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この作品「曖飲」は「ヒ腐マイ」「二次創作」等のタグがつけられた作品です。
曖飲/立葉 葵灯の小説

曖飲

15,365文字30分

理鶯と左馬刻が出会う前までのお話.捏造ばかり.
それぞれの愛と裏切りの種類の違いと,互いへの愛を認めた二人の話.作者の中にある,きちんと愛し合う左銃.

※注意事項
・局部の露出描写(ごく軽度)
・死体描写(話題のみ・ごく軽度)
以上の要素を含みます.細かな描写が無いので全年齢公開していますが,苦手な方はご注意ください.

※突発的に書いたので予告なく加筆修正・削除などをする可能性があります.予めご了承ください.

Twitterやってます.こっちにしか載せてない話もありますのでよければどうぞ
https://mobile.twitter.com/tali_aoitto_eb
※一次創作との共用ですのでご注意ください

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 銃兎は、まさか自分がヤクザがするような盃を交わすとは思っていなかったのだ。向こうは反社会勢力の人間であるのだから普通のことなのかもしれないが、一般人であるこちらからすればヤクザと密約を結ぶということほど萎縮する現場など無い。たとえ悪徳警官と言われようとも、怖いものが全く無いわけではないのだから。
 碧棺左馬刻という男はひどく横暴な男であると、銃兎の眼には映った。チームに誘われて連絡先を交換した数日後、左馬刻から来た連絡にはとあるホテルの名前と部屋番号、そして面会時刻と見られる数字が並んでいるのみ。明らかにラブホテルのたぐいであるといった名前をしているそこは、彼が所属する組が所有しているそれである。
 フロントには高価そうなダークスーツを着こなした男性が立っていた。最近ではラブホテルでも対面のフロントが増えていると言う。女子会やレジャー施設としても利用される機会が増えたためだ。部屋番号を告げると碧棺様ですね、と確認されたので頷くとカードキーを渡される。
 渡されたそれを手で弄びながらエレベーターのボタンを押した。さり気なく監視カメラの有無を確認するのは警察官としてのさがだ。どうやらエレベーターの中には仕掛けられていないらしい。
「……失礼します」
 約束の時間になるとノックをして、返事も聞かずに素早く手元のカードキーで解錠する。実は予定時刻の五分前には到着していたのだが、それを感じさせずかつ焦ったようにも見えない態度で部屋に踏み入った。
 ドアの反対側にあるのは月が見える大きな窓。すぐ手前に二人がけのソファー、その脇には硝子のテーブル。さらにその手前に、壁と接するよう置かれたキングサイズのベッド。あとは右手にバスルームらしきドアがあるだけの、簡素な部屋。呼び出した張本人は身体を清めているらしく、床に叩きつけられる水の音がする。
 どこに座ろうかと思案したが結局ソファーに座り、スマホを開いた。月光によってできた自分の影はひどく不安そうに揺れている。部下からの連絡などを眺めているとやがて水音は止まり、バスローブを肩に羽織った恰好の左馬刻が姿を現した。
「……もう来たのかよ」
「ええ、お時間丁度に伺わせていただきました」
 営業スマイルを浮かべて言うと、左馬刻はちっと舌打ちをする。
「なんで敬語なんざ使ってんだ」
「私から見れば、貴方の方がくらいは上でしょう」 「……お前に敬われるなんざクソうぜえからやめろ」  心底反吐が出る、といった顔で毒づく左馬刻はどっかりとベッド端に座り込んだ。丁度銃兎と向かい合う位置である。左馬刻がそのままあぐらをかくと、はだけたローブからは白い毛で覆われた局部が見えた。銃兎は煙草を取り出すことで、そこから眼を背ける口実を作る。生憎、同性の身体に興奮する嗜好は持ち合わせていないのだ。そんな銃兎の思考を読み取ったのか、左馬刻はくつくつと笑い声をもらした。 「意外と初心うぶなんだな、お前」 「……なんのことです」  馬鹿にするように笑われ、声に僅かな棘が交じる。そんな銃兎を嬲るようにじっと見ると、左馬刻はあぐらを崩して椅子に座るようにベッドに腰かけた。足を開いて座るので先程よりも見える素肌の面積が増える。新手のセクハラか。心のなかで舌打ちをした銃兎はわざと大きなため息をついて見せると、ソファーの背に身を預けた。 「…………それで わざわざ呼び出した理由は」 「ああ、そうだったなァ……」  ベッドとソファーの間には、何も隔てるものはない。しかし一歩間違えれば簡単に詰められてしまいそうな間を、銃兎の煙草の煙だけが立ち昇って領分を分けていた。互いに顔を、瞳の中に込められた意志を視る。 「……交換条件を提示しようと思ってなァ、お前だけに甘い蜜を吸われるなんざ勘弁だからよォ」 「へえ……して、その条件は」  テーブルの上にある灰皿に吸い殻を押し付ける。なんとなく予想はついていた。願いを叶えてやると言われてついて来たのだから、やはりそれ相応の対価は支払わなければならない。しかし銃兎はもう、ここにやって来た時点で全てを差し出す覚悟をしていた。彼が気に入るのであれば何でも差し出そう、そう思わせるだけのオーラを目の前の男は持っている。 「……お前はなんだ、この俺様に何を求める」  突如放たれた問いに、銃兎は一瞬たじろいだ。漠然と願いを叶えてくれるという契約を結んだ時点から、銃兎が左馬刻に求めるものなど何も無い。 「……いや、何も無い。俺は自分の願いが叶えば後はどうだって良い」 「へぇ……そーかよ。じゃあコッチからの条件だ。お前はいつ、どんな時でも、俺様を優先しろ」  ほぉ、と銃兎の口から声がもれた。てっきりもっと酷い条件を押し付けられるのかと思っていたので、少し拍子抜けする。 「……わかった…………そうだ、俺からも一つ。俺に渡す情報は必ず正確なものを寄越せ。間違った情報で現場を混乱させてみろ、お前を海底に沈めてやるからな」 「おーおー、オマワリサンがそんなこと言っちまっていいのかよ。恐喝だぜ」 「どこが恐喝だ、俺とお前の仲はチームなんだろう 冗談かもしれねーじゃねえか」  悪どい顔をした銃兎に、左馬刻は満足そうに笑った。 「ははっ やっぱお前、最っ高に頭狂ってやがんな それでこそ俺様が選んだ奴だ」 「フフッ、天下の火貂組若頭様に認めていただけるなんて、光栄ですねぇ……」  急に立ち上がった左馬刻に距離を詰められ、髪を掴まれて立たされる。遠慮もなく額どうしをぶつけられ、銃兎は顔を顰めた。しかしそんなことも気にしない左馬刻は、ヤクザの顔で銃兎に迫る。 「いいか銃兎、俺たちに裏切りはナシだ」 「……もちろん」  悪い笑みを浮かべた二人の影が、ベッドの端まで伸びていた。

■ □

 パトロールから帰ってくると、部下に左馬刻が捕まったことを伝えられる。もうすっかり懐かれてますね、なんて言われて思わず笑いがこみ上げてきた。  あの後割とすぐ、銃兎は火貂組の担当になることが決まった。おそらく左馬刻が裏で手を回していたのだろう、改めて組長の元に挨拶に向かうとよう、無事に来れたんだな、と驚いた様子も無く話しかけられた。組長の火貂退紅にも、随分と気に入っていただけたようなので何よりだ。  留置場への道を辿るのも慣れたものだ、と自分でも思う。いつものように担当官に金を握らせて奥まで進んでいくと、ぶすっとした顔の左馬刻が座り込んでいた。 「今日はどうしたんだ また相手が警察を呼んできたのか」 「あのクソ野郎がバアサンとこの店で暴れてっからちっと遊んでやっただけなのによ。誰かがサツ呼びやがってこのザマだわ」  忌々しげにこちらに唾を吐き捨てられ、思わず顔を歪める。誰が掃除すると思ってやがるんだ、まあ俺でもねえんだけど。 「うさちゃんどーした、早く出せよ」 「あぁ 誰がうさちゃんだこのまま拘置所に突っ込んでやってもいいんだぞクソボケ」 「おーおー短気だなあウサギは。お前の欲しい情報やっから早く出せや」  情報、と言われて銃兎は怒りの矛先を収めスマホを取り出す。証拠不十分で釈放の旨を伝えるといつものように渋られたので、弱みをチラつかせて言質を取る。横領なんてバレバレな状態でする方が悪い。 「ほら、早く出ろ」  言外に見つかると面倒、と伝えると案外すんなりと出てくる。そのまま先に立って歩いていこうとすると、後ろからぐいと腰を抱かれた。 「なあじゅーと、ホテル行こうぜ」 「はぁ⁉」  左馬刻に耳元で囁かれ、背筋がぞくりとした。慌てて腕の中から逃れようとするが、左馬刻は一層腕の力を強めてくる。 「なんだよ……わかった、行ってやるから離せ。つか情報はどうしたんだ」 「そりゃあ行ってからのお楽しみだなぁ」  五センチほど上にある目が細められる。銃兎は知れずため息をついた。

「さ、左馬刻……お前何なんだほんとに……」
 初めに左馬刻と密約を交わしたホテルの、同じ部屋。銃兎は左馬刻にソファーに押し倒されていた。左馬刻は銃兎の上に乗り上げ、その両腕を片手でソファーの背に押さえつけている。赤い眼が真っ直ぐに銃兎を射抜いた。
「……なあ銃兎」
 ギリギリと、腕を掴む手の力が強くなる。銃兎は半ば呆れたような気分で左馬刻の顔を眺めた。何が左馬刻の逆鱗に触れたのかは分からない。約束は守っているはずだし、火貂組にとって悪くなる動きだってしていない。
「勝手にいなくなるなよ銃兎。俺様と一緒に地獄まで連れて行くンだ。なあ銃兎ォ、お前は俺様のモンだろ」
 そう言うと、左馬刻は額を擦り寄せてきた。猫がマーキングをするようなその動きに思わず笑うと、左馬刻はムッとした顔で離れる。
「ん、やるよ」
 そう言うと、左馬刻が何か袋を投げて渡してきた。慌てて受け取り中身をあらためると、そこに入っていたのは超小型の記憶装置が一つだけ。 「これが情報か」  乱れた髪を直しながら銃兎が尋ねると左馬刻はああ、と頷いてベッドに上がり煙草を取り出した。できれば今すぐ見たいのだが、残念ながらパソコンは部屋へ持ちこんでいない。 「なあじゅーと、火ィ」 「なんでライター持ってねえんだよ」  チッと舌打ちをして、銃兎は自分のライターを取り出す。ベッドに膝立ちになり、左馬刻の煙草の先に火元を近づけてやった。カチッという音と共に、紙筒の先に炎が灯る。ゆっくりと煙を吸い込む左馬刻は、まるで情夫いろでも抱くかのように銃兎を抱き寄せた。何をする、と手を払いのけるとククッと笑われる。口寂しくなった銃兎も同じように、自分の煙草に火をつけて紫煙をたなびかせた。
「……ヤクザとサツが同じ部屋にいるの、冷静に考えたらやべぇな」
「今更だろ、あの時お前が来なければこんなことは起きなかった」
 不本意そうな顔の銃兎を見て笑った左馬刻の声は、ふわふわと部屋の中を漂うようだ。
「なあじゅーと、また来ような」
 出る時間が近くなりそうになると、左馬刻はいつも銃兎にそう言う。拒否権のない銃兎は、無言で肯定することしか為す術は無かった。

■ □

 突然、左馬刻から電話がかかって来た。夜も更けそろそろ寝室に向かおうと考えていた銃兎は、突然鳴るスマホに顔を顰める。 「どうした」 「…………銃兎……」  いつになく声に覇気が無い。そもそもなぜ電話をかけてきたのかも分からないのだが、今尋ねても答えてはくれないだろう。 「……今度は何をやらかしたんだ」 「……迎えに来い」  こちらの質問を一切聞かない答えばかりが返ってきて、銃兎は呆れたようなため息をついた。 「……どこにいるんだ」  ぼそぼそと今いる場所を言う左馬刻にそこに居ろと言い残し、銃兎は家を出る準備を始める。スウェットを脱いでスーツを着直すと、上着を羽織って外に出た。こんな夜中に呼び出されても出てくるなんて舐められてもおかしくないのに、左馬刻相手だとどうも言うことに従ってしまう。  言われた通り動かずに待っていたらしい左馬刻は、火もいていない煙草をじっと見つめていた。感情が全て抜け落ちたような、そんな表情に、なんとなく不安を覚える。 「左馬刻、迎えに来たぞ」  ハッとしたようにこちらを見た左馬刻は、銃兎の姿を認めると覚束ない足取りでやって来る。何も言わずに助手席に乗ってくるので、おとなしくエンジンをかけた。 「それで どこに行くんだ お前んちか」 「……銃兎ンち」  正直、嫌な予感はしていた。そこまで長い付き合いではないが、左馬刻の求めていることはなんとなく分かる。何も話さないのは自分の心の中でも整理がついていない時だ。逆によく喋るときは大体、機嫌がいい時。  とりあえずシートベルトしろよ、と言っても左馬刻は何も言わず言う通りにする。その様子にはやはり違和感を覚えたが、大人しくしているなら良いかと割り切って車を出した。  家についた銃兎は、とりあえず左馬刻を洗面所に放り込む。服がところどころ汚れていたので洗濯機も回してやり、自分は寝室に戻って左馬刻の着る服を出してきた。こんなに甲斐甲斐しく世話を焼くのだって、部下相手にもしない。 「左馬刻、服ここに置いとくからな」  シャワーが床を叩く音に向かってそう言うと、自分も着替えに戻った。  ベッドで本を読んでいると、出された服を着た左馬刻が寝室のドアを開けた。銃兎が眼を上げると、左馬刻はベッドに入りこんでくる。独り身のベッドに成人男性二人はとてつもなく狭い。しかし左馬刻は銃兎の身体を抱き寄せた。とにかく距離が近い。 「おい左馬刻、狭いだろ、ベッドが良いなら俺が床で」 「黙って寝てろ」  脅すような低い声で言われ、仕方なく腕の中に収まった。こういう時は何を言っても無駄だと学んでいる。  別々に寝ることは諦めて、もぞもぞと寝心地の良い場所を探した。左馬刻が寝ている方は壁になっているので凭れても寝ることができるが、こちら側はすぐ床なので下手に動くと落ちそうになる。  左馬刻、と抗議の声をあげようとしたが、本人はさっさと眠りに入ってしまったらしかった。吐息が銃兎の髪を揺らすのが少し擽ったい。  きっと、一人が嫌なのだろう。なんとなくそう思った。ヤクザの世界に入り、伝説のラップチームの一員になり。左馬刻の周りには常に仲間がいた。初めて左馬刻に会ったとき、その隣には黒髪の少年がいた。数カ月後、彼の仲間が四人になった。興味のないことでも有名な物は耳に入ってくる。  それなのに急に仲間を失い、一人ぼっちになったのだ。昨日まで一緒にいた人間が急にいなくなる恐怖を、銃兎はよく知っている。もう二度と手に入らないものを求めるのは辛くて、とても疲れる。だから、別のものを近くに置いておくのだ。そうしたら、少なくとも疲れない。孤独じゃないと思えるから。  そっと、眠る左馬刻の前髪を掻き上げた。自分の後ろにある窓からもれ出る月明かりに反射した、生白い肌が眩しい。改めて綺麗な顔をしているなと思いながら、銃兎も眠りに落ちていった。

 翌朝、銃兎が目を覚ますと左馬刻はいなくなっていた。家のドアはオートロックになっているので、特に戸締まりなどを気にする必要は無い。それは良いのだが、やはり昨日の左馬刻の様子から不安は残った。
 リビングに足を踏み入れると、テーブルに何かが置いてあるのが見える。近づくと、それは朝食らしき食べ物だった。オムレツ、トースト、それにポットに入っているコーヒー。できてからまだ時間が経っていないであろうそれらは、ひどくそそられる匂いがした。
──あいつ、何してんだよ…………
 思わずため息が出た。そういえば、昨日からため息をついてばっかりいる。それもこれも、全部左馬刻のせいだ。
「……いただきます」
 それでも銃兎はそっと椅子に座り、手を合わせる。オムレツはふわふわで、トーストはカリッとしていて。コーヒーは、本当にインスタントかと思うぐらい美味しかった。今度会ったら淹れ方を訊いてみようか。
 ふとスマホを手に取り、メッセージを確認する。部下からの仕事の報告のほか、一番上にあるトークルーム。そこには迷惑かけた、という簡素な文面が表示されていた。とりあえず朝食を作り、これが打てる程度には回復したらしい。銃兎は安堵の息を吐いた。
 空になったお皿を洗いながら、今日の予定を組み立てる。今日は非番だから久しぶりに遠出でもしようか。美術館に行ってのんびりしてもいい。

 それから数日後。左馬刻が今度は直接家を訪ねてきた。それもすぐに一度や二度の話ではなくなる。理由は様々でただ単に良い酒が手に入っただとか、何か銃兎にとって都合の良い情報を手に入れたということもあった。更には逆に、左馬刻の家に拉致まがいの護送をされたこともある。警察を家に招くヤクザなんぞ初めてだが、左馬刻としてはチームの仲間として銃兎を連れてきているのだろう。そう思えば銃兎も、いくらか楽な気持ちで過ごすことができた。  今日も左馬刻の家に招かれた、というか無理やり連れてこられた銃兎は仕方なく左馬刻と同じベッドに入っている。銃兎の部屋のそれより広いベッドは、大人二人が並んで寝ても間に余裕があるぐらいだ。そんなベッドに横になり、銃兎は本を読んでいる。左馬刻はその隣でスマホを眺めていた。 「なあ、銃兎」 「何だ」  本から眼を離し、声のした方を見る。左馬刻の顔はどこか所在無げな、迷子の子供のような表情をしていた。初めて銃兎の家に来た時よりかはいくらかましな顔つきだが、銃兎が不安を覚えるようなあの顔だ。 「……お前は、急に人がいなくなるってこと……分かるか」  急に過去を覗かれたような気がして、銃兎は内心の動揺を隠しながらこてんと首を傾げてみせる。 「…………いや、やっぱなんでもねえわ……」 「知ってますよ」  何故言ってしまったのかは分からない。しかし左馬刻になら、願いを叶えてやると言われた彼になら、さらけ出しても良いと思った。目を瞬かせた左馬刻に薄く笑いかけ、開いていた本を閉じる。 「…………私の両親……とってもいい人だったんです。私みたいに汚れてない、綺麗な人間だったんですよ……でも、消されちゃうんです。車に轢かれて……二人とも即死でした」  手慰みに本の題名を手で何度もなぞる。左馬刻は無言で聴いているようだった。そっちの方は見ていないから、本当に聴いているのかはわからない。 「でも、轢いた犯人は結局死刑にならなかった。懲役は数十年もすれば勝手に出てくる。もうそろそろ出てくる頃なんじゃないか 知らねえけど。なんで俺の親が死んだのにヤクやってるアイツは死なねえんだろうな、いっそのこと俺が殺してやりたい。脳みそぐっちゃぐちゃに引き回して、手足全部バラバラに千切ってやって、そうしたらちょっとは気も晴れるのかもしれねえけど、もうそんなのどうだって良い」  言葉が止まらない。体液が全部沸騰したみたいに身体が熱い。 「せっかく警察官になったのにさ、そしたら今度は先輩が死んじまった。なあ左馬刻知ってるか。薬物中毒で死ぬ人間って、びっくりするぐらい綺麗なんだぜ。首吊死体みたいに出すもん全部出して無くてさ、ちゃんと顔もそのまんまなんだ。肌はちょっと赤くなってたりするんだけど、バラバラにもならないんだ。ヤクやっても、ちゃんと葬式できるんだ。俺の親はできなかったのに」 ──なぜか先輩に嫉妬した。先輩は何も悪くないのに。薬に手を出して死んで、みんなに悲しまれて逝った。でも俺の両親は誰にも見られなかった。俺以外、誰にも悼まれることなく、葬式もなく、逝った。ヤクなんてあるから、ヤクがあったから、俺は一人ぼっちになったし大事な友人を失った。ヤクが無ければ、俺は。  急に何かが頭を撫でた。眼を上げると、哀しそうに微笑んだ左馬刻が頭を撫でている。そこで初めて、俺は何かが頬を滑っているのを感じた。何だろう、透明な何かの、液体。 「……ありがとな、じゅーと」  ぐような声が耳に届く。思いがけない言葉に目を見開くと、左馬刻は手を外して遠くを見るような眼をした。 「…………俺んちはよくある暴力男を女が殺して自分も死んで、子供二人が遺された家族だった。俺は妹を守るために裏社会でのし上がって、せめて妹を養うだけの金は稼いできた。相手を倒すとなったら相手より強くないと勝てねえ。だから、当時の世の中には暴力しか強く在る術は無かった。腕力、体力、そういうもんがモノを言う世界だ。そんな世の中じゃ女子供はすぐにやられちまう。だから、俺はそれを守ろうとした」  銃兎が初めて聴く話ばかりだった。妹がいたのも、親が心中まがいのことをしていたことも。 「なのに、なのにな……暴力はいつだって悪人なんだ。柔道やそんなモンとは違う。嫌な目で見られるモンなんだ。何が違うんだろうな、守りたいものはそうやって名前がついたもんじゃねえと守れねえのか、だったら柔道習わねえと守れねえじゃねえか。じゃあそれもできない子供はどうやって人を守るんだ。なあ銃兎、俺はどうしたら合歓に嫌われなかったんだろうな……」  ここまで弱った左馬刻は初めて見た。赤い瞳は揺れ、瞬きをすればそれはすぐにでも零れ落ちてしまいそうだ。そっと手を伸ばすと、瞼が上下して光る粒がつうと滴った。銃兎の指はそれを顎のあたりで受け止める。  ああ、こいつも人間なのか。やっと理解した気がした。いつも横柄で粗忽な彼だが、身体を開いてみれば、中身は人間で、子供なのだ。 「じゅうと……」 「俺はお前の側を離れねえよ。最初に約束させられたからな」  皮肉交じりに言ってやったが左馬刻の顔は晴れない。銃兎は仕方なく、左馬刻の膝に乗り上げて顔を近づけてやった。 「俺はお前のことならなんでも優先するんだろ だったら俺に命令しろ。地獄までついてこい、ってな」  それぐらいされないと割に合わない。なんせコッチは願いを叶える、なんて大変な夢を叶えさせてる最中なんだから。

■ □

 左馬刻が撃たれた。しかも俺を庇って。その事実は銃兎が焦り、知らない他人に助けを求めるには十分過ぎる出来事だった。
 ヤクの取引の情報を左馬刻経由で貰い、なかなかに大きな取引だったので火貂組と交渉した。結果、退紅から二人で捕らえて分け前を決めろと言われたのだ。
 現場突入して、二人して問答無用でヒプノシスマイクをぶっ放す。マイク相手では勝てないと悟ったアホが、俺に向かって拳銃の引き金を引いた。よくある事だ。何もなければ避けられていたと思う。
 なのに左馬刻は俺を庇って、俺の代わりに銃弾を身体に受けた。目の前で血飛沫が噴き出す光景なんて幼い頃にも見たことがあるはずなのに、左馬刻のそれは脳が揺さぶられるほどの衝撃だった。頭がくらくらしながら必死に言葉を紡いで、撃った奴を一発で沈める。コイツが最後の一人だったらしい。周りにはピクリとも動かない有象無象が転がっていた。当たり前だが外傷は見当たらない。
 でも俺の近くで倒れている左馬刻だけは鮮血にまみれて。銃兎は血が付くのも構わず必死に抱き寄せた。必死に止血しようと、撃たれた箇所を両手で圧迫する。血腥ちなまぐさい臭いが辺りを覆って吐きそうになった。銃声を聞きつけた左馬刻の舎弟が走ってきて、銃兎の腕の中を見てサッと顔を蒼くする。
 はやく救急車を、とわたわたする舎弟を必死に押しどめ、そっちの筋の医者に連絡するよう頼み込んだ。医者と連絡を取る舎弟の横で、左馬刻、と呼びかける。出血は先程より収まってはいるが、このままでは失血死も免れない。ジャケットを脱ぎ、シャツも脱いでそれで穴とその周りを縛るように固定する。
 医者と連絡が取れたらしい舎弟と二人で、車まで左馬刻を運ぶ。中の売人はほかの舎弟が始末してくれるそうだ。後部座席に左馬刻を寝かせ、自分も後ろに乗り込んで左馬刻の頭を膝に乗せた。運転席には舎弟が乗り込み、慣れた手つきで発車させる。この舎弟の運転は丁寧でありながらスピードが早いのだ。銃兎はただひたすら、熱を持った左馬刻の身体を撫でていた。
 話を聞いていた医者は外まで出てきてくれていた。左馬刻をベッドの上に乗せると、銃兎は部屋を追い出される。気を利かせたらしい舎弟が水と一緒にシャツを持ってきた。近くのコンビニで買ってきたらしい。彼の服にも血がついているのに、店員もよく売ってくれたものだなとぼんやりした頭で思った。
 現場で指揮を執るため舎弟が去っていってしまったので、銃兎は暗い廊下に一人取り残される。しかし弱った心のまま一人になると、どうしても嫌な想像ばかりしてしまうのだ。また大切な人間を失ってしまうのか。何も大切な物は守れていない。いつだって失ってばかり。いつまで同じ過ちを繰り返すのか。だったらもういっそ、ずっと一人で生きていけば良かったのではないか。
 どれぐらいの時間が経っただろう。ガラッと空いたドアの音で、銃兎は現実に引き戻された。とりあえず最低限の処置はしてくれたらしく、左馬刻は生きているらしい。その場に崩れ落ちそうになったが必死に脚を踏ん張って立ち上がった。
 先導されて部屋に入ると、左馬刻はベッドで眠っているようだった。医者の話では、幸い弾丸は致命傷にならず、ショックで意識を失っただけだという。心底安心して、思わず左馬刻の顔を撫でた。
 この医者は道を外れてこそいるが、優秀な技術を持った人間だ。銃兎も何度か世話になったことがあるが面倒見がよく、左馬刻もこの人の言うことはよく聴く。そういう意味では、これの言うことはとても信用できるのだ。
 医者が部屋を出ていって、室内には銃兎が左馬刻とともに取り残された。手近な椅子を引き寄せ、ベッドの側に座る。
「左馬刻」
 小さな声で名前を呼んでみる。返事が来ないのは分かりきっていた。息はあるのだから、彼は生きている。それでも、それを知っていても、今は左馬刻の眼が見たかった。
「左馬刻、俺はお前の隣にいるんだろ……こんなところで何してんだよ……」
──俺はもう、これ以上大切な人間をうしないたくないんだ。それならいっそ、俺も一緒に連れて逝ってくれたら良かったのに。いつもそうなんだ。いつも最後には一人になる。大切な人は先に何処かに逝っちまう。俺は一人、置いていかれる。 「なあ左馬刻、嫌だ……俺はもう、大切な奴を殺したくない……俺の前から、勝手にいなくなろうとすんなよ……なあ、左馬刻、俺の願い叶えるんだろ だったら勝手に死ぬんじゃねえよ、クソ……」  今まで我慢していた涙がシーツに滲みを作った。ぽろぽろと零れた言葉は支離滅裂で、自分でも何を言ってるのかわからない。左馬刻にかけられた布団に突っ伏して、銃兎はただ涙を流した。

 左馬刻が目を覚ますと、そこはよく見た医者のベッドの上だった。腰の辺りに押し付けられている圧迫感を感じて視線を下ろすと、銃兎が上半身を左馬刻の上に預けたまま眠っている。きっと泣いたのだろう、目の縁が赤くなっていた。腕に顔を押し付けていたのか、鼻には眼鏡のパッドの跡が残っている。そっとアッシュグレーの髪を梳いてやると、さらりとした手触りを感じた。 「…………うん……左馬刻……」  撫でられている感覚に気がついたのか、銃兎の瞼が持ち上がる。しばらくぽやぽやとした顔で撫でられていたが、ハッと気がついたように上半身を起こした。 「お前っ……傷…………」 「おう、もう大丈夫だ」  食ってっかる銃兎に左馬刻は微笑んでみせる。 「馬鹿っ‼ お前何してんだよ……」  銃兎は悔しそうに顔を歪める。庇われたというのよりも、左馬刻に怪我を負わせたことの方がよっぽどこたえるのだ。あの時と同じように感じてしまう。お前では頼りないと言われたような、疎外感を。 「大丈夫だって、生きてるんだからよ」 「でも……」  また頭を撫でられそうになるのを、銃兎は必死で避ける。左馬刻はそれを見て、少し笑った。 「ちゃんと全員始末したんだろうな これだけ傷をつけさせたんだ、落とし前はキッチリつけてもらわねえとなあ」 「お前の舎弟に任せたわボケ…… 話を逸らすな」  銃兎は明らかに怒っている。しかし、左馬刻はなぜそこまで銃兎が怒っているのか理解できなかった。大事なものは自分で守るのが左馬刻の信条だ。人生が公平でないのなら少しでも公平になるように、不公平に助け合って生きるしかないのだから。 「お前なら俺様のことなんでも聞いてくれんだ」 「だからって死のうとしてんじゃねえ!!」 「ああ⁉ 俺様のモンを守るのは当たり前だろうが‼」 「俺はお前のもんじゃねえ お前のになるくらいなら一人でいたほうがよっぽどましだ‼」 「おーおー良いぜじゃあさっさと出て行けや‼」  左馬刻の言葉にぐっと唇を噛み締めた銃兎は、荒っぽくドアを開けて部屋を出ていく。バタン とドアの閉まる音は、やけに左馬刻の耳に大きく響いた。  また、やっちまった。あの時と同じだ。言葉が足りないのか。暴力に訴えずにいても、言葉を使っても、どうやっても大事なものは守れないのか。銃兎は少なくとも自分と境遇が似ていたから、もしかしたら理解し合えたと思っていたのに。なんで、こうも離れていってしまうのか。  銃兎の顔を思い出す。ホテルの一室で、初めてまともに真正面から彼の顔を見た。狂悪な笑いを浮かべた銃兎を、左馬刻は美しいと思った。  初めて銃兎の家に行った時、銃兎は不思議そうな顔をしながらも世話を焼き、自分のわがままを受け入れた。コイツは自分を受け入れてくれるのだと、本能で感じた。  それから自分の家にも招いた。初めは驚いていた銃兎は、いつしか当たり前のように同じベッドで寝るようになった。  銃兎の過去を聞き、自分と同じだと感じた。大事な人間を失い、かろうじて遺された者が持つ怨念のようなものだけで生きている。  自分の過去を初めて人に話した。そのときも銃兎は笑って、受け入れて。 ──地獄まで一緒に行ってやる  銃兎に言われた言葉が蘇る。一緒に、ずっと隣で。銃兎はいつもそうだった。  彼は一生隣にいることを誓った。それは、左馬刻を安心させるための言葉だと思った。小手先などとは言わないが、それが銃兎の真意だとは露ほども思っていなかったのだ。だって銃兎は親に裏切られて、先輩に裏切られて。一人で生きていくしかなくて、自分を選んでもらえなくて。でももしかしたら。もしも銃兎が本気で一緒にいたいと、そう思っていたとしたら。今回、左馬刻がしたことは銃兎にとっては大きな裏切りだ。  左馬刻は迷わずスマホで電話をかける。しかし求めた相手は、無情にも切断音を鳴らすのみだった。

■ □

「銃兎さん どこ行くんですか⁉」  裏口で部下に叫ばれて銃兎は振り返る。自分は今、どんな顔をしているのだろうか。  左馬刻の舎弟から犯人に逃げられたと伝えられた時は、思わず相手に罵声をあげてしまった。彼も怒られることは想定済みだったらしく耐えていたが、ほかの奴らが止めなければ殺してしまっていたかもしれない。なんとか落ち着いた銃兎が話を聴くと、どうやら運んでいる間に意識を取り戻し、暴れた結果逃げられてしまったということだった。舌打ちをした銃兎に身を縮ませた舎弟はすみません、と平謝りっぱなしだったが、銃兎の怒りは収まらない。  そして署から再度出直そうとしたところで、部下に呼び止められたところだった。 「何って、犯人を捕まえに」 「いやそれはわかりますけど、何処かも分からないのに捕まえれるわけないじゃないですか ちゃんと作戦を立てて」 「うるさい 俺に構うな‼」  大声を出した銃兎に一瞬臆した部下だが流石は組対の男、腰が抜けるなどという失態は犯さない。その態度が銃兎を冷静にさせた。 「…………すみません。取り乱しました」 「いえ……僕の方こそ……銃兎さんの信念は知ってますから、でも無理しないでくださいね。いなくなっちゃったら寂しいですから」  にこりと笑う部下は本当によくできた奴だと思う。こんな先輩はさっさと死んでしまえと思うのが普通だろうに。 「銃兎さんの事ですからどうせ止めても無駄なんですよね だったら俺は見ないフリしますから。でも絶対、死なないでくださいね」  その純粋さは羨ましい、と銃兎はぼんやりと思った。彼は一度、銃兎と共に左馬刻の事務所を訪れている。勿論事件の聴取、という名目であったが彼は勘の良い男だ。恐らく銃兎と左馬刻の関係にも気が付き、その上で目を瞑っているのだろう。いずれディビジョンバトルが始まれば周知のもととなるだろうが、それまで黙っていてもらえるだろうか。場合によってはまた対価を渡す羽目になるかもしれない。  そんなことを考えながら、銃兎は車に乗り込んだ。実は、事前に左馬刻の舎弟から場所の目星はつけてもらっている。いくつか書かれた場所を順番に虱潰しらみつぶしに見ていくつもりだった。
 一つ目、二つ目。倉庫にも、裏路地にも、人の姿は見当たらない。ここも外れた、と銃兎が引き上げようとしたその時だった。
 ゴミ捨て場になっている場所の地面が平らにならされているのに気がつく。ざくりと靴で土を蹴ると、そこそこ新しい木製の板が見えた。慌てて掘り起こすと、それは床下収納でよくある扉だ。音を立てないように慎重に開けると、階段で奥まで繋がっているのが見えた。
 地下への階段をこれまた慎重に降りていく。監視カメラの類は無さそうなので襲われることはないだろうが、相手に悟られない方が有利なのは確かだ。突き当りにある扉には窓があり、銃兎はそこから中の様子を覗きこんだ。
 そう簡単に見つかるとは思っていなかったがそれにしても軽率だ、と銃兎は思う。敵の目の前で呑気に酒を飲みながら作戦会議とは、何故こんな奴によって左馬刻が撃たれなければならなかったのか。
 怒りのボルテージは容易たやすく高まる。マイクがあることを確認してからドアを蹴破った。慌てた顔の男たちを前に、ヒプノシスマイクを起動させる。こういった勝負は常に先手が有利だ。相手の起動を待たずに言葉を脳に叩き込んでやった。怒りで高揚した頭は自然と冴えて、いつも以上に攻撃的な言葉が飛び出す。あるものは顔を歪め、あるものは叫び、またあるものは何もすることなく昏倒した。
 部屋の中に誰も立っていられなくなるまで、銃兎がマイクをしまうことはなかった。

「銃兎さん、今日はもう帰ってくださいよ。やつれてるじゃないですか」 「でも報告書がありますから」  そんなの明日でいいですから と押し切られる。部下に心配されるなんて情けない。確かに勝手に動いて得た手柄なのだから、いつ報告しようが関係ないのだが。  結局銃兎は定時で職場を出た、というか殆ど出されたと言った方が良い。そこでやっと、左馬刻と喧嘩別れのようなことをしてしまったことを思い出した。今からまた彼のところに行くのも気が引ける。  そんなことを考えながら車に向かうと、そこには先客がいた。真紅の瞳以外を白で染めたようなその男は銃兎の車のボンネットに凭れ、紫煙を吐き出している。 「……よお、じゅーと」 「…………左馬刻」  何故か、泣きそうになった。あまりにもいつもの左馬刻だったから。昨日まで血が流れていたなんて嘘みたいに、笑うから。 「なあじゅーと、ホテル行こうぜ」  それは嘗ての誘い言葉。銃兎はまるでパブロフの犬のように、頷くことしかできなかった。

■ □

「……なあ、じゅーと……お前は俺様の全てを受け入れるんだよなァ」  少し前なら当たり前だった同じ部屋の、同じベッド。左馬刻は部屋に入るなり銃兎をベッドに押し倒した。銃兎の両手首を、左馬刻の少し大きい両手がベッドに押し付ける。痛みこそ無かったが、左馬刻の顔には沈痛な表情が浮かんでいた。 「……そういう、約束だっただろ……」  眼を合わせようとする左馬刻から逃れようと、銃兎はせめてもの抵抗で眼を逸らす。一向に噛み合わない視線に、左馬刻は心の中で哀しく笑った。 「…………銃兎、俺はお前を守りたいと思った……それはお前を大事な人間だと思ってるからだ。だから、傷つかねえように、あん時は」 「だったら、勝手に撃たれてんじゃねえよ……」  銃兎が口を挟んでくる。反論したかったがあの朝と同じ押し問答になりそうで、左馬刻は代わりに一層手の力を強めた。流石に銃兎も手首に痛みを感じたのか、綺麗な顔を歪めている。 「お前が…………裏切ったんだろ……馬鹿野郎……」  そう呟いた銃兎の瞳から、涙が溢れた。こいつの涙を見るのはこれで二度目だ。もう、見たくなかったのに。 「そうだなァ……でも、銃兎も、俺を裏切ったよなァ」 「なにが…… 俺はなんもしてねえだろ……」 「俺様は最初に言ったよなあ 俺様のことなら何でも優先しろってなァ……。なあじゅーと、俺様を選べよ。俺様を信じろ」  嫌だ、と銃兎が首を振る。銃兎にとって他人を信じることは、大切にした人間を失うことと同義なのだ。可哀想な奴だ、と左馬刻は思う。信じたくても、自分が信じた瞬間、その人間は消えてしまうのだから。昔から信じた人間に裏切られ続けてきた兎は、人を信じることすら満足にできないのだ。 「なあじゅーと、俺たちには裏切りはナシなんだろう お前が自分で言ったんじゃねえか、地獄まで俺様と一緒だってなァ」  ひっく、としゃくりあげる銃兎があまりにも惨めで、可愛くて。思わず頬を寄せた。驚いた顔の銃兎が逃げようと上にずり上がる。それを阻むように左馬刻は全身を使ってとどめた。首筋に顔を埋めると、銃兎の匂いがする。
「なあ、じゅーと」
「………………………………言った」
「ん、言ったな」
「さまときの、となり、あるきたい」
「うん」
「いっしょに、じごくまで、いくから」
「うん、一緒に行こうな」
 舌っ足らずの声が必死に紡いだそれは、銃兎なりの愛の言葉。左馬刻が応えるようにそっと額を首元に擦り付けると、涙を流しながらも銃兎は笑った。狂悪なそれではない。きっと、銃兎本人の、生来の笑い方。それを見ることができたのが嬉しくて、左馬刻も笑った。

シリーズ
#3 -----

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