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この作品「運命は絶ち切れない」は「ヒ腐マイ」「左銃」等のタグがつけられた作品です。
運命は絶ち切れない/立葉 葵灯の小説

運命は絶ち切れない

16,329文字32分

シンジュクにいた頃に観音坂さんと番になってしまった銃兎と運命の番である左馬刻の話.勿論いるぜ理鶯.あと寂雷先生

※銃兎が弱ったり左馬刻が弱ったり色々ありますので,彼らの人間的な面が全て許せる方向けです
※観音坂さんがラット状態に陥り銃兎を強姦(未遂)する描写があります

【お知らせ】
ガイドラインに沿う形で創作を行うため,現在pixivにあげた作品のうち成人指定のものは非公開にしております
なにかの形で再公開できそうであればしたいと思っておりますので,ご承知のほどお願いします

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 それはきっと逃げられなかった再会だった。番はフェロモンを感じ合うから。たとえそれが合意のない番だったとしても、本能は番を求めてやまない。向こうが気が付かないのは、俺が抑制剤を飲んでいるから。きっと向こうは、まさか自分が知らないうちに目の前のオメガと番っているなんて知らずに終わるだろう。大丈夫、大丈夫。
 そう思いながら声をかけたのだ。
「お久しぶりですね、観音坂さん」

■ □

 大きめのマンションの最上階。ここはいわゆる左馬刻のセーフハウスで、銃兎はヒートが近くなるとここで過ごしている。銃兎は勿論、理鶯もここの合鍵を持っている、三人だけの秘密の家だ。
 左馬刻はここに来るときは必ず自分の足で来て、舎弟すら使わない。それはひとえにオメガである銃兎のためであり、銃兎がヒートを無事に乗り切ることができるようにするためだ。
 本来であれば番のところで過ごすヒートだが、銃兎の番は会うことすらままならない。というのも、彼の番の印は非合意の元につけられたものだからだ。交番で働いていた時にラット状態のアルファに襲われ、項を噛まれ二人揃って倒れていたのを同僚に発見された。そして病院に運ばれ、そのアルファとはそれっきり会えずじまいなのである。アルファがフェロモンに誘われ強姦を行った場合は、アルファの矜持を傷つけないようにするため被害者とは会わせず犯罪歴にも残らない。アルファ中心に回っている世界なぞこんなものだ、と銃兎も理解していた。かと言ってそれを自分の落ち度とする気持ちも毛頭無いが。
 結局銃兎は病院で緊急避妊ピルとアルファの体液を薄める薬を飲まされ、異常がないことが確認されるとすぐに退院させられた。おかげでヒートの時こそ発情するほどには至らないが、番にしか感じられないフェロモンは収まらない。よってヒート時は抑制剤の服用が不可欠である。
 万が一にでも、相手に番であることを悟られてはならない。最悪の場合、囲われて仕事さえ辞めさせられる可能性もあるからだ。そんなことになれば銃兎の生きる意味もなくなってしまう。そうして最終的に、銃兎の生きる場所はヨコハマに移っている。
 銃兎は警察官であるが故、オメガに対する法整備の軽薄さなどは知っていた。しかし、どうやらこの世界では強姦されたオメガに対して、番を解消させることができるなんて提案は露ほどもないらしい。なんともアルファ中心な世界である。
 アルファは番のオメガがいても別のオメガと番えるが、オメガはこの傷を一生抱えて生きていくのだ。ほかのアルファと番うことなく、僅かに残った体内のアルファの匂いを求めながら、独り寂しく息を引き取る。それが強姦されたオメガの運命なのだ。
 だから、きっと俺はまだ幸福な方なのだろうと、銃兎は思う。そのあと幻とも言われる運命の番である左馬刻に出会い、チームメンバーに支えられながら生きていけている。左馬刻とはヒートのときこそ一緒にはいられないが、それ以外では何かと世話になることも多い。それでも豚箱に入った左馬刻を出すのは銃兎なのだから、結局のところはお互い様だ。
 既に番がいるオメガは本能で番を求め、たとえ運命の番であってもほかのアルファを拒絶することがあるという。銃兎の身体はまさにそれで、しかも本能で求める番の匂いと、左馬刻の運命の番としての匂いをどちらも求めてしまって、自分でもわけのわからない状況にとされるのだ。
 銃兎自身記憶はないが、以前理鶯が見たときは狂ったように左馬刻の名前を呼びながら、枕で左馬刻の胸を殴っていたらしい。左馬刻は黙ってそれを受け止めていたそうだが、理鶯が銃兎を左馬刻から引き離すと、今度は離れたくないとぐずり始めたそうだ。正直な話、記憶にないのというは幸いなのだが、二人が覚えているというのもなんだか腹が立つ。
 しかしそれ以来、左馬刻は銃兎がヒートに近くなるとこのセーフハウスへは足を運ばなくなった。ベータである理鶯に部屋の掃除や食事の用意を任せて、銃兎を混乱させないように気を遣ってくれているらしい。抑制剤も飲んでいるので特に問題はないのだが、実際に突然のヒートが起こったことがあるのだ。左馬刻が気にして避けるようになったのも、無理はない。大事にされているようでこそばゆい気分になるが、そう言うと何故か怒られるので銃兎は言わないようにしている。
 そんなことをうつらうつらと考えていると、左馬刻が銃兎の頭を撫でた。ゆらりと首をかしげて顔を見上げると、左馬刻の手はそのまま顔をなぞるように動いて銃兎を引き寄せる。されるがまま胸に顔を埋めると、トントンと背中を叩かれた。
 ヒートでなければ、左馬刻の匂いは銃兎にとっては安心材料だ。まるでここが自分のいるべき場所だと教え込まれるようで、すごく気持ちがいい。多幸感に包まれるのは自分が自分ではなくなるみたいで少し怖いが、左馬刻と理鶯がいればもうそれだけで良いような気もしてくるのだ。
「……眠いんだろ、寝ちまえ」
「ん……」
 左馬刻に子供をあやすように撫でられ、銃兎は静かに瞼を下ろした。

■ □

「銃兎さん この資料なんですけど……」  歴。ヒプノシスマイクという新しい武器が流通してから、組対の仕事に違法マイクの摘発が追加された。しかしその威力の強さに耐えられる精神力と、一発で仕留めることのできる攻撃力を併せ持つ人間など警察内にそういるものではない。結局駆り出されるのは殆どが銃兎で、そうなれば当然その報告書の類を書かされるのも然りだ。流石にそのすべてを捌き切ることは不可能だと悟り、ほかの仕事を部下に回していたのをたった今思い出した。多忙も極まると、自分でもどの仕事をどうしたのか覚えていない。 「ありがとうございます、出しときますね」 「はい、よろしくお願いします」 ──ああ、頭が痛い。  抑制剤の副作用だ。本来であればヒート用の休みを取るのだろうが、ここの人間やつらは殆どが銃兎がオメガであると知らない。抑制剤と気力だけで、今までひた隠しにしてきたからだ。頭痛や吐き気が副作用としてあるのが難点だが、病院で処方されるもののうち最も強い抑制剤だ。少しでもオメガだと勘づかれないようにするためにも、無理にでも強いものを使わなければならない。  渡された書類に判子を押し、自分が作っていた書類と併せて立ち上がった。一瞬目眩がしたが、無かったことにする。 「課長、これ一昨日の事件の報告書です」  銃兎は、デスクでパソコンに向かってしかめっ面をかましている男の前に資料を置く。眉間に皺が寄った顔はさながらヤクザのそれだ。まあ組対なんてヤクザ相手にガン飛ばす職業だし、それぐらいで良いのかもしれない。 「おお、ご苦労さん……おい、入間」 「はい」  踵を返そうとしたところで呼び止められ、笑みを絶やすことなく振り返る。 「ちょっとは休めよ、ずっと休んでないだろうが」 「……ふふ、ありがとうございます。でも問題無いですよ」  思いもよらない言葉をかけられ、一瞬目を丸くするがすぐに笑い返した。この上司は組対の中で、唯一銃兎がオメガであると知っている人物だ。誠実なのは良いのだが、何かと俺に休暇を取らせようとする。まあ確かに、警察の中じゃ有給を一番消化していないのは俺だろう。溜まりに溜まった有給は使わないとそれはそれで面倒なので、いつかぱっと使ってしまおうと今決めた。  何せやってもやっても仕事は終わらない。なんて治安の悪いところなんだここは。心の中で独りごちながら次の資料を探す。幸運にも殆どの後輩や同僚は昼飯に外に出ていっているので、銃兎のほかには数人しか残っていない。多少バタバタと物を動かしても顰蹙ひんしゅくは買わないはずだ。
──ああ、イライラする
 ヒートの時はいつもそうだ。自分でもよくわからないが些細なこと、例えば何かを落としてしまったことだけでもイラッとする。自分がしっかりしてないこともわかるから余計だ。
 二日前に一緒に寝たのを最後に、左馬刻はセーフハウスに足を踏み入れていない。理鶯が全ての部屋を掃除してくれたおかげで、あの家は今や理鶯の作る料理の匂いでいっぱいだ。
 やっと資料を見つけて目を通す。薬物売買をしているその組織は、はじめの頃はヨコハマで活動していたが最近シンジュクに移ったらしい。クソが。ヨコハマを出てしまえばウチの管轄外だ。無理やり居場所を突き止めてもいいが、情報が降りてこない以上裏から回るしかない。左馬刻に頼むか。
 シンジュクという文字でふと、先日のラップバトルで出会った独歩を思い出した。観音坂独歩。シンジュクに住むサラリーマンで、俺の番。
 万が一、と左馬刻と理鶯に言われて抑制剤を飲んでおいて本当に良かった。二人に今のところは気づかれていない。理鶯にも独歩とはどこかで会ったと思っていたが、とわざと記憶にあまり残っていない事を言っておいた。
 自ら声をかけに行ったのももちろんわざと。これで理鶯は観音坂さんを疑わなくなるだろう。向こうはびくびくしていたが、こちらの方がよっぽどだ。近づけば近づくほど匂いを悟られるリスクは高い。強い抑制剤を使っているとはいえ、番相手では限界がある。会話は最小限にとどめて理鶯の元に帰るのが最適解。理鶯だけでも疑惑を晴らしておけば左馬刻も理鶯に従うだろうと踏んだし、実際そうだった。
 駄目だ、と心の中で呟く。駄目だ、シンジュクに左馬刻が行ったら彼と鉢合わせしてしまうかもしれない。それは嫌だ。左馬刻に知られたら、観音坂さんの身にも危険が及んでしまう。理鶯だってそうだ。だからだめ。じゃあひとりで、そうだ、このまえしんじゅくのほうにうつったってやつが……
 突然目の前が真っ白になった。渦を巻くように明転した視界がちかちかして、立っていられなくなる。誰かが俺の名前を呼んで、でもそれは俺の欲しい声じゃなくて。
──さまとき、たすけて。


 ぱちりと目を開けると、仮眠室の薄黒い天井が見えた。身体を動かそうと腕に力を込めても動かない、というか動けない。身体全部が微熱でもあるかのように熱い。抑制剤が切れそうなのだ、と直感的に理解する。  上手く身体を動かせずもぞもぞとしていると、ドアが開いて後輩が入ってきた。 「良かった、目ぇ覚めたんですね みんな心配してたんですよ」  水を持ってベッドの近くまで来た彼は、未だごそごそと藻掻いている銃兎を見て驚いた顔をした。 「ちょ、銃兎さん大丈夫ですか⁉」  焦った声を出すが、手は出して来ない。銃兎としては変に触れられるとおかしくなりそうだったので、その選択はありがたかった。 「課長 銃兎さんが……」  前言撤回。絶対課長は呼ばないでくれ。 「入間、どうした」  どうやら一緒に来ていたらしい。面倒くせえ、と心の中で舌打ちをする。先程よりも動きやすくなった身体で、なんとか上半身を立たせた。 「すみません……もう大丈夫なので……」 「無理はするな。まだ休んでいろ」  銃兎が動揺しているのも見抜かれているようだった。俺は働きたいんだが、という言葉は辛うじて飲み込む。仕方なくもう一度ベッドに寝転がると、課長は後輩に一言二言、話しかけた。後輩が返事をして去っていくと、今度は自分の端末を取り出して操作しはじめる。 「おい入間、緊急連絡先ねえじゃねえか」 「独り身なもので……っていうか私は仕事に戻りたいのですが」  まるで帰るのが当たり前とでもいうように話しかけてくる上司に、若干の苛立ちを覚える。 「何言ってんだ、体調悪いなら帰れ。チームの奴なら電話出るか」  後半は完全に銃兎宛の質問ではない。勝手に上着からスマホを探す音が聞こえたが無視した。ごそ、とスラックスのポケットから抑制剤を取り出す。 「おい、開けろや」 「嫌です」  意味がないと知りながら拒絶するとははっ、と課長が笑う。 「入間ぁ、お前は確かに強い。だがな、それだけじゃ人間はやっていけねえ。お前もチーム組んでんならわかるだろ 一人じゃできねえ事もある、だからチームってもんがあんだ。ちっとは頼れ」  銃兎はガリッと、こっそり口に含んだ抑制剤を噛み砕いた。薬が浸透する慣れた感覚が身体を巡る。急にどうしようもなく虚しくなって、ため息をついた。結局薬に頼って、帰ったら理鶯に頼って、ヒートが終わったら左馬刻に頼って。なんだ、頼ってばっかりじゃないか。 「……スマホ、返してください」  布団に潜ったまま催促すると、意図を理解したらしい課長はまた笑って枕元にスマホを置いた。銃兎は手探りでそれを手に収めると、理鶯とのトークルームを開く。どうせ迷惑をかけるならと、迎えに来てほしい旨を連絡した。自棄やけになってスマホを放り出す。はずみで布団から出たスマホの画面は、課長にも見えたのだろう。今度は文句は出なかった。

■ □

「すみません……迷惑を」 「気にするな、銃兎のためなら小官は喜んで手伝うぞ」  にこりと笑って言葉を返す理鶯に、銃兎は小さくため息をついた。見慣れた左馬刻のセーフハウス。銃兎はベッドに寝かされ、理鶯に頭を撫でられていた。今になって抑制剤が効いてきたのか、意識ははっきりとしている。正直、寝ているよりかは動きたい。こうしている間にも、薬物の取引がおこなわれているかもしれないのに。 「ねー理鶯、私仕事がしたいんですけど」 「む……しかし、体調が悪いのではないか」  心配そうな目を向ける理鶯に、銃兎は笑いかける。 「もう大丈夫です 薬も飲みましたし、元気ですよ」 「そうか……ではパソコンを持ってきてやろう。それで良いか」  あんまり良くないのだがええ、と頷くと理鶯はもう一撫でして部屋を出ていった。本当は外に出てしまいたかったのだが、理鶯がきっと許さないだろうと黙って待つ。  ヒートの状態にあるとついつい甘えてしまうが、一旦抑制されればそれを後悔する気持ちが上回る。オメガだから、ヒートだから、番がいるのに会えなくて寂しいから。そんな感情だけで甘えられても理鶯だって迷惑なだけだ。一人でも生きていけなきゃいけないのに。 「銃兎 どうした⁉」  焦った理鶯の声が聞こえて現実に戻された。理鶯の手が自分の首に伸びて、手首を掴まれる。どうやら自覚なしに首を締めていたらしい。 「あ……すみませ……」  知れず涙が溢れる。理鶯の指がそっと涙を拭った。 「銃兎、やはり寝ていた方が良い。疲れているのだろう」 「大丈夫ですよ……このくらい、なんとも」  そっぽを向いて呟く声に、理鶯の制止がかかる。 「そんなことはない。ヒートで情緒が不安定になっているのだろう、休んだ方が」 「うるっさいな いいって言ってるだろ‼」  銃兎が叫ぶ。理鶯が息を飲むのが分かったが、積もる言葉は留まることを知らない。 「ヒートだからなんだよ オメガだからなんだよ オメガだからってだけでなんで守られなきゃなんないんだよ 意味わかんねえ……オメガだからって……なにもかも、もううんざりなんだ…………」  ぼろぼろと涙を零しながら訴える銃兎はシーツを握りしめる。しかし理鶯が声を出すよりも早く、銃兎は布団にくるまってしまった。仕方なく、理鶯は差し出しかけた手を引っ込める。
「…………すまなかった、そんなつもりは無かったのだが……」
 理鶯はそう言い残して寝室を出ていく。その音を聞きながら銃兎は、シーツを握った手を顔に押し付けた。


「じゅーと、ただいま」  抑制剤が効いたままの身体には心地よく響く声だ。いつの間にか寝てしまったらしい。理鶯に向かって泣き叫んだ手前、顔がぐちゃぐちゃなんだろうと思うと顔を見せる気にはなれなかった。じっと横になっていると、そっと左馬刻の手がシーツ越しに頭を撫でる。ゆるゆると撫でている手は気持ちがいい。 「……理鶯から聞いたんですか」 「ん まあな、うさちゃんが寂しがってるってよ」 「寂しがってなんかいません」  銃兎が不貞腐れた声で言うと、左馬刻は何故かけらけらと笑った。 「…………な、銃兎。俺はお前がオメガだとかそんな事で世話してるわけじゃねえぞ。好きな奴に頼られて嬉しくねえわけねえだろ、そんだけだ」 「……俺だって…………好きなのに」  忌々しげな声を聞いた左馬刻は一瞬驚いた顔をしたが、依然として布団に包まっている銃兎には分からない。 「……可愛いこと言ってくれんじゃねーか」  甘い声で囁かれ、銃兎は逃れるように目を瞑った。情事の際に甘く優しく抱かれるのは好きだが、生憎今はそんな気分ではない。こそばゆいその声は理性が融かされそうになる。 「可愛いとか、言われたくない」 「んでだよ、お前だって理鶯のこと可愛い可愛いってこの前言ってたじゃねーか」  それは、理鶯が本当に嬉しそうに笑うから、とは言えず銃兎は黙る。 「な、じゅーと、俺様のこと好きだろ」  無言で動かずにいるのを、左馬刻は肯定と捉えたらしい。くすくすと嬉しそうに笑いながら、布団ごと銃兎の身体を抱きしめた。 「なあうーさちゃん、顔見して」  ゆっくりと布団を剥ぎ、銃兎の顔を出させる。目を真っ赤にした銃兎は、まるで本物のうさぎのようだった。 「ん、かわい」  そっとキスをすると、銃兎はぎゅうと目を細める。左馬刻に愛を囁かれるのは、これだから嫌なのだ。とろとろになるまで愛されて、左馬刻のものになりたいと本能が叫ぶ。それなのに、ヒートのときに求めるのは左馬刻の匂いじゃないのだから、本当に望まない番というものは嫌なものだ。 「やだ、離して」 「ばーか、こんな可愛いのほっとく奴がいるかよ」  一層抱きしめる力が強くなる。とんとん、と頭を撫でられて知らず安心した瞬間、ぶわっとフェロモンが噴き出すのがわかった。 「うぅっ…………」 「つっ……」  突然のことに二人して呻くが、銃兎よりも左馬刻の方が行動が早い。素早く銃兎の身体をベットに沈め、バタバタと部屋を出ていった。  わかっている。このままだと銃兎は、また左馬刻の匂いに苛まれてしまう。しかし突然の拒否行動に、銃兎の心はついていくことができなかった。 「左馬刻っ 待ってっ…………‼」  飛び起きて掴んだシーツからは、もう左馬刻の匂いがしない。不安と悲しみに襲われ、瞳からぼろぼろと涙が零れた。しばらくすれば理鶯が部屋に入ってきて、そっと布団に寝かされる。嫌だ、と必死に布団から出ようとするが首を振られた。 「銃兎、もう寝よう」 「やっ…… 左馬刻……うぅっ…………」  涙を流す銃兎の頭を、理鶯がそっと撫でる。そうしてずっと、銃兎が泣き疲れて眠るまで、理鶯がベッドの側を離れることはなかった。

■ □

 先輩と呼び慕っていた彼が居なくなってから、銃兎は不安定だった。元気に出ていくパトロールにはいつも通りの覇気があったが彼の目元は黒く、十分な睡眠がとれていないことが伺われた。そんな矢先にあの事件。パトロール中にアルファに襲われ、強姦された。必死に抵抗したが最終的に項を噛まれてしまい、病院でも番になっただろう、との診察を受けた。
 その頃は今のように医療技術も発達しておらず、番を解消させることは医者にだって不可能なことだった。必死で噛み跡を隠し、オメガであったこともすべて隠蔽して銃兎は職場に復帰した。その後着々と手柄を上げ、交番勤務から最終的にはヨコハマの組織犯罪対策部へ登りつめていったのだ。
 今銃兎の目の前に立っている男は、その一部始終を見ていた。どんなことを腹の中で思おうが自由だが、きっと何も考えちゃいないのだろう。その方が駒としてはよほど使えるので、銃兎はシンジュク方面の情報は全て彼に探させていた。警察官としての観察力は決して低くない。ただそこに何の情も無く淡々と仕事をこなすだけ、というのが銃兎の見解だ。だからこそ出世しないのかもしれない。自分には全く関係ないことだが。
「……それじゃあな」
「ああ、ありがとうございます」
 お互い煙草を一本ずつくゆらせながら、情報交換をして別れる。彼が持ってきた情報はかなり有用なものだった。火貂組によってヨコハマから追い出された売人共は、やはりシンジュクでヤクを売りさばいているらしい。  今日は非番の日で、この後も用事は控えていない。しかも銃兎が持つ情報と照らし合わせると、その組織の持つ建物はこの近くにあるらしい。そのまま裏付けに回ろうかと考えていると、銃兎の眼がある者を捉えた。 「……っ 観音坂さん…………⁉」  咄嗟に喫煙所の陰に身を隠す。あの髪色を見間違えることは無い。陰気ながら、必死に仕事をしていることが窺える顔も。じっと目で追っていると独歩は行き先を確認したらしく、パンフレットでも入っているのであろう袋を持って歩き出した。しかも、行き先は銃兎と同じ方面だ。 「…………まずいな」  なにも彼がそこに行くと決まったわけではない。それでも銃兎の勘は危機を告げてていた。それが警察官としての勘か、己の番に危険が及ぶという勘か、銃兎には分からない。しかしそんな不安を後押しするかのように、独歩の足はどんどんその建物への道を辿っていく。  普段であれば職質でもなんでもかけて止められるのだが、生憎今日の銃兎は警察官ではない。営業として呼ばれたのであれば、独歩も訪問をやめるなどという事はしないだろう。  それに近づいてうっかりにでもフェロモンを感じてしまったら。最後お互いにどうなるのかは、火を見るより明らかだ。  思わず唇を噛みしめる。そもそもここの組織が独歩のような白い会社──皮肉にもブラック企業ではあるが──に製品案内を頼むということがあるだろうか。医者自体はマトモだが裏とも繋がりがある、なんてことがそうそうあるものではない。火貂組でもお抱えの闇医者を持っている。もちろん白とは言えないものを。  そうこうしている間にも、独歩は目当ての建物に入っていってしまった。慌てて銃兎も後を追おうとしたが、独歩が入っていったのは正面玄関。ラップバトルで顔が知られている銃兎では、彼の部下も何も演じられない。  偶然だったらいい。そんな都合の良い考えが浮かんだが、慌てて脳から追い出した。どうあがいても堅気ではない建物だ。そこに入っていった時点で何らかの事件に巻き込まれるのは必然。最悪の場合、犯罪の片棒をかつがせてしまう可能性だってある。 「…………クソが……」  独歩が無事に出てくることを祈りたいが、またしても銃兎の勘が警鐘を鳴らした。きっと何か、悪いことの起こる前触れだ。仕方なく建物の周りを一周し、ほかの入り口が無いかどうかを調べる。中の様子を窺える窓すらない、一つだけドアがあったが鍵はパスワード式だ。桁数も分からないのに当たるわけがない。やはり正面玄関から入るしかないようだ。  一つ舌打ちをして正面玄関の監視に戻ろうとした銃兎の口を、何者かが塞ぐ。しかし銃兎が反撃に出るより先に、何者かの手刀が銃兎の項に振り下ろされた。


 銃兎が目を覚ますと、そこは地下牢のようだった。腕を後ろで縛られ、脚は足枷のようなもので柱に繋がれている。口にも何か布のようなものが、猿轡の如く締められていた。
 うぐ、と声を出すが誰にも届かない。足枷を外そうとガチャガチャと動かしていると、壁に隔てられた向こう側から声が聞こえた。
「……アイツはこっちにいれたのか」
「はい、でももう気がついてますかね……」
「気がついてたらそれはそれで良い。どうせ逃げられねえよ」
 ピタリと動きを止めた銃兎は、なるべく先程と同じ体勢をとる。どこまで誤魔化せるかは分からないが、今は生きていることを知らせるべきではないだろう。なんとかそれに近い形に収まった瞬間、部屋のドアが開かれた。
「…………まだみたいだな」
「ですね」
 そう言いながら、主犯格らしい男の手が銃兎の猿轡を外す。
「よし、アッチの奴ここに連れて来い」
 あっちの奴、と言われて銃兎は思わず身体を竦ませそうになった。嫌だ。考えるな。もしかしたら別件で捕らえられた人間かもしれない。それだったらまだ何も起こらない可能性はある。
「アッチはベータだろうが、コイツはどうかな……」
 無造作に後襟を捕まれ、ひくりと震えた首筋に鳥肌が立つ。それが相手にも見えたのだろう。
「おいテメェ‼ 盗み聞きしてやがったな‼」
 無理やりそちらを向かされる。首をじ切られそうな痛みに、銃兎の眼に涙が浮かんだ。 「うぐっ……」 「オイ、今すぐアイツ連れてこい。コイツオメガだ」  項の痕を確認したらしい声が耳元で響く。舎弟らしき男がばたばたと部屋を出ていくのが横目に見えた。 「…………精々犯されろよ、入間さんよ」  ひくりと身を竦ませた銃兎に笑いかけた男は、銃兎の身体を投げ捨てた。男を見上げ睨みつける銃兎を見て、男はクツクツと笑う。 「お前オメガだったんだなァ、碧棺の野郎と番か 今お前の対戦相手連れてきてやっからよ、アイツの名前を呼ぶ準備でもしとくんだな」  藻掻く銃兎を見てニヤリと笑うと、鳩尾に蹴りが入った。 「あぐっ…………‼」 「おい、お前こっちに来い」  いつの間か、呼ばれた男が来ていたらしい。舎弟に連れられ、よろよろと歩く男。その赤い髪を見て、銃兎は自分の顔が絶望に歪むのがわかった。 「かん、のんざか、さん…………」  呟いた声は独歩には届かなかったらしい。見た限りで外傷は見当たらないことに安堵したものの、今の銃兎にとって彼は脅威だ。番どうしはヒートでなくてもフェロモンを感じ取れる。もしも独歩が銃兎のフェロモンにてられてラット状態に陥ってしまったら、銃兎はきっと太刀打ちできない。アルファの前ではオメガなぞ、搾取され愛玩される対象でしかないのだから。 「オラ、こっち来い」 「………れ、なん…………うと……」  苛ついたような男の声と、ぼそぼそと何か言う独歩の声が聞こえた。ドサリと音がして、自分の身体の上に重さが加わる。独歩の身体がのしかかってきたと分かるまでに時間がかかった。脳がこれ以上情報を入れることを拒否している。ヒートの初期症状だ。 「れ…… いるまさん……」  独歩が、まさに今目を覚ましたように瞬きをする。そして銃兎の身体から出るフェロモンに気がついたのだろう、首筋に鼻を寄せてきた。 「ちょ 観音坂さん……」 「入間さん……いい匂い……」 「ハハハ コイツ狂ってんのかよ⁉」  男が笑う中で、完全に自我を失っているであろう独歩を止めようと、銃兎は必死に身体の下から逃げようともがいた。しかしヒートに浮かされた身体には、独歩を押しのけるだけの力さえないらしい。押し倒されるような格好になった銃兎は顔を背けた。独歩のフェロモンが鼻腔を擽る。 「やめ……観音坂さん…………」 「入間さん……俺、ずっとおかしかったのに、入間さんにだけ、こんな……ごめんなさい……」  弱々しい声が聞こえて、思わず銃兎は独歩の顔を見た。涙を浮かべ、汗にまみれた泣きそうな顔。アルファは番がいてもほかのオメガと番えるはずなのに、コイツは馬鹿真面目に強いフェロモンを感じられるオメガを探していたというのか。 ──いや、絆されちゃいけない  はっきりと銃兎の心の声が叫んだ。そうだ、俺はここでへばって終わるような人間じゃない。左馬刻と理鶯の横に並び、前だけ見てれば良い。こんなクソ野郎共に無理やり発情させられてたまるか。  馬鹿だなあ、と思う。オメガのように番を探し求めていたこのアルファにも。オメガだからとすべてを諦めかけた自分にも。  銃兎は動かない身体を必死に捩って独歩の身体を押し返した。両手が不自由な分、腹筋だけで相手の体重を押し返すのはキツい。横で行為を見守る男が何か言っているのが聞こえたが、はっきりとは銃兎の耳には入らなかった。無我夢中で力を込める銃兎の身体に、更に圧がかかる。独歩に押し倒されているのだ。普通ならサラリーマンが現役の警察官にかなうわけが無いのに、こんなにも力が拮抗しているのはやはりアルファだからなのだろう。だからと言って諦める気はさらさら無いが。
 孕まされる性に必要なのは力では無いと誰が決めた。孕ませる性に必要なものがカリスマ性だと誰が決めた。神が授けたものだというのなら、自分は、俺は神の存在すら否定してやる。
 そう意志を込めて、銃兎は独歩の顔を睨みつける。独歩の瞳は銃兎のフェロモンに中てられて濁っていた。その中に、情けない顔の自分が映る。ああ、自分の瞳と同じ配色だ、と霞がかった脳で考えた。かたや鮮緑せんりょく色に薔薇色。かたやへき色に乾鮭からさけ色。
 独歩と格闘を始めてどれぐらい経ったのだろうか。こちらの体力が削られていく一方で独歩が押し倒そうとする力は揺らがない。しかし疲弊しているのは手に取るようにわかった。アルファ特有の孕ませたいという欲求が頭をもたげているのに、それが一向に満たされない。その精神的な苦痛は銃兎には計り知れないものだ。それでも銃兎はこの力を弱めるわけにはいかない。自分のためだけではない、これ以上独歩を追い詰めてはいけないという、銃兎なりの正義だ。
 独歩の額から汗が落ちて、思わず顔を顰める。その瞬間ときだった。
 ガゴン、と重い音がして目の前が光に覆われた。眩しさに目を細めると同時に、汚い男の呻き声が耳元で聞こえる。主犯格の男が倒れ込み、白い体躯が蹴りを入れたのを朧気な視界に捉えながら、銃兎は意識が堕ちていくのを感じた。

■ □

「たぶん、ヒートで体力が削られて眠ってしまっただけだよ。もうすぐ目を覚ますと思う」 「……ありがとな、先生」  柔らかく微笑んだ男、神宮寺寂雷はそれにしても、と言葉を続ける。 「入間くんと独歩くんが番……というのは本当なのかい」 「多分、としか言えねえけどな」  苦々しげにそう言う左馬刻を気遣うように、寂雷は椅子に座って左馬刻の方を見た。左馬刻が銃兎と独歩を別室にするようにと、寂雷に頼み込んだのだ。よって現在独歩は、銃兎の部屋とは離れた病室に寝かされている。そちらは別の医師と伊弉冉一二三が付き添っているらしい。 「本来であればマナー違反というのは分かっているのだけれど…………独歩くんがアルファという根拠はあるのかな」  バース性は一般に人に言うものではない。ましてや他人の性を言いふらすことは、犯罪にもなりかねない行為だ。よってバース性は本人が言い出さない限り訊かないというのが、世間でも暗黙の了解のようになっている。だから寂雷も独歩の性を知っていたわけではないのだろう。 「…………え。……先生だから言うけどよ、銃兎の項の痕は俺との番のしるしじゃねえんだわ。コイツが昔勝手に噛まれたもんだって。だけど銃兎とあのリーマンが昔の知り合いってならありえねえ話じゃねえだろ。コイツが職質かけてたっていうし」
「…………そう、だね。その可能性は否定できない。確かにリスクを避けるためにも、部屋を分けたのは間違った行動ではないと思うよ」
 左馬刻が唇を噛むのを見て、寂雷は二人がここに来たときの事を思い返す。
 銃兎を横抱きにして抱えていた左馬刻は、ベッドに寝かせてからもずっと、アロハシャツを握りしめている銃兎の手を撫でていた。妹以外に向けられた彼のいつくしむような手つきに、内心寂雷は驚かされた。そして病院着に着替えさせた時に見えた傷痕に、初めて銃兎がオメガであると知ったのだ。左馬刻との番の証であるのだろうと、思わず邪推した。それほどまでに二人の空間は『完成』されていたのだ。誰も入り込める隙間のない世界。そこには二人のチームの繋がりを越えた何かがあった、と寂雷は思う。 「うっ……」  呻き声が聞こえて寂雷は眼をあげた。銃兎の眉間にシワがより、瞼が開く。 「じゅーと、大丈夫か」 「……ん…………さまとき……」  銃兎がくしゃりと顔を歪めた。痛みに顔を顰めたのか、笑おうとしたのか。頬に当てられたガーゼと傍らの点滴の痛々しさに、左馬刻は知れず顔を曇らせた。 「入間くん、体調は大丈夫かい」  寂雷も遠慮がちに話しかけると、はたと瞬いた眼が寂雷の方を向く。 「…………神宮寺先生……すみません、お手間を」 「全く問題ないよ。病室は空いていたしね」  銃兎は寂雷の顔を見て何となく現状を察したらしく、申し訳なさそうに眉尻を下げた。 「……観音坂さんは」 「別室で寝かせているよ。彼も寝不足だろうし、会社が無いなら寝かせておこうと思って」  そうですか、と答えた銃兎はふうと一つ息を吐いた。 「…………入間くん」  意を決して出した声は掠れきっていた。緩慢に動いた虚ろな顔は寂雷の方を向いてこそいるものの、到底話ができそうな状態ではなさそうだ。 「……回復したら、話がしたいんだけど。良いかな」  こっくりと、頷いた銃兎の頭を左馬刻がそっと撫でた。不服そうにぎゅうと目を細めた銃兎は、それでもおとなしく撫でられている。どう見ても快調であるとは言えない。 「それじゃあ左馬刻くん。私は独歩くんの方を見てくるから、頼んでもいいかな。何かあったらナースコールを押してくれればいいからね」 「ああ、ありがとな」  静かに病室を出ていく寂雷を見送った左馬刻は、そっと銃兎に視線を戻した。 「……さまとき」  銃兎がか細い声で左馬刻の名を呼ぶ。ん、と話を促すと、銃兎は泣きそうな顔で左馬刻を見上げた。 「…………ごめんなさい……」 「俺達に隠し事してたことか」  う、と言葉を詰まらせた銃兎は目を逸らす。 「それで……あのリーマンはどうするんだ。このままにしとくつもりなのか」  静かな左馬刻の問いに、銃兎は思わず左馬刻の方を見てしまった。てっきり独歩が殺されてしまうと考えていたのだ。独歩を殺せば番の契約は消えるのだから、左馬刻は銃兎と番うことが可能になる。今までは誰か分からなかったからこそ許されてきたが、正体が分かれば話は別だろうというのが銃兎の考えだった。だから、今の今まで秘密にしてきたのだ。 「……ころさない、のか」 「あ 殺してほしかったのか」  首を傾げた左馬刻に、ぶんぶんと慌てて頭を振る。 「…………死ぬほどムカついてはいっけどよ。不慮の事故ってならしょうがねえだろ」  痛みに顔を顰めた銃兎を労るように、左馬刻はゆっくりと頭を撫でる。その優しさが辛くて、思わず涙が溢れた。 「どっ、どうしたんだよ……なんか嫌だったか」 「ちがうっ…………なんでそんな、優しいんだよっ……」  左馬刻の手を振り払った銃兎が泣き声をあげる。必死に涙を拭うが、次から次へと溢れるそれは止まることを知らない。 「もうやだ……なんで番なんてあるんだよ…………なんでオメガはっ、対等になれねえんだよ……」  左馬刻のそれが生来の優しさだと分かっている。ヒートが落ち着いてから身体を繋げるのだって、その後に甘やかされるのだって、銃兎は大好きだ。でもそれは相手が左馬刻だったからなのだと、この件をもってわかってしまった。オメガのフェロモンに侵されている時とはまるで違う、理性を持って自分を律することのできる左馬刻だからできたことなのだ。  この前のヒートでも、フェロモンに抗うのは辛いだろうに、左馬刻は銃兎を優先してあのセーフハウスを出ていった。いっそ酷く抱いてくれたら諦めもついただろうに、目の前のこの男が優しさを教え込むから。だからアルファの優しさを錯覚して、対等に渡り合えるだなんて思ってしまったのだ。  結局、ラット状態のアルファはオメガを喰らうことしか考えられない動物だったのだ。あのまま独歩に抵抗し続けることなんて不可能だった。左馬刻が来てくれなければきっと、最後には彼のフェロモンに破られていたと思う。そしてその先……。考えるだけで吐き気がしそうだ。 「お前はいつも、俺のこと優先してくれるから……だからまた、俺はお前に応えられなくて……」  すすり泣く銃兎を、左馬刻はじっと見つめる。初めて見せられた、銃兎の独占欲の欠片のようなもの。その中心に自分がいることに、不謹慎とも言えるが確かな優越感を覚えた。それでも左馬刻は銃兎の番ではないのだ。運命の番と言えど、銃兎のフェロモンは本物の番ほどには感じられない。だからこそ、銃兎の突然のヒートにも耐えられたわけだが。 「……俺は番になってないからお前のフェロモンをそこまで受けてないだけだ……いざ番になったらどうなるか分かんねえし、お前に優しくできる自信だって、無え」 「でも、いつも……」 「側にいねえから分かんねえだろ。今は別々になってっからなんとかなってるだけだ」  左馬刻は唇を噛みしめる。業腹な事だが、銃兎を救い出したときに独歩を引っ剥がすのに酷く時間がかかったのだ。番を奪われまいとする本能なのだろうか。 「…………アルファだろうがオメガだろうが、ヒートになっちまえばただの理性の無い獣だろ」 「それが嫌なんだよ‼」  ガバッと起き上がった銃兎が左馬刻の声を遮った。突然の反抗に左馬刻は目を見開く。 「なんでそこで諦めんだよ 本能に呑まれて人襲って 襲われて なんで抵抗できねえんだって、うっ……」 「銃兎⁉」  左馬刻は頭を抱えた銃兎の上半身を支える。顔をあげた銃兎の目には、また涙が滲んでいた。 「なあ、オメガが悪いわけじゃねえ。でも、アルファを責めることも俺にはできねえ……襲いたくて襲ってるわけじゃねえんだ。本能ってのは理性なんて関係ねえ。意識なんて無くて、気がついたら目の前のオメガと番にさせられてる・・・・・・ってときだってある。それは誰のせいでもない、だろ」
 ぎゅうと抱きついてきた頭が小さく頷く。応えるように抱き返しながら、左馬刻はそっと銃兎の頭を撫でた。
 どうしようもない事だときっと、分かってはいたのだろう。それでも彼の中で諦めがつかなかったのだ。それも当然だと思う。圧倒的にアルファが有利な世界で、何をされてもアルファを糾弾できない中で、彼は闘っているのだから。今のこの世界は、全てがアルファ中心に回っている。何においてもアルファが優先され、そのとばっちりを受けるのは殆どがオメガだ。この世界が間違っていると声を大にして言いたいだろうに、黒い国家の犬はその喉すら封じられてしまっているのだ。
「…………観音坂さんは……ずっと、俺を探してた…………アルファは何人でもオメガと番えるのに、馬鹿みたいに、自分の番を……」
 馬鹿みたいに、という言葉は妙に自嘲的だった。馬鹿なのはきっと銃兎も、左馬刻も同じだ。馬鹿みたいに第二性に振り回されて、馬鹿みたいに傷を舐め合う運命の番同士。本能に引き離されるなんて、まるで理性の無い動物のようで。でも、実際それが現実だ。人間もほかの動物となんか変わりのない、本能に抗えないただの生き物なのだ。
「なあ銃兎…………お前が好きだ。番とか運命とか、そんなもん関係ねえ。俺はお前が良い…………お前じゃなきゃ、嫌なんだ……」
 それでも、銃兎と離れる選択肢は左馬刻にはなかった。アルファだのオメガだの関係なく、ただ唯一の人間として銃兎が好きなのだ。我ながら不甲斐ない告白だと思う。他人に取られそうになってやっと言い出すなんて。
「さまとき…………」
 ひくり、としゃくりあげながらも顔をあげる銃兎が、潤んだ目で見つめてくる。それはきっと、彼も左馬刻と同じ気持ちだから。言いようのない愛しさがこみ上げて、左馬刻は銃兎の唇にそっと口づけた。

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