStanislawとElizbieta
(4)新しい態度による価値変容
社会解体の状態では、家族成員は、うまくやりとりができない
やりとりをうまく行うためには、規則が必要
(5)社会再組織化:新しい家族の規則とわたくし態度との調和
新しい「わたくし態度」に見合った規則(価値)が形成される
手紙の分析における例
MaksがWaclawに感じた親近感は、癒しとしての家族のあり方かもしれない。伝統的な農民家族のような経済的主体としての家族という考え方はない
まとめ
農民が共同体の外で出会った新しい価値により、農民の態度が「われわれ態度」から「わたくし態度」に変容し、その結果、「わたくし態度」と対立する家族的連帯という従来の価値が崩壊して、伝統的な農民家族が解体した
調査結果の公表
紆余曲折の出版
スキャンダルによるトマスのシカゴ大学教授辞任の影響により、出版が、当初のシカゴ大学出版局(1巻と2巻)から別の出版社(3巻から5巻)へ移る
ポーランド系移民からは評判が悪かったと言われる
ポーランド移民の悪い側面も描いていたため、当のポーランド移民社会の人からは好意的に受け止められたとは言いがたい面がある
意図的ではなかったにせよ、「調査対象者に害悪をおよぼさない」という調査倫理の面で失敗している。
アメリカの社会科学調査研究評議会が、『ポーランド農民』を、第一次世界大戦以降のアメリカで公刊された研究のなかで、もっとも優れた業績の一つに挙げた
『ポーランド農民』の評価
H.ブルーマーの評価(中野 1989: 246-9)
上記の社会科学調査研究評議会の依頼を受けて、ブルーマーが評価
科学的な社会調査と社会理論の基礎を築く
ブルーマーは『ポーランド農民』を「単なるモノグラフではなく、それは何よりも科学的な社会調査と社会理論のための基礎を築こうとする試みだ」と評価
ドキュメントが理論的解釈の例示にとどまっている
ブルーマーは「資料が理論的解釈の決定的な検証になっていない」と問題点を指摘
ヒューマン・ドキュメントが科学的道具として期待される水準
代表性
そのデータは、調査対象を代表しているか
適合性
そのデータは、調査の目的に照らして適切な情報をもっているか
信頼性
そのデータは、誤りや偽りなどを含んでいないか、
解釈の妥当性
そのデータをもちいて他の人が解釈しても、同じ解釈が導けるか。=検証可能性
ブルーマーによれば、上記の4点について、『ポーランド農民』を読んだ人は何とも判断できない
今日的な評価(宝月 2011: 153-5)
『ポーランド農民』で使われた一連の概念は、その後も活用されて、社会学の共通財産となったものも多い。
「状況の定義」「社会解体」など
ドキュメントなどの質的なデータの活用法を先導した
完璧な社会学的資料としての個人の記録
「個人の生活記録をできるだけ揃えれば、それは完璧な社会学的資料となるといえよう。だから社会科学がやむをえず他の資料を使わざるを得ないのは、社会学的問題の総体を覆いつくすことができるような記録を、その時々に実際問題として十分入手できないという理由と、社会集団の生活の特徴づけに必要な個人的な資料をすべて適切に分析するには莫大な労力が必要だという理由があるために他ならない。仮に大量現象を資料として、またある出来事をそこに参加した諸個人の生活史と関係なくやむをえず使っているとすれば、そのことは現在の社会学的方法の欠点であっても利点ではない」(トマスとズナニエツキ 1983: 88-9)
特定のテーマにもとづくスケールの大きいモノグラフを書くことを、社会学の王道として示した。
原典
W.I.トーマス・F.ズナニエツキ(桜井厚抄訳), 1983, 『生活史の社会学──ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』御茶の水書房
参考文献
宝月誠, 2011, 「質的データの活用──トマス/ズナニエツキ『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』」『社会学的思考(社会学ベーシックス別巻)』世界思想社, 147-156.
中野正大, 1989, 「ドキュメントを用いた調査の事例──『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』」宝月誠他, 『社会調査』有斐閣(有斐閣Sシリーズ), 227-249.
Madge, John, 1962, "3 Peasants and Workers," The Origins of Scientific Sociology, New York: Free Press, 52-87.
藤澤三佳, 1997, 「社会と個人──その解体と組織化──W.I.トマス、F.ズナニエツキ『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』」宝月誠・中野正大編『シカゴ社会学の研究』, 133-170.
高山龍太郎, 2003, 「範例としての『ポーランド農民』」中野正大・宝月誠編, 2003, 『シカゴ学派の社会学』 世界思想社, 90-102.
桜井厚, 1998,「トマス、ズナニエツキ『生活史の社会学』」『社会学文献事典』弘文堂, 46-47.
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