二人と二人(前)
※こちらは長編シリーズです.はじめから読まないとよく分からないと思います.
登場人物紹介・設定など→illust/83353405
一次創作としては初めてです.矛盾点ありまくるかもしれませんがそこは本当にごめんなさいTwitterかなんかでこっそり教えて下さい←
表紙の題名の主張が強い.もっとこう、儚いかんじにしたくてフォント選んだのにめっちゃ主張してくるのは何故だ.
Twitterやってます.こっちにしか載せない話もありますのでよければどうぞ┏○))
https://mobile.twitter.com/tali_aoitto_eb
※二次創作もかいてますのでご注意ください
- 2
- 3
- 252
「……またお前は……」
研究室の重いドアを開けた瞬間、見えた光景に佑芽は絶句した。開けた音に気がついたのか、小さな頭が振り返る。そしてバツの悪そうな笑顔を浮かべた。
「稀依……こういうのいい加減にしろって言っただろ」
「だって」
頬を膨らませる稀依の腕を、佑芽はそっと掴んだ。無数にある針を刺した痕。その中に一つ、点滴の管が刺さっている。それをそっと抜き取り、テープで止血した。
稀依は食べ物を口にしない。しかしそれは、決して食べなくとも生きられるというわけではない。食べ物を見て吐き気がするなどの、そういった類の何かでもない。ただ単純に、食欲を感じないだけだ。食欲を感じない、すなわち食に対する欲を見出すことができなくなった、その結果がこれだ。末期の病人のように点滴を使って栄養を補給し、余った時間と消化できない欲を全て仕事にぶつけるだけの機械。以前から再三注意してはいるのだが、一向に治そうとしない稀依に、佑芽は諦めを感じていた。
「ほら、とにかく行くぞ。会わせる奴がいるって言っただろ」
「うん」
言うことを聞くだけ今日はよほど機嫌がいいらしい。本格的に機嫌が悪いと誰彼構わず当たって手がつけられなくなるので、それだけは避けたかった。
そっと肩を押し、部屋から連れ出す。向かった先は病棟。そこには佑芽の知り合いで医者をしている者がいる。佑芽はその医者に稀依を診てもらうつもりなのだった。
***
「影十、人が来るから」
「やだ、こっち来て」
引っ張られた手を振りほどけず、永瑠は小さく溜め息をついた。このモードに入ってしまえば暫くは解放されないだろう。約束の時間まではまた余裕があるが、ある程度の心の準備などが欲しい。
自らの腕を引っ張る手は弱々しく、軽く払ってしまえば折れてしまいそうだった。足取りもどことなく不安定で、おそらく体調が優れないのだろう。理由を知っているだけに、余計に振り払えないのだ。
案内されたのはいつもの部屋。病室の一角を改造したように無理やりカーテンが引かれ、中にはベッドとともに睡眠薬をはじめ、数々の安眠グッズが置かれたテーブルがある。
カーテンで永瑠を閉じ込めると、影十自身はベッドに座り込んだ。
「……いい加減にここ片付けない?こいつらあっても意味ないでしょ」
散らばる安眠グッズをさして尋ねる。しかし影十は不服そうに首を横に振った。
「いい、必要かもしれないし、それに」
ここに居ていい理由が無くなる、と最後は心のなかで呟く。
「ほら、いつもの、して」
永瑠が黙っていると、そう言って影十は布団に潜り込んだ。仕方なく永瑠も近くにあった椅子を引き寄せて、影十のベッドに近づく。
影十の右手を両手で握り込み、揉むように力を込めた。何度かそれを繰り返した後、強く手首を絞る。影十の顔が少し苦痛に歪むように動くが、お構いなしに一層力を込めていく。
暫く抵抗するような動きをしていたが、ある時を期にすっぽりと捩る力は抜ける。堕ちた、ようだ。それを理解して、永瑠はそっと手を離す。
珍しく一発で堕ちてくれた。先程の足取りといい、睡眠不足はそこそこ溜まっていたらしい。この分ではおそらく明日までは目を覚まさないだろう。ふう、と一つ息を吐き、布団を綺麗に掛け直してやる。
影十が眠くならない体質だと知ったのは、いつだっただろうか。目の前で倒れられたときは純粋に医者として心配したものだったが、心拍血圧ともに正常値を示していたし、暫くすれば目を覚まして自力で起き上がることができていた。睡眠薬は使いたくないと言う影十の意志を尊重し、カウンセリングをはじめあらゆる手を使って無理に眠気の誘発を試みたが、効果は殆どみられなかった。そんな中でこの方法は唯一、影十が眠りに落ちることができるものだった。意識を落とすことと睡眠は、厳密に言えば違いがある。無理に意識を落とさせず、眠りに追い込めるこの行為の意味も原理も全く分からないが、本人がこのやり方を好むから好きにさせている。
寝息を立てていることをもう一度確認し、そっと仕切られた空間を離れた。部屋に戻って時計を見ると、約束の時間まで二十分も無い。思ったより時間を食ったな、と永瑠は思わず顔をしかめた。
***
コンコン、と扉を叩く音がして、永瑠は眼を上げる。どうぞ、と声をかければ音も無く扉は開いた。 「ああ、佑芽。それに……」 佑芽に肩を抱かれている人物に目を向ける。その人物はペコリとお辞儀をすると、佑芽を見上げた。 「……この人?」 甘えるような声で、佑芽に問いかける。佑芽は一つ頷いて、永瑠の目の前にある椅子に座らせた。 「えっと……名前、と」 「稀依、です」 説明された漢字を目の前のパソコンに打ち込むと、すぐに情報が表示される。あまり埋まっていない調査欄に少し顔をしかめたが、よくあることでもあるので何も言わず、稀依に向き直る。 「で、今日は僕になにかあるって、佑芽から聞いてるんだけど、何かな」 ところが、稀依はぱちぱちと目を瞬いただけだった。何を言えばわからないのか、眼がうろうろと彷徨い佑芽と永瑠を交互に見る。諦めたのか、佑芽が口を開いた。 「お前と同じだ。こいつは食事が摂れない」 今度は永瑠が目を瞬く番だった。少し思案して、そういうことなのかと理解する。 「僕のは脳の問題だ。この子は」 「こいつもそうだってことだ」 はあ?と永瑠は声をあげる。食欲不振が症状として出る病気は多くあるが、食欲そのものを無くすなんて方法は。 「……摂食中枢か」 「多分、な。それをお前に調べてもらおうと思って」 なるほど、と永瑠は溜め息をついた。ここの病棟は世界有数の最新医療が扱われている。それを一手に取り仕切っているのがほかならぬ自分なのだが──とにかく、それを駆使して調べろということだろう。永瑠は一向に構わない。寧ろこういった脳障害を抱えている者はそう多くないので、興味だけでも充分にある。 「お前はいいかもしれないが……あんたは?」 佑芽に向けていた眼を稀依に移す。事の次第が飲み込めていないのか、目を動かしたり口がはくはくと呼吸をしたりしていた稀依はやがて、口を閉じた。 「…………お願いします」 小さな声で、しかしはっきりと肯定の意を示す。それを確認してから、永瑠は何枚かの資料をファイルから引き抜いた。 「これは僕のカルテだ。ここに書いてあるのが初期症状。おそらく君の食欲を感じないというのも僕と同じ、脳の視床下部に問題があるんじゃないかと思う。この中に君も感じる、もしくは過去に感じたことがある症状はあるかな?」 指で指し示すと、稀依は紙を取り上げて読み始める。読み慣れているのか、ドイツ語や英語が混じった文にも意味が分からないという表情は見られない。佑芽が後ろで読みにくいな、という顔をしているのが少し可笑しいぐらい、読んでいる様子は自然だった。 やがて読み終わったらしい稀依が顔をあげる。永瑠はペンを取り出し、稀依から聞いた症状と自分の症状で一致しているものをチェックしていく。その流れを見ながら、佑芽は小さく溜め息をついた。 稀依が余りにも重症だと思うのは自分だけではないのが分かる。永瑠も仕事上何も言わずにいるが、僅かにペンを揺らしている。それが苛立ちの発散である事を、佑芽は知っている。 「オッケー、じゃあ今日はひとつだけ、脳の写真だけ撮らせてね」 永瑠はそう言うと、稀依を別室に案内した。佑芽も手持ち無沙汰なのでついていく。稀依を機械に寝かせると、永瑠は佑芽を促してまた別の部屋に移動する。 「やっぱり脳か」 「多分な、症状が似通いすぎる」 では、この検査はただの答え合わせに過ぎないということか。 「あの子、独り暮らしなのか?」 「ああ」 ふうん、と永瑠は一瞬考え込んだが、佑芽の顔を見て尋ねた。 「お前、あの子と同居してくれねえ?」 「はあ⁉」 佑芽は思わず素っ頓狂な声をあげる。あまりにも論理が飛躍しすぎて理解が追いつかない。開いた口が塞がらないとは、まさにこの事なのかもしれない。 「さっきも言ったが、結局脳の視床下部が変異してるからこういう症状が起きる。もしも僕と一緒なら、あの子は食欲以外を司る部分が圧迫して発達してるんだ」 機械を操作しながら、永瑠は厳しい表情をした。佑芽は声をあげることなく、話を聴いている。 「今までにも急に泣いたり怒ったりしたことがあったろ。食べるという欲求がないから満たされることもない。だから発散がほかの欲や感情の不制御でしかできない。一度欲求不満からその発散を覚えてしまうと余計に本来の欲、あの子なら食欲、を起こさせなくなってしまう。だから上手く欲求不満に陥る前に食欲以外の欲を満たしてあげることが必要なんだよ」 同じ病状を持つ永瑠に言われると反論ができない。思案するように佑芽は腕を組んだ。 「俺はいいが、アイツがなあ……」 「ああ、本人もお前に当たるのは気にしてたしな、まあ僕から説明するよ、あの子がもしお前と暮らすなら受け入れてやってくれって話だ」 それならいい、と佑芽は頷く。永瑠は嬉しそうに笑うと、稀依を迎えに行くのか部屋を出ていった。
***
永瑠の説得が功を奏したのか、最終的に稀依は佑芽と暮らすことを了承した。ほかにも自分の感情をなるべく外に出すこと、きちんと食事をすることなどを条件に出されたが、しばらくは佑芽の指示通りに行動しなければならない日々が続くだろう。 「稀依、後なんかある?」 「ん……多分大丈夫」 引っ越しの日当日。佑芽と稀依は佑芽の家に荷物を運び込んでいた。佑芽の家はマンションの角部屋だ。そこそこ余裕のあるリビングには大きめのダイニングテーブルが置かれ、ベッドも二人で寝ることができるサイズを買った。それは、稀依に接触欲求が出ることを予測した永瑠の提案だ。今となっては明察だとアイツを褒めてやりたい。 「さっさと片付けるぞ」 「うん……」 先ほどから稀依に元気が無い。疲れたのだろうか、と佑芽が顔を覗き込むと、稀依は物足りなさそうに唇を噛んでいた。 「どうした?」 尋ねてみるも、稀依は黙ったまま首を横に振る。明らかに何か言いたげだが、今は言いたくないのだろうか。少し考えて、佑芽は案を出す。 「今から寝るか、ちょっとだけくっつくか。どっち?」 またしてもしばらく声を発さなかったが、やがて小さく呟いた。 「……きて、抱っこしてほしい」 普段から感情を表に出さないこいつが、ここまで欲求を口にするのも珍しい。内心驚いたが、佑芽はそれを顔にも出さなかった。 自分より頭ひとつ、小さい身体を抱きしめる。稀依は躊躇うように手を動かしていたが、やがてゆっくりと佑芽の背中に手を回した。胸元に顔を埋めて呼吸をする。 「……あったか……」 くぐもった声が小さく聞こえた。藍色の髪を梳くように撫でると、稀依は擽ったそうに笑い声をあげる。 「満足か?」 「ふふふ」 甘えてくる稀依は可愛い。人懐っこいペットみたいだな、なんて心の中で呟くが、これが欲の反動だと思うと少し苦しくなる。今までどれほどの欲求不満を抱えてきたのだろう。何故もっと早く気づいてやれなかったのだろう。 「…………ん〜……」 眠ってしまいそうな稀依を抱いて、ベッドまで移動する。稀依の身体を横たえ、そっと布団をかけてやった。額にそっと触れ、指先だけで撫でてやる。安心したように身体の力を抜いた稀依は、ベッドに身を委ねた。
***
「佑芽と暮らすのもだいぶ慣れてきた?」 「うん」 定期的に病棟を訪れる稀依に、永瑠はいつものように声をかける。初めて会ってから一ヶ月ほどが過ぎていた。当時は敬語だった稀依も徐々に砕けた口調で話せるようになり、人肌が恋しいのか抱きつかれたこともあった。それだけ心を許されているのかと嬉しくもなったが、それはあくまでも稀依の快方を喜ぶものだ。そこには自分の感情は何も無い。 ──自分が進めていない。 それだけで気分が落ち込む気がするのだ。一人になった部屋で息を吐き出す。溜め息ともとれないそれはなんの力も持たない。 「…………永瑠」 影十の声が聞こえて身体を起こす。そう言えば昨日また寝かせた記憶があった。振り返ると、影十が目を擦りながらベッドから降りるところだった。 「もう大丈夫なのか」 「んー多分」 寝起きで酸素が足りないらしく、影十は欠伸を一つ零す。 「……誰か来てたの」 すんすんと鼻を動かし、ちらりとこちらを見る。相変わらず鼻がいい。警察犬かお前は。 「ああ、そういえば会ったこと無かったな」 「…………会わなくていい」 ボソリと呟いた影十は誤魔化すように、背中側から永瑠の首元に抱きついた。 「……どうした」 「何でもない」 そう言いながら首を絞めてくる。しかしすぐに満足したのか、影十は自ら腕の力を緩めた。永瑠はほっと息を吐く。死なないとは分かっているが、流石にここで殺人未遂は控えて頂きたい。 そっと腕を撫でてやると、影十は猫のように頬を擦り寄せてきた。まるでマーキングのような行為に、ふふと永瑠が笑う。むっとした顔の影十は腕を解いてしまった。それでも肩に乗せた頭はそのままだ。素直に触れてくる影十の頭を慈しむように撫でる。 同じ接触欲求を抱えていても、影十と稀依とでは違う表現の仕方をする。稀依の動きは欲を解消する為だけの作業であるのに対して、影十との接触には執着を感じるのだ。それとも稀依も、佑芽にはそのような執着心を寄せるのだろうか。 いずれにしても影十のそれは、自分のせいでもある。でもそれで良い。影十が欲を解消する相手を自分とするなら、自分だって相手にしてもらうのが公平で対等だ。 そんな虚ろな思考を乱すように、影十が再び頬ずりをしてくる。どうやら手がお留守になっていたらしい。再び手を頭に乗せると満足したように、影十は目を閉じた。
(続)